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真珠湾問題

 1901年の大事件の前に、ハワイ内部の問題を語る。

 リリウオカラニ女王は、実はアメリカとの貿易の重要性、真珠湾の使用を許可しないと相手は実力行使に出る事等を承知していた。

 しかし、国の長が易々と相手の意に乗る訳にはいかない。

 第六代ルナリロ王、第七代カラカウア王ともに、アメリカの要求に易々と乗るように見せて、ハワイに有利になる関税ゼロや負債押し付け等を勝ち取っていた。

 駆け引きの上でも、また国民感情の上でも、真珠湾使用を認めないという芝居をする必要があった。


 議会はほとんど泣きついている。

 アメリカとの経済活動で入る収入がほぼ0となり、国の金が随分減っているのだ。

 これからホノルルとラハイナの再開発に、更に金が必要な時期である。

 女王が粘ってアメリカを許さないと、非常に困るのだ。


 リリウオカラニは適当な時期に折れるつもりではいる。

 だが、自分の芝居の為に自分が苦しめられる結果にもなっていた。

 思った以上に中産階級以下の国民が、真珠湾貸し出し禁止を支持してしまったのだ。

 酋長社会や単純労働者たちは、女王の強きに喝采し、熱烈に支持をしている。

 これを裏切ると、一気に女王への反発に転じかねない。

 一方、アメリカに真珠湾を使わせないとなると、彼等は実力行使をしかねない。

 そしてその時は、前回は防げたアメリカへの内通者が大量に出かねない。


 前回の米布戦争に先立ち、アメリカはアメリカ国籍を有する砂糖農園主や事業主に内通を申し出た。

 しかし彼等は、1887年に猛威を振るった「断罪者(ウリエル)土方」という悪魔を恐れて協力を断った。

 その悪名も、何年も続く不況には勝てないだろう。

 1892年の「ハワイ共和国の乱」は、マッキンリー関税法が施行されて2年、そして翌年には撤廃の見通しが立った為、白人たちは一息ついた。

 しかしもっと長引いていれば、「断罪者(ウリエル)土方」が刻み付けた恐怖を振り切って、一か八かのアメリカ併合に打って出たかもしれない。

 いつ如何なる時でも利用できる力では無い。


 米布戦争は、ハワイからしたら一番の取引相手が仕掛けて来た敵対的買収を、総力を使って断念させたようなものである。

 撃退出来たが、取引が止まり、財務的には苦しくなった。

 だから再び良好な関係を復活させ、取引を復活させたい。

 しかし従業員が相手を信用出来ない、取引打ち切れ!と怪気炎を挙げている。

 役員たちは取引復活を求め、応じないなら代表解任を要求しかねない。

 企業で例えたらこんな感じであった。


 アメリカの交渉担当は、新任の国務長官ウッドロー・ウィルソンである。

 理想主義者、平和主義者、国際協調路線の考え方をする人物である。

 彼は「早期に真珠湾を使用出来るようにしろ」という大統領からの指示と本人の性質から、かなりの譲歩をして来ている。

 先に仕掛けたアメリカの非を認める、賠償金も払う、これまで通り農作物の輸出に関してはアメリカ国内と同じ扱いで良い、と好条件だ。

 条件面で出して来ているのは、「賠償金の額は減らし、代わりに開発費や投資という名目でこれまで以上に出したい」とか「ホノルルの開発にはアメリカ企業も加わらせて欲しい」というものだった。

 榎本もそれは呑める。

 傍らのナワフ首相も何も言わないとこをみると、女王も反対していない項目のようだ。


 一番の問題は真珠湾の独占使用権についてであった。


 アメリカの落としどころは、「従来通りの賃料で良い」というものだった。

 ところがリリウオカラニは「使用そのものを認めない」と言う。

 これでは話にならない。


 ウィルソン国務長官は平和主義者でかつ理想主義者だが、それだけにこじれたら厄介だと榎本は見る。

 アメリカは正直、大幅譲歩をしている。

 それなのに真珠湾について、取り付く島も与えないとなると、一転してハワイ攻撃論者になり兼ねない。

 ブライアン大統領も、ハーグ宣言が講和を奨めているから乗っているが、国民の中で燻っている反ハワイ感情が再び燃え上がった時は、民意を見て戦争に傾く危険性がある。

 デューイ副大統領は最初から「交渉決裂したら戦争」と言っている。

(ウィルソン長官と友誼を結ぶ必要があるな)

