外交と陰謀と
「永倉から返事が来た。ハワイには来ないとよ」
土方歳三が手紙を原田左之助に渡す。
元新撰組二番組長・永倉新八は、彼自身だけなら、いくら袂を別ったとはいえ、新撰組に復帰しても良いと思っていた。
だが彼は維新後、故郷の松前藩に帰参し百五十石取りとなった。
そして1871年の今年、家老の媒酌で結婚、婿養子となり「杉村」の苗字となった。
責任感の強い男なだけに、婚家や家老を無視して飛び出す事も出来ない。
そして、もう一つ事情があった。
「総裁、新八さんが書いて来た、密偵が嗅ぎ回ってるって事ですけど、何でですかね?」
「だから奴はハワイに来られねえんだろうさ」
「話を端折らないでくれませんかね。
密偵どうこうだけなら、新八さんならどうにでも出来るでしょう?
それを泳がせて様子見てるんでしょうけど、何者なんですかね?」
土方は原田の顔をじっと見て、
「お前、新撰組から離れていた時期に、何か学問でもやったのか?」
そう言って感心した。
原田は文句を言って来たが、まあ彼の言う通りなのだ。
永倉が本人の理由よりも、密偵(これも盗み読みされる事を警戒し、暴漢ややくざ者と置き換えていた)の事を長々書いて来たというのは、このホノルルの新撰組への警告であろう。
永倉は「行かない」という返事で、何かが日本国内で動いている事を伝えて来たという訳だ。
1871年、和暦明治四年は、条約改正を目的とした一大外交使節団が日本を出発する予定になっていた。
所謂「岩倉使節団」である。
その準備期間、大久保利通と岩倉具視は密談をしていた。
「神代は無事ハワイに着いたようです」
「何よりじゃの」
「しかし、彼の悲願であった、『外にあるもう一つの政府』を可能性の内に芽を摘む事。
それに彼を暗殺した男が関わるとは、皮肉なものですな」
「死者は口を利かぬものだし、神代は人が斬れるなら何でも良い。
文久以来そうやって人を使って来ましたので、今更気にする事はあらしゃいません」
「人斬り、博徒、偽官軍……、不穏な者どもを次々に外に追い出し、共食いさせる。
この国も塵芥を捨てれば、平穏になりましょうな」
「そない言うたら、麿もいずれハワイに捨てられますな(笑)。
なにせ、稚児の頃より賭場に出入りしていた、下賤な公家ですので(笑)」
「ご冗談を(笑)。
何はともあれ、我等の出立までには片がつけば良いですな。
西郷どんではいかん。
あんお人は、一度許すと決めた以上、梃子でも動かぬゆえ。
邪魔者は俺いが何とかしもんそ」
「頼むで。ハワイでアレらが何かやらかすと、条約改正が捗りませぬからな」
「海外に別の日本人政府が存在する」ことと「それが守旧派の希望となる」ことの危険性を指摘したのは大村益次郎であった。
その話を受けて、岩倉具視と大久保利通は更に別の事を考えた。
岩倉は、帝が夢を見られた時、確かに謎の熱病に罹った。
多くの公家は「崇徳院の怨霊や」と騒いだが、岩倉は偶然だろうと思っている。
……無論、口には出さないが。
その醒めた頭の岩倉からしたら、海外にでも潰した筈の幕府残党が居て政府でも作ったりしたら、「新政府」が日本の唯一無二の政権である事が損なわれると考えた。
朝廷の公家である岩倉には、朝廷ではなく京都の外にある「幕府」が対外的には「政府」であった事を恨めしく思っている。
これがまだ存在していたら、「まだ新政府は日本の代表とは言えない、亡命政権との関係を先にどうにかしたらどうか?」と、あらゆる交渉を断られる可能性がある。
彼等が本心からそう思ってないにせよ、そう思ってる「ことにする」。
不利益な交渉を断ったり、何かを押し付けられたりする時の材料にされる。
噂話すらを「そう言った」「世間はそう思っている」という形で、幕府に揺さぶりをかける、それは岩倉がかつて行った事だ。
相手に有利になる材料は消さねばならない。
大久保利通はもっと別次元の事を考えていた。
攘夷? 出来るわけない、あれは討幕の方便だ。
ハワイ王国の欧米乗っ取りを防ぐ? そんな力があるわけない。
欧米とは今後、貿易によって繋がり、技術を学び、産業を興す為の知識を学ばねばならない。
その一角であり、ロシアの次に近いアメリカに喧嘩を売っているハワイの幕臣は目障りであった。
ただ、大久保が余人と違うのは、ハワイにいる幕臣たちが世界最強国家イギリスの意にかなっている事を把握済みなところだ。
どんな形になろうが、それを活かすも殺すも政治家の力量であろう。
ただし、岩倉同様本心を口にはしない。
国内の派閥抗争もあり、大久保は岩倉や、長州の大村益次郎の考えを受け継ぐ者たちと意を同じにしている、……ように装っていた。
もう一人、ここには居ないが木戸孝允の意思も存在する。
彼の意思は単純で「余計な事をしないで欲しい」だった。
ゆえに、ハワイの幕臣を苦々しく思い、同郷の大村益次郎の構想を是としているが、こちらから仕掛ける事もまた「余計な事」であり、国内の整備に専念しろという考えである。
木戸にそう言われずとも、岩倉も大久保も、太平洋を越えて陰謀を操作出来る程に手足は長くなく、発覚した時に関与がバレたら、それこそ諸外国から内政干渉と謗られる事は分かっていた。
それ故に、爆弾を放り込んで蓋をし、成り行きを見守る程度の事しか出来ない。
が……
『神代直人は見境の無い殺人狂だ。何かをやってくれるだろう。
