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モロカイ夏の陣(前編)

 榎本武揚はハワイ王国海軍司令官兼外洋艦隊司令官から転任し、今までの海軍基地内司令部からイオラニ宮殿近くの仮オフィスに移った。

 ここがホノルル幕府外国担当の執務室である。

 外国方目付として中浜万次郎もこの部屋に移った。

 他に十人程、元幕臣や白人からスタッフを雇ったが、ここには大きな権限は無い。

 ハワイの憲法上、外交の最終決定権は国王に残されているのだ。

 以前「銃剣憲法」の企てがあった際、押し付けられそうになった憲法は国王の権限を大きく減らし、最終的には「議会がアメリカ併合を決めたら国王に拒否権は無い」とされていた為、外交と戦争に関する拒否権は国王に残るようにした。

 外交方老中等と言っても、情報収集や各国との親睦、軽度の外交を行えるだけであった。

 だが、実はこの役割が一番面倒で、誰もやりたがらず、適任が他に居なかったとは言え榎本武揚に押し付けられた理由であろう。

 諸外国からの苦情対応という役割である。


 アメリカ大使スティーブンスは、遠目に見ても激怒しているのが分かった。

 そのスティーブンスが榎本に苦情をねじ込む。

「私に講和の手助けをして欲しいと言いながら、一体これは何だ!!」

 その手には榎本がハワイ共和国に差し出した「通達」の写しが握られていた。

「何だも何も、読まれた通りですが?」

「貴君は私を侮辱しているのかね?

 いや、合衆国を侮辱しているのか?

 和平を取り持てと頼みながら、一転して国を解散しろとか、私の顔を潰す気なのか?」

 興奮しているスティーブンスを青ざめさせる一言を榎本が放つ。

「和平を取り持つよう頼んでおいたのに、武器や我々の情報を密かにモロカイ島に流していたのはどなたでしたかな」


(こいつら、全て掴んでいて泳がせていたのか!)


 事態をスティーブンスが把握した時には手遅れだったのだ。

 榎本という男を、ひいては日本人や幕府を甘く見た報いがこれであった。

 スティーブンスはまだ虚勢を張って怒鳴り続けたが、

「もう良いでしょう。

 我々は半年以上待ったんです。

 和平は成らなかった、それは貴方が和平に積極的に取り組まなかったから。

 現状維持で良しとした貴方の責任ですな」

 そう榎本に返され、一言も無く、ドアを乱暴に叩きつけて彼は去っていった。


 去って行く背中は、流石に敗北を悟ったのか、陰鬱であった。


 さて、後にこのやり方を調べて自分のやり方にアレンジした男がいる。

 この年にテネシー州議会に入ったばかりのコーデル・ハルという男であった。

 資料を取り寄せ、ホノルル幕府のやり方、その大元は徳川家康のやり様を見て目を見張った。

「そうか、準備が整うまでは下手に出て、準備が全て整った時点で強固な通達を叩きつけて相手を怒らす。

 その上で戦争を起こすのか、実に良いやり方ではないか!

 しかも下手に出て相手をつけ上がらせ、相手の勇み足も誘い、再交渉の時はそれも道具に使うとはね」


 彼は後にこのやり方を実践する事になるが、それは未来の事なので話を戻す。




 ハワイ共和国殲滅作戦、通称「モロカイ夏の陣」は王家の地理資料や同島出身者による情報提供、海からの測量等を踏まえて作戦立案された。


 モロカイ島は、東部は東モロカイ火山の跡であり、山体の北側は浸食されて海に没している。

 東モロカイ火山の裾野は海岸にまで達していて、海沿いの細い道だけが通行可能である。

 東モロカイ火山の南西裾野に、この島最大の都市カウナカカイがある。

 このカウナカカイを落とす為、南側から船でカウナカカイ港にアプローチして兵を上陸させる、カウナカカイから東に10kmのカラエロア湾に上陸して裾野伝いに進軍する、カウナカカイから西に1.5kmのキオウェアビーチから上陸させる、の3ヶ所上陸が立案された。

 直接上陸は、巡洋艦「マウナロア」「マウナケア」、装甲艦「カヘキリ」、砲艦「カイミロア」の支援の下、第一旅団第一大隊、第二大隊が担当する。

 カラエロア湾は、ウィルコックス中佐の第12大隊が担当するが、道が狭い為進軍は半数、湾の警備兼予備部隊として半数を残す事とする。

 キオウェアビーチは、アシュフォード大佐が率いるラナイ島及びオアフ島の「ハワイ派」白人部隊が担当する。

 派遣されていた日系人の2個中隊(第三大隊から抽出)もそのままアシュフォード大佐の指揮下に留まる。

 この3部隊が同時にカウナカカイを襲う為、スケジュール的にはウィルコックス隊が最も先に動き出す事になる。


 この戦いはカウナカカイを落としてお終い、ではない。

 徹底的に掃討するのだ。

 そこで、東モロカイ火山の東端、ハラワビーチにハワイ島・マウイ島酋長連合軍を上陸させる。

 彼等は統一指揮は困難な為、それぞれの集落毎に分散し、東モロカイ火山の山岳地帯に逃げ込んだ敵を狩る。

 この酋長連合の取り纏め役はクヒオ王子が担う。

 ハワイ王族の彼でなければ収まらないかもしれない。

 クヒオ王子は責任の重さを噛みしめていた。

 なお、クヒオ王子の副官として比呂松平家の松平容大が参戦する。


 モロカイ島西部も、上陸に適した場所は少ない。

 東部程ではないが、高地となっている。

 かなりの遠回りになるが、西端のケプヒビーチに上陸し、現在のカルーア・コイ・ロードを進んで小さな町マウナロアに進軍する。

 この道は、幕府軍最強部隊第二旅団の選抜部隊が進行する。

 選抜部隊としたのは、長駆する必要がある為、馬に乗った「騎乗歩兵」の形態を採るからだ。

 カウアイ島は牧場も多い為、敵も騎乗戦闘を仕掛けて来る、というか原住民(ネイティブアメリカン)との戦争は大体騎兵隊による戦闘であった為、対抗として幕軍の本職の騎兵も加わる事になる。


