THE LAST DAY & 6月29〜1日 #2
「お誕生日、おめでとう、おねえちゃん」
妹が私に手渡していったもの。どう考えても理屈にそぐわないもの。それは、まぎれもない不協和音だった。
ごく普通の贈り物のような形をしているそれは、小綺麗な、目に心地のいい包装紙にラッピングされて、私の両手に抱えられている。私は、その手のひらの内に、まるで、まだ見ぬ外界との来たるべき調和を夢見ながら、不気味に胎動しているようなその存在の不吉さを感じ取っていた。その内に奇妙な矛盾を孕みつつ、また、その外界を、(妹の態度が示すように)変質してしまった世界に包まれながら、その両者をかろうじて隔てている小綺麗な包装紙だけが、元の世界の続きを、もうとっくに守るべき価値を失い錆びついてしまったその秩序による統制を、無意味に保ち続けようとしているみたいだった。その包装紙と、それを抱え持つ私。そんな空虚で薄っぺらいものたちだけが、いつの間に変質してしまった、否、新たな価値基準へと勝手に昇華してしまった世界から見捨てられ、取り残されてしまったみたいだった。自分が誕生したというその象徴的な記念日に、むしろ私は新たに生まれ変われる可能性を取り上げられてしまっているみたいだった。
私は、もう一度、世界との距離感を確かめるため、静かに、妹の言葉を反芻してみる……。
――お誕生日、おめでとう、だと……?
……あいつ、何を言っているんだ……?
そんなわけはなかった。私の誕生日は、夏休みのちょうどど真ん中にあるのだ。昨日が終業式で、ライブもなんとか披露できたし、長かった私の試練の期間も終わり、ようやくやってきた安息の夏休み、今日はその初日のはずだ。なので、今日が私の誕生日などということはありえない……。なぜ……? 一体、どうして妹はあんなことを……?
……そうか! バカだからか!
いやいやいやーー! あいつがとんでもないクソバカであるということは充分に承知していたつもりだけど、まっさかここまでだったとはねー! 今日が何日なのかもわからなくなってしまうだなんて、もうおバカキャラなんて可愛いもんじゃなくて、これからの人生どうやって生きていくのよ? って心配になるくらいに重篤な状態だよ? おお、かわいそうに我が妹よ。世界仰天ニュースの2時間特番で、実録! 今がいつだかわからなくなってしまった少女! なんてタイトルで特集組まれて放送された挙句、実は彼女は、とある脳の病気……(エーッ、マジー? かわいそう……。ほんま、気の毒やな……)……ではなくて、ただのおバカさんでしたー!(ズコーーッ! ありえねぇべー! なんやねん、そんなん、あっかんやん!)、みたいなオチまでつけられて、その不名誉な半生が衆目に晒されることとなるのか。ああ、なんたる恥辱、なんたる不幸!
……なんてことは、さすがに思わなかった。
なぜかはわからないけれど、そのことだけははっきりとわかった。
妹の生きる、この世界の時間の流れは正しい。今日は間違いなく私の誕生日だ。
この包みを手渡していった妹の見せた、何気無い微笑み、何でもないようなその日常の仕草が、却って無視できないほどの現実的な重みを持ち、私の抱いたその直感に、反証の余地も、否定する根拠も、それを拒む権利をすら与えず、それを事実として認識することを迫っているのだ。
私の認識する世界の時間軸と、実際の世界の時刻にずれが生じている。これが不協和音を構成する、1つ目の要素だった。
そして2つ目、それは、そんな妹の笑顔、そのものだった。
なぜかといえば、そもそも私の誕生日は「笑顔の不在」によって特徴付けられてきたようなものなのだ。小学校、中学校と時を経るごとに私の誕生日を祝ってくれる友達はどんどんと少なくなっていき、高校生になった今ではもうすっかりゼロになった。私の周りから、笑顔はどんどん消えていった。確かにそれは私の人望のなさの致すところ、というか私がコミュ障であることに起因するのだ、という指摘は否定できないけれど、それでも私にだって言い分はあるのだ! もしも私の誕生日が普通に学期内の日付だったら、いくら私がクラス内で模範的に引きこもっていたとしても、誰か、おせっかい焼きのクラスの中心人物(必ずクラスに一人くらいは、そういう人、いるよね?)に気づいてもらえる可能性だってあったのだ。よーするに、私がこんな風に一人寂しく誕生日を迎えなければならないのは、誰にも気づかれないような、夏休みのど真ん中に生まれてきてしまった私の宿命だったと言っていいのだ。
