緒戦 ~イオラニ宮殿の惨劇~
老武士はここ最近、出仕前に家族を集め、水盃を交わす。
日本の風習を知らぬ妻や子たちは、ここ最近変だと思い込んでいた。
やがて彼女たちは、悲しみと共にその意味を知る。
彼女の夫は、この行為の意味をついに語らず、ニコニコした笑顔でその日も出かけたのだった。
黒の紋付に袴姿、腰には大小の刀を差して、彼等は毎日イオラニ宮殿に詰めていた。
1898年8月12日、マッキンリー大統領はハワイ併合宣言を出し、リリウオカラニ女王はそれを即座に否定する。
この日、真珠湾に停泊していたのは兵員輸送船だけだった。
その輸送船から陸軍兵士が市内に向かって歩き出した。
慌てず、堂々と。
イオラニ宮殿には、ハワイ王族でかつ征夷大将軍という称号を持つクヒオ王子が居る筈だった。
ここに指揮官は、対原住民戦争で虐殺に手を染めた質の悪い男であった。
イオラニ宮殿は正面の門を閉められている。
そこに到着した指揮官はこう叫んだ。
「黒人と日本人を殺せ!」
門を破ろうとする兵士たちに、黒の紋付姿の老人たちが出て来て
「お止めなされ! ここは王宮でございますぞ!」
と叫ぶ。
だが兵士たちは耳を貸さず、持っていた拳銃でその老人を射殺した。
宮殿からは次から次へと老武士たちが出て来る。
黒の羽織袴に、白襷をかけ、長い棒を持っている。
兵士たちは一人殺すと狂奔し、次々とピストルや小銃を撃つ。
宮殿前は血の池と化した。
如何に虐殺者とは言え、指揮官に抜擢されている男は、この状況を流石に不思議がった。
(猿は何故武器を持って来ない?
俺の目的はここで騒動を大きくし、なし崩し的に戦争に持ち込む事だ。
一方的に殺していては、ただのインディアン狩りと一緒ではないか)
殺すだけ殺し、しかし反撃を受けない。
全員を殺すか、銃で撃って動けなくすると、門を強引にこじ開けて宮殿に突入した。
中には職員を含めて誰も居なかった。
兵士たちは中の豪奢な家具や芸術品等を略奪し、宮殿に放火する。
そして引き上げる時、路地の方を見てやっと悟った。
「新聞記者だと!
どこの奴だ!」
「タイムズだそうです」
「カメラを奪え! 記者にも余計な事を書くなと言っておけ!
力づくで構わん!!」
そうしてタイムズ紙の記者に暴行を加える様を、デイリーテレグラフ紙とガーディアン紙の記者が撮影し、本国で報道した。
”アメリカの田舎軍隊、他国で騒動”
”タイムズ紙の英国人記者災難、米兵が銃で殴ってカメラを没収する”
イギリスの朝野はいきり立ち、ハワイでのアメリカの行動を非難した。
そしてアメリカは、先制攻撃を仕掛けたのが自分たちになり、それを世界が知った事を悟った。
こうなれば毒を食らわば皿までも、もう後戻りは出来ない。
8月12日の「イオラニ宮殿の惨劇」の後、米軍は一度真珠湾に引き返した。
そこで戦争が発生し次第、一気に攻撃に出るべく準備をする。
しかし意図に反して、ハワイ王国政府が一向に宣戦布告をして来ない。
翌日、宣戦布告無きまま報復が為される。
真珠湾に巡洋艦「マウナロア」「マウナケア」、水雷砲艦「トレント」「デュラハン」の4隻が突入して来た。
巡洋艦は輸送船を砲撃し、それらを炎上させて去っていく。
人的被害はほとんど出ていないが、アメリカ兵たちは帰る手段と補給物資を失った。
8月13日、混乱から回復したアメリカ軍は再度ホノルル市内に向けて進撃を開始した。
だが、モアナルアとケエヒ・ラグーン・ビーチの線で、日本軍が待ち構えているのを発見した。
待ちに待った戦闘である。
指揮官は舌なめずりしながら命令を出す。
「猿を狩れ!」
この指揮官は日本兵等インディアンよりも弱いと思い込んでいた。
実際背は低く、いつぞやはアメリカの歩兵大佐率いる民兵に苦戦したという。
海軍の艦隊は恐ろしいが、陸で戦えば大した事は無いだろう。
原住民たちは大砲や機関銃を買い漁ったりしなかった。
ここの黄色人種は、大小の火砲を集めまくっていた。
その違いに彼は、ものの数秒で気づいた。
彼の前に居るのは酒井玄蕃率いる幕府軍の最強部隊。
有効射程に引き付けると、大砲がこれでもかと撃たれ、炸裂弾に歩兵の肉片が踊る。
そして、
「北斗七星の旗だと?」
それが彼の最後の言葉となった。
ただ一人馬上の指揮官の体を、数十発の弾丸が貫き、打ち砕いた。
アラモアナに現れた破軍星の旗は、指揮官を失った米軍を追い回す。
彼等が真珠湾の基地に逃げ込んだのを確認し、玄蕃は兵を止めた。
「皆殺しにしてやりましょうぞ」
という兵士の声に、玄蕃は冷静に返す。
「後詰決戦じゃ。
真珠湾に居る味方を救うべく、アメリカは必ず援軍を差し向ける。
しかし、最終的には真珠湾を目指すから、至極読みやすい。
大物を釣る餌じゃ。
生かさぬ程度に殺さんでおけ」
