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新世代移民層

(はじめ)さん」

 解散した新撰組二番隊長原田左之助が、同一番隊長藤田五郎を呼び止める。

 何度言っても今の名の「藤田五郎」ではなく京都時代の「斎藤一」で呼んで来る為、今更訂正もしない。

(はじめ)さんもハワイを出て行くんですか?」

「ああ、新撰組の役割は終わった。

 本当はまだ終わっていないように思うが、もう年齢も年齢だ。

 次は役に立たんだろう。

 会津様も帰国なさるし、妻の実家からも戻って欲しいという便りがあった」

 藤田五郎の妻、高木時尾の兄の高木盛之輔はハワイには渡らず、斗南に残った。

 その後西南戦争に従軍し、現在は検察官として各地の地方裁判所に異動しながら勤務している。

 彼は戊辰戦争の際、自身が処刑される事も覚悟の上で謹慎所を脱出し、官軍に主君への寛大な措置を嘆願した過去がある。

 その高木盛之輔から

「御主君が戻られるのなら、貴君も戻られるが良い。

 長年のご奉公に敬意を表する」

 という手紙が来た為、妻と相談して帰国を決めたという。


「原田もこの国を出るのだろう?

 だが、帰国ではないと聞くが?」


 原田左之助は笑いながらとんでもない事を言い出す。

「俺はアメリカに行く。

 ずっとそこに住む訳ではなく、南米に渡ったり、欧州に行ったりもしたい」

「行って、何をするのか?」

「面白い事」

「面白い事?」

 原田はため息をつく。

「もう土方さんにはガッカリだよ。

 なんで俺も一緒に連れて行ってくれねえのかな。

 生き残っちまった以上、もうこの国で面白い事は出来そうにない。

 だから世界各地を回って、面白い事をすると決めたよ」

「……そ、そうか……」

 無頼っぽく見えるが会津への忠誠が強い藤田は、原田の自由さを一部理解出来ない。

 だが、誰も彼もが自分と同じ道を歩まずとも、それはそれで面白い。

「また、会えるか?」

「おう! その内欧州からロシアを横断して、清国、朝鮮に行くかもしれねえ。

 そうしたら日本も訪ねてみるよ」

(帰る、ではなく、訪ねるなのか)

 藤田は苦笑しながらも、お互いの壮健を願った。


 帰る者もいれば、来る者もいる。

 1884年より官制移民が決まり、日系移民が次々とハワイにやって来た。

 1年辺り約5千人、この5年で2万5千人がハワイに移民した。

 さらにハワイにウクレレをもたらしたポルトガル系移民も1万7千人住み着いた。

 ハワイは病院の整備、医師の増加、医師が現地ハワイ人も差別せず治療するようになった事から人口の減少が止まり、人口16万人となる。

 そこに日系、ポルトガル系の移民を加えて20万人を超えるようになった。

 それでもカメハメハ大王時代の40万人と比べたら半分程度だ。


 一方でハワイ政府は、中華系の移民を制限し始めた。

 移民数は多いが、農園への定着率が悪く、都市に出て別な職業を始める為、砂糖輸出が経済の核の1つであるハワイにとってあまり好ましい移民ではなくなったからだ。

 ……密入国は相変わらずあり、ラハイナの元黒駒一家がそれに関わっているとされる。

 ハワイに居る実数は不明である。


 新世代の日系移民は、旧幕府勢力と馴染まなかった。

 彼等は、未だに月代を剃り、大小を腰に差して歩く侍が威張っているのを見て驚いた。

 新聞で侍の生き残りが、刀を振るってバッタバッタと異人を倒す様を、読んでいる内は痛快であったが、いざ接してみると嫌悪感しか覚えない。

 武士側は別に威張ったり、差別意識を出してはいない。

 彼等の普通の態度で接しただけだ。


「待て! その方見ぬ顔じゃが、前より居った者か?」

「(ムカッ)いいえ、最近移民して来ましたが」

「左様か、よし、励むが良い」

 このようなやり取りだが、旧幕臣は以前に不良旗本が町辻を荒らしたり、暴動を起こした経緯も有って、身元確認と、それが済んだ後に「頑張ってね」と言ってるに過ぎない。

 しかし経緯とかを知らない新世代の日系人は、明治のこの時代にとっくに廃れた侍が、ふんぞり返りながら誰何して来て、「励め!」なんて言われて腹立たしい。

(あんたのお仲間は東京で人力車曳いて、かつての町人に雇われて働いてるんだ!

 そんな程度の連中な癖に、威張り腐りやがって!)

