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ixte  作者: 琴尾望奈
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ixte -8月22日

 8月22日


  すがすがしい朝である!私は心地よい光に包まれながら目を覚ました。 

  ……得体の知れないこのノートとともに。              

  なぜか枕元に置いてあったそれは、私の見覚えのないものだった。   

  だけどなぜかそこには私の文字で見覚えのない言葉が書いてあった。  

ちょっと、おねえちゃん!どういうこと!?何で今日はノートにびっしり

  すがすがしい朝である!私は心地よい光に包まれながら目を覚ました。 

  ……得体の知れないこのノートとともに。              

  なぜか枕元に置いてあったそれは、私の見覚えのないものだった。   

  だけどなぜかそこには私の文字で見覚えのない言葉が書いてあった。  

書いてんの!?これじゃ私が落書きするスペースがないじゃん!誰のおかげで

  すがすがしい朝である!私は心地よい光に包まれながら目を覚ました。 

  ……得体の知れないこのノートとともに。              

  なぜか枕元に置いてあったそれは、私の見覚えのないものだった。   

  だけどなぜかそこには私の文字で見覚えのない言葉が書いてあった。  

死刑を免れたと思ってるんですか!?もっと空白を開けてくれないと死刑です!

  すがすがしい朝である!私は心地よい光に包まれながら目を覚ました。 

ち ……得体の知れないこのノートとともに。              

ょ なぜか枕元に置いてあったそれは、私の見覚えのないものだった。   

っ だけどなぜかそこには私の文字で見覚えのない言葉が書いてあった。  

とおねえちゃんってば聞いてますかー? 日本語わかりますかー? まったく無

  すがすがしい朝である!私は心地よい光に包まれながら目を覚ました。 ツ

  ……得体の知れないこのノートとともに。              ワ

  なぜか枕元に置いてあったそれは、私の見覚えのないものだった。   子

  だけどなぜかそこには私の文字で見覚えのない言葉が書いてあった。  の

    ねー無視しないでよー私が落書きしてあげなくて寂しくないのー? お

  すがすがしい朝である!私は心地よい光に包まれながら目を覚ました。 ね

  ……得体の知れないこのノートとともに。              え

  なぜか枕元に置いてあったそれは、私の見覚えのないものだった。   ち

  だけどなぜかそこには私の文字で見覚えのない言葉が書いてあった。  ゃ

    私はさ、おねえちゃんのノートに落書きするのが、その、えっと  ん

  すがすがしい朝である!私は心地よい光に包まれながら目を覚ました。 に

  ……得体の知れないこのノートとともに。              は

  なぜか枕元に置いてあったそれは、私の見覚えのないものだった。   苦

  だけどなぜかそこには私の文字で見覚えのない言葉が書いてあった。  ツ

    ちょっとだけ、楽しかった、っていうか、あの、だから……!   ワ

  すがすがしい朝である!私は心地よい光に包まれながら目を覚ました。 力

  ……得体の知れないこのノートとともに。              し

  なぜか枕元に置いてあったそれは、私の見覚えのないものだった。   ま

  だけどなぜかそこには私の文字で見覚えのない言葉が書いてあった。  す

わーわー! うるさいうるさい! 勘違いしないでよねっ! 別におねえちゃ

  すがすがしい朝である!私は心地よい光に包まれながら目を覚ました。ん

  ……得体の知れないこのノートとともに。             のこ

  なぜか枕元に置いてあったそれは、私の見覚えのないものだった。   と

  だけどなぜかそこには私の文字で見覚えのない言葉が書いてあった。  な

                   !っねらかだんいなてっ思もと何かん


      ✳


 8月22日


 相沢さんの存在は……、庭下さんの存在は……、私にとって何だったのか。

 ……相沢さんは、私にとって、たまたま目についた同級生の一人だった。友達もいなそうで、部活もやってないから誘いやすかった。身長、160cmくらい。痩せ型で色白。美白というより、蒼白。体力はなさそう。ちゃんとしてればそこそこカワイイのに目つきが悪くて残念。胸はもっと残念。若干厨二病で残念無念。8月生まれのしし座。A型。……それだけ。

