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モロカイ夏の陣(後編)

 1892年の蜂起で、酒井玄蕃とロバート・ウィルコックスによって叩きのめされた併合派の残党は、最後の機会を伺っていた。

 彼等もまたスティーブンス同様、戦後の幕府の処置から「日本人(ジャップ)は自分たちを倒して背後に居るアメリカと対決する事を恐れている」と甘く考えていた。

 1887年の時は確かにそうだった。

 だが昨年の場合は、一つの目標の為に彼等以外のハワイ全部を纏め上げるという「政治」の為に、あえて野放しにされていたのである。

 「大坂の陣」を参考にした林忠崇は、これを「大坂冬の陣後に牢人たちを御構い無しとした先例に倣うもので、次の仕置きは当然夏の陣後のそれに倣う」と言っている。


 出撃した陣容から、ホノルル残留部隊は第四大隊のみで、それもダイヤモンドヘッドの居城守護と聞いている。

 最後の希望、全軍出払った隙にイオラニ宮殿を襲撃してリリウオカラニ女王を確保し、自分たちの条件を呑ませる、その一点に彼等は賭けた。

 ホノルルに居る残党はもう50人に満たない。

 海兵の助けももう無い。

 だが彼等はイオラニ宮殿を襲撃した。

 一部慶長年間のような権謀術数と政治をしていたが、基本的にハワイは文久・元治・慶応年間と似ていて、「玉」を手にした方が一発逆転出来るのだ。


 イオラニ宮殿はパレスガードとクイーンズガードの2部隊が護っている。

 ロイヤルガードは今回モロカイ島に出撃していた。

 パレスガードは衛兵であり、交代制で2人が正門を護っている。

 クイーンズガードは元会津の女性で、人数は20人程居るが銃器は持っていない。

 長い柄の先に刀を付けた長刀(なぎなた)という武器を持っているだけである。

 これなら勝てる




 ……という希望はあっさりと打ち砕かれた。


 会津の女性は、別に銃器を持っていない訳ではない。

 普段は使わないだけだ。

 彼女たちの憧れは2人、戊辰で戦った中野竹子という長刀の名手の他に、山本八重という銃の名手もそうである。

 アシュフォード大佐がまだホノルルに居た時に、彼女らは頼み込んで、既に旧式となっているがスペンサー銃を購入し(財布は松平容大)、射撃の訓練も受けていた。


 パレスガードもまた、旧来のものでは無かった。

 何度も何度もイオラニ宮殿を襲撃目標とされているのだ。

 形式的なものより、実戦的なものとなっている。

 寝ずの番を立て、詰め所には予備の兵が控える。

 門は夜間は閉めるが、襲撃を察知したら門自体は放棄して後方の防衛線に下がり、門に入って来た敵をガトリング砲で撃つ戦法に変えていた。

 門という最前線を守ろうとしても少数では難しく、門という限定された通路に敵を誘導した方が攻撃しやすいという考えであった。


 夜目の利くパレスガードが敵襲を逸早く察知し、警報を鳴らす。

 クイーンズガードはスペンサー銃を持って2階の窓から敵を探す。

 やがてやって来た襲撃隊と銃撃戦になった。

 スペンサー銃、ガトリング砲、ウィンチェスター銃とアメリカ製銃の撃ち合いとなった。


 迎撃された時点で攻撃等諦めれば良かった。

 だが「断罪者(ウリエル)土方の後遺症」は思った以上に大きく、有能な指導者に欠け、最後の希望に縋りつくだけで逃げる判断を出来る者が居なかった。

 そこにどこからか幕府歩兵が現れる。

 今井信郎率いる第三大隊の半数である。


 第三大隊は出撃した筈であった。

 確かに間違いではない。

 ラナイ島に増援に行き、今もアシュフォード大佐の指揮下に居るのは第三大隊の二個中隊なのだ。

 残る半数は残り、海軍基地等の警備をしていた。

 この時、今井信郎の判断であえて私服にしていた為、ホノルル市内で軍服姿は見かけなくなった。

 それも有って、襲撃部隊は釣られたと言って良い。


 300人以上に囲まれ、最後の襲撃部隊は壊滅、ほとんどが降伏した。

 降伏したら命は取らないだろうと、甘く考えての事であったが……。




 騒動はアメリカ大使館でもすぐに分かった。

 スティーブンスは仲間の勝手な行動に激怒し、口汚く罵り続けた。

(この人は昔はこんな人では無かったのだが……)

