第十四話 イカと大根の煮物(ごはん、味噌汁、漬物)<3>
「しずちゃんから、何を聞いたんですか?」
静葉ちゃんと別れて、美菜ちゃんが俺に鋭い目を向けてきた。
「別に、何も……誕生日のことだけ」
「しずちゃん、私たちのこと、誤解してるんですよ」
はあ、と美菜ちゃんはため息を吐く。
「誤解って?」
「私と一之瀬さんが恋人同士だと思ってるんです」
「はあ……? そうなんだ?」
一体どこをどうみてそんな風に思ったんだ?
小学生と、まがりなりにも俺は大人だ。
確かに美菜ちゃんは可愛らしい容姿をしているけど、さすがに恋人にしようなんて露とも思ったことはない。
「しずちゃん、ちょっと、思い込みが激しいところあるから」
「俺と美菜ちゃんが恋人ねえ……?」
全然想像がつかない。
というのも、女の人と付き合ったことがないからだけど。
どちらかというと……いやいや、自称神様の言うことだぜ? 俺。
「じゃあ、イカを捌きましょう」
俺の部屋へとやってくると、彼女はエプロンを着て、まな板の上に買ったイカを置いた。
「捌く……これを?」
ごくり。
この前買ったばかりの包丁を握り締めて、俺はまな板の上のイカを見下ろした。
見るからにグロテスクな容姿をしている。
「触るのも嫌なんだけど」
「とりあえず、包丁は使わないのでしまってください。まず、わたを抜きます」
「触るの、嫌なんだけど……」
俺は最後の抵抗を試みるが、彼女ははい、と渡してきた。問答無用だ。
「この目とゲソのある部分と、エンペラのある胴を切り離すんです。手で」
「手で……?」
「簡単ですよ。胴体の付け根に親指を入れて、ゆっくりと引き抜いてください。あ、墨袋を破かないようにしてくださいね」
「うわぁ……」
ちょっと力を入れると、ぶちっと言った感じで、切り離された。
「うわわわあわ、ごめんなさい。おえっ、おえーっ」
「……あの、これを食べるんで、えづかないでくれますか?」
「う、うん。おえっ、うわあ、気持ち悪っ」
「身の中にある骨を取ります。あとで水洗いするんで、ワタが残っていても良いですよ」
「うっぷ……わ、分かった」
「……あの、もういいです」
ふう、と美菜ちゃんはため息を吐いた。
「初めて料理をする人に、イカはちょっとハードルが高過ぎました」
「申し訳ない……」
「いいです。あとは私がやります。手を洗って、休んでください」
「悪いけど、そうするよ」
我ながら情けない。
ふらふらとした足取りで、俺は自分の部屋へと向かった。
パソコンをつけて、インターネットを開く。
適当にネットニュースをチェックしつつ、動画サイトを開いて視聴する。
「ん?」
ちょっと気になる文字が飛び込んだので、そのサイトを開いてみた。
週刊誌のニュースサイトで、『女優 長瀬瀬里奈、隠し子発覚か?』というタイトルだった。
長瀬瀬里奈は、現在五十二歳のテレビ界に君臨する大女優だ。
俺はテレビを見ないし、顔も知らないが、死んだ親父が好きだったので、名前とその名声は覚えていた。
記事によると、十一年前に病院に入院したという記録があり、そこで子供を出産したのではないかということだ。
この手の記事によく見かける芸能関係者、親しい人物が勢ぞろいしている。
俺の感想は、「へえ」と言ったもので、もし本当なら死んだ親父も悲しむなーというくらいのもんだった。
長瀬瀬里奈は二十年前に結婚していて、いわゆる不倫をしていたということでもあるからだ。
見ていた動画サイトへと移動しようとしたときに、俺の部屋に美菜ちゃんが入ってきた。
「一之瀬さん出来ました……」
「あ、うん。もう気分もだいぶ良くなったよ……美菜ちゃん?」
振り向くと、何故か、目を丸くして立ち尽くしている美菜ちゃん。
「どうしたの?」
「え――あ、ああ、い、いえ、何でも」
何故だか目が泳いで、俺の顔をまともに見ない。こんな彼女は初めて見た。
怪訝に思う俺をよそに、「じゃあ、すぐに来てくださいね」と台所へと彼女は向かっていった。
「……?」
俺は不思議に思いつつも、台所へと向かう。
食卓に並べられているのは、イカと大根の煮物と、漬物(きゅうりと人参の浅漬け)、味噌汁、ごはんだった。
「漬物はうちから持ってきました」
「う、うん」
俺の関心は、もっぱらイカに注げられている。
「食べてみてください」
「えっと、いつもみたいに、帰らないんだ」
「折角作ったのに、捨てられる可能性がありますから」
一応、彼女が作ってきた物は全部食べてきたんだけれども。
……仕方ない。
俺は目をつぶって、輪切りになったイカを、箸でつまんで、口の中に入れた。
「……あれ?」
美味しい……かも。
というか、全然固くない。むしろ柔らかい。
「へえ……」
感嘆の声が漏れてしまう。
「イカは大根と一緒に煮ると柔らかくなるんです。あと、イカは煮すぎると固くなっちゃうんで、最後の方に入れることがポイントです」
「昔食べた屋台のイカ焼きは、たれの味しかしなかった」
そして、いつまで経っても噛み切れない。
それ以来、食べるのを敬遠した来たのだが……こんなにおいしいとは思わなかった。
大根も味がしみ込んでる。
ほふっほふっと湯気だつ大根を噛むたびに、じんわりとした味が口の中に広がっていく。
「美味しいよ」
「……どうやら、食べ残すことはないみたいですね」
と、彼女はため息をついて、「それでは」と自分の分のイカと大根の煮物をタッパーに詰めて、帰って行った。
――さっき、なんだか様子が変だったけど、いつもの彼女だった。




