第二十三話 唐揚げ(たまねぎスライスとミニトマトのサラダ+味噌汁)<2>
「俺に?」
一体何の用で?
「……もしもし? お電話変わりました。一之瀬です」
『わたくし、東雲ハルナの母、東雲渚でございます』
上品な女性の声が、スマホ越しに聞こえてくる。
ドラマとかで聞いたことのある、あの声だ。
『長瀬瀬里奈、と言えばわかるかしら?』
「はい」
丁度、長瀬瀬里奈のCMがテレビで流れている。
美菜ちゃんは手を止めて、ハルナちゃんは煎餅をかじりながら、じっと俺を見ている。
『率直に言わせてほしいの。ハルナを返していただけませんか?』
「返して……って、違うんじゃないですか? 元々、ハルナちゃんが家出をしたのは、芸能界入りを強要したからじゃないですか」
『あの子には、才能がありますわ。なら、それを引き出すのが親としての務めですわ』
「でも、ハルナちゃんはやりたくないって言ってます……というか、俺がどうこうする権利はないです」
『あなた、ハルナの恋人なのでしょう?』
「……」
絶句してしまった。
慌てて、俺は否定する。
「違います! 俺は、行きがかり上、彼女をえと……なんだ、そう、保護したというか」
『美菜から聞きましたわ。あなたに心を許している様子です。あなたから促せば、ハルナも決心してくれると思いますわ』
「だから、ハルナちゃんが、やりたいか、やりたくないか、じゃないですか」
『学習塾でも、習い事でもそうでしょう? 今始めないと、後で後悔しても遅いでしょう? ハルナのためを思って、わたくしは言っているのです』
何だこれは。話が平行線じゃないか。
話し合う余地なんかない。
この人は結論ありきで話している。
昼のファミレスで、美菜ちゃんが長い間帰ってこなかった理由が、今まさに分かった。
「ですから、ですね。俺が彼女に対してそんなことを言える人間じゃないんです。何度も言うようですが、ハルナちゃんの意志が優先されることじゃないですか」
何回目の説明だろうか。
ゆうに二十分くらい、延々と同じ言葉を聞いて、繰り返している気がする。
『分かりました』
ようやく分かってくれた。
俺がホッとすると、東雲さんは怖い声で告げてきた。
『もし、わたくしの言うことを聞いていただけないというのなら、警察に訴えますわ。ええ。未成年者を誘拐しているわけでしょう? そうなったら、困ったことになりますわね?』
「い、いやいや。違いますよね?」
『違いませんわ。現にハルナがその家にいますもの』
「じゃ、じゃあ、このままお金もなしに、外に出せとでもいうんですか?」
『ハルナも、行き場がなければ帰ってくるでしょう。それがいいわ。是非そうしてください』
「――もういいよ、いっちー」
はあ、とため息を吐き出すハルナちゃん。
「なんつーか、やっぱ無駄だったんだよ。このままだと、いっちーに迷惑がかかるから、明日帰るよ」
彼女は小さく笑って、諦めた。
美菜ちゃんが、こたつの上にからあげを盛った大皿を置いた。玉ねぎをスライスし、ミニトマトを置いたサラダと、味噌汁。
今日の晩御飯は、もうすでに出来上がっている。
俺は……
『もしもし? 聞こえてますか?』
東雲さんの声が遠くになる。
このまま俺が諦めて良いのか?
強くなりたい。
どうすれば……そう思っていたんじゃないのか?
