黒駒勝蔵の陥穽
ラハイナの暴動から1年が過ぎようとしていた。
その男はラハイナの暴動において、ハワイアン・リーグ側に加担していた。
直接戦闘をしてはいないが、資金や武器の供与、隠れ家の提供等をしていた。
暴動を契機とした陰謀が失敗に終わった後、彼は戦々恐々としていたのだが、無罪放免になるという情報を得て出頭する。
ラハイナ裁判所の簡易裁判で「現在抵抗していない者は無罪扱いとする」とされ、その後「形式的には罪を認めて貰う事になるが、そうすれば財産没収どころか科料もしない」という司法取引があり、彼は全てを話した。
そしてこの1年、攻撃を受ける事も無く、平穏な日々を過ごす。
ラハイナは焼かれたホテルや倉庫の再建で活況であった。
その男はもう過ぎ去った事として忘れ去ろうとしていた。
……そこに奴がやって来た。
「私は大英帝国の保険請負組合ロイズに雇われた弁護士です」
「はあ?」
「昨年のラハイナ暴動について、貴方は告発されます」
「待て! 自分は無罪放免な筈だ。
財産には一切手出しをしないという、ハワイ王国政府及びラハイナ知事による書類を受け取っている。
あれは嘘だと言うのか?」
「さて、貴方とハワイ政府の話は我々は存じません。
私はロイズに雇われたのです。
ロイズの仕組みは御存じですか?」
「知るか!」
「焼き討ちされたホテルは、ミスター黒駒の勧めで保険に加入していました。
この保険は、採算や妥当性を判断した後、保険請負人、具体的に言えばそれだけの資金を出資出来る貴族が請け負うものです。
そのホテルはあらゆる基準を満たし、十分な物件として、とある貴族によって保険請負がされました」
「それで?」
「十分な物件だったのに、内戦によって焼き討ちされ、彼は保険金を出す事になりました。
ランクが高かったので、出費も相当な額になりました。
そこでその貴族は、一体どうしてそのような事になったのかを調査しました。
すると、貴方が関与していた事が分かりました。
なので貴方に対し、損害賠償の訴訟を起こします」
「知らない! 自分は知らないぞ」
「はて?
私はとある筋から、貴方がラハイナ裁判所で語った調書を手に入れているのですよ。
その写しがありますが、ご覧になりますか?」
「う…………。
……だが……こんな書類は適当に作れるのではないか?」
「では証言が必要ですかね。
この写真の男をご存知ですよね?」
「………し……知らない、誰だこの男は?」
「貴方が暴動前に匿っていた男なんですが、それを知らないとは不思議な事です。
直接会ってお話ししますか?
きっと思い出すと思いますよ」
「……この男は、今どこにいるのだ?」
「荒っぽいやり方ではありますが、身柄は確保しました。
我々との取引に応じてくれて、証言をしてくれると言っています」
「…………」
「おや、黙ってしまいましたね。
では、損害賠償の内容についてお話ししましょうか」
書類を見せられ、男は愕然とした。
「こんな額、払える訳がないだろう?」
「いいえ、払えます。
貴方がハワイ王国に持っている全財産と、アメリカ合衆国に残している資産を合わせれば、少し足りない程度ですが、満足のいく額は支払う事が出来ます。
残余は貸しにしておきますので、働いてまた払って下さい」
「嘘だ、そんな財産を自分は持っていない」
「ロイズをナメないでいただきたい。
1年も時間が有ったので、十分に調べは済んでいます。
我々としては、貴方が処罰を受けて財産を没収されたり目減りしている事を恐れていましたが、幸いにも僅かな科料しか求められなかったとか。
実に素晴らしい事です。
貴方には支払い能力があるのですから」
「そんな事まで知っているのか?」
「ええ、ある筋からの協力も得られましたし」
「どこだ? 政府か?」
「協力者については秘密遵守が基本です」
「酷過ぎる、こちらも弁護士を立てる。
自分は法で戦うぞ!」
「その方が我々もやりやすいので、是非そうして下さい。
あと、老婆心ながらお伝えしておきます。
もしも法で無く実力で戦う、先年の暴動のような事をすると仰るなら、大英帝国は軍を動かす用意が出来ていますので、そちらでも良いですよ」
「馬鹿な、たかだか保険の事で軍が動くか!」
「イギリス人に損害を与えたわけですからね。
それで支払いにも応じず、踏み倒すなら軍は動きますよ」
「これは自分にとっては絶望的な金額だが、国としてみたらはした金ではないか。
それでも軍が動くとか、ホラ話もいい加減にしたらどうだ」
「貴方1人の事ならそうですが、今回の暴動は貴方1人の事ではないですからね。
複数の保険請負人が莫大な損害を出した以上、きちんとケジメはつけて貰います。
お仲間がいっぱい居たのでしょう?
