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ixte  作者: 琴尾望奈
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チーム結成! だけど……

「――遅い! 相沢さん、遅いよ!」


 その日の放課後。ちょうど掃除当番だった私は、一日分のゴミを旧校舎裏のゴミ捨て場まで運んでから、楠田さんに伝えられていた集合場所である、屋上へ続く階段の踊り場へ向かったのだが、当然私が最後に来ることになった。


 余談だが、掃除を終えた後、最後に誰がゴミをゴミ捨て場にまで運ぶかは、普通はじゃんけんで決めたり、当番制にしたりするのだが、私の班が掃除当番のときは、毎回必ず私が率先して引き受けることにしている。そうすれば、帰るタイミングを他の子たちとずらせるのだ。普段は模範的に引きこもっている私が、掃除の終わったときだけ「あ、私がゴミ捨てするから。みんなは先に帰っていいよ!」とか突然話しかけてくるもんだから、みんなは、「お、おう。まかせた」とか言って、面食らった表情を隠せない。つーか確実に引いてる。めんどくさいゴミ捨てという仕事でも、それさえもちょっとした楽しみに変えてしまおうと、じゃんけんという真剣勝負に向けて全力で温めていたモチベーションを突然奪われて、肩透かしを食らったそのしらけた雰囲気を白い目で私に投げかけてくる者もいる。それでも私は気にしない。引かれようが、気持ち悪がられようが、ウザがられようが、かまわない。私の精神力はもはや禅寺の修行僧のレベルにまで達しているのかもしれない。人の世は無常であると見つけたり。


 そんなわけで、今日もゴミ捨てを引き請けてしまったので、私だけ集まるのがだいぶ遅れてしまったのだ。楠田さんは、彼女にしては(多分)珍しく、険しい目をして、何の断りもなく遅れてきた私を腕組みして待ち構えていた。ああ、楠田さん怒ってる。あんなにニコニコ、屈託のない笑みを顔に貼り付けるようにして絶やさなかった彼女を、知り合った初日にこんな怒った表情にさせてしまうなんて、私って、人から嫌われる天才なんじゃないだろうか? って思って、悟りの境地に入っていた私でも、さすがにちょっと悲しくなってしまった。……だから人付き合いって苦手なんだよ。大変だし、疲れるし、どうしたらいいかわかんないし、どうしたってうまくできないんだ。……ここはちゃんと謝らないと、と思い、私は思わず泣き出しそうになるのを抑えて、腹式呼吸をまるで使わずに声帯だけを震わせるようにして、か細い、消え入るような声をなんとかひねり出す。


「ごめんなさい、楠田さん。私……」

「なーんてねっ!」


 ぴょこん、と小さく跳び跳ねるように腰をかがめると同時に、くるりと表情を元の満面の笑顔に戻す。長身の頭が私の目線と同じ高さまで下がると、隠されていた太陽の光が背後の窓から彼女の前髪に、ハレーションのように燦々と降り注ぎ、その祝福のような、啓示のような光の乱舞に包まれた彼女の晴れやかな佇まいは、それはもう、マジで天使か何かなんじゃないだろうか? って思っちゃった。


「今日、相沢さん掃除当番だったんでしょ? 班の他の人たちが先に帰るの見たから、相沢さんがゴミ捨て当番だったんだよね?」


 ほとんど正解。違うのは、当番ではなく立候補だったことだけ(苦笑)。


「ちょっとからかってみただけだよ、ごめんね! 掃除当番、ご苦労さま! 疲れてる中、集まってくれてありがとね!」


 うわー、なにこの気遣い、なにこの優しさ。そして愛に溢れたサプライズ。落とし穴を踏んづけて、は・め・ら・れ・たー、とか思いながら落下していると、底にトランポリンが仕掛けられていて、そのまま上空5メートルの高さにまでちょこんと正座した格好でぽよよーん、と跳ね上げられ、地上にいるみんなから拍手喝采を浴びた時のような、そんな気恥ずかしい気分だった。楠田さんがあまりにも天使すぎて、ゴミ捨てを立候補(笑)とかしちゃうゴミのような私にまで優しくしてくれて、もうね、ほっこりと嬉しい、を通り越して、痛い、苦しい、そんなレベル。恵に満ちた穏やかな光を、暗闇に慣れきった瞳にいきなり投げかけてくるみたいな、そんな暴力的なまでの優しさ。な、何なの、この子? どうして私をこんな気持ちにさせるの? やめて! 私はテンプレ通りに心を開いていったりするツンデレキャラじゃないんだからね。そんな優しさなんか、逆にノーサンキューなんだから!