 と思うが、口に出せばきっと本気で抜いて来る、そう思うから適当にあしらう。

 江戸時代ですら「斬り捨て御免」は一大事であり、簡単に刀を抜く事は無かった。

 ましてハワイでそんな事したら、以前は新撰組に取り締まられた。

 現在彼等は農業、商業の事務方をしており、身分証明書代わりに大小を差しているに過ぎないが、それこそ新世代移民は知った事じゃない。

 かくして約2万5千人の日系移民の内、2万人はあえてアメリカ白人農園主の下で、時に人種差別や内戦時の恨みのはけ口、低賃金でこき使われるのを我慢して働く事を選んだ。

 約5千人は、同じ日系人として旧幕臣を頼っている。


「我々の方が待遇は良いのになあ」

 と老齢で足腰の弱った元幕府若年寄・永井主水は嘆く。

 武士の内、壮健で戦いを欲する者は陸軍や海軍に入った。

 旗本集合農場や林家の農園で勤める武士は、武芸の心得こそあれど、基本は文官である。

 役所への書類提出、税務、勤怠管理、出納管理、作物の取引における責任者という仕事を任されている。

 その家臣、所謂いわゆ陪臣(またもの)と呼ばれる者の中には、大小を差す事だけが武士の証で、実際には農園で農作業をしている者もいる。

 これは江戸時代の武家屋敷の時から、家禄だけでは賄い切れず、陪臣は密かに屋敷内の畑で野菜を育て、台所の足しにしたりした為、特に格下げされたとは思っていない。

(これで日本なら、(トイレ)(しも)も農家が肥を作る為に買い付けに来たものだが……)

 とハワイではその収入が無い事を嘆く。

 そんな感じで、ごく自然な江戸時代が残っていたのだが、新天地を夢見てやって来た若い世代は

「時代遅れの侍に仕えて、人とも言えぬ扱いを受けるより、まだ白人の方がマシだ」

 と考えているのだった。


 そんな訳で、

「お殿様とか懐かしい。

 明治になってからの方が税の取り立てが厳しいぞ。

 お殿様に年貢納めていた時の方が、余程楽じゃったわい」

 という初老以上の者がいる家庭が、幕臣農場を頼る。

 全体に比べれば数は少ないが、それでも明治二年に旧幕臣が渡った時の約二万人を、新世代移民は既に人数では超えている。

しかもまだ増え続ける勢いであり、今は約五千人を引き受け、様々な仕事をさせている旗本農場だが、さらに増えるとなると手狭になって来た。


「一部は酒井殿や桑名殿、会津の若殿にも頼むつもりじゃが、何とか農場そのものを増やす手は無いものかの?」

 永井主水は榎本武揚に会って相談する。

 榎本は最早軍人・官吏であり、農場経営等の相談をされても困った。

 黒駒勝蔵が生きていたら、奴は人を使うのが上手いし、何等かの形で土地やら漁場やらを持っていたから頼りになったのだが……。

「陸海軍に入る気は無いでしょうか?

 うちは何時でも人手不足なんですが」

「無い。

 むしろ明治政府のそういうのが嫌いでこっちに来たとこがある」

「うーーーむ……」

 ジョン万次郎が口を挟む。

 ジョン万次郎こと中浜万次郎は幕府軍艦操練所教授として永井主水と面識が有った。

「この国では、アメリカ以外の外国に土地を売るのは禁止されてますキニ」

 1875年の米布互恵条約でそのように決められた。

 既に土地所有をしている者の土地はそのままだが、買い足す事は難しくなった。

 永井らはまだ日本国籍を放棄していない為、外国人への土地売却となり、法に抵触する。

「それは儂も存じておる」

「ほじゃき、売る買うではのうて、借りる貸すではどうですろうか?」

「なんと?」

「土地の所有者はアメリカ人で良いキニ、賃料払って農地使わせて下さいチ言えば良いがの。

 どうも先の内戦で併合派に与した者は、何でかイギリスからえろお、取立てを受けちゅう聞きます。

 その中で土地を売ろうにも買い手のつかない者を探し、借りたい、銭ば払うチ頼んだら向こうも喜びますろ」

「成る程な。

 流石は中浜先生、参考になり申した。

 用人(旗本の家老的存在)に申し付けて、そのような農園が無いか調べてみるとしよう」


 用が済んだ永井を榎本が見送る。

 その際に榎本は相談を持ち掛けてみた。

「永井殿、(それがし)は尊公らの農園ではどのように言われておりますか?」

「どのように、とは?」

「先の内戦において、甘いとか、腑抜けとか」

「左様囁かれておるぞ。

 全く、外国との交渉経験が無い者は無責任で良いのお」

 永井は安政の大獄以前に外国奉行として外交経験があり、榎本の苦労は察していた。

「永井殿は何故(なにゆえ)(それがし)をお訪ねなされた?」

「その方は蝦夷共和国以来の我等が棟梁ではないか。

 今更何を申しておる?」

「それなのですが、外国と交渉をし、時に腑抜けだの甘いだのと言われる約定を結ぶ者が棟梁でよろしいのでしょうか?」

 永井は足を止める。

「難しい話よな……」

 永井は三十年近く昔を思い出す。

 当時江戸幕府には永井の他、岩瀬忠震、水野忠徳、堀利熙といった秀才が外国奉行を勤めていた。

 奉行は外国と交渉して何とか有利な条約締結に漕ぎ付けた。

 しかし建前として、武家の頭領にして大政を委託された征夷大将軍は「条約締結に関わっていない」のである。

 そもそも外国と条約を結ぶ事自体を、京の朝廷は認めてなく、朝廷との関係を重視する幕府も「あれは奉行が勝手に結んだ条約であり、いずれは破約する」と言って辻褄を合わせていた。