 ……庭下さんは、私にとって、いつの間にかそばにいて、なんとなく一緒に過ごしてきた、ただそれだけの存在だった。背丈は相沢さんと同じくらい。わりと肉付きがよくてちょっと色黒。胸は大きかった……気がする。かっこうとか口調はギャルっぽい……のか、よくわかんない。10月生まれのてんびん座。AB型。……それだけ。

 私たちの一緒に過ごしてきた日々は、ただ、私の目的にのみ向けられてきたものだった。お父さんのことを元気付けるための手段であって、方策であった。目に見えて体力の衰えていたお父さんの身の回りの世話とか、病院とのやり取りとかも私がやらなきゃいけなかったから、自分の時間の全部をダンスの練習につぎ込むこともできなくて、そこには効率的な配分を考える必要があった。難しいパートを、何度も練習してやっとできるようになったことは、ライブが成功する蓋然性の有意な増分をのみ意味していた。相沢さんの、私に向けてくれた笑顔は、そんな私の企図への誤解であって、それは都合がよかったから、私も笑顔を返してあげた。お父さんがいなくなってしまった今、もう私たちが一緒にいなきゃいけない理由もなくなって、ちょうどタイミング良く解散しちゃったし、これからは言葉を交わすこともないだろう。卒業するまでは同じ学校に通うわけだから、たまにすれ違ってなんとなく挨拶を交わすこともあるだろうけど、そのあとはきっともう会うこともなくなって、時々ふと思い出すことはあっても、だんだん、だんだんと忘れていって、どうでもよくなって……それで、おしまい。

 ……なんだ。こんな簡単なことだったのか。

 私の探していたもの、私の知りたいと思っていたものは、あっけないほど簡単にその姿を現した。今日はどういうわけか、いつものように意味の分からない「×××」や空白が現れて私の思考を阻害することもなくて、私は、本来の私らしい冷静な意識を取り戻していた。そしてそんな風に明晰な思考能力で問題に向き合えば、私の求めていたものなんて、すぐに見つけることができるんだということが分かった。

 やっぱり、私にはふさわしくないんだ。理解できないものや、触れることのできない空白なんかに、その存在の確固たる核心を委ねてしまうなんてことは。私はいつだって、私らしくあるように努めて振舞ってきた。いつもみんなの先頭に立って、私のやりたいことを大声で叫んで、そうすればそれはいつの間にかみんなのやりたいことになっていた。不安や心配事なんか気にも留めず、泣いてる子がいれば気を配って、みんなを一つにまとめあげてきた。そしてその目的が達成された時、私の喜びは、同時にみんなの喜びでもあったんだ。私の情熱はみんなに伝播していって、みんなを均等な私らしさで染め上げていった。そこには理解不能なものや、私の想いの届かない空白地帯なんてものは少しもなかった。私はいつも100%の私らしさだけでできていて、そしてみんなだって、そんな私のことをいつも必要とし、受け入れてくれたんだ。

 だから、私には、()()()()()()()()()()()()()()()()()。時折、理解できない感情のわだかまりにぶつかるようなことはあったけれど、それはきっと、誰かが私に投げかけた弱さなのであって、そもそもが私のものではないのだから。私は常に、自分の物語を信じていればよかった。他のだれかが紡ぐ言葉ではなく、私自身の生きるその物語を。

