第七話 レトルトカレーとパック野菜
どういうことだろう……
今日は契約が五件もとれてしまった。
一日にこんなに契約が取れたのなんて、これまでない。
会社に帰る足取りも軽い。
これなら、二日くらいは、上司の嫌味を聞かされることはないだろう。
それが何よりうれしい。
「あっ、一之瀬……まだいたのか?」
と、会社の入り口で同僚と出会う。
時刻は午後六時。すでに定刻は過ぎているが、俺は掃除があるのだ。
「掃除がありますので」
「あ、そ、そうか。そういやそうだったな」
「……何です?」
「あ――い、いや。別に。それじゃあな。気を付けて帰れよ」
?
なんか挙動不審だな。
まあ、いいや。さっさと掃除を済ませて帰ろう。美菜ちゃんのプレゼントも買わなきゃいけないし。
ぴんぽーん。
インターホンを鳴らす。隣室、美菜ちゃんの家のをだ。
『……はい、何ですか?』
ドアを開けずに、インターホン越しに彼女は出た。
「あー……あの、この前から、世話になったお礼をしにさ」
『お礼?』
「ほら、おかゆとか、筑前煮? とか。はい、これ」
と、俺は玄関の前の覗き窓に、プレゼントを見せた。
『……ちょっと待ってください』
玄関がきい、と開く。チェーンロックがかかったままである。その隙間から彼女が顔を見せた。
「買ってきたって、何を買ってきたんです?」
「ほら、今、日曜日の朝、やってるじゃないか」
俺が買ってきたのは、そのアニメのヒロインが使う魔法のステッキだった。
インターネットではこのアニメが大人気であることを俺は知っていたから、当然、彼女もこのグッズが欲しいはずだ。
……案外高くてちょっとお店で悩んだけど。
「……」
うへえ、という顔をする美菜ちゃん。
ここは喜びの顔を見せるはずだと思った俺は面食らった。
「あ、あれ? いらなかった?」
「あ、いや……いらないというわけでは」
もう顔が拒否している感じだよね。
「そっか……いらなかったか……」
俺が意気消沈しているのを見て、美菜ちゃんは慌てる。
「ほ、欲しいですよ」
「無理しなくていいよ」
「無理じゃないですから。欲しかったんですよ。このえっと、魔法天使? プリティー……えっと……」
「ほら、作品名もまともに知らないじゃないか」
「……すみません。昔は、こういうのを見てましたけど……さすがに、五年生になってからは、ちょっと……」
観念して、彼女はこんなものに興味がないことを認めた。
しまったな。彼女に気を遣わせてしまっている。
……うーん、恩をあだで返しまくってるな、俺。
「……でも、本当に、何かお礼をしたいんだ。君の料理、すごく美味しかったからね」
「それはありがとうございます。でも、別にお礼が欲しくてやったわけじゃないですし」
「でも、何か、ない? 欲しい物とか?」
「私が欲しいのは……別に……というより、一之瀬さんが変死体になって見つからないのを願いたいです」
「変死体? 俺が?」
「嫌ですよ、私。テレビで『良い人だったんですけど』とか言うの」
「ははは。俺が死ぬなんて――」
そういえば、この前自殺未遂をしたばかりだった。
ないとは言えない。
ま、まあでも、一応、復帰してからは(二日間だけど)仕事は順調だし。
とりあえず――今のところはそんな気は起きない。
俺が軽口を叩いたのが気に障ったのか、ドアの隙間越しで美菜ちゃんは唇を尖らせて、そして怖い顔で言った。
「食生活を甘く見てると、本当、後で痛い目見るんですから。一日に必要な三十品目たべてますか? 塩分摂取量を気にしてますか? お酒を飲み過ぎてはいませんか? 病気になってからでは遅いんですよ?」
どうやら、彼女は俺が食生活がだらしないから怒ってるようだった。
「大丈夫だよ、そんなの。お酒もあんまり飲まないし」
「本当ですか? じゃあ、今日の朝何を食べたんですか?」
「食べてないけど」
「――」
美菜ちゃん、開いた口が塞がらない。
俺は慌てて付け加えた。
「あ、い、いや仕事に行く前にコンビニであんパンを食べたよ」
彼女は険しい顔で尋ねてきた。
「……お昼は?」
「ラーメンと炒飯を食べたかな」
「……この後、何を食べようと思ってるんです?」
「何って……カレーだよ、ほら」
と、俺はスーパーで買ってきたレトルトカレーを見せる。
「あ、い、一応、パック野菜も買ったよ? ほら、このカレーにも野菜が入っているし……今日はご飯も炊こうと思っているし」
美菜ちゃんは頭が痛いのか、こめかみを指で押さえながら俺に言った。
「三十品目、全然足りてないじゃないですか」
「三十品目って何?」
「家庭科で習わなかったんですか……?」
「家庭科には興味なかったからなあ」
「本当に大人なんですか? 一之瀬さん」
ぐさり。
もう三回目だけど、やっぱりこの言葉は堪える。
「あのですねえ、このままだと、死にますよ、本当に! 冗談じゃなく!」
「大げさだよ」
さすがに。
心配してくれるのはありがたいけどさ。
「決めました――一之瀬さん、さっき、なんでもやるといいましたよね?」
「いったけ?」
何か欲しいものがあるかとかだったような。
「言いましたよね?」
と彼女に凄まれたら、俺は「はい」としか答えられなかった。
「私が、一之瀬さんに料理を教えます」
「え? どういうこと?」
「一之瀬さんが自炊ができるようになるまで、私が特訓します……徹底的に、教え込むんで。そのつもりで」
「いや、いいよ。悪いし」
「困るんですよ、隣室に変死体ができると」
本当に俺が死ぬと思い込んでいるようだ。
やれやれ。子供ってのは想像力豊かだな。
でも、ま、それで彼女の気が済むのなら、仕方ないかもしれない。
「じゃあ、明日から、特訓しますから……ちなみに何か食べたいものありますか?」
「ハンバーグか、オムライスだね」
「イワシにしましょうか。あ、拒否権はないですから」
「何で今聞いたの?」
美菜ちゃんはふふっと笑った。
「冗談です。あ、イワシは冗談じゃないですから」
初めて彼女の笑顔を見た気がする。
ちょっと、心を許してくれている気がして、少しうれしかった。
 




