カイウラニ王女の戦い
第22代(1885~1889年)と24代(1893~)の大統領となったグロバー・クリーブランドについて、後世こう語られた。
”彼が持っていたのは、正直さ、勇気、堅い意志、自立性、そして常識である。
彼は他人以上に、それらの美徳を持ち合わせていた。”
能力はともかく、非常に高潔な人柄であると言える。
そして偶然にも、ハワイ王国でアメリカ系移民がひと悶着起こす時期に大統領となっていた。
クリーブランドが大統領に就任してすぐ、一人の女性が表敬訪問して来た。
ハワイの王女で次期国王のカイウラニである。
カイウラニはカラカウア王が存命中にイギリス留学を命じられた。
そのまま彼女はビクトリア女王に可愛がられ、淑女として成長していた。
イギリス王室流の気品を身に纏い、再任された大統領を祝福する。
だが、祝福はついでの話で本題は在ホノルルアメリカ大使のスティーブンスについてであった。
大英帝国は情報の国である。
遠い北太平洋中部で起きた事件をしっかり把握していた。
マウイ島ラハイナには日本のヤクザ経由でイギリスの金融シンジケートが入り込んでいるし、そちら経由でインフラ開発受注もしている。
そんなイギリスにとって、国を丸ごとアメリカに献じようとするサンフォード・ドールらの陰謀は許し難いものがあった。
イギリスはラハイナ経由で、ドールらに対抗する組織を支援する。
ホノルル幕府成立後、次第に金回りが良くなったのは、リリウオカラニ女王による債務の返済猶予だけでなく、様々な形でのイギリスからの見えない支援が有った為でもある。
イギリスは幕府も将軍も信用していない。
日本本国に在ったそれは、責任の所在不明、要求に対する回答引き伸ばし、言ってる事とやっている事の乖離等で見限るに十分なものだった。
その残党が新たに立てた幕府も、現在政治能力については半信半疑である。
しかし軍事力としては期待出来そうだ。
フランスへの傾斜が強い組織だが、海軍の方から入り込む余地はありそうだ。
フランスの「青年学派」による小艦艇主義には無理があるから、いずれそこから崩そうと考えている。
それとは別に、二度も母国を奪おうとしたアメリカに対し、カイウラニ王女が苦情を申し立てようとした時、イギリス王室は彼女を引き留めた。
来年にしなさい、と。
1892年の時点で、イギリスはアメリカ大統領選挙の行方を占い、民主党が勝つ可能性が高いと判断した。
そして民主党候補のクリーブランドが当選した。
イギリスはカイウラニを援助し、ドールの背後にいるスティーブンス大使の陰謀についてもレクチャーした上で、警護をつけてワシントンまで送り届けたのであった。
クリーブランドは高潔な人柄であるが、政治家な以上外国で自国民が危険に晒されているなら、軍隊の出動も否定しない。
ハワイの情勢はきな臭いものがある。
アメリカもアメリカで情報収集をしている。
スティーブンスは「ハワイ共和国の危機」と「ホノルル幕府の危険性」そして「アメリカが介入したら一気に片がつく」と送って来る。
先年ハワイに派遣された巡洋艦「ボストン」艦長からは、スティーブンスの独断専行の酷さが伝えられる。
そこへカイウラニ王女の訪問が有った。
「アメリカ合衆国は正義を重んじると伺っております」
「光栄です」
「これまでもアメリカ合衆国は、我がハワイ王国を軍事的にも経済的にも外交的にも助けてくれました。
アメリカ系市民や宣教師たちもそうです。
私どもはその恩を忘れてはいません」
「私たちは友好国なので、当然の事です」
「そのお言葉に安心しましたわ。
これからアメリカの悪口を言わずに済んだのですから」
「と仰いますと?
