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分かりやすい性的魅力で男性を凋落させる女性を悪女だと言う人がいる
権力を翳して自分より弱い立場の人間を詆るような女性を悪女だと言う人もいる
しかし、本当の悪女というのは、虫も殺さぬような清らかな顔をして、自分の手を汚すことなく、狙った相手を陥れるような人のことを言うのだと思う
どのような悪辣なことをしても、加害者として糾弾されるような愚かな真似はしない
むしろ、悪女だと認識されることすらない
ひたすら清らかで、ひたすら可憐で、決して裏の顔を悟られたりしない、そんな人物のことを本当の悪女と言うのだろう
「テレーズ・ド・マンシーニ、君との婚約は解消させてもらう」
ビシッとこちらを指差して居丈高に言う私の婚約者の声に、会場は一斉に静まり返った
貴族の子弟が通う学園で行われている、卒業記念パーティーの最中の出来事だった
私の婚約者であるリュシアン殿下は、この国の第一皇子
いずれは王の座に就くお方だ
彼の周囲には数人の有力貴族の子息たちが立ち並び、彼の背中に隠れるように立つ愛らしい一人の少女の姿も見える
「なぜ婚約を解消なさりたいのですか?」
私は、穏やかに尋ねた
「なぜ、と問うか!?ここにいるマルグリット嬢に対する数々の非道な仕打ちを、まさか身に覚えがないと言うつもりではないだろうな!?」
激昂して叫ぶ殿下に、私は小さくため息をつく
非道の仕打ちとは、なんのことを言うのだろう?
婚約者のいる男性と親しくしていることを諌めたこと?
お茶会に出席したときに下位の男爵令嬢の身でありながら、一番上座に座ったのを咎めたこと?
それとも、私という婚約者のいるリュシアン殿下に、なにかと纏わりつくのをやめて欲しいとお願いしたことかしら?
それを非道の仕打ちと言うのなら、いま貴方がしていることの方が余程非道ではないですか
そう言いたい気持ちを、私はぐっと堪えた
卒業記念パーティーという晴れやかな場で、周りに取り巻きを従えて、事実確認もせずに一方的に断罪することは非道とは言わないのかと
婚約破棄をしたいなら、呼び出してそう告げれば良かったのではないか
好きな人ができたから婚約を解消したいと、ただそう言えば
このような衆目に晒されるような場所で、婚約者であった私を辱める必要があったというのだろうか?
…いえ、その必要はあったわね
私は薄く笑った
「何がおかしい!?」
それが気に障ったのか、殿下はいきり立って叫ぶ
だって、これはショーなのだもの
正義のヒーローであるリュシアン殿下が、幼気で無垢なマルグリット嬢を、悪役令嬢である私から救い出し、真実の愛を貫いて晴れて結ばれるという筋書きの物語
真実は、浮気男が邪魔な婚約者を排除して、加害者にされずに浮気相手と結ばれるための安っぽいショーでしかないというのに
騙されてくれる人が、果たして何人いることだろう
「衛兵!これへ!この女を捕らえよ!」
殿下の声に、数人の衛兵が会場に雪崩れ込んでくる
静まり返っていた会場が、とたんにざわつき始めた
ーこのようなことで捕縛?
ーいったい、殿下は何を考えているんだ?
