運命のアメリカ大使赴任
後の歴史から言えば、このジョン・L・スティーブンスはこう言えよう。
「最低、最悪の外交官」と。
この男は、最初から独立国ハワイを独断専行で奪おうと考えていた。
そんな男が1889年、ついに辞令を受けてハワイに赴任する。
この男の地位は「特命全権大使」に格上げされていた。
これまでハワイに派遣されていたのは総領事であり、大使であるスティーブンスはそれまでより多くの特権を有する。
はっきり言うと、重大犯罪において大使は不逮捕特権を有するが、総領事は場合によっては逮捕される。
内政干渉というか侵略をしたいスティーブンスにとって、こんな役得はまたと無い。
スティーブンスは赴任前、上司たるジェームズ・G・ブレイン国務長官と話した。
この2人は政治家になる前、共に新聞社を経営した事もある、親しい関係である。
「スティーブンス君、我々は大陸に新天地を失ってしまった」
「はい、閣下」
「私は太平洋こそ新たな新天地になると信じている」
「私も全く同感です」
「具体的には君の赴くハワイの真珠湾とサモアのパゴパゴ港だ。
サモアの方はドイツと争っているから難しいが、何とかしよう。
ハワイの方は君がよろしくやってくれ給え」
「質問があります」
「何かね?」
「私がもしも、ハワイに革命を起こしたとしたなら、これは国務省の規定に触れましょうか?」
「触れるに決まっておるが、解釈次第ではいけると私は思う」
「教えていただきたいです」
「うむ、革命の主体はやはりハワイ在住のアメリカ人でなければならない。
君はそれを手助けしていれば良い。
手助けの理由としては、外敵の存在が欲しいな」
「イギリスが最近は、悪辣な方法でアメリカ人農園主の土地を奪っていると聞きます」
「そうだ! それだよ。
それは実に一大事ではないかね。
大使である君が、居留民を守る為の行動に出ても仕方ないよね」
「恐縮です。
さらにハワイの守護神を気取る日本人を、背後から支援するフランスも危ない存在です」
「そうだそうだ、ハワイには火種が多くある。
如何様にも火を点けられそうだね」
2人は笑う。
「大統領はこの件、どう思うでしょうか?」
前任のクリーブランド大統領は、拡大主義に反対、不干渉主義者であった。
ハワイアン・リーグの蜂起において、彼等に同調しなかったのは大統領の意向も大きく関わっていた。
またクリーブランドは反汚職で有名であり、しばしば汚職で財を築いたとされるブレインを弾劾していた。
ブレインは共和党の大統領候補であったが、クリーブランドの弾劾によって、ついに大統領選出馬は見送られる。
故にブレインはベンジャミン・ハリソンを立てて大統領選を戦い、政敵を打ち破る。
この功績によってブレインは国務長官の職を手に入れた。
このブレインが見込んだハリソン大統領だが……
「彼はアメリカの権力と貿易が太平洋全域に拡大することを望んでおる。
ここまでは私と意見が全く一致している。
しかし、陰謀や暴力、軍事力行使によるものは望んでいない」
「モンロー主義からは抜け出られませんか……」
「だが、彼の外交政策は主に私が立案する。
彼はやがて私の考えに従うだろう。
それに、ハワイの農園主は遠からずアメリカ併合を望むようになるだろう」
「と仰いますと?」
「前任のクリーブランドは関税引き下げ論者だった。
ハワイの砂糖農園主は、関税ゼロの恩恵で大貴族のような富を得ていた。
だが、今は国内産業保護の為に関税を引き上げようとしている」
この関税引き上げは、ウィリアム・マッキンリー議員が積極的に推し進めている。
ハワイが外国である以上、関税の対象となる。
故に「アメリカ合衆国の一部であれば、関税は適用されない」という考えが広まれば、ハワイの農園主は諸手を上げて併合に靡くであろう。
「君には期待している。
何としても太平洋に我々アメリカ合衆国の足掛かりを作るのだ」
「お任せ下さい。
ハワイはアメリカに併合されるべきと、私は長年考え、計画も練っていました。
優秀な協力者もいます。
我々の手で、アメリカを世界の大国にしましょうぞ!」
「そうだ、『拡張こそ我が天命』だ。
神によって拡大を義務付けられた合衆国は、手を休めてはならないのだ!」
1889年、スティーブンスはハワイ王国に着任する。
全権大使という事で、国王と面会し、信任状を手渡す。
カラカウアはホノルルに戻り、イオラニ宮殿で行事に臨んだ。
(この男がデーヴィッド・カラカウアか……)
サンフォード・ドールに人となりは聞いていた。
陽気な男で、呑気に見えるが意外な政治センスがあり侮れない、ドールは最後の最後でカラカウアの柔軟な民主主義取り入れに敗れたと言っていた。
だが……
(この男、余り先が長くないのではないか?)
