サンフォード・ドール再び
3年前ハワイを追放されたサンフォード・ドールが戻って来た。
今度の立場はアメリカ大使の顧問である。
外交特権を使い、ドールは「アメリカ人」として堂々と入国したのだ。
「もうカラカウア王への義理は果たしたかね?」
スティーブンス大使が握手しながら尋ねる。
「最後に会う事が出来ました。
彼は良き友でしたが、もう神の御許に召されました。
この世の私の為すべき事は、この国の幸せの為に、アメリカに併合させる事です」
ドールのその回答にスティーブンスは喜んだ。
長年ハワイで暮らし、農園主からの信頼も厚く、王家の内情をよく知る男ドール。
彼の知識と人脈は大いに役立つだろう。
ドール復帰の情報はアメリカ白人社会に急速に広まった。
彼に反感を抱く王国派の白人も居るが、大使館に格上げされた中での人事であり、文句が言えない。
リリウオカラニはスティーブンスに猛烈に抗議をしたが、ドールは「国外追放されたハワイ国籍の者」ではなく「派遣されて来たアメリカ国籍の者」であるとし、しかも「顧問でしかなく、何の権限も持たない」「私的な秘書のようなものであり、接受国の干渉を受けない」とスティーブンスは突っぱねた。
ウィーン条約では、大使や公使であるならドールを拒否する事も出来たのだが。
リリウオカラニは外交の場にドールの顔が見えたら、彼は外交団の一員であるとして「外交官国外退去処分」を使ってやろうと待ち構える事になる。
ドールは、治外法権の地であるアメリカ大使館の敷地を出ようとしなかった。
外交の場にも当然顔を出さない。
ただ、訪ねて来る者には会って、随分と色々話し込んでいる。
ドールが復帰してから、ハワイのアメリカ白人農園主たちにある希望が生まれた。
「ハワイがアメリカ合衆国の州となれば、今まで通りの関税0に加えて、本土の農園のように補助金も貰える」
という併合待望論である。
併合を正当化する為には、王国が国として成り立っていない事が必要だ。
その為には議会を空転させる。
とにかく何もさせない、何も決めさせない。
現在、ハワイ下院は二重国籍でも投票出来る為、アメリカ系議員が優勢である。
一方ハワイ国籍選択者しか投票出来ない上院は、王国派の各人種議員が優勢である。
この「ねじれ」は議会を空転させるのに随分と都合が良い。
改革党はこれまで以上に原理原則に固執するようになり、表向きの予算不足は深刻なものとなった。
スティーブンスはドールのハワイに関する知識を必要とした。
だから半分世捨て人だった彼を政治の世界に呼び戻した。
だが、ハワイ追放から3年でドールの知識と実際との間に微妙なズレが生じていた。
ズレた認識の一つは、ラハイナの闇勢力と王家との関係である。
ドールの長年の知識では、ラハイナにはミスターブラックなる日本人が居て、金の力で首都にまで進出しようとしていた。
その彼が死んだとは聞いたが、彼は相変わらず闇勢力が王家を呑み込もうとしているものだと考えていた。
実際は、闇勢力はトップ不在の問題を解決する為、王家を「必要」とした。
呑み込むよりも、王家の君臨を願ったのだ。
そして、ドールが知るカラカウアはこんな黒い仕事に耐えられない。
ストレスでアルコール依存症を悪化させてしまい、アメリカで転地療養するも、結局治らずにドールが最期を看取った。
(表の世界の王が、裏の世界と融合なんて出来る筈が無い)
それがカラカウアを知るドールの認識である。
しかしカラカウアの妹は違った。
ぬぼーっとした容貌のカラカウアと比べ、リリウオカラニはドスの利いた表情をしている。
そしてお祭り型政治家のカラカウアに対し、リリウオカラニは土木型とも言える。
適性と需要と供給がマッチし、王家と闇社会は急速に接近していた。
だがドールには、リリウオカラニが阿片の専売を使って儲けようとしている「不道徳」しか見えない。
(キリスト教社会では不道徳極まりないし、闇社会からしたら自分たちの商売に踏み込まれて不満だろう)
別なズレの一つに、日本人の軍隊への認識があった。
榎本武揚という男は、非常に聡明な男である。
聡明である故に、アメリカ合衆国の力を良く理解している。
内戦ですらアメリカに気を使い、介入の隙を与えないよう苦心していた。
もし本格的に介入となったなら、彼は全面抗戦は諦め、条件闘争でハワイの権利を守ろうとするだろう。
これはスティーブンスも同じような意見で、
「私は彼と会った事がある。
非常に優秀な男で、アメリカとハワイと自軍との力関係をきっちり理解している。
彼はアメリカと事を構えるつもりは無い。
彼は私を信じて、海軍基地の内部まで案内してくれた。
話せる男だよ」
