ハワイ共和国
サンフォード・ドールは長年ハワイに住み、カラカウア家の顧問弁護士として活動し、砂糖農園主からの信望もある人物であった。
その彼は、1887年に起きた内戦の首謀者として国外追放される。
そしてアメリカ在ハワイ大使スティーブンスの要望で、顧問としてハワイに復帰した。
これが1891年の事で、約3年ハワイについて「空白の時間」が存在する。
ゆったりとした時間の流れにあったハワイで、ここ数年は激動の時期であり、その時期にハワイに居なかったドールの知識は、ややズレたものとなった。
認識のズレの中で致命的なものがある。
それは「砂糖貴族」とまで言われたアメリカ系白人農園主が、随分と追い詰められていた事である。
ドールの認識では、有り得ない事であった。
何故なら、1887年の内戦に関わった農園主の無罪もしくは科料程度で済ます微罪を勝ち取ったのは、他ならぬドールなのだ。
自ら銃を持って戦った者の国外追放処分は避けられなかったが、家族がいれば相続する事で、財産が失われる事は防いだ。
交渉相手の榎本武揚は、同胞の治安部隊「新撰組」が容赦無く取り締まり、というか白人惨殺事件を起こしまくっていた為、負い目でもあったのか、随分と譲歩をしてくれた。
榎本はアメリカと本気で戦う気はなく、アメリカ領事を証人として呼ぶ事も、当時は随分と戦意旺盛だったアシュフォード大佐をアメリカ領事館に置く事にも同意した。
彼はアメリカ系白人農園主の権益を可能な限り守って、ハワイを離れたのだ。
この榎本の譲歩というのが曲者だった事に、当時は誰も気づいていなかった。
確かに榎本は、国際法や介入の隙を作らない事、カラカウア王の意志で、敵方のアメリカ人の権利維持に動いた。
しかし、もう一個裏から依頼があったのを、ドールは今もって知らない。
マウイ島ラハイナの闇の帝王・黒駒勝蔵、彼が「農園主の財産を減らすな」と、債務者である榎本に要望していたのだ。
日本のヤクザである黒駒の狙いは、内戦で被害に遭った態のイギリス人を介し、アメリカ系白人農園主の財産を巻き上げる事にあった。
その為には、財産が減ってはいけないし、ましてや弁済能力が無くなっていてはならない。
翌年から始まる損害賠償請求の為に、前年の内戦後の処分では財産を守らせたのだ。
黒駒勝蔵という男は既に死んでいる。
その報はドールも聞いた。
厄介な男が既にこの世に居ないのだから、何とでもなるだろう、農園主の力はそんなに弱くないだろう、それがドールの認識である。
相手がヤクザではなく、ヤクザに委託された弁護士がイギリスの力を背後に裁判を起こしたのが厄介だったのだ。
白人農園主は、彼等に同情的なカラカウア前王に泣きついた。
国王の顔を立てて、和解成立で損害賠償は分割支払い、あるいはしばらく返済猶予となった者も出る。
しかしこれも法律や契約で雁字搦めにする罠であった。
場合によっては土地や財産を奪うより、絶えず働かせて利益を吸い上げる方が得だったりする。
大量の訴訟で法律家が不足し(内戦に参加した法律家は、新撰組に殺されたりして、ハワイ全体で不足となった)、素人の曖昧な知識につけ込んで原告有利な「減免」となった。
それでも先年まではまだ、莫大な収入があったから何とかなっていた。
先年のマッキンリー関税法により、ハワイ産砂糖が売れなくなり、農園主は窮地に追い込まれる。
収入が激減しようと、雁字搦めに彼等を縛った契約・合意・約款等は、容赦なくその年の分、その月の分を取り立てに来る。
弁済が滞ると、一気に全財産差し押さえというのもある。
現にそうなって、何家族か海外逃亡したり、一家で自殺したりしている。
ドールが思う以上に農園主の資産事情はひっ迫していた。
そんな中で、スティーブンスとドールが流した
「だったらアメリカに併合されれば良い。
アメリカ国内扱いならば、同等の扱いや補助金を受け、復活出来る」
という案は、流した当人たちが思う以上の速度でハワイ中に広がった。
そして、それを実現する為に過激な行動をする者も現れた。
そういう連中を取り締まる新撰組はもう居ない。
ドールやアシュフォードが要求して解散させたのだ。
ああいう有無を言わさぬ暴力装置、悪を征するに魔神をもって制するような存在が消滅した今、自暴自棄な没落白人農園主やその家族は時に暴動を起こし、それをハワイ王国内務省の警察では鎮圧出来ない。
なんせ白人農園主は、民兵組織であるホノルル・ライフルズに加入し、定期的に軍事訓練を受けている。
ホノルル・ライフルズの司令官アシュフォード大佐も先日ハワイから出て行き、抑えが効かない。
こうなると軍隊の出番となる。
スティーブンスはそれをこそ狙っていた。
ハワイ王国が軍隊を使って、アメリカ国籍を有する者に危害を加えた、これを口実に本国から派遣された軍艦を使って一気に革命を起こす。
その手筈を着々と整えていた、筈なのだが……
「どうした事か!
