レッスン#5! 〜私は何を勘違いしていたんだろう?〜
イントロ、スタートですっ!
曲が始まるとともに、いきなりシンセサイザーのシャワーが降り注いできちゃいましたー。ずんずんお腹に響くビートに合わせて、みんなの足が一斉にステップを踏んでいますー。
キック、ステップ、スライド、ターン。
ぜんぜん異なる振り付けがどんどんやってきます。私は休む間もなくそれらをこなしていきます。あの人がまたチームに戻ってきた時に、ちょっとでも近づいていられるように、一生懸命練習しますー。
Aメロです。
ぐるぐるーっと目が回りそうなベースラインに合わせて、両腕、両脚を右へ左へぴょこぴょこさせますー。みんなで動きをぴったりと合わせなきゃいけないパートです。……ううん、違います、今はまだみんなじゃありませんでしたー。それでも私の目には、中庭の芝生の緑に、まるでみんなの影が差しているかのように見えていたんです。
Bメロです。
これまでとはがらっと変わって、一人一人が別々の動きをします。動作を1テンポずつずらしていき、最後には一周まわって再びみんなの動きがぴったり重なります。なんだか、まるで私たちのことを暗示しているみたいです。みんなそれぞれ個性もバラバラで、今いる場所も違くても、最後にはきっと一緒になって、同じところにたどり着けるはずなんです。
間奏です。
ほわほわーっとしたシンセのコード進行の中、キラキラした16ビートがフェードインして響いてきます。
「いくよっ!」
楠田さんのその叫びを合図に、
「ワン!」「ツー!」
2人が掛け声をあげて手を組み合わせます。それを地面近くまでぐーっと引き寄せて、私はその上に足を乗せて立ち上がります。そして、2人はその手をぱっと宙に放り上げて、私は一気にジャンプ! 宙に舞う身体を、爆風のように吹き付けるドラム音が激しく撃ち抜く、その衝撃に私はすっかりクラクラしちゃいましたー。
✳
痛みを抱える右足を引きずりながら、私はみんなの待つ中庭へと向かっていた。その自由のきかない足取りの重みに、買い込みすぎたプレゼントの包みのような、充実した幸福感を覚えながら。その痛みに、どこか誇らしげな心地よさを感じながら。
もっとも、「心地よい痛み」なんていうものは、生理学的見地からすると奇妙奇天烈極まりないものである。本来、身の危険を知らせるための大切なシグナルである痛みに、甘い夢を託してしまうなんて、生物の確固たる生存本能が空虚なイデオロギーに取って喰われてしまったということに他ならない。ともすれば、切腹や殉教に人としての美徳を見出していた、前近代的な野蛮な思想とあまり変わりない。
それでも私は嬉しかった。この足の痛みが、みんなとの、楠田さんとの絆のような気さえしていたのだ。傷つきながらも、私はみんなの想いを、みんなの笑顔を守ったのだ。この、傷跡をことさらに誇示したがるような、一見幼稚な自己愛は、それでも厨二病なんかではなかった。
なぜなら、私には友達がいるからだ。
「あ、相沢さん! 足は大丈夫なの?」
ダンスに没頭するあまり、夢中になってステップを踏んでいた、その足をふっと緩めて、楠田さんが呼びかけてくれた。お腹の底から絞り出すような、喘ぐようなその荒い息遣いの間に交えて、私の名前の一音一音を、たいせつに、愛おしむように発音するその声を聞いて、なんだか本当に彼女の中の掛け替えのない一部分になれたような気がした。どこにも居場所のなかった私が、他でもない彼女の中に、初めてその存在を許されているような気がした。
私も早く、みんなの中に混ざりたい! みんなと一緒になりたい!
「うんっ! もう全然なんともないよ! この通り……ほらっ! あ痛たたたた……」
「ちょっと、大丈夫!? もう、意味もなく無理しないでよ。しばらく練習は無理だね」
ちぇっ。私はみんなと練習がしたかったのに。少しでも休むと、みんなに置いていかれちゃいそうで嫌だ。それより何より、純粋に、ただみんなと一緒に踊っていたい。
――それと、ジャンプはどうするのだろう?
