陰謀の終焉
今井信郎は日本刀の手入れをしていた。
ハワイは気候が温暖で、食糧も豊富にあり、生命を延ばすには良い環境である。
しかし、日本刀は別だ。
海が余りに近く、山がちな地形のせいで風が駆け抜ける為、潮風で手入れを怠ると錆を浮かせてしまう。
日本酒も温暖過ぎて悪くなりやすく、日本で生産された日本ならではのものは、ハワイでは必ずしも長持ちしない。
握り寿司も、日本程の流通の良さが無く、更に西洋船が来航し始めた頃からコレラや赤痢という病の流行があったりして、生では食べられない。
遠洋で採ったものを醤油で漬けにして食べる。
山葵や生姜を和え、油に漬け込む。
現地ハワイ人も疫病流行前は魚の生食文化があったが、江戸前の「仕事」は珍しいようだった。
ハワイ人や白人も最近は、江戸前ならぬホノルル前の一仕事をした刺身に開眼したようで、ポキ丼という亜流和食が作られ始めた。
今井の様子に話を戻す。
彼ももう刀の時代でないと悟りつつ、ハワイでは近接戦闘で刀を使う機会が増えていた。
彼は刀を振るいながら、自分の衰えに気づいていた。
素人でも撃てる銃と違い、刀は膂力、足腰、気迫と充実していないと真の威力を発揮出来ない。
かつて京都で猛威を振るった今井も、老境になり、己の剣技の衰えを感じる。
刀身を鏡とし、己が顔を見る。
頭髪は白髪ばかり、随分と老け顔になった。
(そろそろ潮時だな)
としみじみ思った。
だが……
(俺という刀を鞘に納める前に、斬っておかねばならない奴らが残っている)
人知れず殺気を放ちながら、決意をした。
留守居の今井と伊庭が、モロカイ夏の陣を終えて凱旋して来る最後の部隊を迎えた。
そして、一足、いや二足早く帰還し、論功行賞を始めている徳川定敬とクヒオ王子をイオラニ宮殿に訪ねた。
「遠征軍の殿、無事帰城致しました」
「うむ、大儀であった。
其方たちも留守居の任を只今を以って解く。
今日までよう励んだ」
「ははっ!」
留守居は後方勤務を担当する。
兵糧や弾薬を前線に運び、後送された兵士を病院に入れ、備蓄分が足りなくなると生産したり購入したりする。
そうしながら、王宮の警備、基地の警備、併合派残党の情報収集と壊滅作戦をしたのだった。
帰還したばかりの部隊は休養し、英気を養う。
従って第一陣が凱旋してもそれで交代とはいかなかった。
やっと最後の部隊が帰還して、留守居役も終わった。
「上様にお願いの儀が有ります」
「許す、申してみよ」
「この戦を持ちまして、今井信郎、お暇を頂きたく存じます」
定敬のみならず、クヒオ王子や伊庭八郎も思わず今井の顔を覗き込んだ。
「驚いたが、これまで無かった事でも無い。
良かろう、許す」
「有難き幸せ」
「日本に戻るか?」
「いずれは」
「いずれは?とな。
何やら含みのある物言いよな。
何処へ参る?」
「さて……、おそらくアメリカだと思います」
「ほお……」
定敬は今井の心が読めた気がした。
「恐れながら、でしたら私も付き合いたいと存じます」
伊庭八郎も気づいたようで、自分も加わりたいと言い始めた。
「許さぬ。
先に言った今井は仕方ないが、そなたは此処に居よ」
「ですが!」
「ならぬ。
それとも、余を支えるのは嫌か?」
「滅相も無い」
「では、そういう事だ」
肝心なところを言わない日本人のトークに、クヒオ王子はついていけない。
「今井、結局君は何をしたいのか?」
今井は笑顔で何も言わず頭を下げる。
「それは良いから、一体何をするのか……」
「西ノ丸殿、そこまで。
聞かぬが花という事もある」
「聞かない方が良いとは、それは一体……」
「クヒオ殿下、聞いてはならない、知らない方が責任を取られなくて良い、そういう事ですよ。
ここまで言えば、聞いてはならないと分かるでしょう?」
伊庭八郎が助け船を出す。
「う……む……」
クヒオ王子は納得はしてないが、聞いても無駄と知り引き下がった。
今井が出国しようとしていると、数人の元部下が彼のところにやって来た。
「お供します」
「確実に始末するなら人数が必要です」
「家督は倅に継がせた上で、縁を切って置きました」
「家族とは水盃を交わして来ました」
こんな事を言いながら、晴れ晴れとした表情で着いて来ようとする部下。
今井は追い払おうとせず、こう告げた。
「好きにせよ。
これより先は人の道を外れた修羅の道ゆえ、覚悟は決めよ」
アメリカ合衆国メーン州ノリッジウォック、サンフォード・ドールは先祖が生まれたこの地に逼塞していた。
反乱を起こし、それを許してくれた国王の恩義も忘れ再度反乱に加担した、この事実にドールの従兄弟一家も嫌悪感を持ち、ドールは数ヶ月でこの家を離れた。
