論功行賞〜幕臣編
ハワイには「ママラホエ・カナヴィ」という法がある。
戦闘能力を失った敗残兵を殺してはならないという法である。
かつてカメハメハ大王の統一戦争期、自ら偵察に行ったカメハメハが火山クレバスに落ちて動けなくなった事があった。
それを見つけた漁師は、敵方の兵だとして、持っていた櫂で思い切りぶん殴った。
石頭のカメハメハの頭に当たって櫂は折れ、漁師は恐れを為して逃げ出し、その後カメハメハは救出された。
漁師は捕まり、カメハメハの前に引きずり出された。
カメハメハは
「誰だってあの場合は殴るだろう。
漁師に罪は無い」
と言って解放するも、
(身動き出来ない時、あれ程周りが恐ろしいものなのか。
残党は周りが怖いから暴れ、庶民は残党に暴れられるのを嫌い残党狩りに精を出す。
この連鎖を断ち切ろう)
と決意する。
これが後に西洋にも取り入れられ、非戦闘員や捕虜の扱いに関する国際法の元となった「折櫂」である。
つい最近まで、どっかの神に昇格した断罪者が無視しまくっていたが、ハワイにはこのような先進的な法があったのだ。
モロカイ夏の陣において、酋長たちの捕虜の取り扱いには問題が有ったとされる。
だが、まだ相手は銃を持ち、戦闘力が残っていた為、多少荒っぽいのは見逃した。
はっきり違反していたのは、海軍の水雷艇部隊であった。
この小艦艇は原住ハワイ人が好んで乗り込んでいる。
彼等は島から敵を逃がさないよう、夜間もパトロールをしていた。
そして、小さいボートや泳ぎで脱出を図る白人を見つける。
ハワイ人艇員は、警告抜きで発砲し、海に浮かぶ白人を水雷艇で轢き殺したり、銃撃して殺したりした。
水雷艇部隊が出来て日が浅く、習熟訓練にのみ時間を割いたせいで、国際法やママラホエ・カナヴィに関する教育が後回しにされた影響である。
この戦争犯罪に対する責任を、荒井郁之助は自分が全部背負い、ハワイ人たちはお咎め無しにして欲しいと言い出した。
「幸いと言いますか、海軍伝習所で学んだ同僚から、若い者まで人材はおります。
某はこの戦いで海軍奉行を勤められただけで満足です。
後進に譲る為にも、自分が解任される事がよろしいかと思います」
徳川定敬は、理解はしたが心情的には難しかった。
水雷艇長たちを譴責で済むのではないか?
「それをすると、出来たての水雷戦隊がやる気を無くします。
責任は自分が被った上で、今回の戦役での恩賞と懲罰を相殺し、それを言い含めた上で別な名義での加増をしていただきたいと思います」
「それではそなただけ損では無いか」
「良いのです。
丁度海軍を辞めて、やりたい職もありますし」
「それは何か?」
「ニホア島の灯台守をしとうございます。
正しくは、あの灯台に勤め、海洋気象を調べる役に就きたいのです。
某も年老いましたが、かの日本地図を作られた伊能忠敬殿は齢五十にして学び直されたとか。
某も数え58ですが、心機一転学び直したく存じます」
「そなたはもしや、ニホア島灯台守を島流しか何かと思っておらぬか?」
「思ってはおりませぬが、成り手が居ないのも事実かと存じます」
「島流しや懲罰用の部署ではないぞ。
それ故、すぐにそなたをその部署には付けられぬ。
よろしい、責を負うての辞任を認める。
軍務公務も一切より外す故、大学等で学んで来るように。
それまでには灯台も完成しよう」
「ありがたき幸せ」
懲罰に類する人事はこれくらいである。
他は訓練の結果を活かすべく、勇敢に、かつ命令違反等も無く戦った。
その恩賞であるが、意外に土地を求める者が多かった。
武士は「一所懸命」と言う。
持っている土地「一所」を守る為に命懸けで戦うのだ。
江戸時代後期には、土地からの米収入よりも、金銭での収入が現実的となった。
その世代の武士たち故、鎌倉時代から戦国時代のような土地の要求は、幕府の勘定方にも不思議であった。
無私無欲で働くからこそ、日本人は信頼されていたのだ。
それが土地所有に走ると、所詮は白人どもと一緒だと見られる。
どうしたら良いものか?
この問題は、土地を求める事情を知って一気に解決した。
確かに武士たちは土地に魅力を感じていない。
土地を得られても、その地に赴く事は無い。
では何故か?