『もしもし?』
「いっちー? 何? どうしたの?」
俺が固まっているのを見て、ハルナちゃんが訝しげな視線を送る。
「訴えるなら……訴えてください」
ハルナちゃんの目が丸くなる。
『……そのお言葉、どういう意味でおっしゃっているのかしら?』
「訴えるならば、どうぞ、とおっしゃいました。俺は、彼女がここにいたいだけ、いさせます」
『わたくしが、嘘や冗談を言う人間だと思って?』
怖い。
怖いけど、俺は、言わないといけない。
「あの、あのですね! 何でハルナちゃんが言うことを聞いてくれないかを考えないといけないんじゃないですか?」
『子供というのは、最良の判断ができません。それだけですわ』
「い、いえ! かりにも大女優である長瀬瀬里奈の娘ですから、頭は悪くはないかと」
『いいえ。あの子はバカです。自分の才能に気付いていない大バカ者です』
はっきり言うなあ、この人。
で、でも負けるな、俺。
「その、単純に、お母様のことが、信用できないのではないかと思うんです」
俺の言葉に、東雲さんは初めて黙った。
ややあってから、彼女はコロコロ笑いながら告げた。
『まさか。そんなはずはないです。親としては不十分なく接しているつもりですわ』
「具体的に、何かしたんですか?」
『十分なお金は渡しています』
「お金だけでは、不十分だということなんじゃないですか?」
『……何が言いたいんですの?』
「ハルナちゃんは、あなたのことを信用していないということです」
手汗がすごい。
ぶるぶると震えている。
「お、俺は! 母親がいません! だ、だけど、親父がいました。厳格な父で、曲がったことが嫌いな人で、だらしない俺をいつも怒っていましたが、俺は親父のことを嫌いになったことはなかったです。いや、うそだ。嫌いだったことがありましたけど! ――親父は、俺を大切に思ってくれていることは、その時々で知っていましたから」
遅くなった保育園の帰り道で、すまなそうにコンビニの肉まんを食べさせてくれたこと。
その肉まんの味は、今でも思い出せる。
父兄参観日には、必ず出席してくれた。
タバコや酒が好きだったのに、母親が死んでからは一切やらなくなったと知った。
思い出せば、まだまだある……こうして思い出していくと、何て俺は色々親不孝なんだろうと思い知らされてしまう。
い、いや。それはいい。あとで反省しろ。
「俺は、その、だから、東雲さんができることは、ハルナちゃんを信用させることだと思うんです」
スマホ越しにため息が聞こえた。
『面倒なことをおっしゃるのね。わたくしは、ハルナを家に帰せ、と言っていますのよ? 先ほども申しましたけど、訴えてもいいんですのね?』
「はい。それは、仕方ないと思います。でも、その手段でハルナちゃんを帰宅させても、また同じく逃げ出すんじゃないですか?」
『……次は、厳重に警戒しますわ』
「それは絶対じゃないですよね? だから……あ、そ、そうだ。東雲さん、あなたが迎えにきたらどうですか?」
いいアイデアを俺は思いついた。
『は?』
「だから、ここに、あなたが迎えに来るんですよ。俺、保育園の時に思ってましたもん。お母さんが迎えに来てくれたらなあって。きっとうれしいはずですよ、ハルナちゃん!」
「ぶはっ! げほ、げほ!」
俺の発言に、ハルナちゃんが唐揚げを噴出した。
「な、なななに言い出すのよ! いっちー! んな恥ずいこと!」
ハルナちゃんがスマホを取り返そうとしている。
俺は、それを避ける。
まだ伝え足りないことがあるからだ。
「絶対に、必要な事だと思います!」
「ちょっと、いっちー!?」
『あいにくと、仕事が忙しいの』
「ハルナちゃんと、仕事と、どっちが大切なんですか!?」
『比べようがないことよ、それは……大体、それでハルナがわたくしの言うことを聞いてくれるの?』
「もちろん……すぐには駄目でしょうけど……、で、でも、その第一歩になるかと思うんです。はじめの一歩を踏まないと、何にも始まりませんよ!」
そこで、ハルナちゃんにスマホを奪い取られた。
彼女は速攻で通話を切って、俺を睨んできた。その顔は真っ赤だった。
「なに言い出すのよ、いっちー! もう! 信じられない!」
すごく怒っている。
……余計な事をしたかな。
で、でも、やっぱり、このままじゃ駄目だし。
「その、ハルナちゃん」
「何!?」
ぎらりとその目が睨む。
「あ、あの……東雲さんが来られたら、話だけでも聞いてほしいんだ」
「ママは迎えに来ない! 絶対! 賭けても良いわよ、このロト6のくじ券!」
そう言って、彼女はロト6のくじ券を俺に突き付けた。
「とりあえず、ご飯、食べましょ? 唐揚げ、冷めちゃいます」
そんな中、美菜ちゃんは冷静に指摘したのだった。




