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ママみたいな小学生と、俺。  作者: 成瀬
第二部
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第二十四話 回らないお寿司

「一之瀬さん、起きてください」


 夢うつつで、俺は目を開ける。

 ……美菜ちゃんだ。

 何で美菜ちゃんが……あ、そうか。今日も彼女は親父の部屋で寝ていたんだった。

 充電していたスマホを見て……朝、六時。


 冗談じゃない。

 布団をひっかぶる。


「っもう。大事な話があるんです」

「大事な話? なぁに?」

「東雲さんが、この家にやってきます」


 目を見開く。

 一気に目が覚めて、はね起きた。


「本当に?」

「しーっ……ハルナさんは、まだ眠っていますので、静かに」


 と言われ、俺は小声になる。


「本当に?」

「はい。メールが入っていましたから、ハルナさんのスマホにも入っているはずです。“迎えに行くので、そこの家の住所を教えなさい”と。今日の正午に来る予定だそうです」

「そうなのか……来てくれたのか」


 俺はなんだか嬉しくなった。

 美菜ちゃんが、尋ねてきた。


「……どうするつもりなんです?」


 そんなの決まってる。


「勿論、仲直りすればいいと思ってるよ」


 という俺の答えに、心底美菜ちゃんは呆れたようだった。


「……あのですね、一之瀬さん、東雲さんが単純に迎えに来たと思ってます?」

「そうじゃないの?」

「私の中で東雲さんは、世界で一番信用できない人間です」


 ちょっと、それは、言い過ぎなんじゃないのか?


「ここにやってくるのも、何かしら裏があるのではと勘ぐっておいた方が良いです」

「いや、まさか……何の裏があるのさ」

「それは、わかりませんけど……とにかく、用心することです。私、今日学校ですから、いないんですからね?」


 そんなわけない。

 俺は一笑に付した。

 だって、母親が迎えに来たのだから、このまま大団円だ。


 あとは親子で仲直り……そういう展開だろう。

 なんだかんだ言って、親子なのだから。

 親父とは喧嘩したこともあったけど、最終的には、仲直りしていたことがあったからだ。

 親子というのは、そういうものなのだと。

 そう、思っていたのだが。


 ハルナちゃんは美菜ちゃんの作った朝食をばくばくと食べて、親父の部屋へと入って、そのまま三時間が経過しようとしている。

 だんだんと、雲行きが怪しくなってきた。

 時計は正午を回ったくらい。


 ……そろそろ東雲さんが駅に着いたはずだ。

 ハルナちゃんは、一向に動く気配がなかった。

 俺の方が、そわそわしている……彼女は、ここの住所を、母親にちゃんと伝えたのだろうか?


「ハルナちゃん? お昼、何にする?」


 勿論、俺が東雲さんが来ることを知っているのを、気取られてはいけない。

 親父の部屋の前で、当たり障りのない話題で彼女の気を引いた。


「何にもいらない」


 と声。


「あの、昨日のこと、怒ってたりする?」

「……」


 うーん、まいったな。

 どうしよう。

 俺のスマホが、着信を知らせる。

 知らない番号だ。


「もしもし?」

『言われた通り、迎えに来ましたわ』


 昨日、延々と話した相手であった。

 俺は、慌てて、しかし急がずに、家の外へと出た。


「何で、俺の番号を知ってるんです?」

『美菜に聞きましたの。あなたを信じて、やってきたというのに……ハルナ、電話にも出てくれないのよ』

「う……いや、す、すいません」


『さすがに、ハルナから教えてもらわないと、あなたの家にお邪魔するのは不自然すぎるわ。わたくし、仕事が押していますから、ここに居られるのは、あと一時間ほどですの』

「そうですか……」


 どうしよう。

 と俺が思っていたところで、東雲さんはため息をついて、俺に言ってのけた。


『街で偶然出会うというのはどうかしら?』

「街で? ですか?」

『ええ。そうね……中区の、中央商店街があるでしょう? ハルナを連れて来てください。そこら辺りで落ち合いましょう』

「中央、ですか」


 しかし、どうやってハルナちゃんを連れ出すか、という最大の問題がつきまとう。


『簡単ですわ。単純に、何かを食べに行こうと伝えるだけでいいのです。私を無視できる言い訳を用意すれば、あの子は連れ出すことが出来ます……中央商店街につけば、裏通りに入って、『すみれ』というお寿司屋、ご存知でしょうか?』