アラモアナ方面は圧勝し、ケエヒ・ラグーン・ビーチも圧勝する。
ここは梅沢准将の部隊が守っていたが、こちらでは
「マキシムの実戦演習を行うとしよう」
とマキシム機関銃が使用された。
インディアンでは到底持っていない武器。
日本には付城、馬出という野戦防御機構がある。
梅沢はこの機構を研究し、近代戦でも使えると判断した。
簡易的な角馬出を何個も並べ、その先端部に機関銃を配置する。
馬出同士支援し合える十字砲火の中に敵を呼び寄せ、そこから一気に掃射した。
そして怯んだ隙に、馬出側面から騎兵を突撃させ、壊乱させる。
背を向けた敵に小銃を撃ち続け、米軍を真珠湾に追い返した。
緒戦は幕府軍の勝利だった。
そしてこの幕府軍の勝利が報じられると、初めてマッキンリー大統領は
「野蛮な封建勢力とアメリカ合衆国は戦闘状態にある」
と宣言するも、中立を既に宣言していた王国政府には何も触れなかった。
そして幕府相手に宣戦布告もしない。
王国内の一勢力にアメリカという大国が宣戦布告等、沽券に関わるのだ。
それにマッキンリーはハワイの戦争等すぐに終わると踏んでいた。
既にフィリピンをデューイ提督率いる太平洋戦隊は発し、ハワイに向かっている。
もうすぐに優勢な巡洋艦部隊が到着し、制海権を確保出来る。
そうしたらフィリピンから引き揚げて来た兵士を投入し、数千人規模の幕府軍等駆逐出来る。
頼みの軍閥を失った王国政府は無視し、議会を動かして併合決議をさせれば、もうこっちのものだ。
フィリピンやキューバのスペイン軍よりも兵力が少ないハワイ等、鎧袖一触、すぐに倒せるだろう。
アメリカは2つの見込み違いをしていた。
フィリピンやキューバはスペインの植民地であったが、ハワイは彼等の母国である事。
次に封建的な幕府の中に、宣伝戦や外交戦が出来る人材が居た事。
アラモアナとケエヒ・ラグーン・ビーチの敗戦は、記者を暴行されて恨み骨髄のタイムズ紙によって世界に広められ、その論調も「ざまを見ろ!」という挑発的なものである。
さらに嫌な情報がアメリカに入る。
フレンチ・フリゲート環礁にフランス艦隊が停泊したというのだ。
これはベトナム・ハノイに居たフランスのアジア艦隊なのだが、
「アメリカが租借中の我が島嶼を占領する恐れがある」
として出張って来た。
無論、そんなのは口実でしか無い事をアメリカも知っている。
しかしフランスは無視出来ない。
外交官を通じて、フランスに敵対しない事を説明した。
それでもフランス艦隊は出ていかない。
こうして、アメリカ領ミッドウェー島から北西ハワイ諸島を1島ずつ占領し、その方面から攻め込む道は塞がれてしまった。
「何を後手後手に回っているのか!」
キューバからアメリカ本土に引き返しているセオドア・ルーズベルトは、新聞を読んで怒りで叫んだ。
しかしすぐに機嫌を良くする。
「やはり私が行かないと、私が英雄にならないと、歴史は動かないという事だな。
私は日本人を恐れない。
だが日本人を侮りもしない。
確実に倒してやろう。
そうしてアメリカの、いや、この私の強さを思い知らせたら、奴らはロシアの暴走機関車の前に置く捨て石となって貰おう。
日本人は、アメリカ太平洋政策の前に立ちはだかる邪魔者ではなくなってもらおう。
最後の最後はこのテディに利用される宿命なのだ……フハハハハハハハハハ」
こうしてラフ・ライダーズを含む1万7千の部隊をハワイに派遣しようと動き出した。
緒戦で勝ったものの、幕府軍の緊張は緩んでいない。
ダイヤモンドヘッドの要塞で彼等は次の手を考えていた。
「オアフ島とカウアイ島の間のカイエイエワホ海峡は捨てよう。
塞ぐには広過ぎる。
そこを通過して来ても、結局は真珠湾に向かう事は確かだ。
だが、オアフ島とモロカイ島との間のカイウィ海峡では仕掛けよう。
ここを抜けるとラハイナ水道に進出出来る。
ここに軍艦を居座られたら、国内の水運にも支障が出る」
「海峡突破が難しいと判断したアメリカは、最も外側のハワイ島を攻めるかもしれない。
立見君にはハワイ島の全域を任せたい」
「今のところ、イギリスとフランスの新聞は我々に好意的だ。
これを維持するべく、マスコミ対策を学んで貰わねばならない。
あとは両国から観戦武官が来るそうだから、その対応も紳士的にして貰おう」
「カウアイ島で訓練中の新兵は、まだ実戦には使えない。
これが使えるようになれば、戦いも随分と楽になる」
「ならば私はカウアイ島に戻り、そこを守ろう。
梅沢が陸を守り、出羽が海を守るなら、私はカウアイ島で訓練がてら戦えば良い。
カイエイエワホ海峡を通った敵が、カウアイ島を狙う可能性もある」
「兵力分散になりますね」
「集中して守れる程、ハワイは狭くない。
それでは各々、ぬかりなく」
戦争はまだ始まったばかりである。