私が休んでいる間、ジャンプのパートは飛ばして練習するのだろうか? それとも、ジャンプはもう振り付けから外すことにするのだろうか? もしそうなら、とても残念なのだけれど。
「相沢さんは、今はしっかり休んで、怪我を治すんだよ。その間、私たちだけでもちゃんと練習するから」
そう言いながら手を貸して、私のお尻をぽてっと中庭の芝生に座らせる。
「あ、そうだ。相沢さんに見てもらいたいものがあるんだ。きっと相沢さん、驚くよ!」
そう言うと楠田さんは、飯田さんと庭下さんにちらりと目配せをした。2人は、誇らしげな、そして少し緊張したような面持ちで微笑を浮かべ、こくっと頷き合っている。ん? 一体なんなんだろう? と思っていると、茶柱がぴょこん、と湯呑みから顔を出すように、小柄な飯田さんの体がふらふらと揺れながら私の目線の上に浮かび上がるのが見えた。楠田さんと庭下さんの手が支えとなって、その上に彼女が素足で立ち上がっていたのだ。あれ? これって……?
「じゃ、いくよ? せーのっ!」
掛け声とともに2人は飯田さんを上空へ放り投げた。飯田さんの小さな体は高く高く舞い上がり、ただぽかんとそれを見上げていた私の顔に影を落とし、その代わりに自分は眩しい日の光を体いっぱいに受けて燦々と輝きながら、空中でふわりと一回転して地上にいる2人に抱きかかえられた。
一体、どういうこと? なんで私じゃなくて、飯田さんが……?
……許せない。
「ねっ、ねっ、すごいでしょ?」
無事ジャンプを成功させた3人が、肩を組み合い輪になって、きゃっきゃとはしゃいでいる。その様を、私だけが蚊帳の外からただ眺めていた。なんだか、私だけ仲間外れにして、3人でパーティを楽しんでいるみたいに見えた。
「ちょっと待ってよ!」
みんなの笑顔をかき消すような大声で、私は怒鳴ってしまった。
「ジャンプするのは私のはずじゃない! 私が怪我をして、練習できないからって、勝手にその役を飯田さんに代えたっていうの!?」
自分でも驚くほどの悔しさがお腹の底からこみ上げてきて、思わず声を荒げてしまった。みんなのために一生懸命やったのに、怪我までして頑張ったのに、そのためにみんなから裏切られてしまったような気分だった。3人は、そんな私の様子を前に、不思議そうな、きょとんとした顔で互いの顔を見つめ合っている。
「ひどいよ……。ジャンプする役を変更するのなら、私に一言断りがあってもいいじゃない。私に黙って、勝手にお役御免にするなんて、ひどいよ……」
「相沢さん……大丈夫?」
楠田さんが私の前にしゃがみ込み、心配そうに私の顔を覗き見る。
「最初から、飯田さんがジャンプするって、決まっていたじゃない? 相沢さん、なにか勘違いしてるんじゃないの?」
――え?
どういうこと……?
私が飯田さんの方にきっ、と鋭い視線を飛ばすと、彼女はびくっと驚いたように体をこわばらせ、おずおずと口を開いた。
「わっ、私が、ジャンプを跳ぶって、みんなで決めたんです。あ、相沢さんも含めた、みんなで……」
――そんな馬鹿な……。
「ち、違うよ! 飯田さん、その時、私は絶対無理です! って言って、泣きそうになってたじゃない? それで私が、とっさに立候補したんだよ? 覚えてないの!?」
「ひっ――!」
飯田さんは、まさに今、泣きそうになっている。
「お、覚えてない、です。わ、私、そんなこと、言っていません」
……何? どうして……?
わけがわからなかった。不明瞭な疑念の雲に遮られ、文字通り、私は目の前が暗くなっていくのを感じた。山あいを行く列車が、トンネルの暗闇をくぐり抜けて、車窓からの景色を一変させてしまうみたいに、私はそんな意識の暗闇の中で、世界から昨日と今日との連続性が剥ぎ取られていくのを感じていた。そして、その連続性を唯一保っているはずの私が、暗闇の中で晴れやかな景色を夢見ている私の意識だけが、世界から見たらおかしな存在になっていたのだ。
ふと思い出したのは、昨日の飯田さんの言葉だった。
『私が、跳ぶのを怖がってなかったら……。私が跳ぶって言ってれば、相沢さんは、今頃こんなことには……』
そうだ。飯田さんはあの時、自分が跳ばなかったことを泣きながら後悔していた。……ひょっとすると彼女は、そのせいで、ジャンプするのを怖がったこと自体、すっかり忘れてしまったというのだろうか? そして――!
