第十五話 とんこつらーめんセット(半チャーハン付き)
猛烈にラーメンが食べたくなる――ということは、誰にだってあると思う。
だから、今日はラーメンを食べる。絶対。
ということを、俺は美菜ちゃんにお伺いを立てた。
「……あの、何で私に許可を取ろうとするんですか?」
インターホンを押すと、チェーンロック越しに彼女が疑問を述べてきた。
「だって、美菜ちゃん、怒るし」
「怒りませんよ、そんなことで」
「昨日、カレーが中止になったし」
「だって、カレーを一日に二回食べようとしてるんですよ? 当たり前じゃないですか……私だって、たまにはラーメン位食べます」
絶対、野菜マシマシのラーメンなんだろうなあ、と俺は思った。
「あ、そうだ。美菜ちゃんもラーメン食べる?」
「結構です」
玄関が閉まる。
とりあえずはおとがめはないようだし、昼はラーメンに俺は決めた。
十二時になり、俺は意気揚々と外に出た。
向かう先は、近所のラーメン屋だった。
しょうゆとみそととんこつの三種があり、それほどこだわりのない、どこにでもあるような普通のラーメン屋だ。味もそれなりで、家庭では出せない位。値段は一杯七百円弱。
何が良いかというと、土曜日の昼でも混んでなくて並ばずに食べれるところだ。
むしろそれ以外に良いことはないけど……というか、ラーメンを並んででも食べるのは、なんか俺は嫌なのだ。
そのお店が見えてきたところで、俺はうわあ、と心の中で思ってしまった。
ギャルだ。
髪をまっ金髪にしていて、ウェーブがかかっている。大きな胸に、ぱっちりとした瞳が印象的だ。ブレザーを着ていて、チェックの入ったスカートを短くしている。高校生、だろうか?
今日は土曜日だから、休日なのに、何で制服を着ているんだろう。
という疑問はさておき……俺という存在と、反対に位置する生命体だ。
俺は目を合わせないようにして、ラーメン屋へと向かう。
目が合ったからってどうということはないんだろうけど。とりあえず、君子危うきに近寄らずの精神だ。
「……え?」
ギャルとすれ違うその瞬間に、彼女が崩れ落ちた。
近くの塀に手をつき、お腹を押さえている。
顔色も悪い。
こんな時に限って、周りに人がいない。
つまり――現時点で彼女を助けられるのは、俺しかいないということだ。
「ど、どうしたんですか? お、お腹が痛いんですか?」
勇気をもって、俺は彼女に近づいて話しかける。
彼女は憔悴しきった顔をしている。
俺の呼びかけに対し、彼女は黙ったままだ。
救急車、呼んだ方が良いか――?
そんなことを思っていると、彼女は震える指で、ある一点を指さした。
同時に、ぐううううう、という獣のような唸り声が彼女のお腹から聞こえてきた。
「昨日から何も食べてない……」
彼女の指さしたそこは、俺が行こうとしていたラーメン屋だった。
ずずー、ずびー、ずばー、ずずずずー
すごい勢いで、彼女の唇に麺が吸い込まれていく。
その食べっぷりたるや、店主も見とれるくらいで、「美味しそうに食べてくれるねえ」と彼女にだけ餃子を1人前サービスしたのだった。
「ありがとう、おじさま!」
あんぐりと口を開けて、湯気が立つ餃子を一口で頬張る。
「んー!」
幸せそうな顔で、餃子をかみしめる。
「……まあ、よかったよ。うん」
ただお腹が減っていただけで。
「ごめんねー、おじさま。お金が尽きちゃったから……あとできっちり返すし」
おじさま……まあ、女子高生から見れば俺もおじさんか。
「いや、別にいいよ。ラーメン代くらい」
と言いつつ、俺はなんとなく落ち着かない。
向かい合っているのは、ギャル。
俺にとっては、想像すらできない生命体だ。
正直、何を話していいのかわからない。
というか、彼女の一挙手一投足が気になってしまって、ラーメンの味が全く分からない。
いつの間にか、頼んでいたとんこつらーめんセットは食べ終わってしまっていた。
……全然、食べた気がしない。
丼を持ち上げて、喉を鳴らす彼女。
スープまできれいに飲み干して、満足そうな笑みを浮かべる。
……まあ、いいか。
こんな笑みを見せられたらそんな細かいことは。
「じゃあ、俺は帰るから」
と、俺は彼女の分まで払って、お店を出る。
どうしよう……カップ麺を買ってきて、食べようかなあ、なんて思っているところで。
「ちょっと待って!」
彼女が追いかけてきた。
「な、何か用?」
「名前と住所を言ってくれなきゃ、お返しできないじゃん」
「い、いや、べつにいいよ。そんな大した金額でもないし」
「ちゃんとお返しするし!」
と、彼女はスマホを取りだして――
「あー、充電きれてたんだった」
「だから、いいって。ラーメン代くらい」
「そんなわけに――あ、そうだ。名前教えてよ、おじさま。あたし、東雲ハルナ」
なんだか名前を教えたら、面倒なことになりそうな気がする。
とにかく、俺という男は、可愛い女子にとんと縁がない人生だった。
これが罠で、美人局や犯罪に巻き込まれる可能性が大いにありうる。
……という思考が浮かぶ、これまでの俺の人生のしょうもなさ。なんだって美少女に絡まれて、こんなマイナス思考をしなきゃいけないのか。
とにかく、彼女と関わることはない。
「あの、俺、実は用事があってさ」
「……」
彼女が立ち止って、お腹を押さえている。
何だ? ご飯が足りなかったのか?
「どうしたの?」
「……お腹空っぽでラーメン食べて……走ったもんだから……」
顔が青ざめていて、脂汗が額ににじんでいた。
「おじさま、この近くに、トイレってある?」
よくあるやつだ。
分かり過ぎるくらいに分かる。
この辺でトイレは――ない。
コンビニはここから徒歩五分先。公園は十分先。そして、先客がいる場合もある。その時の絶望感と言ったら――いや、今はそれはいい。
「我慢できそう?」
「……漏れそう」
と、微動だにしない彼女は、顔を青くさせていた。
事態は一刻を争うようだった。
ここから近くて、確実にトイレが借りれそうな場所と言えば……う、うう。し、仕方ない。
「俺の家がこの近くにあるから……そこまで我慢しよう」
こくり、と頷く東雲さん。
どうにかこうにか――彼女が言うには、あとほんの一秒で最悪の出来事を迎えていたらしいが――事なきを得た。
俺の部屋のトイレから出てきた彼女は、まだ青い顔をしていた。
「きぼちわるい……」
と、東雲さんは食卓の椅子に座って、青い顔をしている。
さすがに、救急車を呼ぶか……?
でも、ここに呼んだら、ちょっとまずくないか?
だって、彼女は高校生で、部屋に連れ込んでいるのは事実なのだ。条例違反だと見られても、不思議ではない。
じゃあ、放っておくってのか?
少し時間が経てば治っていくかもしれないけど。
治らなかったらどうするんだ?
もしこれで最悪彼女が死んでしまったら……い、いや、そんなわけないだろうけど。
万が一という言葉はあるんだ。
今できることは、全部やらないといけないんじゃないのか?
だから――そう、ここは……一番確実で、一番有効で、俺に安全な方法を選ぶべきだ。
俺は玄関を出て、隣の部屋のインターホンを鳴らした。
「助けて! 美菜ちゃん!」