少しは我慢ってものが出来んのか!?」
と、暴動や過激行為が起こり過ぎる事に苛立っている。
(こっちには準備ってものがある。
肝心の最新鋭巡洋艦が太平洋戦隊に配備される前に事を起こしたら、勝てるものも勝てなくなるぞ)
そしてスティーブンスはこうも思う。
(ハワイに居る連中は頭が弱い。
1887年の内戦も、しっかりアメリカと連携をしていたなら、ああいう失敗はしなかった。
こいつらは待つという事が出来ないのだ)
この農園主を馬鹿にした考えは、ハワイをアメリカに併合させようとする派閥のもう一個の勢力、宣教師たちも持っている。
理由はスティーブンスやドールとほぼ同じである。
「タイミングも見ずに暴発し、自滅する愚か者。
そんなだから損害賠償訴訟とやらで、いいようにハメられたのだ」
経済事情を軽視する者たちは、確かに乾季を狙って火を放つ事に成功したが、その乾季が異常なくらいで、火の回りが速過ぎて自分たちにも延焼しそうになったのを「この草地が悪い」と罵倒しているようなものである。
「このままでは軍隊が出動します。
軍隊とは即ち、榎本たちの日本人部隊です。
あの騎士気取りどもは、無私の心で白人農園主たちを殲滅に来るでしょう。
対抗可能なアシュフォード大佐を、我々は先日追い出してしまいました……」
ドールの嘆き。
スティーブンスは
「アシュフォード追放は、あれはあれで全く問題無い。
彼が居たら、彼が暴動を鎮圧し、アメリカ人がアメリカ人を鎮圧する形になって、合衆国軍の出動を要請出来ない。
だから彼に代わる軍事指導者が居ればそれで良い。
心当たりを教えて欲しい」
「全員死にました」
「何だと?」
それは「断罪者土方」と呼ばれた男の先読みに因る。
彼は今後の事を考え、指導者となりそうな者を皆殺しする事を決めていた。
国際法も刑事法もどうでも良い、見つけ次第手段を選ばず殺せ。
殺せるのは残党狩りが通用する今の時期だけだ。
指導者さえ居なければ、後は烏合の衆である。
殺れる時に殺る、それが後顧の憂いを無くする事である。
そういう信念で土方歳三は新撰組を使い、情け容赦の無い殺戮を繰り広げた。
未来の将も含め、不穏分子全てを刈り取った後なら、責任を負っての切腹でも何でも受けてやるよ、土方の決意である。
こういう考えは、西洋慣れした榎本や大鳥よりも、戦国時代をそのまま残した庄内酒井家等で理解された。
「徳川四天王」庄内酒井家は、領民から「うちのとこの侍は怖くていけねえ」と言われる程に、武士の町を隔離して戦国の遺風を維持した。
武士の町鶴岡と、本間家が事実上の支配者である商人の町酒田(亀岡)とで、住民の気質は全く異なった。
一度敵対すれば皆殺しにしなければ止まらない事を酒井玄蕃は知っていた為、彼はカウアイ島の白人農園主を軟禁して内戦に参加させなかった。
故に土方の行為を玄蕃ら元庄内藩士は「当たり前の事」と見做し、
「彼等はこちらを殺すつもりで蜂起したのだ、殺される覚悟だって持っていただろう。
アメリカ白人の武器は鉄砲だから、それを使って言うなら
『撃って良いのは、撃たれる覚悟がある奴だけだ』という事だ。
撃たれる覚悟も無しに蜂起し、残党狩りに遭って土方殿を批判するとは、白人は随分と見苦しい」
そう語っている。
話を元に戻すと、この土方の殺戮により、ホノルルやハワイ島にはもう隊長となれる者は居ない。