「えー? あたしも全然覚えてないんだけどー? 本当に飯田さん、そんなこと言ってたっけー?」
わっ! て、庭下さん、いたの?
いきなり耳元から聞こえてきた庭下さんの声に驚いて、思わず座っていた体制を崩し、右足を小さくひねってしまった。あっ! いたっ!
……くない。
……痛くない。
「あ、相沢さん! 足、足! 怪我してるんじゃないの? 大丈夫なの?」
――うん、何ともない。
私は、なんで足なんか引きずって歩いていたんだろう? 最初から、どこも怪我なんてしていなかったじゃないか。
ぽかんとして宙を見つめている私に、庭下さんがさらに問いかけてくる。
「ねーねー、本当に飯田さん泣きそうになってたんだっけー? あたしなんにも覚えてないよー?」
そう言いながら庭下さんは私の目をじっと見つめてくる。ふわふわとあてどなく空中に漂わせていた私の視線は、彼女の強烈な眼差しに吸い寄せられ、石にされてしまったように動けなくなる。私の2つの目のすぐ前に、彼女の、2つの目があって、それ以外はすべてこの世界から消え去ってしまった。宝石みたいに綺麗な瞳だった。細かいカットを施したサファイアのような、その虹彩の複雑な模様を眺めているうちに、高速で回転するタイヤのホイールが次第に逆回転して見えてくるような不思議な錯覚に陥った。私は、だんだんと遠のく感覚の中、蜘蛛の糸のようにか細くなった意識の糸を、記憶の海の水面に垂らして、自分の覚えていることをなんとか引き揚げてみようと試みた。
――うん。
――そうだ。
みんなで決めたんだ。飯田さんがジャンプを跳ぶことを。
彼女は、その役を断ったりなんてしなかった。泣いて嫌がったりなんてしなかった。楠田さんがお願いしたとき、彼女は二つ返事で承諾したのだ。小さな体を、精一杯背伸びして胸を張り、右手をまっすぐ上げて、私がやります! と。
……私は何を勘違いしていたんだろう?
「相沢さん、本当に足、大丈夫なの?」
うん。何ともないよ。
「そ。……じゃあ、相沢さんも、一緒に練習、参加できる?」
ちぇっ。今日は足が痛いことを理由に練習サボれると思ってたんだけどなー。治っちゃったんならしょうがない。
ま、とにかく練習だ。楠田さんの満足のいくまで練習して、ライブを披露して、そのあとはまた以前のように、好きなだけ引きこもれる生活に戻るんだ。誰とも話す必要のない、窮屈な友情なんかに縛られることのない毎日に、戻れるんだ。
私はそう自分を鼓舞して、3人の輪の中に加わった。
「じゃあ、4人でジャンプの練習ね。相沢さんも一緒に足場作って。やり方はわかるよね? 合図とともに、飯田さんの足をぽーんと持ち上げるんだよ?」
うん、わかってるよ、と気のない返事をすると、私も手を差し出して、3人で足場を組む。その一番上に重ねた私の手の甲を、飯田さんの柔らかい足の裏がそっと踏む。子供のように小さい足。いつも怖がる度にがくがくと震わせていたその膝は、バランスの悪い土台から彼女の体を支えるために、しなやかな筋肉できゅっと引き締まっていた。いつの間にこんなにたくましくなったんだろう? ……弱虫のくせに。いつも泣いちゃう度にぶるぶるとわななかせていたその唇は、ジャンプへ向けての緊張できゅっと固く引き結ばれていた。闘いに赴く戦士のような凛々しい表情だった。……子供みたいな顔してるくせに。
「――行くよっ、せーの!」
合図とともに、私とみんなは飯田さんの足を上空に放り投げる。土台が3人になったために彼女を持ち上げる力がずっと強くなったのだが、飯田さんは焦ることなく、その力に合わせて両足をしっかりと踏み切り、見事に今までよりずっと高いジャンプを決めた。見上げると、高く高く、鳥のように優雅に空を舞う彼女の姿が目に飛び込んできた。初夏の強い日差しを、怯むことなく正面から受けとめて、シャツの中をそよぐ新緑の風を、期待とともに胸元に孕ませながら。どこまでも誇らしく、まっすぐ、空の一点を見つめて――。その光景は、なんだか妙な既視感を伴って私の意識の底へと滑り込んできた。
