竜の災禍、娘の禍根 (五)
「その。アンディさんの遺体についてなのですが、傷の調査は『バヌ』でもある程度行われています。その報告書を読むのではだめでしょうか?」
と。
移動を始める前、マーリンはちらりとフレイを見ながら提案する。
フレイはそれに気付いて首を傾げたが、何故ちらりと見られたのかまでは解っていないようだ。
そんな様子を見て、マーリンはさらにそれを推そうとするが、「駄目よ」とアンスタータは切り捨てた。
「ありがとう、マーリン。あなたはレイの事を慮って提案してくれたんでしょうね。けどその提案は駄目よ。複数の理由からね」
「と言うと」
「第一に、傷を実際に見ないと解らないことが多すぎるという点。報告書がどんなに精密であったとしても百聞は一見に如かず、現場を見ないで報告書だけで結論を出す役人に何が解ると言うのかしら」
確かに、そうマーリンは頷いた。
「ならばせめて、フレイくんだけでも待機させた方がいいのでは?」
「駄目よ。第二の理由。この子、レイはそこまで繊細じゃないわ。一応冒険者だしね、死体にも慣れている。そして……私よりもよっぽどその手の事、『どうしてそれが死んだのか』だとかの調査って、レイのほうが得意なのよ」
「えっへん! もっとも、おいらでもわかんない事のほうが多いけどね。特に今回は死後一日は経っちゃってるし、そこまで詳細はわかんないかなー。死体ってすぐ傷んじゃうから」
「…………、ならば、まあ、仕方ありません」
「第三の理由は……ま、これは死体を確認してからにしましょうか」
アンスタータはそんな思わせぶりな事を言って、一行はアンディの遺体が置かれた遺体安置所へと向かった。
正確には、そこに併設された臨時検死施設。
アンディの遺体は石造りのベッドの上に、置かれていた。
『バヌ』の関係者らしい人物が調査をしていたので、アンスタータはどう説明したものかと悩んだりもしたけれど、それは杞憂で済んだ。
「よお、ジス」
「ん……ドリー? なんでこんなところにお前が来たんだ」
それは、ドリーがその人物と知り合いだったからである。
「いや、その死体の確認。調査を依頼って形で受けたのさ」
「へえ。マスターも何を考えてるんだか……。そっちの三人は、じゃあ今回のパーティか」
「ああ。構わねえかな?」
「いいぜ。つっても刺激は強いだろうから、そっちの子供な猫人は入るのもやめた方が良いと思うが」
「おかまいなくー」
にっ、と笑ってすり抜けるように、フレイは遺体にどんどん近付き、数か所から遺体を確かめたころ、他の三人も遺体の横についていた。
アンスタータはともかく、マーリンとドリーは表情を顰めている。無理もない、酷い外傷だし、死後時間がある程度経過してしまっている。それが放つ腐臭は如何ともしがたい。
「どう、レイ。何かわかる?」
「凶器は短剣、刃渡りは二十センチ以上二十五センチ以下で、金属製。時間経過もあるから断言できないけど、鋼鉄かなー。少なくとも特殊金属じゃないし、竜鱗装備でもない。傷口からして両刃タイプ。刀身の厚みは、普通のと同じくらいだから、参考には出来ないと思うな。防御創がほとんどだね。犯人の利き腕は……たぶん、左。だけど、右手で傷つけたのもあるから、両利き、というより両手に構える二刀流。傷の入り方からして、構えは両方とも純手持ち。防御創以外の傷は三つあるね。一つは致命傷っぽい、心臓を突いてるやつ。残る二つは左肘と右膝を斬りつけてる」
「なるほど。ちなみに、グレイスの傷は以前、私たちが保護した時に見てるわよね。それと比べてどうかしら?」
「比べるも何も」
何言ってるんだか、とフレイは告げる。