 こんな天使すぎる側面を見せられたって、楠田さんに対する警戒心を緩めるわけにはいかない、と思ってしまう。むしろ、自分が脅かされる可能性のある対象への、通常の警戒心の他に、違うベクトルの警戒心がむくむくと出現してきて、レーダーチャートのグラフのように、その面積をどんどん拡大していくのだった。


「それじゃあ、これでみんな集まったし、活動開始、ってことで!」


 グーを作った右手を胸元にとんっ、とあてがい、楠田さんはそう高らかに宣言する。ちょっと小柄な男子ぐらいの身長を持つ彼女は、何気ない仕草までもがいちいちボーイッシュでかわいい。……う、うーん、なんだろう、この、胸がきゅるきゅるっと締め付けられるようなこそばゆさは? い、いくら私が男を知らない貞操純潔乙女(喪女とは呼ばないで!)だからって、同性の子がかいま見せるこんなちょっとした異性っぽさに過敏に反応してしまうほど干からびてしまっていると言うの? だ、だめよ、相沢依緒! 相手は女の子だぞ! 目を覚ませ! ……あれ? なんか本当に()()()()()()()かもしれない……。べ、別に女の子同士だからダメってことないんじゃない? 大事なのは当人間の気持ちだし……渋谷区では認められているって言うし……歴史上の人物にも多いらしいし、そう、あの百合の紋章を掲げて戦った悲劇のヒロイン、ジャンヌ・ダルクにしたって……そ、そうだ! 私も戦おう、世間の固定観念と! 掲げよう、()なる百合の紋章を……!


「あ、あのー……。すみません……ちょっと……」


 どっぺるぎゃーーー!! な、な、何を考えているんだ私!? あ、あぶねー! もうちょっとで新しい私デビュー! するところだったぜ……。


 ……ん? 誰? 今の声。


「あ、あのー……。よ、よろしくお願いしますぅー……」


 あたりをキョロキョロ見回してみても誰もいない……と思っていたら、その声はどうも、目線のずっと下の方から響いてきていた。はっとして見下ろすと、小さな頭のてっぺんに、居心地悪そうにちょこんと居座った丸いつむじがじーっと私の方を見ていた。……うん? なぜだろう? とても既視感。確かこの子は……。


「……あれ、あなた、飯田(いいだ)さん?」


 私がそう呼びかけると、さらさらの髪の毛が重力に従って形作っていた綺麗な数理模型のようなシルエットが、びくぅぅっ、と、音叉のように震えて、つむじの目玉がぐるんと後ろに回って見えなくなると同時に現れた彼女の本物の両目が、恐る恐る、と言った感じで、上目遣いに私のことを見つめてきた。


「あ……、お、覚えててくれたんだ……」


 ああ、やっぱりそうだ。彼女は、新学期の頃、私のすぐ後ろの席に座っていた飯田(いいだ)絵奈(えな)さんだ。「あい」の私が出席番号1番で、「いい」の彼女は2番だったのだ。彼女のつむじに見覚えがあったのも、別に私がつむじマイスター(なんだ、そりゃ)だからと言うわけではなく、いつもプリントを配るために後ろを振り向いた時、彼女のつむじばっかりが目に入ってきたからだった。ずっと俯いてて私と目を合わせようとしない、全然話しかけてこない大人しい彼女が、真後ろの席にいることは、私の模範的引きこもり生活にとって好都合だった。隣の楠田さんがずっと学校を休んでいたこともあり、その頃の私は随分と理想的な席をゲットしていたことになる。……しっかし、ずっと近い席にいたはずなのに、こうしてほぼ初対面で3人が顔を合わせるというのは、まるで仲良くない子の親と自分の親がPTAの会合で勝手に親睦を深めていて、親同伴のイベントで挨拶を始めちゃった時のような、なんとも言えない気まずさが漂うものだ。それでも彼女は、桜色に染まったぷにぷにのほっぺたに、えくぼをぽこぽことへこませながら口角をあげ、


「相沢さんがダンスやろうと思ったなんて……ちょっと意外でしたー。でも、一緒に頑張りましょうねー」


 と、嬉しさに弾み出しそうな声色を照れ隠ししたように微笑むのだった。くっそ。この子の笑顔といい、楠田さんの神対応といい、ことごとく私の退路を断ってきやがる。もう今さら、やっぱりやめましたー! なんて、とても言えないなー。


 ……あれ?


