大御所徳川定敬と将軍ジョナ・クヒオ
日本から何故か「征夷大将軍」の称号と、従一位の官位が送られて来た。
日本の朝野は徳川定敬を「裏切者」「白人に尻尾を振った」等と騒いでいるのに、である。
更に徳川定敬は、現在は日光東照宮の宮司を務める兄の松平容保から、ホノルル東照宮建立の知らせが入る。
更に僧侶がやって来て、ワイキキ本願寺とかカイルア総持寺とかを作るからハワイ王国に許可を求めろとか言って来た。
総合すると、全部に第十五代将軍徳川慶喜が関わっていた。
またあの方の思い付きか……と徳川定敬が愚痴るかと思いきや、ホノルル幕府大君は平常心である。
「征夷大将軍の称号、確かに承りましてございます」
とだけ言葉を発した。
「定敬公も随分と立派になられたものだ」
と感心する幕府役人たちに対し、先に日本人たちの棟梁を勤め、その重さを知っている榎本武揚は違和感のようなものを感じていた。
「随分と澄み切った瞳をしている。
まるで何かを決めたように」
榎本の予測は、将軍称受諾のわずか1ヶ月後に的中する。
その日、ダイヤモンドヘッドの要塞に「総登城」の命が下る。
隠居の者も登城するよう言われ、足腰の弱った旗本・御家人の先代はハワイ人の駕籠を雇って山腹にある要塞に上った。
大広間と呼ばれる建物に一同集結する。
「上様の御成り」
江戸時代以来、久々の言葉に一瞬動作が遅れてから平伏する武士たちが相次いだ。
それを見様見真似で、混血の二代目たちが行う。
(おかしな風習だなあ)
と思いつつも、日本人の親に教育されたせいか、口には出さない。
まあ文官は長く使わずにいた和装の礼服姿であったが、武官たちは緑褐色の軍服であった為、違和感は凄いものがあったが。
そんな中、徳川定敬が宣言する。
「余は征夷大将軍の称を、ここにいる養子ジョナ・クヒオに譲り、同時に徳川の家督及びカウアイ王・ハワイ三州王・オアフ総督の職も譲るものとする」
一同がざわつく。
何より、クヒオ王子自身が何も知らされていなかったようで、冷静に見えるがかなり驚いた様子が伺える。
「開府以来3年が過ぎた。
余は最初から3年以上勤める気は無かった。
東照神君(家康)が2年で将軍職を台徳院様(秀忠)に譲った先例に倣おうと思う。
これよりはハワイ人の王族、クヒオを将軍家として仰ぐように」
まだざわつく広間を鎮める一言が続く。
「余はこれより大御所となり、クヒオ将軍家を後見する」
つまりは、多くのハワイ人や酋長たちの信望を集める組織になった幕府を、その支持がある内に王族のクヒオ王子に譲ろうと言うのだ。
しかし二十代で若いクヒオ王子には荷が重い部分もあり、かつ日本人を統率する為に、定敬は大御所となって支える。
「クヒオ殿! よろしいですな!」
クヒオ王子十代後半の育ての親、鬼玄蕃こと酒井玄蕃がいまだ内心混乱しているクヒオ王子を窘める。
クヒオは冷静さを取り戻し、
「大君殿下のご指示に従います。
養父上には及ばずながら職務に精励いたしますゆえ、皆々様の御働きに期待させていただきます」
と挨拶した。
だが内心では
(大御所って何? 将軍より偉いのか? 二元政治でも面倒なのに、女王陛下と合わせて三元政治をするのか?)
