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大津事件顛末、そして法治国家とは?

 榎本武揚は夢を見ていた。

 大津事件で日本の裁判官は死刑判決を出さず、それに不満を持ったロシア帝国を自分がまあまあと宥めている。

 自分は大日本帝国の外務大臣をしていて、移民局を作り、他国に移民を送ろうとしていた。

 さらに条約改正交渉を引き継ぐ事になっていて

「まったく、五稜郭に居た時よりも難局だ」

 とぼやいていた、


 ……そこで目覚めた。


(なんでこんな変な夢を見たのだ?)

 と汗を拭きながら思ったが、すぐに忘れ、ハワイ人妻の作る朝食を食べに向かった。


 旧幕臣たちに重婚という意識は無い。

 ハワイに移住する前、既に江戸で正室を迎えていた者もいた。

 蝦夷共和国講和交渉から移住までのわずかの間に、結婚して子を設けた者もいる。

 一度に全員がハワイに来た訳ではなく、嫡男ながら妻子無き者は免除されたり、結婚から子の誕生まで1年程猶予された。

 不運にして子が出来なかった者や妻が来なかった者は、家督を弟に譲るなり、養子を迎えるなりして「家」は残した。

 「後顧の憂い」を無くした上で単身ハワイに来たのだが、そのまま聖人君子ではいられない。

 家督を譲った者は隠居扱いであり、そのまま「側室」という形で妻を迎えた。

 今の自分の地位はその側室との子に譲り、日本の本家には影響しない。

 旗本御家人の次男以降の「部屋住み」身分からハワイに来た者は、むしろ日本に居ると妻を迎える事は出来ない者が多かった為、喜んでこちらの女性と結婚し、一家を立てた。

 ハワイ政府の方針からして、外国人と通婚させて免疫力の高いハワイ人にしようとしていた為、幕臣たちがハワイに渡ってから結婚、そしてベビーブームが来た。

 日本人は結構多く子を成す為、最初が女子だったら嫡男が生まれるまで頑張った。

 自分の後継ぎは「軍人」となる為、戦死も見越して次男、三男と作った。

 そういう子たちがそろそろ成人し、世代交代しようとしていた。


 その為、現在ハワイ陸軍(旧幕臣たち)は、父親の部隊と、子たちの訓練部隊とが居て、人数だけはかつての5割増しとなっている。

 人数が多いのに銃は更新続きで十分な数が揃っていない。

 砲や機関砲もである。

 ハワイで手に入る軍服だけは十分にあった。

 かつて父親たちが着ていた黒色火薬時代の派手な青い軍服は子たちが着て、本隊である父親たちは地味な緑色に変わった。

 アメリカの影響の強いハワイは、この特需にミシンを購入する者も居て、活況を呈した。

 まあ服が揃っても銃が不揃い、子たちは訓練が必要な上に、南国育ちもあってか規則にはややルーズと、陸軍にはする事が多々あった。

 日本人のトップに松平定敬を据えたのは、大鳥圭介が実務に専念したいというのもあり、またハワイ島の部隊との連携強化の意味もあった。

 という訳で陸軍は忙しい。


 妻が伊庭八郎の訪問を告げた時も、榎本はそちらの案件だろうと思っていた。




「さっき入った日本の話なんだが、例のロシアの皇太子を斬りつけた事件、津田三蔵とやらには無期徒刑(無期懲役)とかで、死罪ではなかったそうだぞ」

 大津事件の続報だった。

 榎本はそれでは戦争已む無しかと思ったが、伊庭はそうじゃないと言った上で話を続ける。

「この裁きが出たのが5月27日で、10日程前の話さ。

 公使と皇帝は不満を表したようだが、結局日本の法律がそうならば仕方ない、むしろ迅速に対応してくれた事に礼を言う、だそうだ。

 ただ日本国内はてんやわんやだ。

 青木っていう外相の首が飛んだ。

 ロシアの公使に対し、必ず死刑にする、その為にはロシア皇太子は日本の帝や宮様方と同じ扱いにし、帝を傷つけたものと同じ罪を科す、なんて密約してたのが分かったからだそうだ」