非難の目を向けられた殿下は、僅かに狼狽えたようだ
もともと、会場は私に対して同情的だった
マルグリット嬢のおかげで険悪になったり、婚約破棄になった人たちは多い
有力貴族の子息にベタベタと纏わりつくマルグリット嬢は、女性のみならず一部の男性からも眉を顰められていた
それでなくとも、婚約者のいる第一皇子と人目も憚らず派手にイチャつく男爵令嬢は、冷たい目で周囲から見られていたのだ
それに気がついていなかったのは、当の本人たちだけだったのである
「婚約者をエスコートするために、衛兵を呼ぶのは無粋すぎませんか、殿下?」
穏やかな声とともに衛兵の後ろから現れたのは、宰相のベルナルド氏だった
ベルナルド氏の登場に会場の空気が少し緩む
このまま私が連行されて行くのを、何も出来ず見送らなくて済みそうだという安堵の表情が皆んなの顔に浮かんでいる
「この女が、マルグリット嬢を陥れようとしたのだ」
「ほう、例えばどのようにして?」
憎々しげに顔を歪めて私を指差すリュシアン殿下に、あくまでも穏やかに問い掛けるベルナルド氏
彼の問い掛けに、殿下は言い淀む
「テレーズ様は、衛兵に連行させなければならないほどの罪を犯したのでしょう?果たしてそれは、どのような罪なのですか?」
「だから…それは…この女が嫉妬にかられて、マルグリット嬢を陥れようとしたから…」
「では、マルグリット嬢は、陥れられてどのような被害を被ったのですかな?」
顎髭を撫でながら、ベルナルド氏が問い掛ける
「さる令嬢のなくしたネックレスをマルグリットが持っていたとか、別の令嬢の婚約者を略奪したとか、根も葉もない噂話を流されたのだ!この女に!」
きっとこちらを見据えて怒鳴る殿下を、ベルナルド氏は表情を変えずに眺めている
確かに、それらの噂話は社交界で持ちきりになっている
ただし、根も葉もある話である
リーリエ様のなくしたネックレスは、今まさにマルグリット嬢の首で煌いているし、ジョアンナ様の元婚約者は、マルグリット嬢の横で彼女を守るように立っているのだから
私は再度ため息をつく
このような愚かな人たちに陥れられて、自分や家名を辱められるのはお断りである
何も手を打ってないと思ったら、大間違いだ
「失礼ですが、テレーズ様は、嫉妬にかられて他人を貶めるような噂話を流す人ではありません。彼女は、実に高潔な方ですよ」
「世迷言を言うな!なぜこの女が高潔などと言い切れるのだ!」
「…殿下にはお話しておりませなんだが、一度テレーズ様が私の執務室にご相談に見えたことがあったのです。殿下との婚約を解消することはできないかと」
ベルナルド氏の言葉に、目に見えて動揺するリュシアン殿下
まさか、私の方から婚約解消をしたいと言い出していたとは、思ってもみなかったのだろう
そんな事実があったとすれば、私が嫉妬にかられてマルグリット嬢を陥れようとしたという言い分が通用しなくなってしまう
「仲睦まじい殿下とマルグリット嬢の様子をお見かけして、自分は身を引いた方が良いのではないかと。その方が殿下がお幸せになれるのではないかと。そう言って来られたのです」
「そんな…まさか…」
殿下は、受け入れ難い様子でこちらを見やる
愛しいマルグリットを悪女から守ってハッピーエンドを迎える予定が、悪女役の筈だった私が裏で身を引く宣言をしていたとあっては、予定が台無しですものね
殿下の後ろにいるマルグリット嬢は、明らかにご不満な様子でこちらを睨んでいる
「そして、私はその提案を却下いたしました。 由緒正しき公爵家のご令嬢であらせられるテレーズ様は、殿下の婚約者に内定した幼少の頃より厳しいお妃教育を受けて来られました。今では、内政にも外交にも精通し、すぐにでもご公務を務められるほどの知識をお持ちです。それに比べてマルグリット嬢は、平民上がりの男爵令嬢。ご公務どころか貴族社会でのマナーも怪しい体たらく。そのような人物に王妃の座を与えることはできない、と」
「そんな…ひどい…」
目に涙を浮かべて俯くマルグリット嬢を見て、殿下とその取り巻きはいきり立った
「マルグリットを侮辱すると許さんぞ、ベルナルド!」
「事実を言っただけで侮辱になるとは知りませんでした。これしきのことで狼狽えられては、後を続けるのが難しくなりますなぁ」
「貴様、この上まだマルグリットを侮辱するつもりなのか!?」
「私は、事実をお伝えしたいだけですよ、殿下」
