第三十五話 いちごのショートケーキとチーズケーキ
それから、一週間が過ぎた。
引っ越しが終わり、ひと段落付いた俺は、街中を歩いていた。
今日はベナサンティア教の集会があるのだ。
12月24日は毎年、悪しき神を打倒するための決起集会を開いているらしい。
とはいっても、そんな大仰なものではなく、一つ処に集まって、色々なレクリエーションを行うといったものだ。
『すごく楽しいですよ』
とは、高町さんの弁だ。
まあ、クリスマスなんて、毎年俺には何も縁のないことだ。
それに、今日は美菜ちゃんの誕生日だ。だからこそ、俺は何もない方が良いのだ。
彼女と決別したその翌日から、俺は彼女に関わる全てを消去するために動いていた。神様の力が、彼女に及ばないようにだ。
家も引っ越したし、電話も新しいのに変えて、彼女に関わる人たちの連絡先も使えなくした。
『何で、ですか?』
静葉ちゃんに、美菜ちゃんの誕生日パーティーを辞めることを電話で伝えた時に、彼女はその理由を泣きながら求めてきた。
その理由を説明したって、彼女には理解できないし、ベナサンティア教の教えに背くことになる。
俺は、「ごめん」と言って、逃げるように通話を切った。
それを思い出して、俺は、これでいいんだ、と心の中に押し込める。
美菜ちゃんは、それに、もう大丈夫なはずだ。
宝くじによって五千万円の預金が入っている、俺の銀行口座を今日、彼女の玄関ポストに押し込んだ。印鑑と、キャッシュカードと当選証明書も一緒に。
これから先、お金さえあれば困らないはずだ。
それに、このお金は、神様が美菜ちゃんを育てるためにくれたものだ。ならば、彼女が使わなければおかしいことになる。
これで、美菜ちゃんとの関係も、終わりだ。
俺が彼女にやるべきことは、何一つなくなった。
――俺のことなんか、とっとと忘れてほしい。
仕事を早い所見つけなきゃいけない。
曇天の空の下、そんなことを思った。
今年のクリスマスは、寒波が押し寄せてきて、ホワイトクリスマスになるかもしれません、とニュースキャスターが嬉々として言っていたのを思い出す。
「え……?」
俺は雑踏の中、後ろを振り返った。
今すれ違ったのは……死んだはずの親父、じゃなかったか?
白髪で、長細いマッチ棒のような人だ。
その人が、若い女の人と腕を組んで歩いていたのだ。
俺は思わず、彼らの後を追った。
まさか。
そんなわけない。
けれども――
俺は、寂しかったのだろうと思う。
美菜ちゃんを失った胸の空洞は、ずっとそのままだった。
だから、見知った人が現れただけで、その後を追ってしまったのだ。
いや――どうみても、その後ろ姿は親父だった。トレードマークともいえるくたびれたコートも、そのままだった。
その親父らしき人と、腕を組んでいる若い女の人は、一体誰だろうか?
見覚えがある。でも、思い出せない。
俺は早足になる。
ともかく、親父でないということを証明しないと、ちょっと気持ち悪い。ぱっと顔を見るだけだ。
彼らが街角を急に曲がり、俺は駆けだした。もう少しで追いつく。
「――」
いない。
街中で、カップル連れや親子連れがあるいているだけだ。
いやいや何やってるんだ、俺。
さっさとベナサンティア教の集会所に行かないとな。
――ん?
あ、れ。
あれは!
すぐ近くの居酒屋へと入った人物。
見間違えようがない。
あれは、神様だ。
あの、一か月前に橋の下で俺を助けて――俺の願いを聞いた人物!