そして全員無罪放免で、弁済能力を持っていますね」
「…………」
「どうやら一言も無いようですね。
では訴訟の手続きに入りますので、法廷でお会いしましょう。
あと、政府に働きかけて旅券は停止させて貰いますので、海外に逃げよう等と思わないように」
「ひとつ聞いても良いか?」
「何でしょうか?」
「我々が無罪放免、一切の資産没収無しという判決になるよう働きかけたのは、もしかして君たちなのか?」
「お答え出来ません」
「そうなんだな?」
「だとしたらどうします?
アメリカ総領事館にでも駆け込みますか?」
イギリスが本腰を入れて動いているなら、今のアメリカでも手出しを出来ない事をこの男も知っている。
その男はガックリと肩を落とした。
ハワイ王国に派遣された弁護士は1人ではない。
ハワイ島、マウイ島、オアフ島のハワイアン・リーグ加盟農園主の元を訪れ、証拠があると言った上で損害賠償訴訟を起こすと通達して歩いていた。
そんな弁護士の内の1人が、黒駒勝蔵のオフィスを訪れる。
「お疲れさん。
大変でしたろう?」
「いえいえ、田舎臭いアメリカ人等、落とすのは簡単でした。
それで、土地のお買取りについてですが……」
ハワイ王国は「アメリカ以外の外国に土地を売ってはいけない」とアメリカとの互恵条約で定められた。
そこで彼等農園主は、同じハワイの国民相手に土地を売り、現金に換えないと支払いが出来ない。
そこに黒駒勝蔵は自分の手下を入れようとしている。
日本人だと企みがバレるし、何より連れて来たヤクザの中に頭のキレるのはいない。
だが最近手下に加わったイタリア人(シチリア人)を使えば良い。
シシリアン・マフィアの本命はアメリカであり、当然身内にアメリカ国籍を持つ者もいる。
白人対白人で土地の買い取りも上手く運ぶ。
買い取った後は国内で転売して元を取れば良い。
相続という「土地売買」ではない手段もあるし、国籍ロンダリングという手もあり、その辺はシシリアンのお手の物だ。
金に困っている以上、安く買い叩いて、その後土地の値段が上昇する何かを仕掛けて上昇したところで売りに出すという手もある。
善意でするならば、現地ハワイ人を集めて集団で金を出させて、土地を買い戻させても良い。
無論マウイ島のハワイ人なんかは、最近は羽振りが良くなったとは言え、それでも白人の広大な土地を買い戻す程の財産は持っていない。
だから彼等にも貸す。
これは低利子でも良い。
ただ、土地活用について口出しする権利を残す。
経営の仕方を教えないと、土地を買い戻してもただのタロイモ畑を作ったり、焼き畑農業をするだけかもしれない。
黒駒一家で使いたい物件もあるし、土地の所有者は誰でも良いが、使用権は残しておきたい。
全ては勝蔵が描いたロードマップ通りに事が進んだのだ。
彼が念入りに首謀者であろうと無闇に傷つけるな、財産を没収するなと榎本やカラカウアに訴えたのも、弁済能力を残す為であった。
白人の財産保護が確認出来た後、拙速にでも保険を引き出させ復興事業を始めたのも、実際に「損害が出た」という形式を作る為であった。
勝蔵が新撰組粛清を榎本やカラカウアに唆したのは、この進行を妨害する可能性があったからだ。
土方が死んで新撰組も解散し、全ては勝蔵の思い通りに運んだ
……かに見えた。
「忙しそうじゃの、ヤクザ……」
「おう、神代先生。
ま、ま、こちらへどうぞ」
「相変わらず毛唐相手に金儲けか?」
「出自が何者であろうが、金は金ずら」
「そんなに金を貯めて、お主は何をするのか?」
「博徒がする事は、賭場を大きくする、それだけじゃ」
「榎本や大鳥はどうする?」
「土方という狼が居なくなった以上、あん人らは俺らの飼い犬じゃ。
賭場の用心棒じゃ。
去年のようにアメリカとか違う国とかがチョッカイ出して来たら、追っ払って貰わねえとならねえ」
「そうか……」
どんなに「ラハイナの影の帝王」や「ハワイの裏経済の支配者」と囁かれていても、黒駒勝蔵の本質は日本時代から変わっていなかった。
そして神代直人の本質もまた、変わっていなかった。
刹那の間、神代は刀を抜き放ち黒駒勝蔵の頸動脈を斬った。
「な、何が?」
そう、何が起きたのか理解出来ないまま、勝蔵は椅子から崩れ落ち、自ら作った血溜まりの中に沈んだ。
(そうか、俺らはこの男に斬られたのか。
でも何故??)
神代直人は倒れたヤクザの大親分を見下ろすと一言
「天誅」
と言った。




