日本の事情
ホノルル新撰組は、最初の頃こそ大衆の前でチャンバラを、人を斬って唖然とさせたが、本来の任務である治安維持活動でそれ程人を殺してはいない。
捕縛するのが目的で、無抵抗の者は斬らない。
拳銃を持って、かつ血の気の多い荒くれ白人はともかく、口ばかりの旗本等は包囲されたらすぐに投降した。
68人程捕縛した。
1871年に日布修好通商条約が締結され、これら68人は「契約と齟齬の有った者」扱いで日本に送り返される事になった。
この話を聞いて帰国を願う「薩長嫌いだから、こっちで一旗」組200名弱も、「恐れながら」と新撰組屯所や、ハワイ王国陸軍日本人旅団司令部に出頭した。
まだ400人近い愚連隊がいるが、多少は不良日本人が減り、日本人の名誉も守れるだろう。
帰国組と入れ替わりに、第3陣の移民が日本からやって来た。
平民階層で、農場労働希望や土木作業希望など、明確な労働意欲を持ったものばかり……な筈だ……。
「高松先生、高松先生はどちらにおいででしょうか?」
坊主頭の日本人が船着き場で叫んでいた。
「ああ、良かった! 会えた!」
「先生、お久しぶりです」
彼は移民ではなく、医者として高松凌雲の為に手紙、薬、資金を日本から持って来たのだった。
「これが種痘に必要な牛痘苗です。どうぞ、これで人をお救い下され」
「かたじけない。これで多くの人が救われる。
だが、決まりなので検疫を通さないとな。
君もしばらくハワイに居るのかね?」
「すぐに帰りますが、帰国便が出るまではおります」
「どうかね? 私の家に泊まらんか?」
「いや、宿舎は取ってあります。
先生のお宅にはいずれご挨拶に伺います」
そう言いながら2人は検疫所に入っていった。
……背後に別な日本人がつけていたのを、高松凌雲は知らない。
ホノルルの夜は暗い。
以前は自暴自棄な旗本が辻斬り等をしていたし、今でも治安は良くない。
そこを新撰組が見回っているのだが、万全ではなかった。
高松凌雲と分かれた医者頭が、和服姿で路地裏にいた。
「そんな恰好ではゴロツキどもに狙われますぜ」
「目立たないと、分からないだろ?」
「いいえ、あんたが船着き場でお仲間を探していた時から、もう見つけていましたがね」
「なんだ、あそこに居たのか。目立つ事をする必要も無かったな」
アロハシャツの平間重助が姿を現す。
医者頭は、和服の袖から二十五両包を6個出す。
「百五十両だ。当面の資金にはなろう」
「小判ねえ。ありがたい事に天保小判だが、どう換金したら良いやら」
「今年、金について法律が変わった。『新貨条例』とか言ってな。
日本国のお金は、これからは両でも文でもなく『円』だそうだ。
そういうわけで、混乱している今は金銀を持ち出し易くなった。
しばらくはこの手で運ばせて貰うから、いい売り先を見つけておきな」
「生憎! 俺はただの天狗であって、銭金の事は弱い。
芹沢先生がいたら良かったんだけどな」
「まあ、そこは何とかしろ。
難しかったら、『黒駒』に頭下げるんだな」
「誰だって?」
「黒駒の勝蔵だよ。知らねえか? 侠客だ」
「知ってるぞ。尊攘派だからな。
何だってそんな大物が渡って来たんだ?」
「今年は兵制も変わったんだ。
そしたら戊辰以来の黒駒の私兵の徴兵七番隊てのは解散させられた。
居場所無くした黒駒に、お声が掛かったってことさ」
「嘘だろう……。あんたらのやり様は分かってる。
もう黒駒勝蔵は日本では死んだ事になってるんだろ?
居場所を奪っておいてから、行き場を示したってとこだろ、違うかい?」
「……その辺は答えようがないな。
まあ、奴は『まだ』生きてる事にはなっているよ」
「けっ、汚ねえな」
「なあ、聞いてもいいか?」
平間が医者頭に尋ねる。
返事を待たずに問うた。
「高松卿……でいいが、最終的な狙いは何だ?
俺たちに暴れさせて、一体何をさせたいのだ?