さらにさらに、その寂しさ、というか虚しさに拍車をかけるような出来事が近年起こってしまった。もともとこんな日に生まれついてしまったことで両親や天命を憎んでいた私であったが、なんとなんと、その日が数年前から何やら祝日に指定されてしまったようで私はさらに日本政府までもを呪うこととあいなった。8月11日、山の日。なんだよー山の日って。もともと夏休みなんだしウチらにはまじカンケーなくね? んだねー、まじ興味ねーし、つか今日だりぃわー……。……みたいな会話がその日クラスのリア充どもの間でたまさかなされているのにひきかえ、あれ、そーいや今日は相沢さんの誕生日じゃね? とでも言ってくれてる人は一人もいないであろうさまを想像してもらいたい。高校生にとってまったくどーでもいい夏休み中の祝日。私の誕生日はそのどーでもよさのさらに上をいくのだ。知ってましたよーわかってますよそんなこと、だけどそれをそんなことさらに明示してみせなくたっていいじゃないですかー、なんでそんな人の惨めさを掻き立てるようなことするんですか! もーどいつもこいつも、みんな死んでしまえ! そうだ、私はもっと怒ってもいい! 私は生まれ持った不運のせいで、避けようもなく、笑顔が不在の誕生日をあてがわれ、きっとそのことが遠因となって、引きこもりの道を歩むことになってしまったのだ。
どうして、よりにもよってこんな日に私のことを産んだのよ!
……ってなことを、お母さんについ口走っちゃったあの日、お母さん、とても悲しそうな顔をしていた……。私がその言葉によって壊してしまった「何か」が、お母さんの心の中に確かに存在していたことを暗に示すようなあの表情、そしてその「何か」の、失われたその大きさ、取り戻せないその重みを悔やむように伏せられたあの瞳。それでも決して私のその発言を咎めまいと、自らの責め苦として胸の中で抑え込もうとするようなその様子が、むしろ私に対する最大の叱責だった。……ううう、あの顔は忘れられないなー。そう、お母さんの笑顔さえも、私は自分のこの手で消してしまったのだ……。
あーあー、いいもんいいもん、一人で生きていくもん! 誰かの笑顔なんていらないもん! 私はただそっとしておいて欲しいだけなんだ。中途半端な獲得は、むしろ手に入らない部分の大きさを強烈に示唆して、その人を欲望のジレンマで苦しめることになるのだ。だったら私は、ゼロでいいもん! なんにもいらないもん! 誰かの愛情なんて欲しくない。だから、せめて私を放っておいてください!
だけど、どういうわけか妹は、私をそっとしておいてはくれなかった。
ガン無視する、あるいは誕生日なのにクラスの誰からもお祝いメールが届かないことを思いっきりディスり倒す、そんなことをしてくるのだったらわかるけれど、妹は、事もあろうに、私の目をじーっと見つめながら愛らしくふっと微笑み、おめでとう、と確かにそう言ったのだった。
ふいに私に向けられた笑顔。例えそれが普段すっごいムカつく態度をとってくる妹からのものであったとしても、いや、だからこそ、私は戸惑ってしまった。人から向けられた愛情、それにどう応えたらいいのか、私はそのすべを知らなかった。キャッチボールのできない私が、原っぱでボール遊びに興じるみんなの姿を横目に、ため息をつきながら、一人さみしく傍らで体育座りをしていた。そんな淀んだ退屈な日常に、突如投げ込まれた豪速球。
それが、この不協和音を構成する、2つ目の要素だった。
そして、3つ目。それは、今私の手に握られている、この包みの中にあるはずだった。それをこれから私は見ることになる。かりそめの、見せかけだけのその綺麗な包み紙を破いて、中に隠されている本質を、その事物を構成するコアとなるものを、この目で見なくてはならない。
私の日常を形作っていた完璧なまでの予定調和は、この不協和音によって破壊されてしまうかもしれない。繰り返す生命の営みのように強固だったその反復性は、ささやかな変調を包含することで、うまくいかない伝言ゲームのように、徐々に姿形を変えながら、パラダイムを失い変質していってしまうかもしれない。
しかし、私はこの不協和音を拒絶するわけにはいかない。この包みを投げ捨てるわけにはいかない。なぜならそれは、妹がわざわざ私のために買ってきてくれたものであり、あまつさえ、頬を赤らめて微笑みながら私に手渡してきたものであるからだ。ボールがキャッチできないのだったら、体でぶつかってでも受け止めなければならない。たとえそれによって怪我をする可能性があるとしてもだ。