とまだ混乱し続けていた。
イオラニ宮殿にて。
徳川定敬はリリウオカラニ女王に、クヒオ王子にあらゆる官職を譲った事を報告した。
この2人の間では話は通っていたようで、
「クヒオ、貴方がこのホノルルを統べるから、私は安心してラハイナに行けます」
と言った。
イオラニ宮殿を留守にするわけにはいかない。
しかし、いくら大君とは言え、外国人に王宮を好きに使わせる事は何かと問題がある。
今までは庭に施設を増築し、そこを間借りしていたが、それでは手狭だし、威厳にも欠ける。
そこでクヒオ王子が将軍となり、イオラニ宮殿の主となれば全て解決する。
論功行賞も終わり、新たな秩序が出来た時点で、クヒオ以外の王家はラハイナに行って経済と王族の存続を図り、幕府が事実上の首都の政権となる。
クヒオに黙っていた、というかハワイ人に知られないよう秘密にしていた。
この世代交代が発表された時、ハワイ人たちは驚き、そして衝撃を通り越すと爆発的に大喜びした。
何だかんだで軍事政権の長が外国人では不満がある。
それがハワイ王族になった事で、更にハワイ人は幕府を支持するようになった。
事実上の長は大御所定敬だが、名目上でも組織の長は総軍司令官・将軍ジョナ・クヒオとなった。
誰が呼び掛けた訳でもないのに、市中でお祭りが開かれ、ラハイナの香具師の元締めたちが
「祭りをするなら何で教えてくれなかったんですか!?」
と文句を言いつつも慌てて駆け付けて来た。
クヒオ王子将軍就任のお祭り騒ぎは1週間程続いた。
そんな中、大御所徳川定敬は久々に親子対面をしていた。
ハワイの王族では、親睦を深める為に子を交換して互いの養子にする風習がある。
リリウオカラニ女王も幼い時、パキという王族の養子になっていた。
クヒオも先代カピオラニ王妃の養子である。
先代カラカウア王は、クヒオを当時の松平定敬の養子に入れる代わりに、定敬の実子を養子として迎えていた。
母親はハワイの王族の女性である。
この子は元服する際、久松松平家の通字である「定」と、カラカウア王の名前より一音節拝領し、「定唐」と名を改めていた。
その松平定唐は、リリウオカラニ女王についてラハイナに行く。
日本人が王に逆らう気は無い事を示す、人質の役割も果たしていた。
参勤交代で世子を江戸に住まわせていた武家には、特に不思議でも屈辱的でも無い事である。
久々に実の父子は、水入らずで夕餉を採る。
「定唐殿に言っておく事がある」
「は、何でしょうか?」
「余は三代将軍をそなたに継がせる気は無い」
「はい、薄々は気づいていました」
「何故か分かるか?」
「西洋の諺に『カエサルの物はカエサルに』というのがあります。
同様に『ハワイの物はハワイ王族に』と父上はお考えかと」
「良い線いっているが、少しだけ違う。
ハワイの政治はハワイの王族、民百姓それらに帰すべきものだ。
幕府は役割を終えたら、役割を王国政府なり議会に返すべきだ。
そなたやその子が三代将軍を継ぐ状況だと、まだこの国には危機が存在している事になる。
余はクヒオ王子の代までに、全ての問題に片をつける所存である」
「分かりました。
私は父上からは何も受け取らぬよう心掛けます。
王族の一員としての生き方をします」
「それもまた親としては甲斐性の無い事よのお……。
余は古奈松平家とその所領はそなたが継ぐべきと思っておる。
古奈松平家二十万石格、その当主で十分じゃ。
人は器を超えた野心等持つべきではない」
「父上は、日本という国から様々な称号を受けていましたが、もしやそれらは迷惑でしたか?」
「はっきり言って、迷惑だった!」
定敬は言い切った。
「余は若き日に戦に敗れ、今は外交方をしておる榎本の下で最後まで日本の新政府と戦った。
その時に余には左程の才能は無いと思った。
ハワイに来て、軍人として職に当たり、多少の自信は持ったものの、余の小姓であった立見鑑三郎には遠く及ばぬと知った。
余に出来たのは神輿になる事くらいだ。
だが、その神輿に次から次へと飾りをつけて、祇園祭の山鉾のようにされては堪らぬわ」
「父上、山鉾なるものを私は知りません」
「そうよな。
いずれ日本に行き、共に祇園祭を見たいものじゃの。
その為にも、そなたは余計な荷は背負わぬ方が良い。
ハワイ王国の大酋長格、それで良かろう」
そう言いながら盃を干した。
「それと父上、質問があります」
「何か?」
「源氏長者って何ですか?
何故その称号があれば大御所という、将軍の後見役になれるのでしょう?
