第十九話 オニオングラタンスープ<2>
「このお肉……やーらかーい」
鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てているサーロインステーキを一口大にナイフで切って、口に運んでいくハルナさん。
「……今更気付いたけど、ハルナさん、何でもおいしいって言ってるよね」
「いいじゃなーい。おいしいものはおいしいんだもん。あ、みなちん、お肉あげるから、一口頂戴」
美菜ちゃんは、シーザーサラダと、クラブハウスサンドを頼んでいた。勿論、要求はクラブハウスサンドの方だ。
「いいですよ。どうぞ」
と、クラブハウスサンドをあーんと口を開けて、食べさせてもらうハルナさん。
仲睦まじい姉妹の風景である……父親が違って、美菜ちゃんが母親の隠し子とはハルナさんは知らないけど。
その一歩間違えれば破たんしかねない風景を、オニオングラタンスープを啜りながら俺は眺めていた。
……正直、今、重たいものは食べたくなかったのだ。
「大丈夫なんですか?」
と、心配そうに美菜ちゃんが尋ねてくる。
「まあ、うん。帰ったら多分治るから」
「もうちょっとご飯食べたらいいのに~」
と、諸悪の根源がそんなことを言って来た。
……本当に、はやく事態が解決してもらいたいものだ。
そこへ、着信音が鳴った。美菜ちゃんが携帯を覗いて、眉をしかめた表情をする。
「すいません。母から電話です。すこし席を外します」
そう言って、ファミレスの外へと向かっていった。
「美菜ちゃん、家族と上手くいってないの?」
俺に尋ねるハルナさん。
「え? どうだろ……?」
……お母さん? あっ。
今の電話は、長瀬瀬里奈からだったんじゃないのか?
俺はなるべく平静を装って、答える。
「お、俺、向こうの家庭は良く知らないから」
「あ、そういえば、昨日そんなこと言ってたわね」
どうやら玄関前での俺と美菜ちゃんとの会話を聞いていたらしい。
「……実はさ~、この前ニュースでやってたでしょ? 知らないか? ママに隠し子がいるかもって話」
「う、うん……」
「実はさー、あれ、ほんと、マジかもしれないのよね。十一年前って、全然ママ家に帰らなかった時期だし……そのころからパパと疎遠だったみたいだし」
その話を、美菜ちゃんがいない時に俺に話すのか!?
うわうわうわ。勘弁してくれ。
俺からばれてしまったら、まさに美菜ちゃんの危惧した通りになってしまう。
「そ、それ、俺に言ってもいいの?」
「良いに決まってるじゃん。いっちー、信用出来るもん……つか、みなちんに聞かせる話じゃないしね」
その信用は、今、そんなに欲しくない。というか、そんな気遣いは出来るのに、どうしてそんなに計画性がないんだ?
美菜ちゃん、早く帰ってきて……頼むから!
俺一人だと、本当に、嫌な予感しかしない。
「んで、私、聞いちゃったんだよねー、この街に、ママの隠し子がいるって。何年か前……ちょっと覚えていないけど、ママが電話していた時に、盗み聞きしてたんだ」
「そ、そう、なんだ?」
美菜ちゃんは二、三回電話したことがあるといったから、多分その時に聞かれたのだろう。
「いっちー、何か、思ってたより驚かないね」
「え? そ、そうかな……」
「まあ、今時芸能人の隠し子なんて、もう驚かないかー。テレビじゃーおしどり夫婦って振舞ってるけど、二人とも同じ家にいる癖に、別居状態だから。あたし的には今更っていうか」
そんなこと、聞きたくはなかったわけだけど。
「でさ、あたし、その隠し子を探しに来たっていうか」
ビンゴ。
美菜ちゃんの予想は大当たりだった。
「……あの、ハルナさん」
「さん、はいらないよ、いっちー。だから、他人行儀すぎじゃないの?」
「じゃ、じゃあハルナちゃん」
「ま、いいけど。で、何?」
俺は勇気を出して聞いた。
「隠し子を探しているのは何で? 何か目的があるんだよね?」
「んー、あたしさー、上にお兄ちゃんがいるんだけど、これが、完全に向こう側の世界の人間なのよ。あ、芸能界側のね」