 残る北側は、カラウパパという半島があり、ここも崖があって上陸には適さない場所が多いが、その中で開けている西側から上陸し、この高地や病院を抑える。

 ここは徳川定敬の本隊が担当する。

 この地での戦闘はまず考えられないが、それでも油断はしない。

 立見、山川がここに居るという贅沢な布陣であった。

「激烈な場所を担当する梅沢が羨ましい」

 とか2人は文句を言っている。

 徳川定敬は安全地帯に置かれるが、それでも鳥羽・伏見以来久々に「徳川の金扇」が戦場にある、それこそが重要であった。

 日本人の馬印は、かつて目立つ服を着て戦争をしていた酋長たちに気に入られている。

 士気高揚が確かに成った。


 それに対し、ハワイ共和国側は打つ手が少なかった。

 兵力は幕府対共和国だけで4対1である。

 それに酋長やら対立する白人やらの民兵も加わるとなると、まず勝ち目は無い。

 そこで彼等は、馬に乗って島内を転戦する騎行戦を行う事にした。

 拠点を決めて守っても、勝てる相手ではない。

 アメリカ本国の助けも見込めないようだから、自分たちで何とかする他ない。

 幸い、この島には馬が多い。


 最後のスティーブンスからの情報、幕府軍が進発したと聞いて、物資を手当たり次第に詰め込み、西部劇のように幌馬車や馬の背に乗せてカウナカカイから逃げ出した。

 これが予想よりも戦いを長引かせる事になる。


 カウナカカイ包囲軍は無血で都市を落とす。

 ウィルコックス中佐の部隊は志願して山岳への追撃を始めた。

 酋長たちの合同軍も、山岳地帯を進めど敵に遭遇せず。

 共和国軍は西に出て、マウナロア市とその周囲に一時的に滞在していた。

 そこに北側から土煙が見えるという報告が入る。

 第二旅団に属する偵察騎兵部隊であった。

 共和国軍は騎乗し、ウィンチェスター銃を持って迎え撃つ。

 十数騎の幕府軍は、百名以上の共和国騎兵に圧倒され撤退した。

 「モロカイ夏の陣」最初の戦いは、見かけ上共和国側の勝利であった。

 しかし幕府騎兵は、敵の所在を確かめるのが目的であり、攻撃を受けたのはこれ幸いと後方の酒井玄蕃に報告を入れる。

 酒井玄蕃率いる騎乗部隊は足を速め、マウナロア市に向かう。


 緒戦の勝利に気を良くした共和国軍だったが、本隊として歩兵が来る事は分かり切っていた。

 一部を山岳地帯、北東方向に逃がす。

 殿を務める200騎程が、思った以上の速度で進撃して来た酒井玄蕃本隊を迎え撃った。


 第二旅団640人の内、馬の数の関係もあって進撃して来たのは400人程であった。

 玄蕃は道が狭く、数の利を活かせないと悟ると、策を練った。

 得意の砲兵戦法も、今回は機動力勝負だったから連れて来ていない。

 歩兵は馬から降りて長距離からとにかく射撃戦をするように命じた。

 そして偵察騎兵たちを全て集めて集団運用する。

 たまたまその中に居た、会津出身の長谷川戍吉少尉を隊長に抜擢する。

 長駆進撃し、広範囲を担当する酒井隊には、第一から第三までの旅団から騎兵を集めていた為、本来は第三旅団付き騎兵の長谷川少尉がこの中に居たのだ。

 酒井は

「山を越えて、逆落としを駆けろ」

 と命じる。

「義経、ですか?」

「そうだ、鵯越だ。

 出来るな?」

「やってみます」

「これを貸そう」

 長谷川隊には「破軍星旗」が渡された。


 下馬して進軍する酒井玄蕃直卒の歩兵隊は、敵の射程外から猛射する。

 武器の性能に、共和国軍が歯噛みする。

 最早「西部を征服した銃」たるウィンチェスターM1873のピストル弾では勝てないのだ。

 だが、彼等も狭い山道を抜かれないよう、馬車や材木を使った陣地に籠って迎撃する。


 しかし急峻な山を駆け上がり、迂回して背後に現れた長谷川隊によって、共和国軍はあっという間に崩された。

 騎兵はサーベル、否、日本刀を振りかざして突撃し、陣内を蹂躙した。

 共和国軍全軍は千人程いるが、戦いで役に立つ精鋭は400人程。

 その精鋭の約半数がこの戦いで討ち取られた。

 山道を駆け下りて来たこの部隊の先頭では、特徴的な旗がたなびいている。


北斗七星(ビッグディッパー)!!」


 辛うじてこの場を逃げ延びた者は、「北斗七星の旗を掲げる恐ろしく強い部隊がいる」と伝え、それは恐怖として共和国軍全体に伝播していくのだった。

時期的に「春の陣」だろ?というツッコミがありそうなので。

古代ハワイには正月マカヒキカヒキしか季節がありませんので、という屁理屈。

マカヒキの時期は伝統的に戦争禁止なんで、夏しか戦争は無い、必然的に「夏の陣」になるのですが。

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