 と、以前の紳士的なスティーブンスを知っている者たちは戸惑っている。

 陰謀に憑りつかれてから彼は変わったのかもしれない。


 だがすぐに冷静さを取り戻し、一人の男を呼び出す。

「ドール君、もうここらが判断のタイミングだ。

 ハワイ革命もハワイ共和国も失敗した。

 君はアメリカに逃げろ。

 汽船の搭乗券は用意してある。

 捕虜の口から、私と君との共謀である事はすぐにバレるだろう。

 私はウィーン条約で保護されるが、君はそうはいかない。

 暗殺の危険もある。

 時を置かず、すぐに逃げろ」

「分かりました。

 折角お呼びいただいたのに、お役に立てず申し訳ない」

「なんの、君の情報は色々と役に立った。

 役に立たなかったのは……」

 役に立たなかったのは、「断罪者(ウリエル)土方の後遺症」で無能な集団に成り果てていた併合派の連中だった。

 単に無能というより、黒駒勝蔵が仕掛けた罠による経済危機で視野狭窄に陥っていたのだが。

 土方歳三と黒駒勝蔵、相容れない両者が死ぬ前に打った手が共鳴し、今回の内戦を幕府圧倒的有利に進めさせたと言えよう。




 ホノルルの騒動は知らないここモロカイ島では、北斗七星(ビッグディッパー)の軍旗に追われたハワイ共和国軍及び役人や共鳴者たちが混乱していた。

 結局当初の予定通り、バラバラに逃げる事にしたが、その後の展望は無かった。

 落ち着いて調べれば、モロカイ島西部は酒井玄蕃によって制圧されていない。

 彼の部隊は担当範囲が広いから、とりあえず司令部を置けるマウナロア市に急行して来ただけなのだ。

 無論、そこに共和国軍が居るという可能性も考えてはいたが。

 酒井隊に脅えた共和国軍は、分散して東部の山岳地帯に逃げ込む。

 だが、オアフ島やハワイ島の山岳地帯と違い、モロカイ島の山岳地帯は樹々が少なく、隠れる場所に乏しい。

 そして東から、酋長たちのハワイ兵が進撃して来ていた。

 両者は遭遇し、戦闘となる。

 各地で小規模な戦いが数多く繰り広げられた。

 銃器の扱い、散開の仕方、戦術的判断は如何にスティーブンスに無能と罵られようが、白人たちが上であった。

 酋長軍は敗れて逃げていく。

 しかし、山岳での機動、先に敵を見つける能力、接近戦になっての猛威はハワイ人の方が上であった。

 ある酋長を撃退しても、休んでいる内に別の酋長の部隊がいつの間にか高い場所に展開し、銃よりも蛮刀や銛を使って襲い掛かり、疲れた共和国軍を殺戮した。


 一方海でもハワイ人たちは躍動している。

 エミール・ベルタンら「青年学派」が重視する水雷艇部隊、それがこの1年ちょっとで大分出来上がった。

 日本海軍に提供した第十五号水雷艇の設計をほぼそのまま使った50トン程度の小型艦艇を、機関や主な武装はフランスから輸入したが、船体はホノルル港の工廠で造れるようになった。

