第六話 スーパーの総菜とほうれん草の煮浸しとイリコの佃煮と筑前煮と味噌汁(豆腐とわかめ)
「あのさあ、一之瀬君、何でそんなに契約がとれないわけ?」
翌日の朝。
俺は上司から呼び出しを受けて、嫌味を言われていた。
「ごほ、ごほ……それは、ごほ、僕の力不足かと」
「それは聞き飽きたよ。いいか? 少子化だからこそ、今、子どもの教育に親はアホほど敏感なわけ。いつも言ってるけどさ……ちゃんと煽ってるか? 『このままじゃあなたのお子さんだけ皆から遅れることになりますよ』ってな」
「やっては、いるのですが」
「……じゃあ、何で契約取れねーんだっつってんだよ!」
ばん! と力強く机をたたく上司。
「すいません」
俺は腰を折ることしかできなかった。
「すいませんじゃねーだろ! 給料泥棒が! 風邪なんか引きやがって! たるんでる証拠だよ!」
「頑張ります」
「言葉なら何とでも言えるんだよ! 結果で示せ! 営業行ってこい! 気合入れてやれよ、気合入れて!」
インターホンを鳴らす。
「すいません。私、○○学習支援会社の一之瀬と申します。少々お時間宜しいでしょうか」
『セールスは間に合ってます』
インターホンを鳴らす。
「すいません。私、○○学習支援会社の一之瀬と申します。少々お時間宜しいでしょうか」
『……』
返事がない。
「すいません。ごほ……私、○○学習支援会社の一之瀬と申します。少々お時間宜しいでしょうか」
………
……
…
はあ、と俺は夕焼け空を見ながら、会社に向かって歩いていた。
俺の仕事は、営業部内の清掃も含まれているのだ。故に、直帰はあり得ない。
ようやく、一件契約が取れた。
ノルマまで程遠いが、上司の怒鳴り声も幾分かはトーンが優しくなるはずだ。
俺の務めている所は幼児向け・小学生向けの学習教材を販売している、ネットでも噂話すらない地方の会社だ。
正直な話、教材としては大手の物の方が優れているし、わざわざ聞いたこともない会社の教材を使う人間は少ないだろう。
そこを、セールストークでどうにか売りつけろ――と言われている。
正直、俺はセールスマンには全く向いていないと思う。
自覚しているが、面接を何度も落ちて、ようやく決まった会社だ。
ここを辞めるとしても、じゃあ、他に何が向いているのかと問われれば、俺は何も答えられなかった。
何の才能も、能もない俺は、ここにしがみつくしか、場所はないのだ。
今朝がた風邪で怠かった体も、動いている内に幾分かマシになった。もうマスクも必要ないだろうと、鞄の中にしまう。
頑張れば、いくらかはマシになる――そう信じて、働くしかない。
帰り際。俺はふと、美菜ちゃんの言葉を思い出した。
自炊してください、と。
この際だから、自炊デビューしてみようか……
契約も一件とれたし、お酒もちょっと買おう。たまにはいいはずだ。
そうして諸々を購入して、リビングの食卓にそれらを広げる。
時刻は、八時。腹減り具合も、ちょうどいい塩梅だ。俺はカップ麺のためのお湯を沸かすために、やかんに火をかけた。
ぴんぽーん、と彼女が来訪したのは、まさにその時だった。
「すいません、お鍋を返してもらいに来たんですけど」
「あ、うん。ありがとう。本当に……ごほ、ごほ」
勿論、昨日の鍋は綺麗に洗ってある。それ位のことは当然だった。
「久しぶりに、美味しいうどんを食べたよ。美菜ちゃんは、将来はうどん屋になれるね」
「……どうも」
何故だか呆れた顔をしている美菜ちゃんは、ところで、と話を変えた。
「……まだ風邪が治ってないんですから、無理しないでください。今日、会社に行ってましたよね?」
「ああ、うん。でも、もうばっちりだよ。多少、咳が出るくらい……自炊も始めたしね」
「それは、良かったです」
「あ、そうだ。お詫びと言っちゃなんだけど、食べる? コロッケとか天ぷらとかハンバーグとか買ってきたんだけど……あ、やばい」
と、俺はコンロへと走る。ぴーとけたたましい音が鳴り響いていたのだ。
「ごめんごめん。やかんに火をかけっぱなしだったから」
再び玄関に戻ってくると、彼女は顎に手を当てて考え込んでいた。
「――どういうことです?」
「何が?」
「コロッケと天ぷらとハンバーグを、“買ってきた”って」
なんだか信じられない、という顔をしている。