 一抹の胸騒ぎを覚え、私は辺りをぐるりと見渡してみた。しかし、飯田さん以外の子の姿を見つけることはできなかった。さっき楠田さんは、「これでみんな集まったし……」と言ってたから……つまり、メンバーは私、楠田さん、飯田さんの3人しかいないってこと?


「うーん、私もたくさん誘ってみたんだけどねー。みんなテストも近いし部活も夏の大会前だから、って断られちゃって。集まったのはこの3人だけなんだよね」


 ……しまった。大誤算だ。「端っこにいて目立たない作戦」を目論んでいたのに、メンバーが3人しかいないなんて……。これじゃ、端っこもへったくれもないじゃないか。Perfumeの端っこなんてもうほぼセンターだよ。のっちも、かしゆかも、これでもかってほど目立っているじゃないか。


 私の顔の端に浮かんだ当惑の色を敏感に察知した楠田さんは、それでもその真意についてはすこぶる鈍感なご様子で、


「でもさ! 3人しかいなくても、きっと大丈夫! 私たち全員で力を合わせて、みんなをワッと言わせるような最高のライブをやろうよ! 私も、今まで学校に来れてなかった分、みんなと……」


 と、そこまで言うと、何かにハッと気がついたような顔になり、


「……あ、でもその前に、自己紹介が必要かもしれないね、私だけ」

 自分が今まであまり学校に顔を出していなかったことを思い出して、ちょっとだけ自嘲的な笑みを浮かべる。ああ、楠田さん、あなたは誤解している。自己紹介が必要かもしれないのはあなただけじゃないのよ。……だけど、楠田さんのその言い方には、どこまでも高く飛んで行こうとする彼女の無碍(むげ)な精神にはさまって錆びついてしまった(かせ)のような、どこか重苦しい響きがあった。ひょっとすると、私が漠然と考えていたよりも、ずっとずっと大きな何かを、彼女は背負っているのかもしれない。『人の身の上話は聞くな』が信条の私は、この時点でちょっと嫌な予感がしていた。


「私、楠田椎香です。初めまして、ではないんだけど……ね。今まで、なかなか学校に来れなかったから、2人ともあんまり私の顔見たことないよね? 私も、みんなともっと仲良くなりたかったし、学校にも来たかったんだけど、ちょっといろいろと深い家庭の事情」

「へーそっか大変だったねーでももう大丈夫()()()()()()()()()()よーしライブに向けて練習練習っとちなみにみんなは何の曲やりたい私はももクロの」


 嫌な予感がその色をぶわっと濃くし始めた気がして、私は全力で話題を変えようとした。世の中には優しい嘘という概念があるように、親切な無関心だってあるのだ。


「はーい。ちょっといいですかー?」


 ゾウリムシ並みのコミュ力しか持たない私の、あまりにも不自然な話の反らし方を怪訝そうに見ていた飯田さんが、たまりかねて助け舟を出してくれたようだ。た、助かります、飯田様。


「どうして、楠田さんは、今まで学校に来れなかったんですかー?」


 汲み取ってよー! 私の意図を汲み取って、話を水に流してよー。


「……え? 汲み取る? 水に流す……? あー、トイレの話ですかー。うちのトイレは水洗式ですけど、もしかして相沢さんちは汲み取り式……?」


 そんなわけあるかーい! このご時世に汲み取り式って、どんな田舎に住んでる設定なのよ、私。余裕で水洗式だから! 蓋も自動で開くから! トイレについては、私、一家言あるのよ? 最近では節水性とか除菌・抗菌能力とかばかりとかく喧伝されて見落とされがちだけど、真に重要なのはその用の足し心地……

 ……って、違うでしょ! そもそもトイレの話じゃないから!


「楠田さんがどうして学校休んでいるのか、私、不思議だったんですよー?」


 どうやら飯田さんは、私のコミュ力のなさ以上の空気の読めなさを持っているようだ。……やめろ! もし楠田さんに何かシリアスな事情でもあったら、立場的に私たちが一緒に背負ってあげなきゃいけない感じになるじゃないか。


「う、うん……そうだね。……隠しておくことでもないか……」


 と、一瞬ためらった後、


「実は、私のお父さん、ちょっと重い病気でね。この春先から、それが悪化しちゃって……。他に身寄りがいないから、しばらく私が付きっきりで看病してあげなくちゃいけなくて……」


 それ見ろ、それ見ろ! と、ドラえもんのひみつ道具を使ったら最悪な結果を招いてしまったときののび太くんのように、私は髪の毛を逆立てて飯田さんを責め立てたい気分にかられた。な、なにこの最重量級にシリアスな事情は? ここは、都合のいい設定の登場人物ばっかりでてくるマンガかラノベですか? じゃあなにか、私はこれから幾多の困難を乗り越え楠田さんとハッピーエン……ゲフォ、ゲフォ。


「ご、ごごごご、ごめんなしゃいぃぃ! わ、わわわ、わたし、聞いちゃいけないことを、き、ききき、きき、ききききききききききききき――」


 ……な、なに? 卵でも産まれるの? それとも産まれたばかりなの? こんな小さな体して、なんて大きな声出すんだ、この子……?