 そして訓練をしたが、日本人よりも普段カヌーを使うハワイ人がこの艦種を好んだ。


「フフフ……この風、この肌触りこそハワイの戦争よ!」

 とハワイ人海軍軍人は、高速で波をかぶる戦い方をマスターした。


 巡洋艦「マウナケア」は、砲や装甲を一部減じた為に帆走能力が上がったが、意図していない「搭載量の増加」も認められた。

 そこで「マウナケア」は水雷艇を艦載し、このラハイナ水道(ローズ)まで運んで来た。

 この海域でハワイ人たちは、水雷艇を駆使して暴れ回る。

 魚雷を撃つ相手は居ないが、搭載してある小型砲で共和国の白人たちの船を見つけては砲撃する。

「水を得た魚のようですね」

 と部下から言われた荒井郁之助は

「彼等は大型艦での戦いには向いていなかったのかもしれない。

 命のやり取りを肌で感じられる小型艦による果し合いこそ、彼等向きの戦い方かもしれない」

 そう語った。


 水雷艇を使いこなす海軍、2年契約を終えて帰国したエミール・ベルタンも、自分たちの理論が実証出来て喜んでいる事だろう。

 彼の置き土産である工廠からは、今後も水雷艇が量産される。

 彼に学んだ日本人技師たちも、小型艦艇や中型艦までは設計出来るようになった。

(※優秀なものになるかどうかは別問題)

 荒井は、この強力ではあるが航続距離の短い艦種を運べる母艦を欲した。

 「マウナロア」「マウナケア」という巡洋艦の出番は今回ほとんど無く、荒井も補給船をやり繰りして、すぐに腹を空かす水雷艇に石炭を渡す作業ばかり監督していた。

 専門艦があれば楽だと考えたのだった。


 苦しんでいたのはアシュフォード大佐である。

 彼は少しでもアメリカ人を助けようとした。

 名乗りを上げ、降伏したら絶対に助けると叫んだ。

 だが返って来たのは

「この裏切者が!」

 という怒号と銃弾ばかりである。

 敵よりも裏切者を憎むのは人間の常とは言え、

(私は裏切ってなどいない、むしろスティーブンスらが私を陥れたのだ)

 という意識のアシュフォードには堪らない。


 それでも負傷した兵等を捕虜し、必死に説得して大人しくさせた。

「この調子では、共和国に参加した者たちは10%も生き残れまい」

 そう嘆かざるを得なかった。

 救いとなるのは、山岳地帯への行軍は無理と、カウナカカイへ戻された女性・子供たちを収容出来た事である。

 彼女たちは、貞操も含めて絶対に守り抜こうとアシュフォードは考えていた。


 モロカイ島夏の陣は思った以上に長引き、全てを討ち取ったと判断するまでに3ヶ月を必要とした。

 補給の問題もあり、幕府軍主力は既にオアフ島に帰還している。

 海軍も、水雷艇運搬用の「マウナケア」のみ残し、「マウナロア」「カヘキリ」「カイミロア」は帰還した。

 そのまま「カヘキリ」はフランス人によって回航され、スクラップにされるという。

 代艦として海防戦艦なる艦が来るそうだ。

「また新しい艦について勉強せねばならんか。

 この年になって俺も忙しいなあ」

 と荒井が今後の事について考えていた頃、一応最後まで戦地に残っていた徳川定敬は後継者のクヒオ王子に、やはり今後の事を語っていた。


「これからが大変だ。

 論功行賞ってやつが始まる。

 ここで下手な事をすると、身内に敵を作る事になる。

 事務は軍務以上に難しいと思って欲しい」


 こうしてモロカイ夏の陣は終結した。

思った以上に長引き、前後編になりました。

圧勝なんですが……。

なお、隙をついて何度も反乱起こすのは、こっちの世界、作者と読者がいる世界での歴史でウィルコックス中佐がやった事です。

それと、後漢末に懲りもせずに少数で反曹操の反乱起こした歴史も加味してます。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 終わりましたね。 ハワイ王国の併合派アメリカ系白人はこれでほぼ全滅に。 酷い目に合うのは因果応報だしむしろスッキリ。 [一言] 隙きをついて何度も反乱といえば昭和の軍部もひどかった……。…
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