それにその反復性には、きっと守るべき価値なんてない。生物の個体の一つ一つは、全く同じように見えるけれど、それでもその遺伝子の配列の中には、不協和音のような突然変異が忍び込んでいる。生命はその変異を飲み込むことによって、豊穣の進化を遂げてきたのだ。原始生物から巨大な体躯を誇る獣まで、その体の形態は似ても似つかないけれど、それでも生命として一貫した「何か」があるとすれば、その「何か」を守るために生命はかりそめの形態というパラメータを操作して生きながらえてきたというだけの話であり、生の本質は表層的な形態の反復などではなく、むしろその一貫した「何か」なのだ。
私も、この不協和音を飲み込まなければならない。
この不協和音を飲み込んで、私という生の本質がほの見える彼岸へと、到達しなければならない。
私たちが、誕生日を覚えておくのも、きっとそのためだ。毎日の繰り返しに小さな断絶を下すためなんだ。取るに足りない些細なよしなし事に心を捕らわれがちな日々の、その恐るべき反復の中で、生きることの重要な本質に再び気付くために、象徴的な意味合いを持つ私たちの「生まれた日」を想起させるためのものなのだ。
単調な繰り返しの中を生きながら、否、生かされながら、そんな空虚な毎日に懐疑心をさし挟む余地を奪われ、束縛を甘んじて受け入れること。そしてその手足に嵌められた枷のような不自由さの、その締め付ける痛みの感覚に、屈折した心地よさを覚えていくこと。私たちは、それを日常と呼ぶ。ゆっくりと体内に蓄積されていく薬物に侵され、徐々に中毒症状を呈していくように、その見せかけだけの快楽に身を預けて、仮想の死をまるで安息のように貪ること。それを私たちは惰性と呼ぶ。
ならば、私たちが「誕生した」日であるというその象徴的な意味合いは、そんな「偽物の死」のような毎日に仕向けられた「本質的な生」という名の反証、その繰り返しの永続性に仕組まれた小さな断絶に他ならない。その象徴的な生、実体を伴わない概念的なものであるけれど、むしろそのことによってピュリファイされ、可視化された生のイデアのようなもの、それが、不思議なことに「断絶」という形をとって、年に一度、私たちの眼前に現れるのだ。
私たちが「生まれ変わる」ためには、そんな「断絶」を受け入れる必要があるのかもしれない。なぜなら、生きたままもう一度産まれ出てくるなんてことは、当然できないからだ。
私たちは毎日の生活の中で、きっといろんなことを、どんどん忘れていってしまう。どうでもいいことに気を取られて、本当に大切なことを忘れていってしまう。日々のルーティーンを前提に成り立っている社会は、必然的に既視的となりがちな個々の仕事にも行うべき価値を与えるために、無理矢理に私たちから「本質」を喪わせようと企てるかもしれない。だからこそ私たちにはささやかな非日常が、小さな断絶が必要なんだ。私たちが誕生日を覚えておくのも、そんな私たちの「本質」を、私たちの積み重ねてきた時間を、忘れないでいるためなのだ。
✳
「全部、忘れちゃっていいんだよ」
私は飯田さんにそう告げた。彼女にとっても、私にとっても、私たちみんなにとっても、それは「とても嬉しいこと」に違いなかった。
「……? 依緒ちゃん、いったい何を言っているんですか……?」
「飯田さん、いつもいつも、本当に辛そうで、私、見ていられないんだよね。本当は誰よりも傷つきやすいくせに、誰よりも、忘れてしまいたい、って、そう思っているくせに、いつも自分を戒めて、自分のこと傷つけて」
その「嘘」は私の口からするすると出てきた。私が昨日、椎香を傷つけたのと同じ、最低の嘘だった。
それでも私は構わなかった。私はこれから、きっとそんな罪の全てを忘れてしまえるからだ。偽りの不実さも、真実の尊さも、全てが等価に相対化され、均質化された完全な繰り返しの中へと、逃げ込むことができるからだ。
「そんなのってさぁ、馬鹿馬鹿しいって思わない? 忘れたいことがあるんだったら、それが良いか悪いかなんて考えないで、綺麗さっぱり忘れてしまえばいいって、そう思わない?」
「……嫌です」
決然としたその声は、私に向けられたものではなかった。きっとそれは過去の彼女自身に向けられたものだろう。だけど、いや、だからこそ、その声はまるで私の未来の罪を、過去である現時点から罰するかのように、辺りに奇妙な反響の仕方をした。
