第二十一話 コンビニの肉まん<2>
太陽が沈んでいく。
この時間は嫌いだった。
だって、皆が帰っていくからだ。
「はやと君、さようなら」
「うん……」
「またねー」
「ばいばい」
保育園から、皆が帰る。お母さんに手を引かれて。
しかたない。
俺には、お母さんがいないのだから。
お父さんは、お仕事が忙しいのだから。
風景が赤から紫に。
紫から真っ黒に。
誰もいなくなる。
世界に俺一人になる。
――もし、親父が来なかったら、どうしよう。
「すまん。待たせたな!」
ママチャリが止まる。
親父の愛車だ。
どんなに遅れようとも、親父は来てくれた。
めちゃくちゃ遅れた時に、親父はコンビニで肉まんを買ってきてくれた。
「熱いからな、気を付けろよ」
俺はがぶりと噛みつく。超熱い。でも美味しい――
「――隼人さん? 大丈夫ですか?」
目を覚ますと、静葉ちゃんの顔があった。
……まだ夢を見ているのか?
何で俺の部屋に静葉ちゃんがいるんだ?
つか、昔の保育園の時のことなんか、今更夢を見るんじゃないよ、俺。
「おーい、一之瀬さんが目を覚ましたみたいだぞー」
目をこすって、俺は起き上がる。
「……ここは……どこだ……?」
空が……見える。赤黒い雲がある。
ていうか寒い。
何で外にいるんだ?
「えっと……」
俺は起き上がって周りを見渡す。
おばさんやおじさんが周りにちらほらいて、警察官数名、静葉ちゃん。そして――
「ですから、勝手にあの人が飛びかかっただけで……もういいですか? あの人も目を覚ましましたよね?」
あの男だ。
思い出した。
俺は、美菜ちゃんを探している二人組の内、一人を追いかけて、静葉ちゃんに絡まれているのを見て、俺が助けに入って――あ、あれ? そこからさき、記憶がないぞ。
「だから、偶然、肘があの人の顎に当たっただけです……むしろ被害者ですよ、私は」
あの男が、俺を指さしている。
警察官が、俺の顔を覗き込んできた。
「大丈夫? 気を失っていたんだけど」
「え、あ、そうなんですか」
「言ってることわかる? 分かるなら、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「あの、さっきご説明しましたけど……」
静葉ちゃんが遮ってきた。
「ごめんね。お兄ちゃんにもお話を聞かないといけないから。それじゃあ、お名前と、ご住所、それと、身分証明書とかはありますか?」
そうだ。
大変なんだ。
事態は深刻に推移しているのだ。
「あ、あの――!」
あ、いや、美菜ちゃんが隠し子だということは隠さないといけない。
えとえと、なにを話せばいいのか。
そ、そそそうだ!
「ぐ、偶然、なんですけど。あの、あの男が、ファミレスで自分をロリコンだとか言ってたんです!」
俺は警官から尋問を受けている男を指さした。
これは事実だ。嘘じゃない。
「で、俺、本当なのかなと思って、ファミレスから尾行してきて……し、知ってる女の子に話しかけたから」
警察官が顔を見合わせ、男の方に目を向ける。
「やっぱり、署まで同行願えますか?」
「……ああ、あのことですか。あれは、ゲームの話ですよ。そういうゲームがあるんです。まさか、本物に手をだしてはいませんよ?」
男はしれっと答えた。
「というより、その人、頭打ってるんですから……そんな人の証言を信じるんですか?」
「しかし、女の子に話しかけたんですから」
「だから、それは仕事って言ってるでしょう? しつこいな。ニュースで話題じゃないですか。あの長瀬瀬里奈の隠し子がこの街にいるかもしれないんです。それで、小学生に話しかけただけですから」
ちらり、と静葉ちゃんに視線を向ける男。
静葉ちゃんは、俺の背中に隠れた。
「名刺も渡しましたよね? あくまでも仕事です。あ、録音テープ聞かせましょうか? 小学生だけじゃなく、おじさんやおばさんの声もありますよ?」
男の視線が、警察の方を向く。
「……怖かったです」
小声で、静葉ちゃんが俺に告げた。
「それじゃ――もういいですね? まったく、こんなんじゃあ仕事できませんよ」
と、男はぶちぶち文句を言いながら、背中を向ける。
まずい。
逃げられる。
脅威は、全然去っていない。
警察に言われたからって、この男は聞き込みを止めはしないだろう。
彼の言い分は、あくまでも仕事だから。
むしろこれで、おおっぴらに聞き込みをする可能性が高い。
なにか――
何かないのか?