我々は何か、お国にしましたでしょうか?」
お互いすっ呆けながら会話を進める。
「私どもの国をかき回しているスティーブンスという外交官がいます。
この方についてどうにかしていただけないかと、私は相談に来たのです。
しかし、アメリカは正義を重んじるそうで、そうであればこれは彼個人の問題ですね。
アメリカは相変わらず、ハワイ王国を尊重している。
それが分かって嬉しゅうございます」
「はは、我が国の外交官が粗相を仕出かしたのですか。
私はまだ詳しく聞いていませんから、どうか説明下さい」
「あの方はハワイで革命を起こし、革命政権を樹立しようとしました。
革命政権が何を狙っていたかは、何となく分かりますが、ここでは口にしないでおきます」
革命政権がアメリカ併合を議決するのはほぼ確実だが、それをアメリカ大統領に馬鹿正直に伝えて「それは我が国の利益に沿っていますな」等と言われたら藪蛇である。
「スティーブンス君が、そうですか。
ですがお国もホノルル幕府なるものを認めたそうではないですか。
ハワイ共和国の事をとやかく言うのであれば、幕府についても一言あって良いのではないですか?」
「大統領」
「何でしょう?」
「私はハワイ共和国の事は問題にしていませんよ。
現に女王陛下はハワイ共和国を認め、統治権の分譲をしたではないですか。
私が問題としているのは、アメリカの軍艦から兵を上陸させ、王宮を襲撃した事ですよ」
「…………なるほど、そうですね、私の勘違いでした」
「私はアメリカ合衆国がハワイ王国に戦争を仕掛けたのか?とイギリスでゾッとしましたの。
すると親切なビクトリア女王陛下が
『親愛なる我が娘カイウラニ、心配しないで下さい。
もしもアメリカが正当な理由もなく戦争を仕掛けたなら、我が国が貴女の母国を助けます』
と仰って下さり、感動いたしました」
「ビクトリア女王は素晴らしい方ですね。
私も女王陛下の素晴らしさにあやかりたいものです。
分かりました。
スティーブンスの『私的な』革命ごっこについては十分調査をし、然るべき処分をします。
その上でアメリカ合衆国はハワイ王国を併合しない。
親書を書きますので、お持ち下さい」
「流石は正義の国ですね。
訪ねた甲斐がありました。
アメリカ合衆国に神の祝福あれ」
「ハワイ王国にも神のご加護を!」
両者はそう言って会談を終えた。
「あ゛~~~、歯に物が挟まったような物言い、実に疲れましたわ。
この国の何か美味しい食べ物は有りますか?」
「いえ、そもそもアメリカ料理ってものを知りません」
「イギリスも、宮廷料理は素晴らしいですが、町に出てみたらろくな食べ物がありませんからね。
サトウキビでも生えていれば齧ったものを……」
「王女、それは行儀が悪いかと……」
付き人と共にお喋りしながら、宿泊するホテルに入っていった。
カイウラニは数日をアメリカで過ごし、すぐにイギリスに戻る。
一方クリーブランド大統領は
「直ちにスティーブンスの行状を調査しろ。
ハワイに何かしていたら手を引かせろ」
と命じていた。
補佐官は
「スティーブンスとやらの好きにやらせたらどうです?
ハワイはアメリカの1州にすべきだ、という意見も有りますが」
と言うが、大統領は視点が違った。
「フィラデルフィア・アンド・レディング鉄道が破産した事は君も聞いているだろう?」
「はい、閣下」
「経済の様子がどうにも不穏だ。
物価高を招いた関税法の廃止と、経済危機の原因である銀購入法、これらについて議会に諮らねばならない」
「それは分かりますが……」
「今回の問題は、アルゼンチンでのクーデターが遠因だ。
我が国がアルゼンチンにしていた投資が止まり、投資を引き上げて現金化し始めた。
これが引き金になって、市民が現金引き出しに殺到している。
現金が不足し、現金に対する銀の価格が下落した。
にも関わらず我々は銀購入法によって、一定以上の銀を買わねばならない。
政府が下落する銀を大量に保有し続ける事で、政府への信頼が低下して、さらに現金引き出しが加速する」
「はあ……」
「アメリカはハワイに対しても投資をしているだろ?
余計な事をして、金融問題に拍車が掛かっても面倒だ」
「理解しました、大統領閣下。
不安要素は排除する事にします」
そしてホノルルのアメリカ大使館に、スティーブンス大使の召還命令が届いた。
「何故だ!
いくら政権が変わったからと言って、合衆国の為に働いた私がこんな仕打ちを受ける謂れは無い!」
「これ以上は拙いと判断したのではないですかね?」
大使館の書記は、別な解釈をしていた。
「何がだ? 何が拙いのだ?」
「アメリカが余りにやり過ぎると、ハワイ王国は真珠湾の貸与を停止しますよ」
「その時は実力行使をするまでだろう?」
「貴方はやはり戦争を起こす気なんですか?
そんな人は外交官として下の下ですね」
「何だと!!!!」
「陰謀を駆使するのは良いでしょう。
自分の手を汚さずに、政治や外交の成果で外国から権利を奪うのも当然です。
しかし、自分の失敗の尻ぬぐいに本国に戦争を求めるのは、外交官として無能です」
「それが上司に向かって言う言葉か!」
「貴方は解任されます。
いつまでも上司面しないで下さい。
合衆国は真珠湾に価値を見出しています。
これが失われると困るでしょうな。
ましてホノルル幕府とやらに破壊されたら、今まで金をかけて来たものが全部無駄になります。
まあ、貴方に向かって言っても無駄ですかね、前大使閣下」
これがトドメとなった。
スティーブンスは不名誉な途中解任、本国召還となり、命令が届いた翌日にはリリウオカラニ女王への挨拶もせず、汽船でハワイを離れた。
この時、モロカイ島ではおそらく最後の残党が討ち取られ、戦争の終結が宣言されていた。
ハワイ人は、軍事で活躍したクヒオ王子、外交で活躍したカイウラニ王女を讃え、お祭り騒ぎとなった。