「……私は、忘れたくなんか、ないんです。依緒ちゃんと過ごしたことも、みんなと一緒にいたことも、昨日みたいに、ケンカになっちゃったことだって、ぜんぶ、ぜんぶ忘れたくないことばっかりなんです」
「え〜! そう!? 私は忘れたいこと、たっくさんあるけど!」
わざと大きな声でそう言うと、彼女は片足で半歩引き下がるようにたじろいだ。彼女の下くちびるが震えるように小さく歪むのを、私の狡猾な目は見逃さなかった。
「ほら〜! 今だってそうやって泣きべそかきそうになってるじゃない! 今、私と話していることだって、忘れてしまいたいって、きっと後でそう思うんでしょ!?」
私の声は、抵抗を放棄した彼女の姿をまるで触媒として、爆発的に反応するかのように、独りでに、どんどん大きくなっていった。頭上からその大声を浴びせられた彼女は、「ひっ」と小さな声をあげて、まるで落下物に対する条件反射のように、両腕を額の上にかざして恐怖に身を竦ませていた。糸に吊るされた操り人形のように、ただでさえ小柄なその体をさらに小さく折りたたんで。私の書いた脚本をただ演じるためだけに作られた哀れなくぐつのように。
――簡単だった。明確な、過度に純化された目的さえ持っていれば、行為は、思考することなどまるで必要とせず、たやすく遂げることができるのを私は発見した。私の為すべきこと、一番傷つきやすい彼女を標的に選んで為される私の行動は、堤の最も薄い箇所を破って溢れ返る水流のように、その法則通りの物理現象のように純粋だった。私の意図は、その濁流が人々を呑み込んでいくさまをただ傍観している瞳のように、潔白だった。
「みんな、忘れてしまいたいこと、やり直したいって思う後悔を抱えながら、それでもそんなことできないから、諦めて、仕方なく生きているんだよ? 叶わないことだとしても、それでも『もしできるなら……』って、そう夢見て生きていくのは、私たちの自由なはずだよ。本当にそれをできる立場の飯田さんが、それを『いけないこと』だなんて呼ぶのは、横暴だよ。私たちの気持ちを踏みにじる行為だよ」
「……い、依緒ちゃんは」
彼女の声は、ひどく震えていた。私の方をちらちらと見たり見なかったりしながら、迷い迷い、なんとか紡ぎ出した言葉のように聞こえた。
「依緒ちゃんは、何か、忘れてしまいたいことがあるんですか? 忘れてしまったものは、もう2度と取り戻せないんですよ? それでもいいんですか? 全部なかったことにしちゃっても、いいって言うんですか?」
「うん! 忘れちゃいたいなー」
その返答に、私は、迷う必要なんてなかった。
「私、引きこもりだからさ、人と付き合っていく、正しい方法とか、わかんないんだよ。いつもいつも、勘違いして、間違えてばかりいるんだ。だから私は、変な思い上がりを抱く前に、一日毎の出来事を、そのつど忘れてしまえばよかったんだよ。そうすれば、昨日みたいに、あんな風にみんなのことを傷つけなくて、済んだんだよ」
こんなにポジティブな仮定の話をしているのに、彼女の瞳は悲しげな色をどんどん濃くしていった。どうしてそんな目をしているのか、私にはわからなかった。
人の感情というものが、私にとってはいつも難しい。それでも多くの人が認めるように、その感情というのがとても貴重なものなのだとすれば、私は、自分の理解の及ばなさを弁明することなしに、その難問の前から黙って立ち去るのがせめてもの礼儀なのだと思った。そのことが誰かを傷つけたり悲しませたりしたとしても、それを見て見ぬふりをすることがせめてもの償いなのだと思った。それを忘れてしまうことが私に許された唯一の正義なのだと思った。
「それにさ、椎香も、妙有も、それぞれ忘れてしまいたいって思ってることがあるみたいだよ? 私、そんなみんなの気持ちを無責任に断罪することなんて、とてもできないなー!」
その時私は、意図的に2人の名前をあげた。彼女たちの願いを果たすことが、私の目的にとっては不可欠だったからだ。そして、もちろんもう1人の願いも。
「飯田さんだって、忘れてしまいたいこといっぱいあるんでしょ? ないわけないよねー! いっつもいっつも、泣くのを我慢してなんとか堪えてるだけで、本当は忘れたいこと、たくさんあるんだよねー!?」