 榎本はナワフ首相とも話し、ウィルソン長官はじめ、アメリカの議員と積極的に交流を始める。


「真珠湾問題は絶対に解決の方向に持っていく。

 決してアメリカの譲歩だけを求めない。

 双方歩み寄って、より良い形に収める」

 これは榎本、ナワフ首相だけでなく、議会の総意でもある。

 その上で

「まだ戦闘が終わって1年程度で、特に低所得層の不満が高い。

 女王もそうで、時間がかかりそうだ」

 と伝える。

 アメリカ側は

「それは理解出来る。

 我が国でも反ハワイ感情が消えてはいない。

 理解は出来るが、我が国にも都合が有るから、早期解決が必要だ」

 と訴えて来る。


 そんな中、国務省内のちょっとした行き違いから妙手が生まれた。

 書類を整理していた役人が、「真珠湾独占使用協定」の項目を見て

「この協定は5年後に期限切れを迎えますが、前回は今くらいの時期に延長についての打ち合わせをしている記録が残っています。

 今回も再延長に向けて下準備を始めた方が良いのではないですか?」

 と太平洋方面の上長に言って来た。

「馬鹿か、こいつは」

 上長は、戦争で停止状態にある協定、延長も何も廃棄か再締結かを今話し合っているんだろ!と思った。

 そして

「自分の頭で考えろ! お前の首の上にあるのはカボチャか何かか?」

 と返した。

 するとその役人は、「当然進めるものだ」と考え、長官にアポイントメントを取った。

 話を聞いたウィルソン長官もやはり「こいつは馬鹿か?」と思ったが、直後に「これはもしかしたら福音かもしれない」と考え直した。

 榎本とナワフに連絡を入れ、アイディアを披露した。


「まず確認しておきます。

 我が国の真珠湾独占使用については、第六代国王ルナリロ陛下が締結されたが、それからしばらくは書面の交換無しで何となく使用し続け、正式な批准は第七代カラカウア陛下が1885年になって行った」

「そうです」

「1885年から10年の期限で発効し、1895年には延長された。

 しかし、1892年のハワイ共和国の乱に我が国の大使が加担した事から、使用料を10倍に値上げされ、それが米布戦争の遠因になった。

 これもよろしいですね?」

「その通りです」

「現在停止状態にあるとは言え、1895年の延長独占使用協定は生きています。

 何故ならアメリカが戦争をしたのはホノルル幕府で、条約締結相手の王国政府とは手切れになっていないからです」

「……戦争で双方が結んだ協定・条約は破棄されるものですが、今回宣戦布告は行われていない。

 かなりの詭弁ですが、そう言えますね。

 成る程、直ちに真珠湾を使いたいアメリカとしたら、新協定締結よりも延長協定でいきたい訳ですな。

 そして協定が生きている以上、ハワイもそれを守る義務がある、と」

「話が早くて助かります」

「ウィルソン長官、真珠湾の独占使用協定の再延長については先延ばしをする、で良いですね?」

「そういう事になります」

「その時、締結出来る保証はありませんが、よろしいのですか?」

「それはその時の国務長官の技量次第です。

 1904年にも大統領選挙はあり、私たちが再任されるとは限りませんからね」

「それは私も同じです。

 そろそろ同僚たちは墓に入っておりますゆえ、私とていつまでこの職に居るかどうか」

「私としては、是非とも再選されて、生きている閣下と再び話し合いたいものです」

「こちらもです」

 両者は握手をする。


 しかし、幕府は実は外交権を持っていない。

 最終的な決定は女王がする。

 ナワフ首相が渡米し、同席していたのは幸いだった。

 不在なら、かつての江戸~京都間で意思疎通出来ず、国を分断した安政年間の日本となったかもしれない。


 ナワフ首相もハワイの富裕層の希望は知っている為、王族の意地にかけてリリウオカラニ女王を説得する事を請け負った。

 榎本はまだ留まり、条約締結の為の条件面での詰めを続ける。

 ナワフ首相は一旦帰国し、リリウオカラニに面会して説得に当たった。


 ナワフ首相は肩透かしを食らわされた。

 リリウオカラニ女王はすんなりと

「前回の協定が生きているなら仕方ないですね」

 と言って、真珠湾の独占使用について承認した。

「ですが、再延長については、こちらとしても言って置きたい事があります」

 とリリウオカラニはナワフに条件を提示した紙を渡す。


・商船の使用については無制限、しかし軍艦の使用については緊急の修理・補給以外は禁止とする

・港湾使用料は2割増しとする

・真珠湾の軍事基地化は認めない

・真珠湾再整備の費用はアメリカ負担とする

・検疫は強化し、武器やその部品の持ち込みは禁止する


 渡されたナワフは冷や汗をかいたが、リリウオカラニは首相に近づき

「あくまでもこちらの要望です。

 今回みたいに上手い抜け穴が有ったら、どんどん使いなさい。

 それと、上手く理由をつけて私を説得出来たら、それでも良いです」

 と耳打ちした。

 要はこれくらい言っておかないと、低所得層のハワイ人の収まりがつかないのだろう。


 ナワフ首相は女王の元を辞した後、ホノルルでクヒオ王子とも面会する。

 幕府の考えを聞く為である。

 幕府は一言「女王陛下の判断に任せる」と言った。


 これで後は条件面での詰めが終わり次第、ナワフ首相は女王の委任状を持って再渡米し、女王名代として講和条約、真珠湾協定を除く、に署名するだけとなった。


 そんな中で1901年の大事件が起きてしまったのだった。

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