 そうだ、私の生きる毎日は、得てして物語的だった。私を取り巻く日常の事物は、すべて私の到達すべき意味論上の自明な帰結へと捧げられるものだった。街に跋扈する悪者たちの存在が、ヒーローが活躍できるストーリー上の展開へと捧げられるように、ひいては彼の信条の無条件な正しさの追認へと捧げられるように。物語の本質はきっと、ナラティブな意図の必然性にある。それは、単なる構成上の必然、舞台に拳銃が出てきたらそれは必ず発砲されなければならない、と誰かが言った、あの必然性ではない。ストーリーの筆先がなぞるストロークの微視的な躍動が、描かれる眺望の全体を決定づけるような、生成の過程と生成されるものとが同列のレベルにあることに依存する、そんな自己言及の殻に閉じこもった必然性ではない。むしろそれは、そんな規則の檻を踏みにじり、それでも超然としていられるような強さをまとった必然性だ。それが現れてくる瞬間に立ち会わず、その全体像をこの目で見ることすらなくそれを信じていられるような必然性。先ほどの例で言えば、その物語に登場するヒーローは必ず正しい選択をするだろう、ということを、誰しもがその本の表紙を開く前から知っていて、そのいわば陳腐な結末が決して否定されないまま後のカタルティックな喜びとして共有されている、といった必然性だ。私を構成する日々の出来事も、すべてがそんな必然性の下に配置されていた。私の失敗は明日の更なる努力を約束するものであったし、私の悲しみは、その倍も、3倍もの喜びをこの先きっと味わってやる! といった未来の展望への布石だった。そこには私の意図しないものは何一つ現れてこなくて、「×××」や空白の姿なんかもそこにはなかった。私は地に足のついた私らしさだけで自足していて、ありふれた、取るに足らない瑣末な事柄だけが、私の日々をむしろ眩く彩っていた。「奇跡」なんてものも、私の物語の中には現れてこなかった。それもそのはず、物語の主人公が正しい選択を取ることは、「奇跡」なんかであってはならないのだ。だから私には、奇跡なんて必要なかった。あらゆる因果律、あらゆる必然性からの自己目的的な逸脱こそが奇跡の意義なのだとすれば、私はそんなものに頼らなくてよかった。私は、平生の中に生まれる奇跡を待ちわびる必要もなく、奇跡から生まれた私の平生を生きていればよかったんだ。


      ✳


 8月22日


 あたしは、一体何を願っていたんだろう?

 誰かに近づきたくて、それでいて触れ合うことを恐れて。誰かに認めて欲しくて、それでいてほんとの気持ちを隠して。自分の、ありのままの姿をさらけ出すことすら、怖くてできないでいるくせに、あたしは、一体何を見てもらおうとしてたんだろう? 捧げられる確固としたものさえ持ち合わせていないくせに、一体何を共有しようとしていたんだろう?

 ……反面、あたしは、たくさんのものをもらってきたはずなんだ。あたしの存在の意味も、みんなちゃんと教えてくれた。あたしはキモい、って。近づいて欲しくない、って。生きてる価値なんてないから、早く死んだほうがいい、って。ぜんぶきちんと伝えてくれてた。それなのに、あたしは、取り逃してしまった。みんなが与えてくれたものを、自分のものとして受け止めることができなかった。なのに、どうせ失ってしまうくせに、これ以上、何を欲しがっていたんだろう?

 あたしの考えることは、いつだってちぐはぐだ。望んでいるものすらよくわかっていないくせに、それでいて、あたしは確かにそれを望んでいたんだ。あたしのことを、あたしでさえよくわかっていないのに、みんなにわかってもらおうとしていたんだ。それも、そうしなければ心がちぎれてしまいそうな、どうしようもない苦しみの中で、溺れまいともがくように、あたしはそれを欲していたんだ。自分の立てたしぶきを自分で掴もうとするような、虚しくて無益な、一人ぼっちの必死さで、あたしはそれを求めていたんだ。そん時のあたしは、あたしの持つべき生の必然性を、対外的に誇示するためにでっち上げている余裕なんてなかった。だからあたしは、いつも矛盾だらけだった。空っぽのまま、満たされようとしたこと。誰にも気付かれないってことを、誰かに気付いてもらおうとしたこと。そんな条理に合わない、矛盾に満ちた願いは、奇跡なんかが起こらない限り絶対に叶いっこないのに。そんな不誠実で身勝手な願いを、駄々をこねる子どものように、ただ抱いていたんだ。