そうだ。
私はいつだって、こうしてただ眺めていたんだ。輝かしい誰かの姿を。自分では決して手にすることのできない栄光を。教室の隅から、誰にも気づかれない暗い隙間から、誰かの陰に隠れて、誰かの遮る日陰に身を潜めて、ただ、こんな風に――。
明るい場所にいると却ってよく見えないものが、暗がりからなら嫌ってほどよく見えるんだ。飯田さんは、自分の姿がこんなにも光り輝いて見えることをきっと知らない。増して、私がどんな気持ちでそれを眺めているかなんてことは……。
落下してきた彼女を私の手が、楠田さんと庭下さんの手が、ふわりと抱きかかえる。私の腕の中に横たわる彼女の、嬉しそうな、誇らしげな笑顔。しかしその笑顔は、私に向けられたものではなかった。
「すごいねっ! 飯田さん!」
楠田さんが大きな感嘆の声をあげて、飯田さんの体をぎゅっと抱き締める。今まで聞いた中で、一番嬉しそうな彼女の声だった。
「もう、完璧じゃない! これでライブも大成功間違いなしだね! 飯田さんにジャンプを引き受けてもらって、本当に良かった!」
思いっきり抱きしめられて頬ずりされ、そのショートボブの頭をもみくちゃにされた飯田さんは、ちょっと迷惑そうな、そしてすごく嬉しそうな表情で口元を綻ばせていた。
――むかつく。
――気に入らない。
――イライラする。
私は思わず、拳をぐっと握りしめる。手のひらに食い込んだ爪先が、なかなか消えない跡を残した。胸の奥がドロドロに溶けたように熱くなり、ギリギリと噛み締めた奥歯でこめかみが痛んだ。
どうしてこんな気持ちになってしまうのか、わからなかった。
飯田さんのことが、気に入らない。
そんな感情を抱いてはいけない、と、理性の上では思っているのだが、自分でもどうすることもできなかった。
ちらりとこちらを振り向いた飯田さんと、一瞬目があったような気がしたが、彼女はそんなことは気にも留めないように、またふいと視線をそらしてしまった。まるで私なんかそこにいないかのような仕草だった。
その日も、梅雨明けを待ちきれずに、雲の切れ間を縫うようにその姿を時折覗かせていた太陽がようやく沈みかけ、夏至過ぎの長い長い日中が終わりを迎えるまでみっちりと練習し、やっとお開きとなった。
「ふう、今日はここまでだね。みんな、お疲れ様!」
「「「お疲れ様ー」」ですー」
みんな精一杯練習して、汗まみれになった顔を涼やかな夕風に晒してふっと息をついていた。日々のストレスや嫌なことも、すべてその汗に溶かして流し出してしまったような、とてもすがすがしい表情を浮かべていた。ただ私だけが、梅雨時の蒸し暑さの中に、なかなか溶け込んで行けない皮脂のような、ドロドロとしたその不快な気持ちを持て余していた。
「ここでみんなに発表があります!」
そんな私のジメジメした気分なんてどこ吹く風、楠田さんは、福音をもたらす鐘の音のように澄んだ、玲瓏とした声で突然そう叫んだ。
「ジャンプも、振り付けも出来上がってきたし、いよいよ……」
思わせぶりな間を置くのも、いかにももどかしげ、といった感じで、次の瞬間には、弓なりにそらしたその長身を、思いきり揺り戻すように反動をつけ、
「私たちのライブを、みんなに披露したいと思います!」
身体の奥底から絞り出すようなひときわ大きな声で、高らかにそう宣言した。その声は、夕日が射してオレンジ色に染まった校舎に反響し、少しづつ長くなっていく夕刻の影をあっという間に追い抜いて、学校中にあまねく響き渡っていくかのように、その場とその場にいる私たちとを、溢れる期待感で満たしていく。
