破軍星の旗の元に
到着し、休みもろくに取らないまま在地の大使という軍事の素人の命令を受け、見知らぬ地で軍事行動をさせられたアメリカ海兵は、その能力を十分に発揮出来なかった。
この時期の海兵というのは、後の「海兵隊」という独立した軍ではない。
各艦艇に配備された歩兵でしかない。
接舷戦闘時代の名残であり、植民地で反乱が起きた際の制圧部隊であった。
この海兵が、不慣れな土地で軍事行動を行う為、ホノルル・ライフルズという民兵組織の協力を受けた。
だがこの民兵組織は戦術の素人で、道案内をする程度しか海兵の役には立たない。
戦闘能力はあるので、合流して道案内をした後は海兵の指揮下に入る、それは規定事項だった。
だが上位指揮官の不在の悲しさ、斥候は出したものの能力不足、一番警戒しなければならない幕府軍を見張るつもりが動きを読まれ、迎撃態勢を整えられてしまった。
幕府軍は巡洋艦「ボストン」の真珠湾入港後、すぐに戦闘状態に入っていた。
否、開府直後から戦争を見越し、優秀な指揮官を呼び寄せ、武器を更新し、カウアイ島ではその武器習熟の為の実弾訓練を行っていたのだ。
準備万端で待っていた為、作戦立案者の立見尚文大佐は「もう自分の仕事はおしまい」とばかり、司令部で横になって寝てしまった。
これはパフォーマンスの一面もあり、「自分の指示通りにすれば勝てる、勝ちは決まっている、慌てるな」と無言で語っていた。
もしも戦場から離れた所で寝間着に着替えて寝たならそれは怠慢だが、立見は銃声の聞こえる位置で軍服のまま、しかも兵士に姿が見られる状態で寝ている為、「肝が太い」とか「豪傑」と言われる。
海兵、ホノルル・ライフルズ、それに義勇軍の連合軍約500人が押し寄せて来たが、立見が「この路地を超えて、この建物まで来たら撃て、それまでは決して撃つな」と口を酸っぱくして命じた位置に到達した時、彼等は三方から狙われる十字砲火地点で銃火の嵐に遭遇した。
アシュフォードや、彼の下で戦い今はモロカイ島に移った多少戦術を理解した兵士が居たなら、路地や建物の配置から、宮殿直前は物凄く危険と分かっただろう。
流石に海兵は危険を察知し、
「行くな! 戻れ!」
と制止したが、素人たちは突っ込んでしまい、その離脱を助ける為にその場に踏みとどまらねばならなった。
「奴ら、新型銃を使ってるぞ」
と砲煙の色から海兵たちは悟る。
市街戦も別に長射程を必要とする戦場ではないが、密林や山林のように短射程で十分というものではない為、黒色火薬の騎兵銃が無煙火薬の小銃よりも有利になる事は無い。
海兵らが撤退した後、横臥していた立見の元に伝令が来る。
「どうした?
敵が予定外の行動をしたか?」
「いえ、敵ではありません。
歩兵第12大隊のウィルコックス中佐が追撃させろと言って聞きません」
ロバート・ウィリアム・ウィルコックス中佐はマウイ島出身のハワイ人である。
カラカウア王の目に留まり、イタリア王国トリノの王立陸軍士官学校へ留学して軍事を学んだ。
彼は砲兵士官として有能だったが、帰国後は半分以上政治的な思惑から、日本人たちの軍の歩兵大隊長に任じられた。
ウィルコックスは、別に親日派ではない。
アメリカのやり様は嫌いだが、日本人だって国を奪うのならいつだって反乱を起こしてやる、そういう気概を持っていた。
それ故に、かえって当時の松平定敬旅団長に可愛がられ、ウィルコックスを教師としての砲兵運用教室を開いたりもした。
今回の幕府開府において、彼は日本人部隊を脱してハワイ人だけの軍を作ろうかと考えたりした。
思いとどまったのは、次期大君としてクヒオ王子が立てられた事と、親友であるロバート・ナプウアコ・ボイド(ハワイとイギリスのハーフ)が海軍内海艦隊司令官に任命される等、ハワイ人の要職抜擢が数多く有ったからだった。
それに、牙を剝いたアメリカと戦うなら、それは王国を守るべくイタリア留学までしたウィルコックスには本望である。
彼の部隊はほぼ純ハワイ人から成り、同様にいきり立っていた。
「それで立見大佐からの返事は?」
「追撃を認める。
ただし命令を待つべし。
おそらく30分も待つ事はないだろう。
準備を整えて何時でも行けるようにしろ、だそうです」
「今すぐ行っても良いが?」
「大佐殿は、もう少し待てば戦況は更に良くなるから、それを待て、だそうです」
「いや、今行かないと連中は態勢を立て直すぞ」
「大丈夫です。
味方が側撃をかけます」
一旦海兵隊、ホノルル・ライフルズ、民兵が集結し、態勢を立て直そうとした瞬間、大量の砲弾が降り注いで来た。
命中弾は左程無く、ただパニックに陥れただけであったが、そのパニックで動きが取れない時間帯に第四大隊伊庭八郎らが斬り込んで来た。
後方からは第二大隊の支援銃火が撃ち込まれる。
パニックに陥らず、何とか踏みとどまって応戦している海兵隊は、遠くに変わった旗を見つけた。
「北斗七星?」
それは東洋風に呼ぶなら「破軍星旗」という。
柄杓部分を下にした北斗七星を象った軍旗の下から、砲撃、銃撃が行われている。