言葉には不思議な力があった。将来の夢について何度も唱えることでそれが叶うと謳う啓発セミナーのように、あるいは繰り返し口をつく呪詛が本当に誰かを呪い殺すように、手段として彼女を傷つけるような言葉を選択していたのが、気がついたら本当に彼女を傷つけたい、意のままに操ってやりたい、と本心で思い込んでいる自分を私は発見した。ならば、そんな私の言葉によって、彼女が本当に何かを忘れてしまいたいと心から思うようになることは、容易に想像できた。
「全部、忘れさせてあげるよ。飯田さんが、もう苦しまなくてもいいようにしてあげる。それって、飯田さんにとっても、とても幸せなことでしょ?」
「わ、私は……」
手段と目的を混同し、錯乱している私にとって、その彼女の戸惑いも、純真さにすがりつく最後のあがきも、私の裏切りに対する裏切り、もっと言えばただの裏切りと同じようにしか感じられなかった。その時の私は、自分が咎められているかもしれない可能性を、感じ取れるだけの自浄作用をも失ってしまっていたのだ。
「……それでも、……私は、忘れたくないです」
飯田さんのその抵抗に、いつもの彼女とまるで同じようなその言葉に、私はとても興を削がれた。禁止されている遊びを、大人たちに内緒でやってしまおう! とする、そんな心踊るようなささやかな計画を事前に先生にチクられてしまった時のようなあの興ざめ。取るに足りないことと知りながら、それでもあえてそこに意味を見出しているという自意識の、その秘められた喜び、人目につかないように内部に隠匿していたその企みに宿る、自らの目でしか見て取ることのできなかったあの輝き、そんなものに、つまらない現実的な価値基準の尺度をあてがわれ、眼前に、また広く公に見える形で再提示されてしまった時のような、あの興ざめだった。
「ええー? ……わかんないなあ」
ため息交じりに出た言葉は、私の本心だった。
きっとまだ、傷つけ方が足りないのだと思った。正しい目的のためには、どんな手段でも正当化されるべきだと思った。それに、例えそれが許されないとしても、私は構わなかった。私は全てを忘れてしまえるからだ。誰かを傷つけたことだって、きっと、忘れてしまえるからだ。そして、それはとても望ましいことだった。
「どうして、忘れることをそんなに頑なに嫌がるの? 私と最初に会った時から、ずっとそうだったよね? 忘れちゃうことが、そんなに悪いことだなんて思わない、って言ってあげても、何かに固執するように、まるで意固地になってるみたいに、それはダメなことなんです、って、そう言うだけだったよね? どうしてそこまで、こだわるの? そんなの、すごく不自然だよ?」
「それは……」
彼女はそこで、短く言葉を詰まらせた。だけど、次の瞬間、何か決心したように、強い視線を私の方へと向けてきた。ためらいと決意とが破綻なく同居しているようなその様は、少々の矛盾も撞着も罪さえも受け入れ、赦すことのできる彼女の生きた力強さの現れだった。その瞳は誇らしいほどに純潔だった。まるで、愛の告白をするときの乙女のように、燃えるように純潔だった。
「……それは、依緒ちゃんがいたからです」
✳
6月19日 火曜日
今日はダンスの練習の初日。
相沢さんと、初めて一緒に帰った。
ドキドキした。私のこと嫌ってるんじゃないか、って思ってたから、すごく怖かった。
だけど、相沢さん、すごく優しかった。
戸惑っていて、その場に立ちすくんでいた私に、一緒に帰ろう? って言ってくれた。
嬉しかった。
私が、いろんなことすぐ忘れちゃうんです、って打ち明けても、相沢さんは、別に飯田さんは悪くないと思うよ? って言ってくれて、慰めてくれた。こんな私を、きっと相沢さんのことをすごく傷つけた私を、優しく受け入れてくれた。
すごいなあ、相沢さん。私、とてもそんなに強くなれないよ。
そうだ、相沢さんは、きっと、すごく強い子なんだ。だから、こんな私みたいな、間違った、矛盾した存在でも、受け入れて、赦すことができるんだ。
でも、だからこそ、そんな相沢さんの強さに甘えてちゃ、いけないんだ。
もう二度と、相沢さんのことを忘れたりしちゃ、いけないんだ。
それに何より、そんな義務感からじゃなくて、私、相沢さんのことを忘れたくない。これから、一緒にダンスの練習を頑張っていく、その思い出をたくさん作りたい。楽しいこと、嬉しいことを、いっぱい、いっぱい、一緒に経験したい。そんな出来事たちを、ぜんぶ、ぜんぶ、覚えていたい。一つも忘れたくなんかない。
どんなことでも、覚えていたい。たとえ、嫌なことや、辛いことだって。……相沢さんを傷つけたことだって、本当は忘れたくなんかなかったんだ。




