第二十九話 かつ丼セット(うどん、香の物)
「忘れ物ないですか? ハンカチとティッシュ、持って行ってます?」
「いいじゃないか、それくらい」
「駄目です。持って行ってください。お手洗いに行った時、どうするんです」
土曜日となって、俺と美菜ちゃんは静葉ちゃんとの待ち合わせ場所であるバス停へと向かっていった。
美菜ちゃんは、この前ハルナちゃんに選んでもらったフード付きの赤のダウンジャケットを着こんでいた。後ろに飾りリボンがある。下はジーンズで、髪型はいつも通りのツインテールだ。
マンションの玄関で辺りを伺う。
飯沼さんを見ているのは、俺だけだ。
……どうやら、いないみたいだけど。
「――もう大丈夫なんじゃないですか?」
と俺の様子を見て、美菜ちゃん。
もうすでに、長瀬瀬里奈の隠し子のニュースは、ネットでも取り立てられていない。
元々飛ばし記事扱いだったこともある。
けど、油断はできない。
「それにしても、美菜ちゃんがこういうのを見るとは思わなかったよ」
バス停へと向かいながら、俺は話しかけた。
「こういうのって、どういうことです?」
「動物モノを見るとは思わなかったんだ」
「……時々、一之瀬さんが私をどういう目で見ているのか、すごく気になる時があります」
鋭い目が向けられて、俺は慌てて話題を変えた。
「映画なんて久しぶりに見るよ」
「映画、面白いですよ」
と、美菜ちゃんは意外にも食いついた。
SF、アクション、コメディ、現代ドラマ、恋愛、ハリウッド古典、フランス映画、サイレント映画まで……俺が呆れるくらいに、語ってくれた。
ハルナちゃんが来た時に、こういうのが好きとか言ってたけど、それは本当のことだと認識する。
そうこうしているうちに、バス停が見えてきた。
このバスに乗って、ショッピングモールへと向かう。映画館は、その中にあるのだった。
「いっちゃん、おはよう」
静葉ちゃんはすでにバス停に来ていて、俺たちが着くと、にこやかな微笑をした。
黒色のコートを着ていて、白色のタートルセーターをその中に着ているようだ。コートの裾からはみ出しているのはチェック柄のフレアスカート。ひざ下まであるブーツとスカートの間のストッキングは黒。髪型も、いつものではなく、マーガレット結びをしている。
かなり、おめかししている。
いいとこのお嬢さまみたいだと俺は思った。
「えと……隼人さんも、おはようございます」
こちらに視線を合わせずに、彼女は挨拶をした。
……やっぱり嫌われているようだ。
今日は彼女の視界に入らないように、頑張ろうと思った。
「しずちゃん、今日はなんだかすごく可愛いですね」
美菜ちゃんが褒めると、恥ずかしそうに彼女は俯いた。
「あ、あ、ありがと……」
ちらりと俺を見て、目が合うと、ぱっと視線をやっぱりそらした。
傷つかないよ? こんなことで……ちょっと学生時代を思い出しているだけで。
映画を観終わった俺たちは、ショッピングモール内の飲食店で座っていた。
「面白かったなあ……」
俺はかつ丼セットを待ちながら、映画の余韻に浸っていた。
迷探偵犬ジュピターの冒険。
なぜだか、犬しかいない世界。その世界で、柴犬のジュピターは、探偵事務所を経営していた。
事件は、彼が朝ご飯のビーフジャーキーを食べているときに始まる。
事務所の隣の部屋に住む、秋田犬のコロの大切に保管していた骨が、何者かに盗まれてしまったのだ。
警察の土佐犬さんは、「どこかに埋め忘れたんでしょう」と取り合ってくれない。
コロはお爺ちゃん犬で、よくそういうことがあったからだ。
ジュピターはコロの依頼を受けて、骨を捜索することになるのだが――その骨を追っていくと、謎の事件が次々と起きていく。
そして、その事件を起こしているのが、謎の怪物であることが分かってくるのだ。
果たして、怪物の正体は一体?
何の目的で?
感動のラストシーン……!