国務省に掛け合い、隠れ家と捨て扶持を用意させた。
その隠れ家の希望で、彼は先祖の地を選んだのだった。
油断である。
最も分かりやすい「己のルーツの地」は、「逐電した親の仇は地の果てまで追いかけてでも仇討ちせよ」という独特の刑法を持っていたサムライには、実に見つけやすい。
アメリカ国内だから、というのは彼等には通用しない。
その日、黒いコートを羽織った一団がドールの隠れ家を訪れた。
「旦那様は留守です。
数ヶ月前に旅に出て、連絡は有りません」
国務省からの捨て扶持で雇っている家政婦が不在を告げる。
嘘である。
流石に不意の来客に警戒し、ドールは自分が居ないと告げるよう、応対に出る家政婦に命じて、自分は奥の部屋に下がり、拳銃をデスクの引き出しから出した。
「私はマサチューセッツ州ボストンから来たカルヴァン派宣教師団体の者です。
国務省からの依頼で来ました。
不在ならば仕方ありません。
この十字架を預けますので、もしお帰りになったらお渡し下さい」
金髪、長身、あご髭の男は、流暢な英語で家政婦に伝えた。
「私どもは明後日まではこの地に留まりますので」
そう言って彼等は門から去っていった。
家政婦は、やって来た人数と帰る人数が違うのに気づかなかった。
半数は応対の最中に家の後ろに回っていたのだ。
「旦那様」
「誰だった?」
「国務省からとか、ボストンの宣教師団体だとか言ってましたよ。
これを渡せと、預かりました」
「十字架か。
どんな奴だった?」
「金髪で、私よりも背が高い人でした。
旦那様みたいなあご髭を蓄えてました」
「気のせいか……。
私も臆病になったものだ。
日本人がこんな所にまで来る筈が無い。
もう断罪者土方はこの世に居ないのだ」
主人がブツブツ言っている。
首を傾げている家政婦にドールは下がるように言った。
だが、家政婦は見た!
帰った筈の黒コートたちが、ドアの鍵をこじ開けて家の中に居たのだ。
悲鳴を上げる前に口を抑えられ、別な部屋に引きづられる。
恐怖で体が動かなくなる。
だが、『あれ?さっきより背が低い』と、この場で持つべきでない感想を持った。
「おい、うるさいぞ。
何か物でも落としたのか?」
部屋の中から声が聞こえる。
金髪の男がドアを半分開け、中を覗く。
ドールは、ドアから見知らぬ顔が半分出て、ジロリとこちらを見ていた為、驚いて椅子から落ちる。
「サンフォード・ドール……」
「誰だ、貴様は!?」
ドールは引き出しにしまった拳銃を取り出そうとした。
しかし、それより速く男たちが侵入し、コートに隠し持っていた日本刀の抜き打ちでドールの額を割る。
血と脳漿が吹き出し、ドールの視界を奪う。
更に身体中に日本刀が何回も何回も突き刺さる。
膾の様に身体を切り刻まれ、ドールは絶命した。
そして黒コートの一団は無言で、今度こそ去って行った。
「今井さん、良い演技でした」
「白髪染めが上手く乗ったようだ。
金髪になったから、あの女もそう伝えただろう」
「高底の靴も有りましたしね」
「だが、宣教師の真似はもう終わりだ。
あの女が官憲に報告するだろう。
我々はまた違う姿になる必要がある。
まあ、その前にスティーブンスの居場所を探さねばならない。
まだ先は長いぞ」
ラハイナのシシリアンマフィアを通じ、彼等は隠れ家と標的の居場所捜索の協力を得ていた。
数年後、ジョン・L・スティーブンスは天寿全う直前に、全身をズタズタに斬られ失血死する。
犯人の見当はつくものの、ついに捕まる事は無かった。
あー、やってやった!って気分です。
サンフォード・ドールとスティーブンスはこの為に130話まで生かしてました。
暗殺のやり方は、近江屋のオマージュです。
流石にドールに土佐弁で「ほたえなや」とは言わせられませんでしたが。
さて、あとひと山です。
史料調査頑張ろ!
(これまでに無い多国籍連動なので、きっちり筋道組み立てないと)
あと、先にネタバラシ。
第二代将軍ジョナ・クヒオが死ぬ1922年までは書きます。
それ以降の第二部は、歴史の筋は決まってますが、他に書きたい話もあるので、お蔵入りにする可能性大です。
この章で出したコーデル・ハルの話とか、第二次大戦の話は設定までは決めたんですが、良い主人公が見つけられてなく。
第一次も第二次も、世界大戦はヨーロッパ発ですから、関わる事はしますが、流れを変える事は出来ないかと。
(それやるなら米英仏独伊墺露日中全部に人送って、全部の国の流れや経済変えないと)
とりあえずハワイという枠内で出来る事やって、1922年を迎えさせます。