「傷それ自体は別物、って感じかな。グレイスって人の傷は片刃のナイフ、やっぱり金属製だったと思うけど、傷をつけたのは右利きだったと思う。アンディを殺した人が両利きだってことを考えると、まあ、右手だけで怪我させたって可能性もあるけど……、でも、ちょっとそれは無理筋じゃないかな。アンディについてる防御創の数からして、そこそこ戦闘は長引いてる。背面に傷も無かったし、正面から斬り合ってたっぽいし。両手に短剣を構えるのが本来のスタイルだったとしたら、慣れないほうの腕で、慣れない武器を使って、アンディと同じ格の相手を一方的に傷つけられるとは考えにくいよ。もちろん、同一人物である可能性はあるけども。たとえば、同じ人がアンディとグレイスを殺傷したけど、どっちにも不慣れな武器を使ってるってパターン」
「そう」
簡潔に頷いて、アンスタータは遺体に触れる。
そして、相変わらずだ、と思う。
アンスタータとフレイがその遺体を観察した時間は、差があったとしても数秒の誤差だ。
その誤差の範疇、当然だが、アンスタータは傷の詳細なんてまるで解っていないし、ひどいな、という感想を抱いただけだった。
にもかかわらず、フレイはかなりの詳細までを読みとっている。
そしてそんな彼の証言を、アンスタータは即座に信じた。
そこに疑う理由が無いと言わんばかりに。
「で、さっきからどうしたの。何か言いたいような、言いたくないような、微妙な表情だけれども」
「……んー」
「あるのね。言ってみなさい」
「確証は持てないんだ。断言、断定も出来ないよ。だからこれは直感の部類だけど、良い?」
「良いから言いなさい」
「うん。なんかね、甘い匂いがする」
甘い匂い?
アンスタータは眉間にしわを寄せて聞き返す。
甘い匂いもなにも、この周囲にあるのは死臭、腐臭の類ばかりではないか。
できる事ならばすぐにでも水浴びをしたい、そんな気分になるような、そんな匂いだ。
「おいら、この匂いと同じのをいつだったか、嗅いだ事があるんだよね……。でも、それがいつ嗅いだ匂いなのかまでは思い出せないし、その匂い自体かなりぼやけてて、本当に関係があるのかどうかは解らないけど。でも、おいらはそんな匂いを感じとった。おいらからは、これで全部だよ」
「なるほど。御苦労さま、レイ。と言うわけよ。マーリン、ドリー、犯人が複数である可能性が出てきたわ」
「いや……、えっとさ。なんでフレイはそんなに詳細が解るんだ。まだ一目見た程度だろう。それこそ……、『バヌ』で調べたこと以上の事を、認識してるんじゃねえの?」
「あはは。おいらの取り柄がそこにあるってだけだよー。ほら、おいら戦闘出来ないじゃない。だからそれ以外のところは、タータよりもずっとずっと鍛えてるんだ」
ね、とフレイはアンスタータに向けて笑みを浮かべる。
アンスタータも優しげな表情で、フレイの頭を撫でた。
「ねえ、ドリー、マーリン。この人、アンディってさ、おいらたち全然知らないような人なんだけれど、何かトラブル抱えてたとかないの?」
「さて……? 少なくとも『バヌ』に居た限りにおいて、彼らが特別、依頼でトラブルを抱えたという話は聞きませんでしたが」
「俺もだな。強いてあげるなら、本当に強いてあげるならだけど、新年祭の日に大喧嘩をしたってことくらいだ。その喧嘩も些細な原因だったし、かなり酒飲んでたから、そのせいだろ」
「ふうん……」
だとすると、とフレイは両手で何かの数を数えながら続ける。
「可能性は、三つくらいかな……。全く関係のない人に殺傷された。依頼絡みの人に殺された。……どっちも薄いけど、可能性は残ってる」
「そうね。レイの直感だと、どれが正解かしら?」
「やっぱり、最後の一つかなー。でも、まだ確信は持てないんだよね。この甘い匂いが何なのか思い出せれば……あるいは、だけど。ねえお兄さん。この死体の血、ちょっと貰っても良い?」
「血? 構わねえけど、もう固まっちまってるぞ」
「うん」
「……あんまり遺体を傷つけるなよ」
「に」
許可を貰って、傷口からすこし血を削り取り、取り出した小ビンに入れてフレイは笑う。
「とりあえず、タータ。ちょっと調べ事したいから、宿にもどろ」
「解ったわ。マーリン、ドリー。二人も付いて来て頂戴」
もはやこの場に用事は無い。
口にはせずとも態度でそう答え、つかつかとその場を立ち去るアンスタータとフレイに、少し遅れてマーリンとドリーがついて行く。