飯田さんと庭下さんは、わっと歓喜の声をあげて、ぱちぱちと手を叩く。芝生に座り込んだ姿勢のまま、身体中を駆け巡る喜びにむずむずして、跳び上がりたそうに体をぴょこぴょこさせている。私は複雑な気分でそんな彼女たちのことを眺めていた。私一人だけ、こんな煮え切らない気持ちを胸の奥に抱えたままライブなんかできるんだろうか? なんだか、楠田さんに申し訳ないような気がする。
「1学期の終業式の日の午後、体育館のステージでやるよ! もう先生にも話して、許可も取ってあるし、これからどんどん宣伝して、お客さんもいっぱい呼ぼうね!」
……さ、さすが楠田さん、行動力が凄まじい。
胸に手を当てて、ドキドキするねー、とか言い合っている飯田さんと庭下さんに向けて、楠田さんは、一瞬真顔になり、
「あ、それから、期末テストの勉強はちゃんとやらないとダメだよ。誰か一人でも赤点なんか取っちゃったら、ライブが開催できなくなっちゃうかもしれないからね!」
2人とも、うへー、とか言って、芝生に大の字に寝転がった。嫌なこと思い出させないでよー、みたいな抗議の色がその仕草の端に見え隠れしている。……ま、私は、普段から引きこもって勉強してた分の貯金があるから、なんとかなるとは思うけど、2人とも自信ないのかな? ……っていうか、楠田さんは? 今までずっと学校休んでたわけだから、彼女が一番やばいんじゃないの?
私の顔の端に、そんな疑問符の浮かぶのを察知したのか、庭下さんがそっと耳打ちしてくる。
「あたし、噂で聞いたんだけどさー、楠田さん、1年の時、全教科のテストで学年5位以内だったんだってー」
……な、なんだと? いったい天は彼女に何物を与えるつもりなんだ? なんか、自分よりずっとかわいい子が、頭まで自分よりいいとなると、勉強することが途端にバカバカしくなるよね。井の中の蛙は、大海を知らないからこそ精一杯泳ぎまわるんだ。やっぱり、世の中にちゃんと向き合ったってろくなことになんないね。人生、引きこもるに限るよ。
すっかり日が落ちてから家に戻ると、なぜか私の部屋の電気がついていた。妹が勝手に私の部屋に上がり込み、ベッドに横たわりながら雑誌を読んでいたのだ。中学の制服のまま、うつ伏せになって足をバタバタさせているので、その短いスカートがめくり上がって、中のパンツが見えてしまっている。ちょっと! あんたの、白とパステルピンクのボーダー柄のパンツなんて見たくないから。隠しなさい。っていうか、なんで勝手に私の部屋にいるのよ?
妹は、おっ、やっと来たか、みたいな顔で私に目を向ける。
「いやー、おねえちゃん。聞いたよー?」
そう言って寝そべったまま顔だけこっちに向けて、白い歯を見せてニヤニヤと笑う。何よ? 何を聞いたのよ? それより早くパンツを隠しなさい。
妹は、よっ、と声を上げると、ベッドの上にぽんっと居直る。
「おねえちゃん、学校でダンスユニットを結成して、ライブをやるんでしょ? すごいねー、なんかアニメみたいだねー!」
ぎくっ! な、なんで知ってるのよ……? 私は、おまわりさんに職務質問された逃亡中の犯人みたいな気分になった。そんな情報が、いったいどこから漏れたのだろう?
「隣町の陸部仲間の一さんが教えてくれたんだよ。一さんのお姉さんが、高校の同じクラスに背が高くてすっごいかわいい子がいて、ダンスのライブやるみたいだけど、一緒に観に行かない? って、誘ってくれたんだって。私も行きたい! って一さんに言ったら、メンバーの中におねえちゃんの名前があってさ。もーびっくりしたよー!」
一、って苗字の子、そういえばうちのクラスにいたな。こんな珍しい苗字の人、そんなにたくさんいるはずはない。そうか、楠田さんが、一さんを含むクラスのみんなに、どんどんお客さん呼んでよ! って宣伝しているんだな。
「もー、おねえちゃんってば、水臭いじゃーん! なんで今まで隠してたのー?」
そう言いながら、妹はおもむろに足を上げ、短いスカートのままでベッドの上で体育座りになる。だ・か・ら、あんたはパンツを隠しなさい!