中年太りの体型ではあるが、どうも内臓を痛めた病人のような容貌にも見える。
時折咳込み、それがすぐには止まらない時もある。
(フフフ……)
スティーブンスは心の中で笑った。
(サンフォード・ドールは親友であり、命の恩人であるカラカウアが生きている内は陰謀に加担出来ないと言っていた。
なあに、数年待てばこの男は死ぬ。
死なぬでも、毒を飲ませれば病死したと誰もが疑わぬであろう。
ドールを再びハワイに呼び寄せ、革命を起こす日はそう遠くないだろう)
陰謀を企んでいる事をおくびにも出さず、新任大使は宮殿を退去した。
その足で彼は、議会を守るホノルル・ライフルズのアシュフォード大佐に会う。
アシュフォードは優秀な指揮官だった。
だが、陰謀へは加担せず、民主主義や腐敗撲滅の為にのみ戦い、先日の内戦後の講和会議では「併合を否定する国王の拒否権を残す新憲法」に賛成していた。
スティーブンスは肚の底は見せぬまま、アシュフォードに探りを入れてみた。
「君は優秀な軍人と聞いた。
2年前の内戦で、君の部隊はついに負けなかったとも聞いたよ」
「そのように言われ、光栄です」
「君のような優秀な軍人なら、本国で軍務に就いてもおかしくない。
どうだろう?
推薦状を書こうか?
私は大統領選挙で功績を上げたし、最大の功労者にもコネクションがある。
君が望むなら、陸軍の然るべき地位を用意させたいのだが」
「有難い申し出ですが、私は今の地位でしばらく働きたいと思っております」
「ほお、何故かね?」
「私は2年前、この国を良くするべく蜂起しました。
民主主義の守護と腐敗した王政の打破、それが為されなければ命を落とす事も考えていました。
蜂起には失敗し、私は処刑される事も覚悟していました。
しかし、王は自ら反省し、民主主義への回帰を約束し、新憲法を認めました。
私たちは誰も新たに処刑される事もありませんでした。
素晴らしい王だ、とまでは言いませんが、私は王に借りがあり、返さなければならない、そう思っています」
「成る程ね、君は義理堅いのだね。
いや、つまらない事を言った、忘れてくれ給え」
そう言ってアシュフォードと別れたスティーブンスは、心の中で
(事を起こす時は、あの男は追い出さねばならぬ)
と決めていた。
数日後、アポイントメントを取ってスティーブンスは「ハワイの守護神」榎本武揚と会談した。
本音では日本人等見下しているのだが……。
「海軍長官は随分と国際センスがあると聞いています。
お会い出来て光栄です」
そう持ちあげる。
「そう言っていただき、真に恐縮です。
私がヨーロッパに留学したのはもう20年以上も前の事ですから、私のセンスには黴が生えていないか、気になるところです」
「海軍長官、私は69歳の老人ですよ。
黴が生えたような古さの方が、馴染み深いものです」
「ハハハ、そうは見えません、貴方はまだ十分若々しい。
新たに何かを始めようという、そういう気概に満ちていますね。
私もそれにあやかりたいものです」
一瞬スティーブンスはドキリとする。
(新たに何かを始めようとする、だと?)
確かに彼は、今までの外交の常識ではあり得ない事を新たに始めようとしていたのだ。
(だが、真意まで読み取れる訳は無かろう)
スティーブンスはその後、当たり障りのない話に終始した後、ホノルル港に停泊中の3隻の軍艦の見学を申し入れる。
榎本は快諾し、自ら大使を軍港に連れ出す。
裏表の無い態度にスティーブンスは
(鋭いとこもあるかもしれないが、この男は御しやすいだろう)
と判断していた。
スティーブンスが帰った後、榎本は近くで見ていたジョン万次郎に感想を聞いてみた。
万次郎は直感ですが、と前置きしつつ
「ありゃあ食わせもんぜよ。
目が絶えず動き、特に軍艦よりも軍港を見ていたがぜ。
儂も明治新政府に仕えておった時、あんな食わせもんの外交官は見て来たキニ。
榎本さん、お前の事も品定めするように見ちょったがよ。
まあお前も分かって馬鹿っぽく振る舞っちょったの」
「なんだ、万次郎先生、俺の演技に気付いてたんですか。
あいつは気づいていましたかね?」
万次郎は首を振り、
「お前さぁが裏も表も無い男じゃチ思って、ニヤついちょった。
可能ならこのまま騙し続けるが良か思うの」
榎本は頷き、白人たちの前ではキレ者らしさを隠そうと決意した。
一方で
(そういう芝居をするなら、やはり別な人を上に立てておきたいな。
上が愚鈍だと日本人全体が馬鹿にされるやもしれん)
そう考えていた。