「うん」
「今、親の七光りでテレビで出てる。才能ないから、たぶん、来年には消えてるんじゃないかな」
「辛辣すぎるんじゃないかな」
「だって、ソフトに言ってもしょうがないじゃない? で、あたしの悩みを相談しても、これがお父さんとお母さんの言う通りにしなさいってくるわけよ……つか、お兄ちゃんが情けないから、あたしにお鉢がまわってきたんだけどさ」
はあ、と深いため息を吐くハルナちゃん。
「で、その隠し子に会ってみたくなっちゃて」
「何で?」
「うーん。なんていうか……味方がほしかったのよね、たぶん」
「た、たぶん?」
「駅に来た時に、ぱっと思いついただけだし。だって、あのママの隠し子よ? 会ってみたいじゃない? んで、お互い大変だねーなんていい合えればいいかなー、なんて」
ごくり、と喉を鳴らして、俺は尋ねる。
「喧嘩したいわけじゃないんだ」
「まさかー、そんなことするわけないじゃん……でも、うーん、向こうからしたら、あたしと会ってもねえ……まあ、でも、いっちーたちに出会ったから、結果オーライって感じ」
彼女はけらけらと屈託なく笑う。
それを聞いて、ほっと息をついた。
良かった……修羅場的な展開はないようだった。
「ねえ、もしかして、いっちー、その子のこと知ってる?」
どきん。
心臓が飛び跳ねたかと思った。
落ち着け。
平静を装って、スープを一口飲んでから、「知らない」そう答えればいいだけだ。
しかし、手がぶるぶる震えてしまって、スプーンからスープがこぼれてしまう。
「……何やってんのー、もー」
とハルナちゃんが呆れて、布巾でこぼれた場所を綺麗にふき取る。
「俺は、知らない」
スープを飲んでから、俺は冷静に言い放つ。
タイミング的には最悪だった。
「何が?」
「いや、だから、隠し子のこと」
「……マジで知ってんの? 動揺してるみたいだけど?」
「い、いや、それは――」
「あ」
と声を出して、テーブルの下に身をかがめるハルナちゃん。
「? どうしたの?」
「今、入ってきた二人組……」
小声で話すハルナちゃん。
入口の方を見ると、年配のおじさんと俺よりも一つ上か二つかの青年がウェイトレスと話をしている。
「あれ、芸能リポーターの飯沼なのよ……ママの専属ストーカーっていうか。うわー、何でここに? やっばいなあ……」
ささっと眼鏡をつけて、リボンを解いて髪型を変える。立ち上がると、随分と印象が変わった。こういうのに、慣れているのかもしれない。
「あたし、ちょっとトイレに隠れてるから、あいつらが出ていったらスマホに連絡して」
「う、うん」
そう言って、彼女は席を立ち、何食わぬ顔でトイレへと向かって行った。
件の二人は、空いてる席……俺の座る隣に案内されてきた。
年配の男は、小男と言った感じで、しわが深い。五十は過ぎているだろう。青色のベレー帽を取ると、しわくちゃの白髪と禿げた頭が見えた。
若い方は……結構、ハンサムな方だと思う。眼鏡をかけていて、きりっとした目をしている。背も俺よりも高く、スポーツでもしていそうなくらいに、体格も良い。
どうやら、ここに長瀬瀬里奈の娘がいたことには気が付いていないようだった。
「うん、そうなんだよ。ごめん、仕事でさー……勿論、うん。お土産買ってくるよ」
聞き耳を立てていると、若い方が携帯で誰かと話をしているみたいだった。
「あ、ごめん、上司が睨んでるから……愛してるよ。じゃあね」
恋人との電話だろうか?
ハンサムだから、あり得ない話じゃないな、と思っていた俺が、その次の年配の人の声で驚愕することになる。
「また小学生かよ」
「合意の上ですよ。恋人同士ですから」
「何言ってやがる。何人目なんだ、その子は」
思わず声が出そうになって、手で口を押えた。
い、いやいや不審な動きしてたら気付かれるだろ、俺……あ、い、いや。間に観葉植物があって、丁度陰になり、二人は気付いていない。
し、しかし、どういうことなんだ?