知ってる限りは話せよ」
医者頭は平間を見て、それから空を見て、再び平間を眺めてから返事をした。
「余計な事は言えないから、思う事を言ってみろ。
当たってたらそうだと言おう」
平間もまた水戸浪士で、壬生浪士組時代に勘定方を任されたように頭は悪くない。
単なる「水戸の天狗」ではなく、ある程度先を読む。
「銭金の事は弱い」とか言ってるが、諧謔に過ぎない(まあ、芹沢鴨のような集金力は確かに無いが)。
しばらく考えて口を開いた。
「暴れて、暴れて、その尻ぬぐいを新政府はする気が無い」
「当然だ」
「となると、この南の島で暴れた挙句に旧幕臣も俺たちも共倒れになったら、それが望ましい」
「………否とは言わぬ」
「海外で俺たちがどうなろうと構わないのはともかく、それが外交問題になっても気にならない」
「…………」
「お? 是とも非とも言わぬか。外交問題になると困るのか?」
「…………」
「それでもないか……。では、そもそも外交問題に等ならないと踏んでいる」
「………そうとも言い切れないが、まあ、いい線いってる」
「てことは、海外に行っても日本人など野垂れ死ぬだけ、日本人が海外など行く意味は無い。
そのように、今、国に残っている者どもに見せつけるってことか」
医者頭は即答はせず、目をしばし瞑って、沈思してから答えた。
「いつの世も、百姓の逃散は領主の恥である。
力で抑えつければ良いが、お主ら武士はそうもいかぬ。
戊辰の戦で、二度と噛み付けぬよう牙を抜いて置きたかったのだが、如何せん今のような仕儀に相成った。
今、銭金の制度を変えた、軍隊の在り方も変えた。
すぐに税の取り方も変えるし、そもそも武士だの大名だのは無くなる。
その時に、不満を持った武士の逃げ場が在っては困るのだよ。
武士の叛乱は力で潰せる。
それが今度は幕府ではなく、新政府を作った側の武士になるのだがね。
潰す事は出来るが、逃げるのを止めるのは難しい。
税の在り方では、百姓も逃げよう。
そして、海を渡った先で、ここのように旧き国を残されては困るのだ。
武士も百姓も諦めて、唯々諾々と国の言う事に従ってくれねばならぬ。
そうでないと、欧米列強には対抗できない。
これから税は重くなるし、武士に居場所はなくなり、草莽から兵を集める。
軍艦も造るし、その為の鉄を鋳る炉も造る。
散々働いて外国に輸出して金を稼ぐ。
だから、夢の国など不要にして害悪でしかない」
平間は聞いていて不快な感じになった。
いっそ、幕臣どもに合力して、この医者頭の真の主人の思惑などぶち壊してやろうか。
いや、それは出来ねえな……、俺は新撰組をぶっ壊してやりてえ。
「いやはや、どうも喋り過ぎたようだ。
他言無用で頼むよ」
そう言う医者頭に、平間は皮肉を言ってみた。
「そんな悪どい事を考える人なのに、この国を救う薬や、疱瘡にならぬ……何だったかは、きちんと届けるのだな」
医者頭は胸を張った。
「あのお方とて、元は医者だったからな。
何のしがらみもなければ、高松先生や松本先生のように、民草の為の医者で在りたかったと、僕は思うよ。
あの方は既に亡くなられたが、そのお考えは受け継がれた。
謀もだが、あの方の医者としての志も、一つか二つは継いでおきたいと思ったものよ。
まあ、同志が言うには、理屈に合わぬ患者相手ではなく、骸相手ならば誠に名医だったそうだが」
「へっ、勝手にしやがれ……」
そう言って別れようとした2人の周りに、酔った白人が何人かいて絡んで来た。
「おい、金を出せと言ってるようだが、英語は分からんぞ」
「その懐にまだ残ってるんでしょ? 出したらいいさ」
「お主こそ、さっき渡した金があろう」
「あれは俺の酒手だ。渡すわけにはいかないな」
「やれやれ。新撰組は一体どうした? こういう時の為の新撰組だろう」
「よく言うよ」
「ほれ、元新撰組、どうにかしろ」
「壬生浪士組と新撰組は違う。一緒にすんな」
「どうでもいいから、腰の物で何とかいたせ」
「やれやれ……」
一人はでかいピストルを見せびらかしてるが、そうやって武器を誇示しているのがお前らの失敗だよ。
平間はそう呟くと、威嚇して唾を飛ばしている奴らを無視し、抜き打ちでピストルを弄んでいた男の首を刎ねた。
周囲のやつが事態を把握する前に、二の太刀、三の太刀を叩きこむ。
残った1人がピストルを構えた瞬間……
平間もまたピストルを撃った。
「侍も、いつまでも刀だけじゃねえんだよ」
そう嘯いたが、内心
(俺、短銃はそれ程上手く撃てねえから、当たって良かったぁぁぁぁ)
と喜んでいた。
が、それを表には見せず
「さあ先生、さっさと引き上げよう。
拳銃の音で今度こそ本物の新撰組が来るかもしれねえ」
ホノルルの闇に2人は消えていった。