武士たちは現地女性と結婚し、子を成していた。
その子、日本とハワイのハーフとなるが、その為に土地を残してやりたいと思い始めたのだ。
そして古くからの幕臣としての価値観もある。
同じくらいの所得でも、所領持ちである「十石取り」は禄を貰う「十俵扶持」より格上で、米で貰う「十俵扶持」は金で貰う「十両扶持」より格上なのだ。
幕臣たちは名誉を選んだ。
死ぬ前に石高持ちとなり、小なりといえど「お殿様」になりたかったのだ。
そして領主であっても土着はしないし、直接支配もまずしない。
代官に徴税は任せ、統治の恥だから農民の逃散が無ければそれで良し。
生活と格式とそれなりのものが有ればそれで良かった。
そこでこのような恩賞となった。
ある旗本にして手柄を立てた軍人には、十石取りの格式と領地が与えられた。
領地の運営に関しては、ホンマ・カンパニーに委任される。
ホンマ・カンパニーこと酒田の本間家は開墾や米相場の専門家であり、土地活用で失敗は無い。
そのホンマ・カンパニーが代官としてハワイ人を雇用する。
ハワイ人はその土地を、ホンマ・カンパニーからの指示付ではあるが自由に使用出来る。
ハワイ人代官からしたら、米十石取りならば自分の取り分を除いた五石を納めれば、あとは温暖な気候を利用した二期作で余分な十石を得ようが、二毛作で別な作物を植えようが、さらには米を植えずにもっと収入の良い事業をした上で、納める分の米を買っても良かった。
名義上日本人の土地で、実質的にハワイ人が好きに使える。
日本人は一定以上の収入にはならないが、ハワイ人も米納入の義務は負う。
日本人は格式を得られ、ハワイ人も「代官」という半官的な立場を得られる。
双方に利益があり、双方に負担もある、五分五分の土地権利分割となった。
そして米はホンマ・カンパニーに納入され、ここがかつての札才のように金銭にして地主に支給する。
これとは別に、月給制の軍人として、手柄に応じ昇進、勲章と一時金、感状と金一封という恩賞も得られた。
幕府軍として参加したハワイ人や白人も同様の論功行賞となる。
ロバート・ウィルコックス中佐は大佐に昇進し、給料も上がる。
土地を与えられる事を彼は固辞したが、日本式の「名義は自分で運用は他人、一定の賃料さえ払えばあとは使用者が好きにして良い」というやり方を聞いて、土地を受け取った。
この土地所有は、自分が地権者となる事で、カメハメハ3世時代にあった無知による土地手離しと貧困化を阻止する機能も持つ。
ウィルコックスは中級旗本級の五百石取(他に役料が足し高として支給される)となった為、その地の経営でホンマ・カンパニーと契約し、数家のハワイ人農家を雇って住まわせ、税収は同じくハワイ人代官に任せ、さらに自身の収入全ての管理と何か有った時用に白人の法律家と契約した。
ウィルコックスのおかげで失業せず、安定して暮らせる農家が数家出来たという事になる。
(日本のやり方は、ハワイと合っているかもしれない)
と、土地の権益には固執するが、所有にはこだわらない「海の遊牧民」ポリネシアンは、所有とその防衛に命懸けだが、運用についてはこだわらない「一所懸命」な武士と補完関係になる事を認めた。
ウィルコックスと同じく、活躍した軍人にアシュフォード大佐がいる。
彼はウィルコックス以上に誇り高い。
幕府の下で働く者ではない為、迂闊に幕府が恩賞等出すと
「私は封建君主に仕えた覚えは無い。
軍閥から褒賞を貰う事は無い」
と臍を曲げてしまう。
ここはリリウオカラニ女王の出番となる。
「アシュフォード大佐には感謝しています。
多くの同胞と戦う事になり、さぞかし苦しかった事でしょう」
彼には上から目線でなく、こういう言い方が利く。
もっともリリウオカラニの言は計算してのものでは無かったが。
「恐縮です。
しかし、二度も反乱を起こした以上、仕方ないと思います」
「多くの非戦闘員、特に反乱参加者の妻子を保護されたそうですね」
「それが私の義務です」
「アシュフォード大佐には、いくつかの没収した農園をお渡しします」
「女王陛下、私には受け取る謂れがありません」
「勘違いしないで下さい。
貴方は保護した人たちを救うのでしょう?
その為に使うのです。
貴方の為の恩賞等ではありません。
中には、その農園で暮らしていた者もいるでしょう。
貴方が保護する形で彼等を元の生活に戻し、守って下さい」
「お心遣い感謝いたします」
一方で内戦鎮圧の論功行賞で、彼は准将に昇進した。
「ホノルル・ライフルズ司令官として、アメリカ白人系市民と議会を守って下さい」
「それですが陛下」
「何でしょう?」
「ホノルル・ライフルズは二度も反乱を起こした部隊名ですので、改めたいと思います」
「そうですね、良い考えです。
それで何と改めるのですか?」
「議会防衛軍にしたいと思います」
「分かりました」
アシュフォード准将は、意図せず白人農園主たちの代表として「外様大名格」に組み込まれてしまったのだが、とりあえずこれにて大きな論功行賞は決着した。
この当時の松平容大の書状である。
彼はハワイ島の酋長たちの取り纏め役であり、誰にどれくらいの恩賞を出すか決める為、遅くまで仕事をさせられていた。
『御父上、戦は始めるより終わった後の仕置きこそ重要であると、実感を持って知り候。
白人や酋長たちへの過不足無き土地配分はまだしばらく掛かるもの也』
……ホノルル幕府のしばらくは、上の者程仕事が多く、若くして将軍秘書的な容大にはしんどい日々が続いていた。