俺はじっと身動きせずに、ファミレスの雑音の中、全神経を集中して彼らの会話を拾う。
「六年生から中学生くらいまでがねらい目なんですよね。あれくらいだと、性に対して興味をもってますから……身だしなみを整えて、警戒心を解かせて、甘い言葉をささやいてやれば、すぐに心を開いてくれます。ま、僕の顔が良いのもありますけど」
「言ってろ、変態野郎が」
「学生時代に振られてから、ずっと長瀬瀬里奈に執着している飯沼さんの言葉とは思えませんね」
「……ふん。あの女の本性を暴いてやらねーと気がすまねえだけさ。じゃなきゃ、誰がてめーなんかと」
「てか、長瀬瀬里奈の、隠し子、本当なんですか?」
「ああ……元マネージャーの証言さ。おそらく、間違いねえ」
「小学生ですから、飯沼さんが取材したら、まさに事案ですよ」
くっくっくと笑い声。
聞いてるうちに、俺の背中に冷や汗がだらだらと流れていく。
「うるせえ。自覚してるよ。それより、分かってんだろうな?」
「ええ、はい。分かっていますよ。年齢は十歳で、小学五年生。祖母と暮らしている子を探すんですよね」
「情報が間違いの可能性もある。それらしい子供が居たら、迷わず写真を撮れよ……というか、隠しカメラで余計なものを取るなよ……ったく、そんなの興味ないんだ、俺は」
「でも、顔を見ただけで分かるんですか?」
「分かるさ。何度長瀬瀬里奈の顔を見てると思ってるんだ? あいつの子供なら、絶対に当てられるよ」
「さっきの変態とか言う言葉、そのままお返ししますよ」
「あと、趣味には走るなよ」
「何のことです?」
「昨日みたいに、ガキばかりに聞き込むなって言ってんだ」
「何言ってんですか。子供の方が有益な情報を提供してくれますよ」
「そのうち、捕まるぞ」
「そんなへましませんよ。……で、その隠し子の子供は、好きにしていいんですよね?」
「……訴えられるようなことはするなよ?」
「弱みを握ってるんですから、多少は大丈夫ですよ……楽しみだなあ。そろそろラブラブなのも飽きてきたところだし。小学五年生って、未知の領域なんですよ」
「ちょっと待て。電話が入った……俺だ」
心臓の音がやばい。
こ、こいつら……美菜ちゃんに何をする気なんだ……?
年配の男の男が短い電話を切った。
「……休憩はやめだ。瀬里奈の娘がこの街に入ったという情報が入った」
「へえ。何でですか? 隠し子に会いに?」
「わからん――が、隠し子がこの街にいる確率は高くなってきたのは確かだ」
「無駄骨にはならないことを祈りますよ」
二人が立ち上がった。
「悪いが、急用ができたんで、注文はキャンセルしてくれ」
近くのウェイトレスに年配の男――これが飯沼さんだろう――が伝えた。
彼らはファミレスから出て行くようだった。
俺も立ち上がり、レジで会計を済ませる。
「す、すみません。俺、急用ができたんで、先に会計を済ませます。荷物は、まだ連れの人間が持って帰りますので」
「お連れ様は、どちらにお出でですか?」
「一人はトイレで、一人はえっと……あ、あれ?」
ファミレスの外に美菜ちゃんがいるかと思ったら、透明なドアの向こうに彼女はいない。電話をしているのなら、そこだと思っていたのだ。
あ、も、もしかして、あの二人に連れ去られたんじゃあ――
「と、とにかく、トイレにいますから! おつり要らないんで!」
俺は一万円を押し付けて、ファミレスを出る。
一刻の猶予がない。
外へと出てみると、二人は別れ別れになっていた。
……美菜ちゃんの姿はどちらにもいなくて、俺は一安心する。
このままにしておくわけにはいかない。
お、追いかけなきゃ!
俺は別方向に歩いていく二人を見て――若い方に向かった。