 グルメ雑誌で見た。確か、すんごく高いお寿司屋だった気がする。


『お店に入ったら、トイレにでも入って、この番号に通話してください。あとはそこで打ち合わせましょう。そこで偶然出会った言い訳は、こちらで考えておきますわ』


 それで、電話が切れた。

 果たして、東雲さんの言う通り、ハルナちゃんは簡単に「行く」と頷いてくれた。


「その、お母さん、もしかしたら来るんじゃないの?」


 と、俺が尋ねると、彼女はぶんぶんと首を振った。


「知らない」


 『知らない』、か。

 うーん、これ、やっぱ、ちょっと、かなり難解なのかもしれない。

 ハルナちゃんは、思ったよりも頑なだった。


 でも、東雲さんは来てくれたんだ。

 それで、その心が、氷解してくれたら……きっとうまくいくさ。

 俺はそう言い聞かせて、家を出る。

 マンションのエレベーターが1階について、俺は驚愕した。ハルナちゃんもだろう。


「約束通り、迎えに来ましたわ」


 五十代と思えない、若々しい容姿をした、あの、テレビでよく見ている顔が、そこにあったのだ。

 長瀬瀬里奈。いや、東雲渚。彼女が、マンションの玄関にて、待ち構えていたのだ。


「な、なんで――?」


 驚く俺に対し、彼女は冷静に告げる。


「お寿司屋へ行くのでしょう? あちらにタクシーを待たせておりますわ」

「い、いや。街で合流するって話だったじゃないですか」

「でも、この方が手っ取り早いでしょう? ――ねえ、ハルナ?」


 ――あ。

 俺は振り返った。

 ハルナちゃんは、悲しそうな顔で俺を見つめていたのだった。


 彼女は思ったことだろう。

 何で俺と東雲さんが、密かに連絡をしているのだろうと。



「一之瀬さん、まずはこれを」


 お寿司屋『ふたば』のお座敷にて、東雲さんは分厚い封筒を渡してきた。


「何ですか? これ?」

「ハルナが借りた十万円と、諸々の謝礼金です」


 中を開けてみると、軽く百万円はある。


「ちょ、ちょっと、こんなの貰えませんよ。十万円ですよ、彼女に貸したのは」

「いいじゃん、貰っちゃいなよ。一之瀬さん」


 あんぐりと口を開けて、大トロをその中に放り込む。もむもむごっくんした後は、仏頂面。

 ハルナちゃんはそっぽを向いて、お寿司を食べている。


「ええ、そうです。昨日電話でお話しした通り、それ位のことはさせて頂かないと……」

「そ、そんなこと、一言も言ってませんよね? あの、何か、誤解が、あるんじゃないかと……」

「誤解? 何がです? 連絡しましたわね? “無事、ハルナを連れ出していただけたら、それ相応の謝礼はお支払いします”と」

「だ、だから! そんなこと一言も言ってない!」


 はあ……とハルナちゃんがため息。


「あのさー一之瀬さん。ちょっと演技が下手過ぎない? じゃあさ、誰がママに一之瀬さんのマンションの住所を教えたの? 十万円を借りてるって、何で知ってるの? あたし、ママにそんなこと、一言も言ってないんだよ? ……一之瀬さんが、連絡したんでしょ? わかるよ、子どもじゃないんだから」


 ハルナちゃんの目に、きらりと光る涙があった。

 完全に、俺は金目当ての下種野郎になってしまっている。

 東雲さんが俺の家の住所を知っているのも、十万円を借りてるのも、事前に話を通しているのも、美菜ちゃんのおかげだった。


 だけどそれを話すわけにはいかない。

 だって、美菜ちゃんがこの目の前にいる東雲さんの隠し子だということを、東雲さんの娘であるハルナちゃんに告げなければいけないのだ。

 そんなこと、俺に出来るわけがなかった。


「だ、だから、このお金、要りません!」


 俺に言えるのは、それだけだった。


「ちゃんと受け取ってくれないと、困ります……まさか、まだ何か謝礼をお求めですか……?」

「う、い、いや、だから――」

「……」


 ハルナちゃんに、訝しげな眼で見られて、その後は何も言えなかった。

 その様子を見て、東雲さんは神妙な顔を作る。


「でもね、ハルナ。一之瀬さんも迷惑だと思っているみたいだわ。だって、見ず知らずの人間を、何日も泊めるわけにはいかないもの」

「……分かってるわよ、そんなこと」

「分かってるなら、良いんだけど」


 俺が何も言えないのをいいことに、東雲さんは平然とそれを事実にしてしまった。

 絶句する。

 彼女は、俺に対するハルナちゃんの信頼を徹底的に破壊する気のようだった。おそらく、ハルナちゃんの逃げ道を潰す意味でもあるのだろう。

 ここまでやるのか――俺は、戦慄した。


「……ハルナちゃん、俺、あの」


 言いかけて、止まる。

 彼女の哀しそうな表情を見て、何を俺は言えるんだ?

 目の前に、回らないお寿司があるのに、食べる気にすらならない。


“私の中で東雲さんは、世界で一番信用できない人間です”

 美菜ちゃんの言葉を今頃になって思い出す。なんだって、俺はこう、無能なんだ……自分で自分が嫌になる。


「何ですか? 一之瀬さん?」


 いっちーと屈託ない笑顔を向けていた彼女は、もういない。

 ――どうしようもないことを、俺は痛感するだけだった。

 スマホに着信音が鳴り響いたのは、そんな時だった。


「し、失礼――」


 俺は慌てて席を立って、お店の外へと向かう。

 着信の名前は、美菜ちゃんだった。

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