ベルナルド氏は、それまでの穏やかな物言いをやめて、ひたと殿下を見据えた
「私が、婚約破棄の提案を却下すると、テレーズ様はこう仰いました。王妃にすることが適わないのならば、寵妃として迎え入れることはできるかと」
「…その手があったのか」
殿下の顔が、目に見えて嬉しそうになる
本当は、自分でも分かっていたのだろう
平民上がりの男爵令嬢では、王妃という立場には荷が重いと
しかし、ベルナルド氏は厳しい表情を崩さない
「王妃としての責務は自分が負うので、殿下の子を産み育て、殿下と暖かい家庭を築いて殿下を幸せにするお役目をマルグリット嬢にして欲しいと。揉め事になっては困るから、自分は殿下との御子は望まないと、そう仰ったのですぞ!」
「なんだ、それならなんの問題もないじゃないか。色々と思うところはあるが、執政者としては寛大であることも必要だ。お前の罪を許そう、テレーズ」
目に見えてほっとした様子で私に向き直った殿下に、ベルナルド氏の堪忍袋はついに爆発したようだ
「殿下は、テレーズ様の真心が分からないのですか!?王妃としての責務だけを負い、母となる幸せも家庭を持つ喜びすらも放棄して、只々貴方の幸せだけをと願う彼女の気持ちを知っても、あなたは何も感じないのですか!?」
「良いのです、ベルナルド様。王族の方が安寧に過ごされることが国家にとっての幸せでございます。殿下の婚約者として内定したときから、この身は王国に捧げたものと思ってまいりました。ですから…もうよいのです。私の幸せなど、国家の安定のためには、取るに足らない細やかなことなのですから」
「しかし、テレーズ様」
目を伏せた私に、ベルナルド氏の殿下への怒りは、更に倍増したようだ
会場の人々の殿下に向ける目も、怒気を孕んだものになってきている
そんな不穏な様子に、殿下とその取り巻き方は気付く様子もない
特にマルグリット嬢は、寵妃という言葉が出てからは明らかに不機嫌で、剣呑な目で私を睨んでいる
王妃の椅子は、高価ではあるけれど決して座り心地の良いものではないという事が、彼女には分からないらしい
そして、彼女が私を睨むのを見て、周りの人々が眉をひそめていることにも気がついていない
なんて、愚かなのだろう
殿下も彼女も、その取り巻きたちも
「仕方ありませんわ。マルグリット様は、とても魅力的でお可愛らしい方ですもの。殿下の心をお慰めできるだけの魅力が無かった、私が悪いのです」
「マルグリット嬢は、北欧神話の美の女神、フレイヤのような方だとは思いますがね」
私とベルナルド氏の言葉に、マルグリット嬢は勝ち誇ったような顔をする
「悪辣なテレーズ嬢と堅物なベルナルド様ですら、君の魅力は認めざるを得ないようだね、マルグリット」
ジョアンナ様の婚約者だった男が、間抜けな顔でマルグリット嬢に囁いた
ジョアンナ様は、こんな無知で無教養な男と婚約破棄できてほっとしていることだろう
ベルナルド氏の発言は、けしてマルグリット嬢を称えたわけではない
なぜならフレイヤは、夫のいる身でありながら、ネックレス欲しさに四人のドワーフと寝た身持ちの悪い女神なのだから
ふと、そこにいる殿下と取り巻き含めての人数がちょうど四人であることに気がついて、私はうっかり笑い出しそうになった
「そして、テレーズ様。彼女がフレイヤなら、あなたは月の女神アルテミスのようですね」
「勿体ないお言葉です」
私は膝を折って答えた
狩猟と貞潔の女神アルテミスへの例えに、先ほどのフレイヤ発言は完全にマルグリット嬢への皮肉であると私は理解した
「本当は気が進まなかったのですが、真摯なテレーズ様の言葉に心を打たれた私は、陛下にマルグリット嬢を寵妃にすることについて、進言いたしたのです」
ハッとマルグリット嬢が身を硬くする
「すると陛下は、当たり前ですがマルグリット嬢の身辺を調べてみよと仰せになりましてね」
マルグリット嬢の顔が、目に見えて青くなった
「調べさせてもらったところ、実に奔放なお嬢さんであることが判明いたしました」
「どういうことだ?」
マルグリット嬢を寵妃にできるかも、と浮かれていた殿下は、不穏な空気にいぶかしげな顔をする
「マルグリット嬢は、さる男性と親しい友人以上の関係を築いておいでです。ある時は夜会で赴いた先の庭園で、ある時は移動中の馬車の中で、そしてある時は学園の空室で…それは、もう、仲睦まじいご様子でした」
「何を馬鹿なことを!マルグリットを貶めるようなことを言うなら、いくらお前でも許さんぞ!」
