第二回休戦 ~悲しみのハワイ王国~
ラハイナのハワイ王国議会に、ハワイ王国王位継承者カイウラニ王女死亡の報がロンドンより届けられる。
「直ちに別荘地のリリウオカラニ陛下に連絡を取れ!」
アメリカ軍の攻撃を霊的な力で察知した、と言う体のリリウオカラニがラハイナを脱出した為、現在君主不在の状態である。
これでリリウオカラニにも万が一の事があれば……。
現在はまだアシュフォード将軍、ウィルコックス大佐の軍とアメリカ軍が交戦中である。
しばらくは女王を避難場所から動かさない方が良い。
やがて会戦の勝利の報が届く。
更に先にロンドンのイギリス政府から、その後はワシントンD.C.から停戦の申し出が入る。
国王不在の今、首相が国家元首代理でその申し出を受諾する。
そしてアシュフォード将軍凱旋、そしてリリウオカラニ女王ラハイナ帰還と続く。
女王は、交渉受諾については賞賛した。
しかし
「またいつ、向こうの都合で約束を破られるか分からないから、護りは抜かりなく」
と信用はしていないようだ。
「カハレポウリを呼びなさい。
改めて王位継承権1位を内外に発表します」
とリリウオカラニは言った。
カハレポウリは、先王カラカウア2世王妃カピオラニの妹キノイキの子である。
クヒオ王子が征夷大将軍となる事で王位継承を放棄した為、キノイキが嫁いだカワナナコア家に王位は移る。
「カラカウア家も私で終わりですね」
と女王は寂しそうに呟いていた。
(順調にいくなら、次はカワナナコア朝となる)
ハワイ国民は、24歳という若さでこの世を去った王女を悼んだ。
そして、1893年にはクリーブランド大統領を説得し、今年は欧州各国の国王や皇帝を動かして戦争を終わらせようとしていた事が大々的に報道され、国民はいよいよ王女の偉大さを感じ、悲しみに暮れた。
「あの娘、そんなに偉大な娘じゃないわよ。
宝石や散歩が好きな普通の、いや、少し軽い娘だったんですよ。
最初から優秀じゃない、そんな娘が頑張ってくれたんですから、この機会はものにしないといけませんね」
過大評価とも言える世間の声に戸惑いつつも、カイウラニ育ての親のリリウオカラニは、養女の努力を称賛する。
リリウオカラニは戦争終結に期待を込める。
リリウオカラニは自分がカイウラニに代わってハーグに渡り、会議に参加しようとした。
しかしビクトリア女王から誠意を持って代理人を努めると言うメッセージを貰ったので、ラハイナに留まる事にした。
一方ホノルル幕府である。
こちらはあくまでも利と戦略で他国と利用し、利用されて来ただけである。
故に、用済みになったら捨てられても、或いは落とし所として他国から利用されても文句は言えない。
そう言う空気を欧州の榎本武揚から知らされた幕府要職たちは対策を練る。
ロシア皇帝臨席の国際会議で、国王級が出席する場に榎本は出られない。
外交は会議の前から始まっていて、親睦会等で「仲間」か「部外者」か決められる。
そう言う場に居られる者は「決める側」、部外者は「決められる側」にされる。
遅参でも出席すべきである。
王家、帝室と会える身分となると、徳川定敬かジョナ・クヒオかしかいなかった。
ではどちらが渡欧するか?