 自分から尋ねておきながら、そのあまりにもシリアスな楠田さんの告白にたじろいでしまったのであろう飯田さんは、腰を抜かしてその場にへたり込み、おいおいと泣き出してしまった。


 ……っつーか、面倒くさいなー、この子。いくらなんでも大げさすぎるよ。こんなに大泣きされちゃうなら、今後何かささいなことがあっても、注意とかできないじゃん、この子には。

 私が、そんなどこまでも自分本位な憂慮に捕らえられ、勝手に暗澹たる気分に浸っているのを尻目に、楠田さんは、どこまでもまっすぐに、飯田さんの目と、その奥にある彼女の心までもを見つめるような、涼やかな視線で彼女に向き合い、


「もう、落ち着いて! 全然気にしなくて大丈夫だよ!」


 一体、どっちが励まされる立場なんだか、よくわからなくなるような底しれぬ包容力で、泣きじゃくる飯田さんを介抱してあげている。きゃー、楠田さん、まじイケメン!


「実はね、ここ最近は、すごくいい方向に向かっているの。もうすっかり元気になってきて、もうすぐ退院できるかもしれないって! それで、わたしも学校に来れるようになったんだ」

「グズッ……本当……グズッ……に………?」

「うん! だから、心配しないでよ!」

「……はい!」


 そう言って、2人穏やかに微笑み合い、交わしあう視線の狭間で、初夏の太陽は沈みゆく最後の残照を窓越しに煌めかせ、古い映写機のランプのようなオレンジ色の光で、飯田さんの頬を伝う涙や、それを拭う楠田さんの指のたおやかなシルエットをそっとなぞり、決して忘れ得ぬ映像として私の脳裏のスクリーンに照らし出すのだった。……いやー、美しいなー! 麗しき乙女たちの友情というものは! あまりに美しすぎて、なんだか、私なんかが混ざっちゃいけないような気がする。そうだ、美術館とかでも展示品に触れちゃいけないし、本当に美しいものはただ遠くから眺めることしか許されていないんだ。うん、ここはそっと身を引くべきだ。私は一つ上の領域にシフトして、異なる次元から魔法少女……じゃない、2人の活躍をそっと見守っていよう。それが私の祈り、私の願い。頑張って! 2人で仮面でも着けてまどマギの主題歌とか歌ってれば絶対ウケるよ! そいじゃーあっしはここいらで失敬させてもらいやしょーか……


「だからね、みんなで頑張って、絶対にライブを成功させようよ! 相沢さんもさっき言ったように、()()()()()()()なんだから!」


 うわー、しまったー! 私が、話題を反らすためにどさくさで口走った言葉、楠田さん、聞き逃してくれてなかったー!


 ちょっとした発言の端っこをふん捕まえられ、頭と意地の悪いマスゴミにこんこんと問い詰められる政治家の辛さがわかるような気がした。彼らが、発言の中の、相手に都合の悪いことだけを意識的に拾い上げるのと同じように、強烈なプラス思考の持ち主である楠田さんは、自分の都合の良いところだけを無意識に拾い集めて、どんどん積み上げていってしまうのだ。事態は、楠田さんにとってはとんとん拍子に、私にとっては坂道を転げ落ちるように進展し、気が付いたらもう私たちは仲間、友達、すっかりそんな関係と認識されてしまっていた。一般的に、信頼は築きあげるのに時間がかかり、失うのは一瞬だといわれているが、私にとって、友人を失い引きこもりになるのには時間も手間もかかり、楠田さんにとって友情を築きあげるのは一瞬なのだった。


「ちょ、ちょっと、待って、その……」

「それじゃー、明日から、本格始動だよ! みんな、頑張ろうね!」

「グスッ……、……うん、頑張りましょう!」

「え、えっとー……、そ、その……、が、がんば……」

「ファイトー、おー!」

「おー、です!」

「……お、おう……」


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