「 お疑いなら、ご自身でマルグリット嬢の様子をご覧になって見ればよろしいかと」
そう言われて殿下は、マルグリット嬢を振り返った
マルグリット嬢は、青ざめて小刻みに震えている
「どうした、マルグリット?そんなに怯える必要はない。俺が、お前を陥れるような嘘を信じるわけないだろう」
「…殿下、わたし…」
「申し訳ありません、殿下!彼女は何も悪くないのです!罰するなら彼女を愛してしまった私を罰してください!」
マルグリット嬢の声を遮るように叫び、床にひれ伏したジョアンナ様の元婚約ドワーフに、マルグリット嬢は驚嘆の目を向ける
「やめてよ、フリック。お願いだから黙ってて」
「いいんだ、マルグリット。君を守るためなら、俺はどのような罰も受け入れてみせる。互いに愛を囁き交わした君のためなら…」
「ちょっと待て、フリック!マルグリットと愛し合っているのは、この俺だぞ」
自分に酔ったかのように、マルグリット嬢への愛を滔々と語る元婚約ドワーフの肩を激しく掴んでそう叫んだのは、殿下の隣に控えていた二人目のドワーフだ
「シュヴァリエ夫人主催の夜会の庭先で、互いに愛を伝えて口づけも交わしたのだ!マルグリットに愛を囁くのは勝手だが、公の場で自分のものであるかのように振る舞うのはやめてもらおうか!」
その言葉に、最初のドワーフは激昂して立ち上がった
「マルグリットは俺のものだ!何が夜会の庭先で口づけだ!どうせ無垢な彼女を騙して、無理矢理唇を奪ったのであろう!そのような卑劣な男だとは見損なったぞ!」
「そうだぞアルベール!だいたい、マルグリットと付き合っているのはこの私なのだ。唇どころか、私は彼女のはだけた胸元に…」
「ちょっとやめてよ、レオナルド!」
参戦してきた三人目のドワーフの言葉に、マルグリット嬢が悲鳴をあげる
愚かなドワーフたちが黙ってさえいてくれたら、その可憐な容姿を武器にしてプリンスドワーフを丸め込むつもりだったのだろう
彼女ならそれができたかも知れないし、プリンスドワーフなら丸め込まれたかも知れない
ドワーフたちが、ここまで愚かでさえなければ
「馬鹿なことを言うな!それなら俺なんか足の付け根に口づけを!」
「無理矢理そのような汚らわしいことをするなど、もう許さんぞ!俺なんかむしろ彼女の方から下腹部に…」
「それを言うなら、私なんかあんなところやこんなところだって触らせてもらったんだぞ」
「やめてよ、やめてったら!お願いだから黙ってよ!」
揉みくちゃになってマルグリット嬢との秘め事を自慢し合う三人のドワーフと、それを必死で黙らせようとするマルグリット嬢
「やめないかお前たち!」
その騒ぎを終わらせたのは、プリンスドワーフの一声だった
ある者は誰かの髪の毛を掴み、ある者は誰かから胸ぐらを掴まれ、ある者は誰かから頬肉を引っ張られた状態で固まっている
会場の面々は、暴れる彼らを白けた目で見ていたが、騒ぎが収まったことでホッとしたようだ
どうしようもない人物だと思っていたけれど、腐ってもプリンス。ドワーフでもプリンス
騒ぎを収めようとする分別は持ち合わせていたらしい
「どうしてなんだ、マルグリット?」
プリンスドワーフは、マルグリット嬢に悲しげな目を向けた
「…ッ殿下!わたし…わたし…」
マルグリット嬢は、大きな目を見開いてしばらくプリンスドワーフを見つめていたが、やがてそっと目を閉じた
つうっと、その目から涙が流れる
「泣かないでくれ、マルグリット。きみの涙を見るのは辛い」
そっとその頬に手を伸ばして、プリンスドワーフが語りかける
その涙が、ずっと見開いていて乾燥してしまった目を保護するために流された、生理現象の涙であることには微塵も気がついてないらしい
「教えてくれないか?なぜこのようなことをしたのか」
マルグリット嬢のふしだらな男性との逢瀬を知って、激昂するのかと思いきや彼の声は優しかった
愚かな王子ではあるけれど、彼なりにマルグリット嬢のことを愛していたのだろうか
このような形でマルグリット嬢の不貞を暴露してしまったことが、少し申し訳ないことのように思われた
「結婚するまでは清らかな身体でいたいからと、キスしかさせてくれなかったのに、フリックやアルベールたちにはあんなことやこんなことをさせていたなんて…!どうして、俺にだけはキスしかさせてくれなかったんだよー!」
気にするとこ、そこかよっ!?
