第二十話 コンビニの肉まん
男は、住宅街……俺の住んでいるマンションの方角へと向かっていった。
もの珍しそうに住宅街を見て回っている。
や、やっぱりある程度の見当がついているのか?
塀の角から、それを見ている俺。
ファミレスから尾行している俺に気付いた様子はなさそうだ。
……あ、そうだ。電話しとかないと。
そういえば、ハルナちゃんがトイレにこもりっぱなしだったことを思い出す。
そして、あの二人の会話内容も、伝えないと。かなりまずい状況になりつつあることを。
あ。
い、いやいやいや。
俺は、彼女の携帯番号も知らなかった。
ついでに言うと、美菜ちゃんの携帯番号もだ。
こ、これじゃあ、連絡がつかない。
何が電話してくれ、だ。ハルナちゃんも!
俺に携帯番号を教えたと思い込んでいたのだ……それに気付かない俺も俺だけど。
と、とにかく――
今は、この若い男を尾行していくことだ。
それが何のためであるかとか、後で考えればいい。
美菜ちゃんを陥れようとしている彼らを、知らないままにしておくことは出来なかった。
男は、俺の住んでいるマンションを抜けて……小学校の方へと向かっていった。
男の足が止まった。
慌てて、俺は電柱に隠れる。
しばらくしてから、そろり、と顔だけを覗かせる。
「……っ」
男がひざを折って、目線の高さで話しかけているのは、美菜ちゃんの友人、静葉ちゃんだった。
よ、よりにもよって、いきなり本命を引き当ててしまっているとか……!
静葉ちゃんが美菜ちゃんのことをどこまで知っているかは知らないけど、彼らにとって有用な情報を教えてしまうことは十分にあり得ることだった。
何を話しているのかは、ここからでは聞き取れない。
ど、どうしよう。
どうすれば。
どうしたら……
男の手が、静葉ちゃんの肩を掴んだ。
“六年生から中学生くらいまでがねらい目なんですよね。あれくらいだと、性に対して興味をもってますから……身だしなみを整えて、警戒心を解かせて、甘い言葉をささやいてやれば、すぐに心を開いてくれます。ま、僕の顔が良いのもありますけど”
ファミレスでの男の声がリフレインする。
ま、ままままさか、静葉ちゃんを毒牙にかけようとしているんじゃないのか?
“その小学生の子供は、あとは好きにしていいんですよね?”
“弱みを握ってるんですから、多少は大丈夫ですよ……楽しみだなあ。そろそろラブラブなのも飽きてきたところだし。小学五年生って、未知の領域なんですよ”
う、うわわわわ。
かかかかかなりまずい状況じゃないのか、これ。
本物の事案が、今まさに起ころうとしているんじゃないのか!?
やっぱりこういう時に限って、周りに人がいないし!
俺が助けに――?
い、いやいやいや、無理だって!
で、でも、このままにしておくと、静葉ちゃんが……そして美菜ちゃんも……
『おいおいお前、まさか助けようとしてるのか?』
『お前、今までこんなこと何回もあっただろ?』
声が、聞こえてきた。
もう一人の俺が、「やめとけ」と止めている。
『例えば学生時代、いじめられているクラスメイトを、見てみぬふりをしたことがあったよな?』
『万引きをしている友人を、一度も咎めたことはなかったよな?』
『今まで色々あったよな? 何もしなかったこと……』
『そんなお前が、一体この場面で何ができるんだ?』
『最近もあったよな? 会社の人間から冤罪をかけられた時』
『お前は、最終的に小学生に全部やってもらったんだ』
『あの時美菜ちゃんが動いてくれなかったら、きっとまだぶるぶると布団の中で一歩も動かなかったままだぜ?』
『お前が動かなくても、きっと、何にも起こらないさ』
『お前には何の関係もないことじゃないか』
『あの男も本当にロリコンなのか?』
『お前の聞き間違いだったらどうするんだ?』
『恥をかいただけじゃあ済まないんだぜ?』
だけど。
だけど。
心の中から、ザ・ブルーハーツのリンダ・リンダが聞こえてくる。
別のもう一人の俺が、
『お前、本当にそれでいいのか?』
とも尋ねてくるのだった。
――美菜ちゃんが、ラブホテルに連れられている。
あの若い男が、口元をにやつかせて、こう彼女に告げるのだ。
『隠し子のことをバラされたくなかったら……分かってるよね』
『……っ』
不快そうな表情をする美菜ちゃん。
が、なす術はなく、そのまま――
そのクソみたいな想像に、ぼろぼろと俺は涙を流していた。
最っ悪だ。
そして最低だ。
なんだかんだ理屈をつけて、逃げ出している俺が最低なんだ。
涙を流したまま、俺は気が付くと一歩目を踏み出した。
あとは、もう、流れ、みたいなもので。
二歩、三歩、と歩き出して、走り出して、一気に距離を縮めていく。
「な、なんだ、あんた!?」
静葉ちゃんと若い男がびっくりしてこっちを向いた。
気付いた時にはもう後の祭りだ。なにもかもが。
俺は男にとびかかる。
「静葉ちゃん、逃げ……あ」
抵抗する男の肘が目の前に迫ってきて――
がつん、と顎に衝撃が走った。
そこで、俺の意識はぷっつりと途切れる。
遠くのほうで、防犯ブザーの音が聞こえてきた。