 それ故に、勝手な条約締結の責任を取らされ、隠居謹慎となったり、堀利熙に至っては「ドイツ連邦1国との条約なのか、それともプロイセン・ザクセン・バイエルン等39ヶ国との条約なのか」という議論から条約締結直前に切腹した例もあった。

 このように上に責任無く、下が全ての責任を負う制度は危険であったりする。

 しかし、上が直接責任を負わない事で、忠誠を保ち続ける事も出来る。

 将軍の下では辣腕を振るえたが、いざ実行者である自分が忠誠の対象である将軍と一体となった徳川慶喜の時、どのような考えが有ったか知らないが、鳥羽伏見の敗戦後の彼の戦場離脱は幕府軍を瓦解させてしまった。

 将軍に無理やり連れ出された形の会津松平容保は藩士たちの忠義を繋ぎ得たが、それでも「殿を連れ去るのに協力した」として家老の神保修理が腹を切らされた。

日本は古来、帝の下で摂関、鎌倉殿の下で執権、足利将軍の下で管領、徳川将軍家の下で老中が政治をして、落ち着いていた。

ペリー来航の癸丑以来の国難で、権威と権力が一体化した体制を望んで十四代将軍職を巡る一橋・南紀騒動が起きたりしたが、結局大老も望まれた将軍慶喜公も上手く出来なかった。

独裁者となれる者がいない。

織田信長公、豊太閤、そして大権現様は歴史の奇蹟なのだ。

明治新政府とて、帝の下で政治を内務卿なり内閣総理大臣なりがしている。

幕末の頃とて、家臣より秀で、先見性を持って自ら政治を行えたのは薩摩の島津斉彬殿、佐賀の鍋島閑叟殿しかいなかった。

優れた実務者と、忠誠を集める存在とは、両立が難しいのかもしれない。


「そなたが悩む事はよく理解出来た」

 再び永井が歩き出した。

「近頃来た日本人たちからしたら、更に古臭いやり方かも知れぬが、お血筋に頼るというのはどうかな?」

「お血筋?」

「我等は元は徳川の家臣。

 徳川家のお血筋の者を名目上の棟梁として、そこもとはその下で実務を行えば良い」

「はあ……、しかし今更徳川家とは……」

「ハワイ王国の王族でも良いぞ。

 鎌倉の頃は、親王を迎えて公方としておった。

 王族将軍という形を取るのも良いやも知れん」

「ご意見、忝く存じます。

 しばし考え、良き手立てを取りたいと思います」

「榎本」

「はい」

「このハワイにおいて、徳川の血筋の末席に連なるのは桑名殿と会津の若殿になろう。

 会津殿は年も若く、政治向きの話は出来ないから、桑名殿とよく語るが良い。

 会津中将ならば最も良かったやも知れぬが、帰国された以上言っても詮無き事じゃ。

 こういう話を桑名殿とした事は今迄に無かっただろ?」

 榎本は黙って頷いた。


 永井が帰った後、榎本は書類棚を探し始める。

 そして、かつて土方歳三が日本から持ち帰った、大村益次郎の口述をまとめた手記を引っ張り出し、熟読し始めた。

「『幕藩体制も間違いではない』か……」


新世代日系人について。

自分は一回切りの良いとこで話を終えるつもりですが、全体の構想と資料と次回作がどうにかなった辺りで、第2部として続編を考えてます。

幕府がどうなるかのネタバレは避けますが、時代的には第442独立歩兵戦闘団です。

この時、アメリカ陸軍として日系人部隊に入るのが、新世代日系人の子孫になります。

旧世代日系人こと幕臣の子孫ですが、こっちはフランスと縁が深いので、北アフリカにいるか、ノルマンディーにいるか…。

ま、次の大風呂敷広げる前に、今広げてる大風呂敷を破綻しない内に畳む予定です。

第1部終わって、次書きたい小説を書いて、まだ気力があったら第2部いきます。

てな訳で、新世代日系人は旧幕臣とは相容れない存在、お互い気にはするが別々に生きる存在となります。

新世代日系人が来ても、旧幕臣勢力は強化されませんので(そっちからの登場人物も増やす予定無し)。

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