第十六話 鳥団子鍋
あんぐりと開いた口に、薄黄色な団子がまるごと入って行く。
幸せそうな顔をしながら、彼女はもむもむと咀嚼し、一言。
「おいしー!」
結局のところ、東雲さんのはただの腹痛で、美菜ちゃんが持って来た薬を飲んで安静にしていたら治った。
「いやー死ぬかと思ったわ。ありがとね、みなちん」
「みなちん……ですか」
と呼ばれた美菜ちゃんは、複雑そうな顔を浮かべている。
「いっちーも、ほんと、ごめんねー」
俺はいっちーか。
……でも女子高生から言われるのは、悪い気がしない俺がいる。我ながら、ちょろすぎる。
「でもさー、みなちん、料理上手だよね。このお鍋すっごくおいしいよー」
「鍋は具材を切って、出汁の入ったスープに入れるだけなんで楽です。誰にでも出来ます」
「いやいや。本当に、美菜ちゃんはすごく料理が上手いんだ」
と、俺は美菜ちゃんの自慢話を始める。
おかゆから始まり、ハンバーグとオムライス、昨日のイカと大根の煮物など。
「両親が共働きなんで、自然と料理が上手くなってしまったんです」
「……てかさー、どういう関係なの? 二人って?」
当然のように湧く疑問に、美菜ちゃんが答えた。
「ただの隣人です。ただ、一之瀬さんがだらしないので、私が家事を教えています」
「ふーん……」
と、俺を見て意味ありげに笑う東雲さん。
……何なんだ、その笑みは。
「ところで、親が心配してるんじゃないの? そろそろ連絡した方が良いんじゃない?」
そろそろ夜八時になる。成り行きで晩御飯を食べているけれども、連絡の一つは入れておくべきだろう。俺が年長者らしく促すと、彼女はふへへと笑みを浮かべる。
「あーうん……その、家出、しちゃったんだよね。だから、連絡しなくてもよくない?」
と、白菜を椀に取り寄せながら、彼女は軽く言い放った。
いや、その理屈はおかしい。
「家出って……きっと心配してると思うよ」
「そんなわけないって。パパもママも仕事ばっかりだから。たぶん、家に電話しても誰もいないし、あたしが家出したことすらまだ気づいていないよ? 賭けても良いくらい」
「でも、連絡の一つは入れないと」
「じゃあ、テレビつけてみて」
テレビ?
食卓の隅っこに埃をかぶったテレビが置いてある。
親父が買ってきたものだ。
俺は見ないのでそのままそこに置いてあるだけの物だった。
テレビがなんなんだ?
と思いながら、俺は電源を入れる。
「ほら、ママが映ってるじゃん」
「ママ?」
テレビの画面に映っているのは、ドラマのようだ。
そして、着物を着た女性が……なんだこれは、聞き込みをしているのか……?
「土曜ドラマ劇場、女将は見た、ですね。女将五月女千春が自分の経営する旅館で起こる事件を次々に解決するというストーリーです」
「詳しいね」
美菜ちゃんが観ているのが意外だった。
「結構、好きなんです。ドラマを見るのは」
「そうなんだ……って、ママ? 長瀬瀬里奈が?」
その画面に映っているのは、まぎれもなく長瀬瀬里奈。日本が誇る、大女優だ。
「言ってなかったっけ?」
彼女はシレっと答えているが、言ってはいなかったはずだ。
それでも、そんなの信じる、というのがおかしいというか。
「長瀬瀬里奈は芸名で、本名は東雲渚です。ハルナさんは、この前グラビア雑誌にちょっと載っていましたよ。あの瀬里奈の娘だって」
美菜ちゃんの小さな口から語られたのは、更に意外過ぎる言葉だった。
「詳しすぎない?」
「長瀬瀬里奈は好きなんで……でも、インターネットで調べれば、すぐに出てきますよ、こういった情報」
「じゃあ、美菜ちゃんは彼女が芸能人の娘だって知ってたんだ」
「いえ、もしかしたら……とは思いましたけど。第一、東京にいるはずですし」
そりゃそうだ。
なんだってこんな地方に来ているんだ?
「んー……お財布のお金の範囲で出来るだけ遠い場所に来ただけだよ? 深い意味はないから」
「何で、家出を?」
という俺の疑問に、彼女は頬っぺたを膨らませる。
「別に芸能人なんかになりたくないのに、勝手に仕事決めて、勝手に事務所に所属させて! で、学校はこれからは諦めてくださいって、信じられる?」
「そんなこと言われたの?」
「言われたの! ほんっと、仕事しか頭にないんだわ、あの二人」
東雲さんは、ぷりぷりと怒っている。
そして、鍋の中でぐらぐらと揺れていた白ネギをぽんずでひたひたにして、口に運んだ。
「っおいし~!」
満面の笑みであった。
美菜ちゃんがため息を吐く。
「ハルナさん、これは録画ですから、お母さんはたぶんもう家に帰ってると思いますよ?」
「いーや! ぜったい! 私が家にいないこと、気付いてない! とにかく、連絡する気、ないから!」
どっちが小学生なんだか。
しかし、彼女が芸能人の娘、ねえ……
「……なに? どったの? いっちー?」
どこにでもいそうな女子高生だけどな。
「なーによ。あ、胸見てたんでしょ。やーらしー」
「違うから……」
あれ?
ん?