 今だって、そうだ。自分でも否定できない、はっきりとした願いを抱えているのに、あたしはずっと意味のないことばっかりしている。本当は相沢さんに会いに行きたいのに、楠田さんとも仲直りしたいのに、あたしはただ一人ぼっちで、こんなしょうもないことばっかりノートに書き連ねている。2人に何かを差し出したい、爪痕だって残したいのに、あたしのしていることは、みんなのことをただぼんやりと思い浮かべて、自分の毎日を、このノートのページを、まっさらな空白で埋め尽くして台無しにしてしまうことだけなんだ。そんなことしかできないくせに、いつの間にか事態が好転していて、私にとって都合のいい結末が現れてくることを、そんなあり得ないことを、ただ待っていたんだ。


 ――あたしは、未だに奇跡なんか願っていたんだ。


      ✳


 8月22日


 憂鬱だ。

 憂鬱だ、憂鬱だ、憂鬱だ憂鬱だ憂鬱だ憂鬱だ憂鬱だ憂鬱だーー! 寂しい、寂しい、寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい……!

 私のねじれた心の結び目が、こらえきれなくなって、抑えきれなくなって爆発しそうだ。

 私の中に、()()()()()()

 その()()と一緒だったら、ずっと楽しい日々を過ごせるはずだったのに。私の本当の気持ち、こんなに寂しい想いだって、ずっと忘れていられるはずだったのに。諦めの中に満ち足りてしまったこと、喪失の苦しみを喪失してしまったこと。……そんなねじれが、都合良く目を背けていられた、気付かずに共に歩んでいけたはずのそのねじれが、誰かがいないせいで目の前に顕現して、私を捕らえて、押しつぶして、本来の寂しさで私を染め上げて、もうどうしようもなくさせてしまう。誰かがいないせいで、私はそんな矛盾した概念を一人では抱えきれなくなってしまうんだ。

 ……なんだか、昔の私に戻っちゃったみたいだ。

 今の私は、こんなにも寂しくて、悲しくて、誰かにすがりたくて、でも怖くてできなくて、ドキドキやワクワクの代わりにウジウジやジメジメをいっぱいいっぱい身にまとい、どんどん膨らんでいって、雪だるまみたいに動けなくなって、大嫌いなお日様の光を、道端に座り込んだままただ受け入れることしかできないんだ。

 だけど……それは嫌な感覚ではなかった。

 ……相沢さんなんだ。

 私にとって、そのお日様の光は、相沢さんなんだ。冷たく凝り固まった私の心を解してくれるような暖かさの記憶は、相沢さんなんだ。暗がりの目を、思わず背けてしまうような眩しさの正体は、相沢さんなんだ。その誰かの正体は、きっと、相沢さんなんだ。……あるいは、相沢さんのことをそんなにも眩しく輝かせていた、私の知らない誰かなんだ。


 ……きっと、大嫌いだと思うもの、私の欲しくないと思うものとの邂逅も、そんなに悪くないのかもしれない。だって、私の場合、それはともすれば自分の欲したもの、大好きなものの裏返しかもしれないからだ。

 だから私は生きなくちゃだめなんだ。私の持つ、ありのままの毎日を。

 私の望んだ毎日を生きるのではなく、私の生きる毎日から、望むべき何かを見つけ出さなくちゃならないんだ。

 ……だから、こんなにも寂しいんだ。

 寂しさは、私が何かを望んだ証なんだ。一人きりでは手に入れられない何かを。望むことさえ許されてない何かを。奇跡でも起こらなければ、触れることすらできない何かを。

 そうか。

 私は奇跡を望んでいるんだ。

 相沢さんと一緒に生きる未来を、2人で叶える奇跡を、望んでいるんだ。

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