源氏とは日本における一氏族で武士に多いと聞いています。
しかし、たかが一氏族の長に、何故そのような権力があるのでしょう?」
定敬はそれには答えず、定唐には理解出来ない呟きをした。
「そうだった……、源氏長者は定唐殿やその子が継ぐ事になる……。
源氏ではないクヒオ殿には渡す事が出来ぬ。
日本に赴いて賜姓源氏とする事も難しい。
故に我が子孫が源氏長者を継ぎ続け、一朝事あれば幕府を再興させられる、その資格を持ち続ける事になるのか……」
リリウオカラニ女王らがラハイナに移動し、オアフ島は完全に幕府の管理下に置かれた。
議会もまたラハイナに移った為、アシュフォード准将の議会防衛軍もラハイナに移る。
会津娘子で編成されたクイーンズガード、ハサウェイ・ドール中佐を指揮官とするロイヤルガードも、ラハイナでアシュフォード准将の指揮下に入る。
さらに内海艦隊司令部もラハイナに移り、砲艦「カイミロア」を旗艦に、砲艦6隻、水雷艇6隻でラハイナ水道を守る。
海軍部隊ではあるが、沿岸警備部隊である為、ここもアシュフォード准将が指揮する。
幕府以外ではアシュフォード准将が序列2位の軍閥となってしまったが、彼もまた幕府同様裏切る心配の無い軍人であった。
序列で言えば、不思議な人物も出来てしまった。
先代海軍奉行の荒井郁之助である。
彼はニホア島の灯台守となればそれで良かった。
だが、徳川定敬はニホア島勤務が島流し扱いになるのを避ける為、イギリス企業が作った灯台や船着場、倉庫だけの寂しい設備を拡充し、これを「新保城」と呼んだ。
荒井は大学頭の名乗りと新保城代に任じられ、同時にフランスが租借する無人島の開発工事を担当する作事奉行と温泉奉行、さらに航路を監視する水路改方を配下に持たされた。
肝心の新保城だが
「灯台に物見台、小さな気象観測所と長屋と倉庫の周りを柵で囲い、緩斜面に縦堀と逆茂木があるだけ。
城と言っても、楠木正成の赤坂城か千早城のようなものだな」
と荒井が笑ったような、城とは名ばかりの代物だった。
柵も敵を寄せ付けない為ではなく、転落防止用かもしれない。
戦国時代の水軍城と言っても笑われるだろう。
むしろ登山用の山小屋、漁師用の舟屋に近い。
情報送信用の電信、それを動かす為の発電機、浄水器等が近代らしさを感じさせる。
しかし「城代」の肩書は多くの幕臣を羨ましがらせた。
有人島から遠く離れた孤島に二十数人で赴任する本来は寂しい職務は、「城代」という名誉を欲する幕臣が隠居前に一度なっておきたい御役目になった。
この辺、ちょっと解説します。
政治上の理由でさっさと将軍職をクヒオ王子に譲ったわけですが、源氏長者は大御所として後見する為に渡さなかった。
しかし、渡せなかったのも確かです。
ハワイの養子って、親睦の為のものですから、王位とか継承権に影響与えないようになってます。
あくまでも源氏長者は定敬さんの子孫に継がれます(養子入れない限り)。
その為、こういう未来が予想されます。
定敬さんもクヒオ王子も自分の代で軍事政権終わらす気満々ですから、片付いたと思ったらハワイの名誉称号のカウアイ王とか総軍司令官とかを返上するかもしれません。
すると幕府は解散ですが、日本人武家の軍閥はとりあえず残ります。
ここが消滅し切らない内に再度問題が起きて、幕府復興させた方が良いと判断された場合、源氏長者持ちの人が日本人軍閥の長となり、事実上の大君となります。
これにその時のハワイ王が必要な称号を授与したら、幕府が復活します。
そしてまたハワイ人に将軍職を譲った時、源氏長者の大君と将軍は別物になります。
古代エジプトで、男性の王が絶えても、その時の王妃にファラオ継承権が移っていて、その女性と結婚すればファラオが復活する、みたいなものです。
最初の将軍は源氏長者持ちが成り、その後はその人が認めた者で継承されていく、って感じですね。
まあ、そういう未来にするかどうかは秘密です。
そんな面倒臭い運用にするより、幕府存続させ続ける方が楽って場合もありますので。