俺は目を疑った。
「美菜ちゃんと東雲さん、並んでみると、何か……似てる、というか」
俺の言葉に、彼女らは目を見合わせた。
「似てますか?」
と、美菜ちゃんが訝しげに俺に尋ねてくる。
「……」
まじまじと美菜ちゃんを見つめる東雲さんは、間をおいて、「あーーっ」と俺の方にその目が向いた。
「ちょっと、いっちー、東雲さんって何よー? みなちんは美菜ちゃんって呼ぶくせにー!」
「な、何かまずかった?」
「他人行儀すぎでしょー? ハルナでいいよ、ハルナで」
君はちょっと人懐っこすぎやしないか?
俺は何か怒られるのかと思った。
「……ハルナさん、でも、これからどうするつもりなんです?」
美菜ちゃんが尋ねてくる。
「どうって?」
「さすがに、このままではいけないんじゃないですか? お金だってないんでしょう?」
「……いっちー、お金、貸してくんない?」
と俺に振ってきたので、頷いた。
「いいよ、いくら?」
「一之瀬さん!」
と、美菜ちゃんが目を吊り上げる。
「安易に人にお金を貸さないでください。そういう所が駄目なんです!」
「で、でも、困っているみたいだし。それに、貸してもおそらく返ってくるはずだし」
「そういう問題ではないでしょう? 大人なら、ここは諭す場面なのではないですか?」
そんなことを言われても。
俺の言葉で、どうやってもハルナさんは動くわけがないし。
俺が黙ったのを見て、美菜ちゃんの口がハルナさんに向いた。
「ハルナさんも、人のお金をアテにしちゃだめですよ。お金が無くなったら、また一之瀬さんを頼るんですか?」
「うー……おうちに戻りたくないんだもん」
小学生に、俺とハルナさんは怒られてしまっている。
反論しようがない。
そんな小学生は、ふーと深いため息を吐いて、解決策を提示してきた。
「ハルナさんの目的は、芸能界入りを諦めさせることですよね? じゃあ、ご両親に連絡して、それを交渉するべきです」
「で、でも、絶対、きいてくれないもん」
「ハルナさんの意志を伝えないと何も始まらないじゃないですか……一之瀬さん、それが解決するまで、彼女をここに泊めさせてあげるのはどうでしょうか? 私の所は、両親がいますので、ちょっと」
「え? ちょっとそれはまずいんじゃないの?」
と、俺はさすがに倫理観が働いた。
一つ屋根の下、女子高生と一緒に、というのは……
さすがにこの寒空で出て行けというのは心苦しいから、一泊位ならと思っていたけど。
「それじゃあ、私もここに布団を持ってきて泊まります。それなら、ハルナさんも安心ではないですか?」
「え……? いや、そういう問題かな?」
条例ダブルパンチじゃないのか、これ。
「私、おそらく一之瀬さん位なら、不意を突かれても倒せる自信がありますので」
俺もその確信があるけどさ。
「大体、一之瀬さんが間違いをおかさなければいいだけの話ではないですか」
と呆れた顔で言われると、確かにその通りだと思った。
あれ……? なら問題はないのか……?
と俺が自問している間にも、事態がとんとん拍子に進んでしまっている。
「そういうわけで、ハルナさん、どうでしょうか?」
「……そだよね。いつまでも人をあてにしちゃ、駄目だよね。あたし、ママに連絡してみる」
そう言って、彼女はスマホを取りだした。
俺の部屋で充電しているので、使えるようになっていたのだ。彼女はメールで連絡するみたいだ……直接はちょっと言いにくいのだろう。
「それじゃ……えっと、一之瀬さん? ちょっと私の家に来ていただけますか? できれば、一緒に説明してくれると嬉しいです」
「え?」
何に説明……あ、そうか、美菜ちゃんのご両親にか。
でも、反対するんじゃないのか?
だって、そうだろう? 自分とこの娘を、見ず知らずの人間の家でお泊りさせるだなんて。どう説明しても反対されるんじゃないのか?
といったことを俺が問うと、
「明日から一週間くらい、お父さんは夜勤で、お母さんは出張しているんで……むしろ、その方が安全なんですよ。それに、二人には、一之瀬さんのことは話しているんで、たぶん了解を得られると思います」
「俺のことを話してるの?」
「ええ。でも、一応、他人の家にご厄介になりますので。挨拶、まだでしたよね? 顔を合わせるくらいしないと」
まあ、そうか。
……それに、美菜ちゃんにはお世話になりっぱなしなんだし。その両親に挨拶くらいはした方が良いに決まっている。
玄関から出た所で、彼女が尋ねてきた。
「……私、ハルナさんの前でどうでした?」
「どう、って何?」
「いつもどおりでしたか?」
「いつもどおり……だったけど」
「それならよかったです」
ほっと安堵の息をつく美菜ちゃん。
なんでそんなことを聞くんだろう?
彼女の家の玄関が開く。
家の中は、電気が付いていない。まっくらで、何も見えない。
底冷えする冷気が足元から上ってくる。
「えっと……」
さすがに暖房くらいは入っていると思っていた俺は、戸惑うことになった。
「ここに、私は一人で住んでます」
「……え?」
電気がつく。
そこには、いつも通りの美菜ちゃんの顔があった。
その表情のまま――彼女は俺にとんでもないことを告げた。
「一之瀬さんを信じて、打ち明けます……私の昔の名前は、神野美菜。十一年前、東雲渚の不倫相手、神野大の娘です」
「な……え……な、なんだって?」
「私はいわゆる……東雲渚……芸名長瀬瀬里奈の隠し子ということになります」