突然のプリンスドワーフの咆哮に、ツッコミを心の中だけに留めることができた自分を褒めたい
そして、愛しい女性の不貞を知って傷ついたであろうプリンスドワーフに、ほんの少しでも同情してしまった自分を殴りたい
会場の空気が、いっきに氷点下まで下がった気がする
誰も彼もがいたたまれない思いでその場にいるに違いない
「わたしは殿下を尊敬していますっ!」
マルグリット嬢が声を震わせて叫ぶ
こんな状況であっても、プリンスドワーフを丸め込むことを諦めてないらしい
「尊敬しているからこそ、殿下と睦み合うことに戸惑いがあったのです。わたしのようなしがない男爵の娘が殿下のような方に愛されて良いものだろうかと、ずっと心苦しく思っておりましたの」
そう言って目を伏せたマルグリット嬢は、花のように愛らしい
緩やかに流れるようなブロンドの髪、春の空を思わせるようなブルーの瞳、ほんのりとした桜色の柔らかそうな頬、ぷっくりとした可愛らしい唇
華奢な肩を震わせながら話すその表情はあどけなく、彼女が複数の男性との派手な秘め事を楽しんできた女性であると言われても、信じ難い気持ちになるのは仕方がないだろう
「マルグリット…」
案の定、プリンスドワーフはすでに絆されかかっている
「他の殿方と親しくしていたのは、諦めなければいけないという気持ちがあったからです。他の方と親しくすることで、殿下への想いを忘れようとしたのです。それでも、いつか王妃として殿下の支えになりたいという気持ちを抑えることはできませんでした。何人もの殿方がわたしを愛してくださいましたが、わたしは殿下だけをお慕いしておりましたから、ずっと純潔を貫いてまいりましたの」
そっとプリンスドワーフの腕に手を伸ばし、彼を上目遣いで見やるマルグリット嬢は、天使もかくやというほど可憐で可愛らしかった
「いくら純潔だからとは言え、複数の男の手垢にまみれたその身体が、果たして清らかであると言えるのでしょうかね?」
マルグリット嬢の可愛らしさに、ややもすると絆されそうになっていた会場に、ベルナルド氏の冷たい言葉が響く
「男爵令嬢の身であれば、王妃どころか寵妃の座を望むことすら烏滸がましい。寵妃は、いずれ王族の子を産み育てる立場になる方です。娼婦ではない。貴方のように、どこの馬の骨とも分からぬ男の子供を孕むかも知れぬ娘を迎え入れることなど言語道断なのです」
そう言われたマルグリット嬢は、忿怒の形相でベルナルド氏を睨みつけた
先程までの可憐な様相とは打って変わった様子である
その表情に怯えたのか、プリンスドワーフが少し後退った
しかし、ベルナルド氏はそんなマルグリット嬢に怯む様子もなく、淡々と言葉を続ける
「マルグリット嬢の素行調査の結果は、全て陛下に報告させていただきました。陛下はマルグリット嬢に対して非常にご不快な様子で、彼女をリュシアン殿下に近づけることは許さないとのお達しです」
「そんな…!」
「誠か、ベルナルド?」
声を上げ上げプリンスドワーフとマルグリット嬢に、ベルナルド氏はさらに続ける
「陛下は、殿下にもお怒りですよ。このような悪女にあっさりと引っかかるなど、王族としてあってはならないことだと。しばらく謹慎せよとの仰せでした。追って沙汰もございましょう。そしてマルグリット嬢、あなたのことはご実家と学園にも報告させていただきました」
そう言われてマルグリット嬢は狼狽える
「学園では、このようなふしだらな生徒をこれ以上在籍させることはできぬと。すでに複数のご家庭からも陳情があったようです。貴方のせいでご息女の婚約が破談になったとか、ご子息が身を持ち崩してしまったとか。本来であれば、卒業まであと一年残ってらしたようですが、今期限りで退学にするとの通知が届くことでしょう」
「そんな!嘘よ、退学なんて!」
「なぜ嘘など言わねばならぬのですか?貴方のしてきた事を思えば、むしろ今まで学園に在籍していたことの方がおかしいと言わざるを得ない。あなたを野放しにしてきた学園関係者にも、何らかの沙汰があるでしょうな。それから、ボナシュー男爵も貴方に相当ご立腹ですよ」
「お父さまが?」
「貴方をそのようなふしだらな娘に育てた覚えはないと。このようなことでは、先が思いやられるので、いっそ修道院へ入れることにすると仰っていました」
「そんな!嫌よ修道院なんて!絶対嫌よー!」
ベルナルド氏の言葉に、マルグリット嬢は泣き叫んだ
「そんなところに入れられたら、わたしの人生お先真っ暗じゃない!かっこいい男の子だっていないし、夜会にだって行けないし、美味しいものだって食べられないし!」