「人間役の子の演技がいまいちでしたね」
とんでもないネタバレを美菜ちゃんの口から飛び出てきた。
「ちょっと、美菜ちゃん! 今から映画を見に行く人もいるかもしれないじゃないか」
美菜ちゃんはどこ吹く風だ。
「いいじゃないですか、別に。この雑踏なんですから、聞こえるわけないですよ」
昼時の飲食店だ。
家族連れやカップルで、お店はごった返していた。
「一之瀬さん、泣きすぎですよ。その姿に私、ドン引きして、話に入り込めなかったんですから」
美菜ちゃんがジト目で文句を言ってくる。
ぐ、ま、まあ、確かに。二十を過ぎた男が映画館でぽろぽろ涙を流してしまったけど。
「い、いや、でも面白かったから、しょうがないよ」
「話は面白かったです。ただ、ちょっとご都合主義なところがあって、そこは気に食わなかったです。感動させようというのが、まるわかりというか。話題作りで起用された大御所俳優のアテレコが非常に下手で、そこもいまいちでした。犬は可愛かったので、そこだけはすごく良かったですけど。大体、あの監督は……」
「美菜ちゃん……もう少し、素直に楽しもうよ」
俺はちょっと呆れる。
いいじゃないか。少しくらい変なところがあってもさ。
「お待たせしました。かつ丼セットのお客様」
と、俺が頼んでいたメニューが来た。
因みに、美菜ちゃんは煮魚定食(想像通りすぎる、なんて口が裂けても言えない)、静葉ちゃんはナポリタンスパゲティを頼んでいた。
「またそんなの食べて……野菜もちゃんと食べてください」
運ばれてきたかつ丼に、文句をつける美菜ちゃん。
さっき俺が呆れた仕返しだろうか。
「たまにはいいじゃないか。ほら、漬物とかもあるし」
「それで、野菜が足りるわけないじゃないですか……うどんとか、糖質ばっかりですし」
ふと、美菜ちゃんがその目を静葉ちゃんに向ける。
「しずちゃん? 大丈夫? 元気ないけど」
「え? あ、う、うん。大丈夫」
と、美菜ちゃんに静葉ちゃんは笑顔を見せる。
しかし、声をかけるまで、俯いたままだった。
映画、面白くなかったんだろうか?
俺は静葉ちゃんの視界に入らないように、わざわざ彼女と席を一つ開けたし、歩いている間、隣を歩かないように気を遣った。
……やっぱり、俺がいるのがまずいんじゃないだろうか?
でも、飯沼さんを見張るためにも、美菜ちゃんのそばを離れたくないし……
美菜ちゃんの携帯が鳴ったのは、その時のことだった。
「すいません。失礼します」
携帯をもって、店の外へと向かう美菜ちゃん。
しかし、今は、その律義さが憎い。
――あとに残されたのは、気まずい二人組だ。
「……」
「……」
沈黙が痛い。
かつ丼をかっこむような雰囲気じゃない。
静葉ちゃんも、微動だにしない。
「ごめんね、静葉ちゃん」
俺は、とりあえず、頭を下げる。
「え? え? 何がです?」
静葉ちゃんがいきなりだったからか、びっくりしている。
「いや、せっかくの、美菜ちゃんとのおでかけなのに、俺がいて」
「そ、そんな……何でですか?」
「いや、だって、静葉ちゃん、俺のこと、嫌い、だよね?」
「――」
静葉ちゃんは、目を丸くして、ちょっと顔をしかめて尋ねた。
「どうしてそんなこと言うんですか?」
「ほら、目が合うと、ふい、と反らすじゃない。俺と目が合うとさ」
「……っ!」
静葉ちゃんの顔が真っ赤になった。
……何でだ?
「そ、そうでしたか……?」
「うん。まあ、あとは雰囲気で……なんとなく、避けられてるなあと思った」
「そ、それは――」
静葉ちゃんが言いよどんだ。
それは、何?
と言いかけた所で、美菜ちゃんが戻ってきた。
「困ったことになりました」
「どうしたの?」
「お爺ちゃんが入院することになったんです」
前言っていた、一応保護者の源蔵お爺ちゃんだったか。
「お爺ちゃんの家で、着替えとか、色々準備しないといけないんで。ご飯食べたら、私、別行動を取らせていただきます」
「え? 大丈夫なの? ついていこうか?」
「平気です。お爺ちゃん、面倒くさいんで、むしろ付いてこないでください」
「でも」
「しずちゃんを一人で帰らせる気ですか? ちゃんと送ってくださいね」
そう言われてしまったら、俺も引き下がるしかない。
「何かあったら、すぐに電話してね」
それだけは、念押ししておいた。
「分かってます……って、シズちゃん、何してんの?」
美菜ちゃんがびっくりしている。
見てみると、彼女は自分の頭をぽかぽか叩いていた。
「悪い子を追い出してる……」
涙をこらえて、彼女は言った。




