THE LAST DAY & 6月29〜1日 #4
きっと、物理法則と同じように、動物や人間の行動にも、自然に進み続けようとする慣性の法則のようなものがあって、それが上へ上へ向かおうとする力が、なんらかの障害により進む方向を妨げられると、その力を維持したままベクトルを変え、下の方でぐるぐると旋回する自然な運動が発生するものなんだ。上空から降りてくる冷たい空気に遮られた上昇気流が、渦を巻いて積乱雲や竜巻を発生させるみたいに。高くそびえ立つ塚状の巣を破壊されたアリたちが、その根元でなすすべもなくウロウロしているみたいに。
だとしたら、鉄とガラスでできた巨大なアリ塚のような高層ビルが、崩落し、たくさんの人命とともに、時代の進展により世界はどんどん良くなっていくんだという私たちの自然な上昇志向が、否定され、奪われてしまった時から、世界は、その集合的な無力感の中で、ぐるぐる、ぐるぐると、毎日同じような日常を繰り返してきたのかもしれない。私は生まれてからずっと、その無為な繰り返しを、繰り返されてることにさえ気が付かずに、ただ甘受していただけだったのかもしれない。
破壊が、崩壊が、誰かが傷ついたという出来事が、こんなどうしようもない、延々と続く繰り返しの日々を生んだんだ。
ところが、その繰り返しを無遠慮にも破る存在がある。空気が読めず、自身の無謀さを顧みず、頭が悪いにもかかわらず何かを言おう、何かをしようとする、迷惑千万なバカである。
しかし、往々にして自分の劣等さ、無力さへの無自覚は、どんな方向にであれ、事態を動かし得る力を生む出すものだ。
妹が私に手渡していったプレゼントは、拍子抜けするほど簡単なものだった。
青い表紙の、小さなノート。どこにでも売っていそうな、何の変哲もない、ただのノートだった。中学生だから、当然バイトもできなくてお小遣いの中からやりくりして買ってくれたんだろうけど……、あ、あいつ、こんなものにラッピング包装頼んだのか……。売り上げよりも店員さんの手間賃の方が高いんじゃねーの……? 遠慮なさすぎるだろ、我が妹よ……。
それにしても、ただのノートをプレゼントにチョイスするなんて、あいつにしては意外、というか、普通すぎる、というか、なんか違和感があった。いつものあいつだったら、例えば、腐女子向けイケメン水泳部アニメに出てくる男子部員のつままれストラップ(どこをつままれているのかは察し)だとか、何代目かのなんとかブラザーズの初回限定版CD(なぜかいつまでもAmazonで売っている)だとか、そんな私の趣味を勘違いしたものや自分の趣味の押し売りみたいなものを選んで、壮大に空回りしているぐらいが関の山なんだけど……。
……と思っていたら、そのノートには付箋で妹の手書きのメッセージが貼り付けてあった。
『おねえちゃんへ。
お誕生日おめでとう。おねえちゃんがいつも、とても大事そうに抱えているあのノート、さすがにもうボロボロだから、新しいノートを贈ります。どうぞ使ってください。
妹より』
なーんだ、なーるほどなあ! そういうことだったのかー。いやー、いとしの妹よ。いつも私のことちゃーんと見ていてくれているんだなー。こうやって私の欲しいもの、必要なものだって、ちゃんとわかってくれているんだもんねー、しみじみ。
……などと感心し、納得したかったところなのだが、そのメッセージを見て私はさらに混乱してしまった。私自身の知らない、私に関する情報がその中に含まれていたからだ。
いつも、私が、大事そうに抱えているノート?
✳︎
「そんな……そんなの……いや……」
私たちは、仲間でもなんでもない。
そう事実を告げると、彼女は急に動揺し始めた。涙に潤む瞳を小刻みに震わせながら、おもむろにポケットの中に手をやり、穴倉の中の小動物が怯えながら外に顔をのぞかせるような手つきで、恐る恐る、そこから何かを取り出した。それは……、
彼女が、いつも大事そうに抱えている、小さな青い表紙のノートだった。
何かに脅かされそうになったり、誰かに傷つけられそうになった時に、彼女がいつも、お守りのように、すがりつくようにして抱えていた、あのノートだった。
なぜ彼女はこのタイミングでそのノートを取り出したのだろう? そこに書かれたことを通して私たちの関係について再確認するため? 動揺してしまっている自分の気持ちを落ち着かせるため? それとも……
――私がこれから、彼女に何をしようとしているか、気づいているから……?
「……何よ、こんなノート!」
震えるような指先でそのページを繰っている彼女の手から、そのノートの端を掴んで、ぐいっと引っ張った。彼女は最初、弱々しい握力で、それを奪われまいと必死で抵抗していたが、私がちょっと力を入れて引っ張り上げると、「わぁっ!」と微かな叫びをあげて、地面にぺたんと尻餅をつくと同時に、その手からノートを放してしまった。
「勘違いしないでよ!」
もう見ることもないであろう、その頭の小さなつむじを眼下に見下ろしながら、
「ほんのわずかの間、たまたま近くにいたっていうくらいで、仲間だとか、友達だとか、そんなこと思わないでよね! こんな、」
私はそのノートのページに手をかけた。
「こんなノートなんかに頼らなくちゃ、私たちのこと覚えておくことさえ、できないくせに!」
私がその手を振り下ろそうとすると、それより先に、彼女の声が、下から突き上げてくるように響いてきた。決して上昇することをためらわない、その場でぐるぐると躊躇したりしないような、咄嗟に発した悲鳴のような声で、
「――やめてーーっ!!」
✳︎
6月1日 金曜日
今日、席替えがあって、前の席だった相沢さんと離ればなれになっちゃった。
こんなに近くにいたのに、仲間にも、友達にもなれなかった。
結局、何も話せなかった。すぐそばにいたのに、一言も喋れなかった。本当はちゃんと謝りたかったのに。
たぶん私のことをかばって、そのせいでみんなに責められて、みんなから嫌われてしまった相沢さん。私のせいで、いつもひとりぼっちでいる相沢さん。
そんな風に、自分が犠牲になってまで、私のこと助けてくれたのに、その私がそのことを忘れちゃった。ひどいよね。もうそんな子とは、一言も口を利きたくない、って思うの、当たり前だよね。
だけど、ただの出席番号順のせいで、つまり、たまたまなんだけど、それでもずっとそばにいたんだから、本当は仲良くなりたかった。友達にもなりたかった。
もしも、もしもこれから、何かの機会で、相沢さんのそばに、またいられるようなことがあったとしたら……
その時は、今度こそ、勇気を出して言おう。相沢さんに、私の気持ちを。手に入らなかったもの、見つけ出せなかったものを、一緒に、今度こそ探しあてよう。