その時に、今まで送った者たちがどう動くか?』
そう考えて、外遊までに布石を様々に打つ事にした。
彼等が外遊に出てしまえば、そこからは何も出来ない。
今、日本に居る内に、打てる石は全部打っておこう……。
ハワイ王国の複雑なところは、確かにカメハメハ5世は極度の反米主義者だが、彼の大臣はアメリカ系白人ばかりだったところや、アメリカ系白人の中には「ハワイの主権国家としての地位確定」を真剣に願っている者もいたという事である。
外相チャールズ・コフィン・ハリスはそういった「王国派」のアメリカ白人であった。
彼は、カメハメハ5世が行った憲法改正、白人に大きく権利を譲渡したものから現地人主権のものに変えた際に、法律的見地から理論武装した。
「王は憲法を変える権利を持っている」「そもそも君主制なのに、君主の権力を削り過ぎていた」という説明をした。
英仏はこれを受け容れたが、アメリカは反発した。
カメハメハ5世のイギリス国教会への改宗も、プロテスタント・カルヴァン派の在ハワイ・アメリカ白人との連携が強いアメリカを苛立たせた。
「反米政策」への報復が、ハワイ最大の産業である砂糖貿易における、高関税の設定だった。
関税が高く、ハワイのプランテーションで栽培された砂糖が、アメリカで売れない。
まだイギリスという商売相手がいることが救いだが、距離的にアメリカとの貿易障壁はどうにかしたいところだ。
榎本武揚や土方歳三が五稜郭にやって来た頃、1867年に、アメリカ軍艦「USS ラッカワナ」が「フランスがハワイを領有しようとしているから保護する」という名目でホノルルに居座り続け、さらにミッドウェー諸島を領有宣言するという事件があった。
ハリス外相はこれを契機に、アメリカの非礼を認めさせ、関税障壁の排除を含む条約を結ばせようとした。
しかし、上手くいっていきかけた条約締結への流れは、急にアメリカ側が閉ざした。
日本人の大量移民と軍事化であった。
日本人の軍事化は、ハワイ政府の閣僚たちで認めているものはいない。
ハワイ王族で軍人のモホヌア少佐も、いきなりの日本人を認めていない。
そんな政府関係者から認められていない日本の軍事移民を、やはりアメリカが問題視した。
ハワイはやはり反米政策を執っている、関税撤廃は認められない、と。
ハリスは、在日大使を通じて日本本国に抗議する。
それに対し、日本政府からは「彼等をどのように扱おうが、日本国として保護を求める事はしない」という、勝手に始末しろという返事が出された。
この間、両国の外交筋で何やら密談が為されたようだ。
一方で財務大臣ジョン・モット・スミスは日本移民を歓迎した。
移住に際し、大量の献金をしてくれた。
日本人移民は農場から逃げず、土地にしがみ付いて働く。
サトウキビ栽培は王から義務付けられた事業だが、彼等はそれを最小限に留め、白人プランテーションに最初から勝負を挑んで来ない。
代わりに米などを栽培し、食糧においては自給自足から、余剰品を市場に出す程度に成長。
漁業や林業を始め、現地人や華僑、失業白人も雇用し始めた。
封建領主を戴き、やや排他的で半独立国のように「藩」と自分の土地を呼び、独自の忠誠を誓っているが、意外に害は無い。
元々「ハワイは君主制なのだから、カメハメハ5世の政治は正しい」と新聞寄稿した程なので、貴族的な封建君主がハワイに馴染む形で農場経営している事にも、特に不満は無かった。
さらにスミス財相は一方で歯科医であり、歯科医院を設立しようとした時、日本人は協力を申し出た。
募金額こそ少ないが、建築の協力や移動時に船を無償提供する等した。
タカマツやマツモトという軍医に至っては、募金を呼び掛け、自分も寄附をし、また自分に習おうとしている。
こういう好意的な閣僚も、僅かだが存在した。
ハワイとアメリカの関係を眺めながら、榎本武揚は自分たちの置かれている立場を、もっと盤石なものにしないとならない、そう考えた。
「USS ラッカワナ」は1558トン、10.5ノット、28cm滑腔砲を2門搭載した軍艦だが、3500トンでライフル砲を4門装備した装甲艦「カヘキリ」を配備したハワイ海軍に対し、もはやかつてのような無礼は出来ない。
だが、外交上は相手に無礼をさせて、それを奇貨に交渉で譲渡を迫るやり方もある。
先軍的な在り方は、一部の政府要人の喝采と、多くの反感を買っていた。
フランスのナポレオン3世と、それに刺激されたイギリスのハワイへの支援、それがその反感を消して余りある功績となる筈だったが、今ではその価値は半減した。
スミス財相の他、国王カメハメハ5世、内務大臣ハッチソン(イギリス人)、王国最高裁判所のハワイドマン(ドイツ人)らが好意的に見てくれるのが心強い。
一方で、アメリカ西海岸の新聞は、ハワイの王党派政治家と日本人軍閥を、徹底的に批判し、馬鹿にする記事を書いている。
特に、かつてハワイで暮らした事もあるというマーク・トウェインという記者の論説は、皮肉たっぷりで頭に来る。
(トウェインとかいう男が今ハワイにいたら、血の気の多い連中が襲いかねないな。
帰国していて良かった)
と外交に敏感な榎本は思った。
これ以上ハワイとアメリカの関係を拗らせるのも問題である。
彼は外交顧問を置く事を決めた。
……それをきっかけに、彼の執務室は政府的な組織に変化していくのだった。