最初はクヒオ王子が行く予定であった。
語学力と王家という血筋からである。
しかし、これに待ったを掛けたのがリリウオカラニである。
ビクトリア女王がハワイ王家の代理人をしてくれる。
いくら組織が違うとは言え、ハワイ王家の者が渡欧すればイギリスの機嫌を損ねはしないか。
それで結局、大君トクガワの名に賭けようという事になったが、そこに電報が入る。
『代理トシテ出席ス 慶喜』
聞くと、既にロンドンに到着していると言う。
ホノルル幕府の置かれた状況は全て承知しているから、任せて欲しい、と。
「何故、上様が我々の状況を知っているのか?」
「誰か上様に情報を漏らした者が居るのか?」
「それは我々の全てが怪しいでは無いか。
我々は全てが内府公の家臣であっただろう」
「それにしても、上様は一体どうするつもりか?」
「鳥羽伏見の時のように、危うくなって逃げ出されても困るぞ」
意見が百出する中、財政担当のチャールズ・ビショップと征夷大将軍ジョナ・クヒオが質問する。
「そのケイキ公とはどのような人なのですか?」
その時生きていた者も大分減った。
数少ない生き残りは言う。
「よく分からん」
思わず椅子から転げ落ちそうになった非日本人の2人だが、気を取り直して尋ねる。
「よく分からんとはどう言う事ですか?」
「あの方は我々では理解出来なかった。
ハワイでは初代はカメハメハ大王、アメリカでは初代はワシントン大統領だが、もしもその初代の再来と言われたなら、貴殿たちはどう思う?」
「それは素晴らしい人物ではないか」
「大王の再来とか、最高の評価です」
「我等にはその評価が正しいものなのか、誤りだったのか、分からんのじゃ」
「???」
「一つ言えるのは、あの方は君主としての才は抜群に持ち合わせていた。
だが君主の器だったかどうかは分からぬ。
なにせ君主になる気が無かったお方じゃから」
「君主になりたくなかった?」
「うむ、多くの心有る者は、あの方が将軍職を継がれる事を望んで来た。
誰から見ても、それ程の才覚が有った。
しかし、ご本人は最後まで将軍職を拒んでおられた」
「御公儀、幕府というものを大分前に見限ってもおられたようにも思う」
「そのようなお方ゆえ、我々のような一途な生き方しか出来ぬ者には理解出来ないのじゃ」
或る意味、その才能が無いにも関わらず、必死に王家の務めを果たそうとして、惜しまれながら、若くして死んだカイウラニ王女と真逆と言える。
才能が有り余る程有るにも関わらず、家臣の期待や幕府存続という己の務めを超越して日本が新国家に変わる方に動いてしまい、元家臣たちからは「あの方に心は無い」等と言われながらも、今日まで生き続けた男。
信じて良いのかどうか。
だが、本気ならこれ程強力な貴人政治家も居ない。
幕末においても、世間知らずの公家や皇族、賢公と呼ばれる曲者大名、事勿れ主義の幕閣、何をするか分からない過激な志士たちを手玉に取る政治戦をやってのけた人物である。
幕府は徳川慶喜に委ねる事に決めた。
もっとも、もうその頃には徳川慶喜は松平容保を伴ってハーグに到着し、榎本武揚の宿舎に姿を現していたのだが。
大君トクガワの名は、日本屈指のセレブリティとして通っていた。
鎖国していた時代から、ヨーロッパ諸国は日本を調べていた。
その時代の日本の支配者の一人なのだ。
最初は物珍しさから、交流の申し込みが相次ぐ。
その機会を慶喜は無駄にしなかった。
当時の外交語であるフランス語で会話し、時にチェスをし、乗馬で共に散策し、トランプで賭けをすると勝ちまくった。
幼少時から、父の水戸斉昭やその側近藤田東湖をして「天才」と言わしめた趣味の才能である。
教養や趣味の多彩さが評価基準の社交界で一躍有名人になる。
(この才能にはとても勝てない)
と榎本武揚も舌を巻いた。
噂を聞きつけたロシアの使節が接触して来た。
この人も爵位持ちの貴族だという。
「ちょっとした賭けをしませんか?」
と持ち掛けて来る。
「よろしいですよ。
何を賭けるのですか?」
「そうですね、我々は満州と樺太を賭けます。
そちらは千島諸島と北海道を賭けて下さい」
そうぬけぬけと言い放つ。
(これは冗談としても釣り合っていない)
榎本はそう思った。
樺太は元々日本が所有権を主張していた土地だし、満州は清国のもの、千島と北海道は日本の領土だ。
ロシアは自分の財布から賭け金を出してないのに、日本の領土を賭けろと言っているのだ。
榎本がそれを指摘しようとした所、慶喜はそれを遮る。
「よろしいのか?