リリウオカラニは思わぬ土方からの恩恵を受けていたのだ。
「困ったぞ。
日本人の軍が来た時、あっさり潰されたら意味が無い。
少しは持ちこたえて貰わないとならない。
ドール君、何か考えは無いか?」
「有ります。
今日話に来たのは、実はその事でした」
「聞こう」
1887年内戦の講和会議前、土方の猛威がオアフ島、ハワイ島を襲っていた為、アシュフォード大佐は日本人を信じず、講和会議に見せかけて集まったところを一網打尽にされるのを恐れた。
そこで彼は、彼の指揮下で最後まで戦い、その後も山岳戦を続けるつもりだった実戦部隊の一部を、モロカイ島に移動させた。
土方が死亡し、講和が成った後も、モロカイ島に移った部隊はその地の農園主の下に残り、原隊復帰をしなかった。
元々民兵であり、戦闘終結後に除隊申請されたら拒否出来ない。
そういう連中が居るモロカイ島と、一部が移住したラナイ島。
「この2島で最初から山岳戦をするなら、長期に渡って日本人を釘付けに出来るでしょう」
スティーブンスは改めてドールの存在を有り難がった。
そして、その案に改良を加える。
暴発している白人農園主等は、女王を抑える為にホノルルに居て貰う必要がある。
この血気盛ん(実際はただの自暴自棄)な連中を制御出来る指導者として
「ドール君、君しか居ない。
君に立って貰うよ」
と白羽の矢を立てた。
「日本軍を出来れば全軍、モロカイ島に送りたい。
その為には戦争が必要だ。
大規模な戦争にする為、モロカイ島とラナイ島を以て独立国を立ち上げよう」
「独立国ですと?」
「正しくは国の中に出来る、革命勢力の国と言うのかな。
『ハワイ共和国』を設立して貰う。
当然、ハワイ王国としては認める訳にはいかないから、軍を投入する。
そしてがら空きのイオラニ宮殿に君の部隊が突入し、女王を幽閉し給え」
「……となりますと、軍艦が必要ですね。
先の内戦において、榎本の軍艦がラハイナとワイキキを砲撃して勝敗を決定づけました。
この榎本の軍艦を自由にさせたら、成功の確率は低くなります。
モロカイ島に軍が移った後は、戻って来られないよう軍艦を用意していただきませんと」
「その通りだ。
日本人の移動を防ぐ艦と、海兵隊を連れてホノルルを制圧する艦、少なくとも2隻が必要だ。
ハワイ共和国には、独立後すぐにアメリカとの軍事同盟を申し入れて貰う。
私から上司に報告を入れるから、国務省はこれを受け容れるのは確実だ。
同盟成立したなら、同盟国を守る為に軍隊を出動させる。
一方でハワイ王国に対しては、自国民保護の艦を送って貰う。
これは私が抑える。
これでモロカイ島とホノルル、両方で勝てる。
後はハワイ共和国がハワイ王国を呑み込み、王政を廃止させるのだ」
「時期は何時頃になりましょう?」
「サンフランシスコには巡洋艦『チャールストン』しか使える戦力が無い。
大西洋から別の艦も合流すると聞くが、今はまだホーン岬の辺りにいるようだ。
軍艦は飛んで来られないし、来年にならないと太平洋戦隊に合流しない。
だから、それ以降になる」
「では、慎重に物事を運びませんとね」
「うむ、君の献身と才覚に頼る事、大だよ」
「光栄です」
そして「ハワイ共和国」建国の案が、かつての併合派たちに密かに伝えられ、行動に移る事になる。