この男がこの地域一帯の聞き込みを諦めさせる何か……あ。
「あっ!」
俺が大声を出して、警察官、男、周りにいたおじさんやおばさんが視線をこっちに一斉に向ける。
そうだ、そうだよ。
思い出した。
「その人のカバン!」
ずっと、小脇に抱えてるカバンに俺は指を向けた。
「そのカバンに、隠しカメラがあります! ファミレスで聞きました!」
俺の言葉に、再度警察官が男に近づく。
「申し訳ありませんが、そのカバンの中を見せて頂けませんか?」
「さっきも言いましたけど、何の権利があってですか?」
「それを見せて頂けたら、すぐに解放します。見せれないわけがあるんですか?」
ふう、と男は息を吐いて――駆けだした。速い。あっという間に見えなくなった。
「あ……、こ、こら! 待ちなさい!」
警官が追いかける。
周りのおじさんやおばさんが、険しい表情をしている。
「いやあね。やっぱり」
「そんなこったろうと思ったんですよ」
「町内会長さんに、連絡しておかないと」
――これで、あの男がここいら一帯を聞きまわることは、できなくなったはずだ。
「うっ……」
声がして、後ろを向くと、静葉ちゃんの目から涙がこぼれていた。
話しかけてきた人間が、自分を狙っていたと知って、怖くなったのだろう。
「もう、大丈夫だから」
という俺の声も震えていた。
安心したら、ぽろぽろ涙が出てきた。
「馬鹿、なんですか?」
静葉ちゃんからの電話で、駆けつけてきた美菜ちゃんの第一声がそれだった。
「一人で無茶をして、危ない目にあったらどうするんですか」
「い、いや、ほら、静葉ちゃんはそのおかげで助かったし」
「何で、私かハルナさんの携帯に電話しなかったんです? 心配したんですよ?」
やってきたのは、美菜ちゃんだけだった。
飯沼と出くわすのがまずいということで、まだファミレスにいるらしい。
「いや、だって、俺、二人の番号知らなかったし……」
その言葉を聞いて、あ、と美菜ちゃんは口を半開きにして、バツの悪そうな顔をする。
ハルナちゃんだけでなく、彼女もとっくに番号を教えたと思い込んでいたようだ。
「いっちゃん、何でそんなに怒ってるの?」
ちょっと不機嫌そうに、静葉ちゃんが口をはさむ。
「隼人さんがいなかったら、私、危ない所だったんだから」
「……ごめん。しずちゃん。一之瀬さんも、すみませんでした」
静葉ちゃんがハッとして慌てる。
「あ、う、ううん。いいの。それだけ隼人さんのこと、心配だったんでしょ?」
それから俺の顔を見て、ふい、と視線を背けた。
……なんなんだ? 嫌われた? 何で?
い、いや、いいけど。
「とりあえず送るよ、静葉ちゃん」
もう五時過ぎだった。
また、あんなことがある……のは考えにくいけど、この状況で送らないのはあり得ない。
静葉ちゃんを送った後、美菜ちゃんと会話をする。
「すみませんでした。元はと言えば、私が悪いのに」
「いや、美菜ちゃんのせいじゃないよね」
「東雲さんとの会話が、長引いてしまって……入り口で話をしているのはちょっと申し訳なかったので、近くの公園に移動していたんです」
「それが、功を奏したよ」
もし彼女がファミレスから離れなければ、致命傷だった。
「ですが、一之瀬さんを危ない目に遭わせてしまいました」
美菜ちゃんは顔を伏せる。
そんなの、気にすることないのに。
悪いのは、彼らだ。
なんだって、静葉ちゃんがあんな怖い目に遭わなきゃいけないんだ。
美菜ちゃんはそのことに対して、何で心を痛めなきゃいけないんだ。
おかしい。
おかしいけど、何もできない。
「……これで、彼らが諦めるとは思えません」
「諦めないかな……」
「少なくとも、飯沼さんは諦めないんじゃないですかね。東雲さんから聞きましたけど」
「そっか……」
もう、空はすっかり帳が落ち、辺りは真っ暗になっている。
電灯がつくのが早くなっている……もうすっかり冬になってきている。
俺は彼女に尋ねた。
「どうしたら、美菜ちゃんみたいに強くなれるんだろう?」
「……はあ?」
何言ってんだ、この人という表情をする美菜ちゃん。
「俺が美菜ちゃんだったら、今日、もっとうまく立ち回れた気がするんだ」
もっとスマートに、静葉ちゃんを助けれたし、芸能リポーターの企むを完全に阻止することが出来たはずだ。
「買いかぶり過ぎですよ」
「だって、美菜ちゃんって女戦士じゃないか」
「……どういう意味ですか、それ?」
声が怖くなったので、俺は弁解する。
「だ、だって! 一人で会社に辞表届をだしにいってくれたりとか、言動とか……」
「普通のことをやってるだけです……なんでそれで女戦士なんですか」
でも、普通のことができる人は、大人でも何人いるんだろう?
少なくとも俺はできていなかった。
今でも出来てない。
じっと手を見る。
強くなりたい。
……どうやったら、強くなれるんだろう?
「あの、一之瀬さん。手をつないでも良いですか?」
美菜ちゃんが遠慮がちに尋ねてきた。
「いいけど?」
そんなこと、美菜ちゃんが言い出すとは思わなかった。
「こうしている間に、彼らの目があるかもしれません。一応、兄妹という風に、見せたいですから」
……そういえば、あの飯沼さんは顔を見ただけで長瀬瀬里奈の娘だと判断できるとか言ってたっけ。
差し出すと、彼女は、少し戸惑って、「やっぱりやめときます。恥ずかしいですから」と手をひっこめた。
「あとで、携帯の番号も教えときます」
と、彼女は俺を見ずに告げたのだった。
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