私が総取りしてしまいますぞ」
「ハハハ、大君閣下のお手並拝見といきますか」
ゲームが始まった。
ロシアの使節は真っ青になった。
カードでもルーレットでも競馬でも、全く勝てる気がしない。
「使節殿の手持ちのチップは無くなったようですね。
そろそろ財布からチップを出して貰いますか。
ウラジオストック、ハバロフスク、イルクーツクまで賭けて貰いますか」
「ハハ……ハハハ……。
閣下も冗談が上手ですね。
私も本気を出します。
そこまでは勝てませんよ」
しかし慶喜はあらゆるゲームに勝ち続ける。
使節は
(社交界で見た時のゲームはもっと可愛げが有った。
場を荒らさないよう適当に手加減していたという事か)
と気づき、冷や汗をかく。
イルクーツクまで奪われた大使に慶喜は
「流石にイルクーツクからモスクワまでは欲張り過ぎですな。
中間に適当な都市は有りましたか?」
と凄味のある笑顔で言う。
「あの、本気ですか?」
使節は余裕を失っている。
日本との交渉においてちょっとした道具にする為、貴人の賭博を利用しようと思ったが、まさかここまで負けるとは。
(※政治家や王室の失言を利用して、相手に必死に抗弁させてマウントを取る手法。
政治家は遊びでも相手に言質を与えるような事を言ってはいけない)
「使節殿、無論ジョークです。
余興で国土をやり取りする権限は、私にも貴方にも有りません」
「ハハハ、その通りです。
大君閣下が紳士で救われました」
「代わりに一つ頼みがある」
「何でしょう?」
使節が緊張する。
「なあに、君にもロシアにも損な事は無い。
私を平和会議に出席させて欲しい。
賭けの負け分は、貴方の労力で支払って貰うだけですよ。
イルクーツクまでの領土に比べれば、安いものでしょう?」
冷や汗を拭きながら、使節は安心した表情になる。
「それであれば、喜んで閣下の為のシェルパを務めさせていただきます。
日本代表の席、用意します」
「違うよ。
私はハワイのホノルル幕府の代理人だ。
欠席裁判をされたら困るからね、わざわざやって来たのですよ。
だから、それで私の椅子を頼むよ」
ここまでのやり取り、全て通訳無しのフランス語である。
慶喜は座興の場で、まんまと自分を会議の出席者に加えさせた。
遊びとは言え、家臣の手助けも無い、己れの力のみで。
榎本武揚は徳川慶喜を薩長や討幕派公家が恐れた理由の一端を知った……。
ロシア人について。
ウラジオストック周辺の沿海州は、アロー戦争における北京条約の仲介で分捕ってます。
後のMiG-15戦闘機のジェットエンジンも、ミコヤン技師がロールスロイス社に招待された時、ビリヤードでの勝ち分で、食糧と共に数基取得した英国製エンジンをリバースエンジニアリングで作ったものです。
口約束とかでも、ロシア人は隙を見て持っていってしまうとこがあるので、榎本が焦ったのはその辺あります。
まあ、今回は相手が悪かったんですが。
交渉における例え
元首相「〇〇島は歴史上、△△国に属していたと思ってます」
相手外交官「元首相がそう言っているので、領土問題は無かった事にします」
自国外交官「元首相には何の権限もありません、勝手に言っただけです!」
相手外交官「そんな事はありません、元首相なんですから、国の細かい事も知っての発言でしょう」
(こういうあの人がこう言った、いや関係無いの押し問答を繰り返した後で)
相手外交官「元首相の件は承知しましたので、今度はこういう事が無いよう、
お互い意思疎通の為にも我が国にこれこれの出資と人の派遣をお願いしますね」
自国外交官(これ以上こじれさせるよりマシか)
外交とは、説明に奔走する側がどんどん弱くなり、説明を聞く側が落としどころを決められるゲームみたいな側面もありますな。