「……一之瀬さん、私、昨日、自炊してください、って言いましたよね?」
「あ、うん。立派に自炊をしているよね?」
「あの……それって、もしかしてスーパーの総菜を買っただけなんじゃないですか?」
「……? そうだけど?」
「ちょっと待ってください。社会人はなにかと忙しいですから、お惣菜を買うことには別に反対はしません――でも、バランスってあるじゃないですか。コロッケと天ぷらとハンバーグって、ちょっとバランス悪すぎじゃないですか? お野菜、とってます?」
「野菜? 買ってないけど?」
だって、美味しい物じゃないし。
「……あの、ちなみに、今日の献立はなんなんですか?」
「惣菜で買ったコロッケと天ぷらとハンバーグとカップ麺とビール。あ、ご飯も買ってきたやつだ」
美菜ちゃんは顔をしかめて、唇を尖らせた。
「昨日風邪ひいてましたよね?」
「風邪はもう治ったよ。ごほ……ま、ちょっと咳は出てるけど」
「……なのに、そんな不健康なご飯を食べるなんて……一之瀬さん、本当に大人なんですか?」
ぐさり。
正直、この言葉を美菜ちゃんに言われるのは堪える。
で、でも、彼女の言うように、曲がりなりにも自炊は出来ているはずだし。
何がいけないというんだ?
「自炊って、自分で料理を作って食べることなんですけど」
「え!?」
驚愕の新事実だ。
「一之瀬さんの今日の晩御飯、コンビニ弁当を買って食べてるのと変わりません。むしろ、コンビニ弁当の方が栄養バランスが良いまであります」
俺は、自炊っていうのは、外食とコンビニ弁当を食べること以外だと思っていた。
「それは、知らなかった」
「正直、ちょっとドン引きしてます」
「い、いや、ずっと、子供のころから外食かコンビニ弁当だったからさ。知らなかったんだ」
「――え?」
「あ、いや……母さんはずっと小さいころに死んで、親父はずっと忙しい人だったから」
俺にとって、食事と言えば、外食か、コンビニ弁当か、パンかのどれかだ。
「そ、そう、だったんですか。すいません……」
空気が重くなってしまった。
親父ももう死んでるなんて言ったら、更に重くなってしまうだろう。
言うんじゃなかった。
俺は努めて明るく言った。
「ま、まあ明日から気を付けるよ。野菜を食べればいいんだね?」
ちょっと苦手だけど、カット野菜サラダを毎日食べればいいのか? まあ、二日にいっぺんくらいなら、我慢するか……
「あの……、もし、良かったらでいいんですけど……」
と、美菜ちゃんが提案してきた。
食卓に新たに加わったのは、ほうれん草の煮浸し? イリコの佃煮? 筑前煮? とかいうのと、豆腐とわかめが入っている味噌汁だった。
これらすべて、隣の彼女の家から持って来たものだ。
食卓の上では、総菜で買ってきた物と、美菜ちゃんから提供されたおかずとで、とんでもなく、豪華絢爛になっている。多分食べきれない。
「これを、一人で作ったの? 美菜ちゃんって、もしかして料理上手い?」
「まあ、それなりに……」
「すごいね。定食屋になれるよ」
「……どうも」
何故だろうか。褒めているのに、彼女が残念そうな目で俺を見ているのは。
「――で、ご飯ももってきましたから。今日はこれを食べてください」
「え? いいよ、ほら、俺にはラーメンがあるし。何だか悪いし」
「食べてください」
と、彼女が険しい顔で言うので、俺も頷いてしまうしかなかった。
「あ、そ、そうだ。今度こそお金払うよ」
「いいです。いらないです――その代り、このカップ麺とビールを没収します」
「な、何で……? ごほ……ごほ……」
「まだ風邪をひいてるのに、こんなもの食べないでください」
「だ、大丈夫……仕事にも行ってるし」
「仕事に行けなくなりますよ? そんなことばかりしてたら」
そういって、彼女はカップ麺とビールを持って、帰って行った。
俺は豪華になった食卓を見て、思った。
「さすがに、ここまでやってもらって、何もしないのはなあ」
ちょっと押し付けがましいけど、それは俺を心配してのことだ。
でも、やはりお金を渡そうとすると、受け取らないんだろうなあ。
……あ、そうだ。
あれを買ってくればいいんだ。
あれならば、彼女も喜んでくれるはずだ。
というか、本当に、何かしらのお礼くらいはしないとな。