言葉は丁寧であるが、正直甘く見ている。
最近、トップが変わったそうだが、そのトップも血筋で選ばれた、優秀な何かを持っているかは不明な男だ。
榎本よりは強硬派と聞くが、こいつもアメリカとの力関係を知れば何とか出来るだろう。
アメリカ人にはきっと理解出来ない、彼等の思考が変わる事件があったのだ。
大津事件とその顛末で、日本人は
「法治主義を曲げて運用してはいけない、そんな事をせずとも理屈は通る」
「ロシアという覇権国家でも、米英仏独等の監視の下では好き勝手は出来ない」
と、ちょっと勘違いして認識した。
大津事件は、ロシア皇太子が親日的な態度を取ってくれた事や、帝自らの謝罪等様々な努力と偶然の後に、ロシアの侵攻という事態を招かなかった側面はある。
内政的には「三権分立」「司法の独立・不干渉」を確立し、対外的にも「日本とはそれ程の法治国家である」と示せた訳だが、列強が侵略するかしないかは別な判断によるものだろう。
ドールの認識の微妙なズレは、やがて計算違いという形で現れる。
その甘く見られていた日本軍であるが、そこではちょっとした問題が起きていた。
リリウオカラニ女王から依頼されたニホア島の基地建設で、イギリス企業を選択した事でエミール・ベルタンが抗議をしに来たのだ。
これは女王の案件で、女王が金を出し、入札はラハイナの最近は表か裏か曖昧になって来たが、そういう連中に一任されたものだ。
榎本に工事業者の入札について決定権は無いのだが、ベルタンはフランスを使えとねじ込んで来た。
頭を抱える榎本に代わって、松平定敬が対応する。
定敬はまずベルタンに話をしていなかった事を詫びた。
その上で、工事が可能な業者と見積もりを出してくれと言う。
榎本は
(いや、出したところでこちらに決定権は無いから、意味が無いだろう)
(それに海洋国家のイギリスに対し、フランスは灯台や海洋観測、海上警察の為の基地建設は得意では無いと思う)
そう内心で呟いていた。
定敬の謝罪を受けてベルタンは矛を納め、善処を期待すると言って本国に連絡を入れた。
ベルタンが帰ったのを見て、榎本は定敬に問う。
「フランスからどういう見積もりが来ても、ラハイナの連中は自分たちと近しいイギリスを選び、変えないでしょう」
「そうだろうな」
「分かっていて、ベルタン殿にあのような事を言ったのですか?」
「今、彼に女王やラハイナの決定どうこう言っても納得はすまい。
まず彼にも参加させてやらないと、収まらない。
フランス業者の参加について彼に仕事をさせ、我々も協力してやるのだ。
その上でダメであったら、決定権について説明し、抗議は女王にして貰おう。
我々と協力関係にある以上、彼を蔑ろにしてはならぬ。
やる事をやってから、手の届かぬ事について話さないと、彼は我々が非協力的だと思うだろう」
「御意……」
「それに、ベルタンの行動は無駄にはならぬ」
「と仰いますと?」
「海軍基地の建設が遅れているようだ。
彼が選定した業者はそちらに回って貰う。
女王には余から話をしておく。
女王としても、軍事顧問を無視してラハイナの者どもに任せた負い目がある故、出費については考えてくれよう」
「恐れ入りました。
そこまでお考えでしたとは」
「それで榎本、ニホア島の基地についてじゃが……」
「周囲に人の住む島の無い孤島で、切り立った岩に波が打ち寄せる難しい場所です。
女王陛下の、北に連なる列島を自領として国際社会に認めさせたい意気込みは分かりますが、やるとなると困難です」
「……余は行った事が無いが、八丈島のようなものか?」
「もっと小さく、中浜万次郎殿が漂流時に暮らした鳥島、それより小さいものかと」
「どれ程の人数を置ける?」
「古老の話では、昔は100人程度が暮らしていたと聞きます。
我々や今のハワイ人からであれば、灯台守と水・食糧の蔵奉行、船奉行で20人というとこでしょうか」
「その者たちには栄誉を与えねばのお」
「は?」
「八丈島だの鳥島だの、余は行った事が無いが、あれは島流しの場所ではないか?
ニホア島もそれに近いとなると、送られる者は島流しや左遷と感じるだろう。
それをそなたには考えて貰いたい」
「分かりました」
榎本は定敬の前を辞した。
(随分と君主としての貫禄が着いて来た)
そう思い、思わず嬉しくなる。
(俺には夢があって、蝦夷地とかの開拓をして新しい時代に弾かれた者を救いたかった。
形を変えて今それがかなってはいる。
だが、どうやら俺は初期に道を示すまでの男で、安定した社会では総裁や大統領でなく、大臣なのが丁度良いかもしれねえな)
だが彼は「大臣」ではなく、半年後に別なものに就任する事になる。