すると妹は、ベッドから思いっ切り飛び降りてドシン! と床を揺らし(あとで私が、下にいるお母さんから怒られるやつだ……)、そばに歩み寄ってきたかと思うと、
「いやー、あのおねえちゃんが、ここまで成長するとはねー。うん、うん。私は嬉しいよ?」
私の肩をぽんぽんと叩いて、感慨に目を細めながら、そんな保護者のようなことを言ってくるのだった。なによ、腹立つ。私よりずっとちびなくせに。子供っぽいパンツ履いてるくせに。
最悪だなー、妹にばれるなんて。こいつ、私を馬鹿にすることしか頭にないからな。ライブで失敗するところなんか見られたら、後で絶対笑われる。向こう3年、からかうネタにされる。
「ま、鈍臭いことで世界的に有名なおねえちゃんのことだ。どーせステージの上で尻もちついて、大恥かくだけだろうけど、せいぜい頑張ってね(ニヤニヤ)。私もライブ観に行くから」
「だめ。来るな」
「行くもん」
「来るな」
「行くもーーんっ!」
そう言って妹は、私の胸にムササビみたいに飛びついてきた。
――ズシッ!
お、重い……。妹の体には余計な筋肉やら、無駄な巨乳やらがついているので、思ったよりも重いのだ。普段重たいものなんか持たない箱入り娘、いや、箱こもり娘の私は、妹を抱きかかえる二の腕がぷるぷると震えてきて、もう限界だった。ほら、もう離れなさいよ。私の胸に顔を埋めて頬をすりすりしているその頭を、無理やりにひきはがす。すると――!
「えへへへ……」
ドキッとするほどにかわいらしい笑顔がそこにあった。とび色に光る柔らかな前髪を、くしゃくしゃに乱して、こすり付けて赤らんだおでこのほのかな朱色に、一本一本、ふんわりと透かしてみせながら、それをちょっと恥じらうように、甘えるように八重歯を見せてにっこりと微笑んでいる。……な、なんだこいつ? いつもただ憎たらしいだけなのに、ふと笑った時、こんなにかわいい表情を見せるというのか? わ、私の妹がこんなにかわいいわけがないっ!
「おねえちゃんのこと、クラスのみんなに自慢するんだぁー」
そう言って、本当に嬉しそうににこにこ笑っている。妹がこんなに屈託のない笑みを私に見せるのは、本当に久しぶりのことだった。まだ小学生の頃、妹が、部屋にゴキブリが出た! って言って私に泣きついてきて、私も泣きながらなんとか退治してあげた時、えへへー、ありがとうー、って言ってこんな風に笑っていたような気がする。
思い返せば、妹はずっとお姉ちゃんっ子だった。困ったことがあると、お母さんより何よりまず私を頼り、面白そうなものを見つけると、真っ先に私のところへすっ飛んできて報告してきた。友達を家に呼んだ時でさえ、私の部屋にどやどやと上がりこんできて、一緒に遊んであげるハメになったものだった。
中学になった今だって、普段ちょー生意気でくっそ腹たつしもー鼻の穴からうどん突っ込んで奥歯とのどちんこガタガタ言わせたろかー! ってくらいに激おこぷんぷん丸なわけだが、いや、それどころか、激おこスティックファイナル……なんとかドリーム……なんとか……えーと、まあ、そんな感じの(あきらめた)ムカつく態度ばっかとってくるんだけど、その実、根っからの部分はあんまり変わってないのかもしれない。お母さんに対していつもいい子でいる代わりに、本来は反抗期の年齢であるがゆえのその行き場のないエネルギーを、私をからかうことで折り合いをつけているのかもしれない。でもそれは、私に頼っていること、私に甘えていることの裏返しではないだろうか?
「おねえちゃんが、ジャンプするところ、私見てみたいなー」
――ん? ジャンプ? 私はジャンプなんか跳ばないよ?
「えー? そうなのー? 残念だなー」
どこでそんな話聞いたんだろう? ……私が話した? まさかね。
「でも、おねえちゃんのライブ、ぜぇーったい、観に行くから。いいでしょ?」
私は、来るな、とはもう言えなくなってしまった。