「自業自得ですな」
「そんなとこ行かない!わたしは王妃になるの!王妃になって綺麗なドレス着て、いろんな人からちやほやされて、楽しく生きていきたいのー!修道院なんて行かないから!」
取り乱して泣き叫ぶマルグリット嬢を、ベルナルド氏は汚らしいものを見るかのような目で一瞥すると、衛兵に声をかけた
「見苦しいので別室に連れて行け」
その言葉に、すっかり空気だった衛兵が彼女の両脇を抱える
「嫌よ!行かないから!離して離してー!」
頭を振り乱しながら身をよじって抵抗する彼女を、衛兵は数人がかりで押さえつけ、四苦八苦しながら会場の外へと引っ張って行った
そんなマルグリット嬢を、呆然とした様子で眺めるプリンスドワーフと愉快な仲間たち
「まったくもって見苦しい娘だ。あのような娘に騙されるなど、王族や貴族の子弟として情けないとは思いませんか!?」
ベルナルド氏は、そんなドワーフたちを軽蔑のこもった目で見やった
「フリック様たちのご実家もお怒りですよ。どのような処分が下されるのかは、敢えてこの場では申しませんが、緩い措置ではないことだけは心に留め置かれた方がよろしいかと。無論、殿下も例外ではございませんからね」
そう言われたドワーフたちは、力なく互いの目を見合わせる
悪役令嬢を断罪するつもりが、自分たちが断罪されてしまったのだ
こんな筈ではなかったという表情が、ありありとそこに見て取れた
「テレーズ様、ご不快な想いをさせてしまって申し訳ありませんでした」
打って変わって真摯な様子で、ベルナルド氏はこちらに向き直った
「私の方こそ、卒業記念パーティーという大切な場を台無しにしてしまったことを、むしろ皆様に謝らなければなりません。いずれ日を改めて場を設けさせていただきます。本当に申し訳ございませんでした」
私は深々と頭を下げた
卒業記念パーティーは、卒業される方々の門出を祝うために開催されたのだ
友人と思い出を語り合ったり、恩師にお礼を述べたりするための場であったはずなのだ
それを愚かなドワーフが、自分たちの演出に酔いたいがために台無しにしてしまったのである
苦々しい気持ちでこの茶番劇を見ていた人もいるに違いない
「テレーズ様には何ら責任はございませんわ。頭を下げたりなさらないでください」
私の元に走り寄ってきたジョアンナ様が、涙目で私を抱きしめる
「そうですとも、頭を下げるべきは殿下たちの方です」
ベルナルド氏がじろりとドワーフたちを睨んだ
「お、俺に頭を下げろと言うのか?」
「貴方が下げなくて誰が下げると言うのですか?このような事態を引き起こしたのは、全て殿下の責任ですぞ」
そう言われてプリンスドワーフは言葉に詰まる
「卒業記念パーティーの場も、改めてこちらで設けましょう。これ以上テレーズ様にご負担をかけるわけにはまいりません。婚約者に尻拭いさせるなど、恥ずべきことです」
「そのことですが…、やはり私と殿下との婚約は解消させていただきたいと思います」
そう言った私に、ベルナルド氏は慎重に尋ねた
「このまま婚約関係を続けることはできませんか?」
「えぇ、このような事態となってしまっては、私が殿下の妃になることを快く思わない方もおいででしょう。何より、公の場でこれほどの醜態を晒してしまったからには、もう貴族社会で暮らしていこうとは思いません。修道院へ入り、静かに倹しく暮らしていこうと思います」
「まぁ、テレーズ様!貴方は何も悪くないのに、そこまで思い詰めなくてもよろしいのではなくて!?口さがない人がいらしたら、今度は私が守って差し上げます!ですから、そんなこと仰らないで」
ジョアンナ様が泣きながら私の手を握る
彼女が婚約を解消されたときに、彼女の傍らで彼女を慰め続けたのは私だった
面白おかしく噂する人たちを諌め、ドワーフたちを彼女から遠ざけ、彼女が泣いたときには一緒に涙を流したりもした
「お言葉は大変嬉しいのですが、もう決めたことなのです。実は、このような事態になる前から、修道院に入るべきかと思案しておりましたの。今回のことは良いきっかけになりました。ジョアンナ様、あなたと過ごした日々はとても楽しかった。本当にありがとうございました」
私は、ジョアンナ様をしっかりと抱きしめると、ゆっくりと身体を離し会場を後にした
自分の頬を涙が伝うのに気がついて少し驚く
泣くつもりはなかったし、泣くようなことになるとも思っていなかった
我知らずジョアンナ様に絆されていたのだと気づいた
それでも、彼女との友情はもう終わりだ。私と彼女は、二度と会うことはない