元庄内藩家老、現カウアイ酒井家当主、幕府軍事方老中酒井玄蕃の部隊であった。
この時から遡る事二十数年、戊辰戦争において
「花は会津、難儀は越後、ものの哀れは秋田口」
と謡われていた。
会津を攻めた西軍は有力な火力に物を言わせ、城に会津兵を押し込んで楽な戦をしていた。
越後長岡で戦った西軍は苦戦をした。
家老河合継之助の指揮の元、援軍を加えた長岡藩兵に野外陣地を撃破されたり、占領した長岡城を奪還されたりと、思わぬ手痛い目に遭ってしまった。
そして「ものの哀れ」なる秋田戦争では、最終局面まで旧幕府軍が勝っていたのだ。
西軍最強の薩摩藩兵に新型装備の佐賀藩支藩の武雄藩兵を送ってやっと撃退出来たが、それまでに新庄藩、本荘藩、矢島藩が相次いで撃破され、亀田藩は降伏し、秋田藩は領内半ばまで侵攻されていた。
この旧幕府軍最強が庄内藩で、その指揮官が酒井玄蕃である。
鬼玄蕃率いる庄内藩兵は、破軍星の軍旗を風に靡かせながら戦い続けた。
その庄内軍がハワイに復活した。
世代交代がされ、兵士は日本・ハワイのハーフだったり、日本と白人との子だったりしたが、カウアイ島で長い間修練を積んで来た彼等は、未だ最強部隊と言って良い。
市街地が近い事に加え、ここ最近の資金不足で実弾演習の回数が少なかった第一旅団に対し、カウアイ島の峡谷でホンマ・カンパニーがもたらす潤沢な資金を使い、旧式砲ばかりでも豊富に実弾演習を繰り返して来たのだ。
戊辰戦争において、河合継之助のガトリング砲だの庄内藩の強襲だのが目立つが、実のところ両軍とも砲兵を有効に使って戦っていた。
カウアイ島の酒井家がそのまま軍隊となった第二旅団は、新型・旧型問わずとにかく大砲好みであった。
その為、500人程度の海兵やホノルル・ライフルズに対し、旧型の四斤半砲もあるが、それでも20門以上の砲を集中運用し、そこに幕府軍一機敏な第一旅団第四大隊を突撃させたのだ。
「三百年になろうとしている」
酒井玄蕃は呟く。
「江戸開府より三百年、井伊も本多も榊原もこの地には居ない。
『徳川四天王』と言うも、最後に残ったのはこの酒井家のみじゃ」
これには、旗本として家を立て、この地にもやって来た本多や榊原、鳥居に大久保や内藤、青山といった苗字の者たちは内心反発した。
だが、大名として第二次徳川幕府に参加したのは、確かに酒井家だけなのは事実であった。
軍事方老中の率いる軍の猛烈な一撃に、海兵やホノルル・ライフルズは真珠湾方面に逃げようとする。
この瞬間、立見尚文がウィルコックスに命令を下す。
「中佐、行け!」
短い命令だが、ウィルコックス隊にはそれで良かった。
番えた矢が放たれたように、猛烈な勢いで追撃を始める。
「第四大隊、後退せよ」
同士討ちを生まないよう、酒井玄蕃は伊庭八郎を呼び戻した。
押し引きの激しい出入りの多い戦は、心形刀流剣士である伊庭八郎に合っていた。
英語で言うヒット&アウェイな戦い方をして、伊庭は後退して来た。
「御老中、お見事な戦っぷりでした。
感服いたします」
第一旅団の隊長たちが頭を下げる。
それに対し酒井は
「敵が弱過ぎた。
話に聞くアシュフォード大佐が居たなら、もっと難しかっただろう」
と短く返しただけだった。
「終わりましたか?」
リリウオカラニ女王が、イオラニ宮殿を警備するクヒオ王子の指揮所に訪れ、聞いた。
「この地の戦いは終わりました。
酒井老中が挨拶にこちらに向かっています」
クヒオ王子は、総軍司令官徳川定敬の後継者として、総軍次席司令官の称号を得ている。
王宮を守るパレス・ガード、王室を守るロイヤル・ガード、そして女王個人を守るクイーンズ・ガードの3軍の指揮官となっていた。
クイーンズ・ガード以外は白人やハワイ人の兵士であり、クヒオ王子が司令官である事が好まれている。
クイーンズ・ガードは、日本帰国を断った会津の老女の内、長刀の心得のある者たちが志願した部隊であり、陽気なハワイアンには「厳しいおばちゃんたち」だったが、酒井玄蕃に育てられたクヒオ王子には特に怖くも無い。
長刀を持った老女が
「その昔、中野竹子様の雄姿を見て憧れ、その最期を聞いて悲しみました。
もしこの宮殿まで攻め込んで来たなら、あの時戦えなかった分、存分に働こうと思いましたの」
とクヒオに言う。
クヒオは彼女らの誇りに敬意を払い、
「これからも女王陛下をお守り下さい。
貴女たちが居るからこそ、我々も後ろを気にせず戦えるのです」
と頭を下げた。
「あ、北斗の旗がこちらに来ましたよ」
「酒井様の兵ですね、実に頼もしい」
「遠目からでも酒井様を見る事は出来ないかしら?」
「あら、遠目どころか王宮に来ますわよ」
「本当ですか! それは素晴らしい」
「私、髪とか乱れていませんか?」
「死を司る北斗七星」を軍旗とし「鬼玄蕃」の異名を持つ酒井玄蕃了恒。
彼はその異名とは裏腹に、若き日は「まるで女性のような美少年」と評されていた。
厳ついおばちゃんたちも一時、女王の警備も会津娘子の誇りも戦の最中なのを忘れ、馬上の美形中年を眺める「乙女」に戻っていた。