急いで俺はその居酒屋へと向かう。
聖灰では、まだ神様の影響から逃れていないらしかった。
ここで会ったが百年目。絶対に俺の願いを取りやめてもらうのだ。
「らっしゃーい。一名様ご案内でーす」
居酒屋へと入ると、すぐに見つけた。
カウンターで、先出しを肴にビールを飲んでいる。
「カウンター席でよろしいっすかー?」
勿論、宜しい。
俺は神様の隣に座る。すると、神様は胡散臭そうな目を俺に向けた。
「あの、俺のこと、覚えていますか?」
「んだ、お前さんは?」
「一か月前、相生橋の……ほら、助けて、頂きましたよね?」
「あーん……?」
顎に手を当てて、上の空の神様。
「うーん。酒を一杯奢ってもらったら、思い出せるかも知れねーな」
「なんにしやしょう!」
元気の良いお兄ちゃんが、伝票を片手に俺に尋ねる。
「えっと、俺はウーロン茶……で、この人にビールを」
「ありあとやーす! 生とウーロン茶でーす!」
そう言って、お兄ちゃんは厨房へと消えていった。
「悪いね、兄ちゃん」
「いや、これくらい。それで、その、思い出してくれましたか?」
「うーん……悪いが、覚え、ねーな」
そんなことでは困るのだ。
恐れ多いけれども、願いを取り下げてもらわないといけない。
「あの、あの時に、ですね。俺、願いを言いましたよね?」
「あざーす! 生とウーロン茶ですねー!」
「そのお願いを、取り消してもらいたいんです」
「ご注文は、あとでお伺いしましょかー?」
「うーん……焼き鳥の盛り合わせを奢ってもらったら、願いを聞いてやってもいいけどな」
「この人に、焼き鳥の盛り合わせを」
「あざーす! 焼き鳥盛り一丁!」
神様は下卑た笑いをして、「悪いねえ」と宣った。
「で、何だい、お願いって? 犯罪以外なら、まあ金次第だな」
「いや、だから……俺、言いましよね? 母親が欲しいって」
「母親~ぁ? おいおい、その年でマザコンかよ」
「ですから、ですね。あなたが、その願いを叶えてくれるって言ったんです」
「ああ? 何だ? 俺に女装しろってんのかい? バカ言うな。お断りだ」
「あざーす! 焼き鳥の盛り合わせでーす!」
焼き鳥の盛り合わせが運ばれてきて、俺たちの前に置かれる。
「そういうことじゃないんです」
話がかみ合わない。
しかし、目の前にいるこのホームレス風のおじさんは、間違いなくあの人だ。
困惑している俺に、誰かが声をかけてきた。
「トクさん、この兄ちゃんはどうしたんだ?」
でっぷりと太った、剥げているおじさんだ。
「ダナさん。いやー、なんつーか、奢ってもらってるんだけどさあ。これが、要領を得ないんだ」
本当に覚えていないのか?
俺は、一か月前のことをつぶさに二人に語った。
ダナさんは、俺に奢ってもらったお酒をちびりと口に含み、顎に手を当てた。
「ははあ、これは、あれだ。トクさんの悪い癖がでたね」
「悪い癖って?」
「トクさん、酔っぱらうと、自分が神様だーって言っちゃうんだよ」
「へ、事実じゃねーか」
神様がグラスを傾けて、ふい、と息を吐く。
ダナさんは、それを見て笑った。
「なーにが神様だってんだ。あんたが神様ならおいらは仏様だよ」
「ちげーねえ」
あっはっは、と俺を挟んだ二人が笑う。
「ところでさあ、ダナさん」
と神様が別の話に移った。
……
「……え?」
二人だけで納得してもらったら困る。
俺は、気持ちよく会話している神様に、再度尋ねた。
「あなたは、その、あの、神様ではない……?」
神様に尋ねる。
「だーら、神様だっていってんじゃねーか……うぃ、ヒック」
「ほーら、始まった」
俺は改めて、神様を見る。
使い古した服に、みすぼらしいひげを蓄えている。ホームレスと勘違いされてもしょうがない外見をしていた。
これが、神様?
そんなわけがないだろう?
いや、え? ちょっと待って。
ちょっと待ってくれ! じゃあ、ベナサンティア教で聞いた話は何なんだ!?
スマホを取り出し、高町さんに電話――出ない。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』
こんな時に? ええい、本部に直接電話をして、聞いてやる。
俺はネットで、ベナサンティアを検索し――指が止まる。
“新興宗教ベナサンティア教教祖逮捕。信者騙し、詐欺教唆か”
トップニュースに、そんな文字が踊っていた。
じゃあ――
じゃあ、なんだ。
今までの出来事はすべて偶然で、ご飯を作ってくれたりしたのは美菜ちゃんの優しさで、お爺ちゃんが死にかけたのも神様の仕業じゃなくて、宝くじはただ運が良かっただけで、ベナサンティア教は詐欺に引っかかっただけで――
全部ひっくり返った。
なにもかもが。