「そんな約束して、守れなかったんだから、かえって事態を悪くさせそうだな」

「青木 (なにがし)の事を批判出来ねえぜ、榎本さん」

「ん? 俺が何かしたか?」

「先の内戦において、あんた敵の無罪放免を約束して降伏を取り付けたって、専らの噂だったんだぜ」

「俺は、降伏したら捕虜として正当な待遇をする、それは降伏した者を無為に傷つけないって事だったんだ。

 一緒にして貰っちゃ困るんだがな」

「兵士たちにしたら同じようなものだよ。

 五稜郭でも津軽や松前の兵に同じ事しただろ?って俺は言ったが、納得しちゃいなかったな」

「どうしてだい?」

「あの時は降伏して大人しく平伏した奴ら相手に、寛大さを見せつけた形だった。

 今回は居丈高な連中を、あんたが宥めていた形だったから、折角戦ったのに何だ!って事さ」

「ふーーーむ」

「まあ、俺はあんたを責めるつもりで来たんじゃない。

 だけど日本のこの顛末は参考になると思うぜ。

 筋を通せば小国の正義は大国にも通じる。

 どちらかというと策を弄する方が傷が深くなる、とね」

「成る程な」

 色々言って、榎本の妻から出された茶を飲み、伊庭は帰った。

「伊庭」

「何だい?」

「ありがとうな。

 俺にこうしてズケズケ意見言ってくれるのは嬉しいよ」

「気にすんな。

 講武所以来の腐れ縁だ。

 その腐れ縁、もう二十年を超えてしまったなあ」




 大津事件の話は旧幕臣に広がった。

 筋の通った判決を出した児島惟謙が宇和島の出で、薩長では無い事が余計に愉快だったようだ。

 青木周三外相、山田顕義法相、そして西郷従道内相という薩長の政治家が辞任した事も、酒の肴には丁度良かった。

 西郷隆盛との縁の深い酒井玄蕃ですら、

「弟は兄程の器量では無かったか」

 と、この事件において西郷従道が「軍艦が攻めて来る!」「もう判事等という者は顔も見たくない」等と喚いた事を詰っていた。


 幕府というのは、初期こそ自分の主張を通していたが、後期はほぼ外国の言いなりとなっていた。

 和親は許すが通商は許可しないとか、居留地に女性は認めないとか、最初はしっかりと言う事を言っていた。

 だが、今の明治政府の役人になっているような連中が「攘夷」と称して外国人を襲撃し、幕府は謝罪する一方となり、立場が弱くなっていって、最後には外国からも呆れられた。

 それを見て来ただけに、薩長の政治家が因果応報で醜態を晒した事と、筋を通せば良いと分かった事で、旧幕臣たちは目が覚めたような感じを覚えている。

 遜る事も、それを不満に暴れる事も無く、筋を通せば良し。

 榎本武揚もこの件で、アメリカへの今後の対応は「攻めるきっかけを掴ませない為、相手の言い分をなるべく呑んだ形で落ち着ける」よりも「筋を通した上で、相手の言い分の聞ける部分を呑もう」と改めようと思い直した。


 そんな榎本を、エミール・ベルタンが訪ねて来た。

 どうも女王直々に水雷艇発注の許可が下りたようで、詳細は榎本と詰めろという事なようだ。

 実務の話をする前に、榎本はこの大津事件の顛末についてベルタンにも聞いてみた。

 彼は簡潔に

「法治国家なら当たり前だ」

 と答える。

 榎本は確信を得た気分であった。




 ハワイ王国は法治国家と言うには、国王の力が強い。

 国王は議会を尊重するが、王族の財産というのがある為、割と好き放題出来る。

 リリウオカラニがラハイナのギャングや金融屋に要求を呑ませる事が出来たのが、この超法規的な王ならではの資産利用が出来たからだった。


 彼等は当初、借金の返済猶予(モラトリアム)も、軍隊の新たな公債購入も渋っていた。

 返済あっての借金であるし、軍の公債を買ったのは亡き黒駒勝蔵が軍を自分の飼い犬とすべく鎖ならぬ借金で縛る為であった。

 借金は返さない、それでいて新たに金を出せ、では逆にこちらが軍の金庫ではないか。

 これに対するリリウオカラニの提案が

「ワイキキは王族の別荘地として使っていますが、王族も減ったりして廃れています。

 ここの開発利権を貴方たちに与えるのと引き換えでどうでしょう?」

 というものであった。

 これは黒駒勝蔵没後、久々に舞い込んで来た大型の案件である。

 その資金は女王や王族が出す為、大儲けになる。

 また、ベルタンが求めていた軍事基地の拡張への出費だが、

「人夫の手配、資材の調達、工事に関わる企業選択で、貴方たちを選ぶように女王から司令官に伝えておきます。

 軍は自給自足が建て前なので、議会による予算審議も、公開入札もありません。

 彼等が認めれば、貴方たちの事業となります」

 要は出した金の結構な割合が、事業として自分たちに帰って来るのだ。

 それならば軍への出費も、低利での返済(逆に言えば長期に渡るつき合いになる)への切り替えも認められる。


「女王陛下、貴方様の手腕は中々のものです。

 いっそうちらのボスになりませんか?」

 そうおべっかを使われたが、

「貴方たちが認めるなら、それもよろしいですよ」

 と答え、図々しさと迫力に裏社会の者たちはかえって喜んだ。


 だが、こういう王権の強さを利用した金策や軍事強化は、民主主義を標榜するアメリカ白人社会からは嫌われる。

 関税法によって苦しむ自分たちの為に、女王の私費を補助金に使うという法案を出したりもした。

 これは下院は通ったが、ハワイ王国派の多い上院では反対多数で通らない。

「個人の資産を国の為に使うならともかく、私人である農園主の為に使わせる法案自体おかしい」

 と文句が出るも、

「農園主はハワイの国民であり、納税者として国の為に貢献して来た。

 こういう時くらいどうにかして助けても良いだろう」

 と反発も出る。


 やがてスティーブンス大使に親しい議員から徐々に、不穏な考えが拡がり始める。


”今の憲法でも王権が強過ぎるから、新憲法を制定すべきである”


”関税法はアメリカ国内と国外で差別されている、ならばハワイがアメリカ国内扱いになるよう手を打とう”


”女王が道徳に反する連中と手を組んでいるのは由々しき事態である。

 女王を廃し新しい王を立てるか、民主化し、ハワイを法治国家として正しい姿に戻そう”


 等等。

 黒駒の罠でイギリスとの裁判に困った農園主、そこからは難を逃れているが関税法によって苦しむ農園主、彼等は再度王国を損なう思考に傾きつつあった。

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