結局ここに何をしに来たのだろうか、そんな自問自答をしながら。
宿の一室に戻ると、フレイは奥の少し広い空間にテキパキと、慣れた手つきで奇妙な機材を並べ始めた。
フラスコやランプなどなど、それは調合用の器具にも見える。
そして、フレイは採取してきた血を少し試験管に遷すと、ピペットで奇妙な液体をそこに入れて、流れるように作業を進める。
「えっと……、これは?」
「レイの特技……、特技と言うか、取り柄かしらね。レイが戦えなくても冒険者になれたのは、一重に『戦わない力』があるからなのよ」
戦わない力。
それは、幼い彼が生き残るためにと、アンスタータが彼に教えた一つの道。
戦闘能力の全てを無視して、それ以外の力を磨くという生き方。
もっとも、それは生き残るための力と言う意味で、アンスタータは勧めたのだ。
たとえば罠を見破る力、例えば毒を見抜く力。
そういうものを鍛えれば、とりあえず理不尽に死んでしまうことは無いだろうと、そう勧めたのだが……思ったよりも遥かに、フレイ・マルボナにはその手の事に才能を持っていた。
罠を見破るどころか、罠を仕掛けることもできるし。
毒を見抜くどころか、毒を作り、解くこともできる。
今でも戦闘においてならば、とりあえず負ける気はしないが、戦闘以外の面においての話になると、アンスタータよりもよっぽどフレイの方が上だろう。
奇妙な朱色の液体の入った試験管を軽く振り、フレイは目を閉じ、くんくん、と鼻を利かせる。
「…………」
そして、ゆっくりと目を開けて。
「解った。この甘い匂い、パララグラスだ」
「パララグラス……?」
「痙攣を抑えたり、痙攣させたりできる薬物が抽出できる薬草だよ。その辺に生えてる、うさぎの尻尾みたいなふわふわとした綿毛が特徴的な草。抽出はすごい難しいんだけど効果はそれなりにあるし、なにより簡単に手に入るから使い勝手はいいかなー。それで、抽出した薬品からは、ゆらって甘い匂いがするんだ。それの匂いが、血に混じってる」
「つまり?」
「アンディはパララグラスから抽出された薬品を投与された上で殺されてるってこと」
痙攣を抑えたり……痙攣させたりする薬品。
「毒で麻痺させて、その上で斬りつけた、と」
アンスタータの確認に、フレイは頷くことで答える。
「その結果を踏まえた上で、レイ。あなたが思い立った三つの可能性、その三つ目を教えてくれるかしら」
「うん。結論から言えば……」
フレイはそこで一度言葉を区切り、ぐるりとあたりを見回してから言った。
「犯人は、グレイス」
それは、強い確信の籠った、断言だった。
「まず、今回の一件を軽く整理するけれど、グレイスの血のにおいを感じたおいらがタータに運ばれて、血だらけのグレイスを発見した。その後『バヌ』に連れて行って、グレイスは一命を取り留めたけれど、グレイスの相棒であるアンディと連絡が取れなかった。となるとアンディが犯人かな、そう皆が思ったみたいだけど、おいらはアンディが前日に死んでいるを知っていたし、その死体が何処にあるのかも解ったから、アンディの遺体が保護されたって形だ。そこまでは良いよね。
「アンディの遺体についていた傷と、グレイスの傷を照らし合わせると、恐らくはどちらも短剣の類で傷つけられている。『バヌ』においてトップクラスの腕を持つあの二人が、別々の人物に殺傷されたとは考えにくい。そもそもアンディにせよグレイスにせよ、冒険者として稀有な領域に達してるのだから、それは当然の思考だ。だから同一犯による殺傷だと、マスターたちは結論付けた。
「で、実際にグレイスの傷を見ていたおいらとしては、まあ、確かに同一犯の殺傷かなって思ってたんだ。アンディの遺体も短剣で傷つけられていた、そう聞いていたし。でも実際においらはアンディの遺体を見ていない以上、その時点では明確にそうだとは断言できなかった。だからアンディの遺体を見る必要があったんだ。で……アンディの遺体を見て、おいらは傷が似てるけど違うことを看破した。
「短剣と一言に行っても、両刃のものもあれば片刃のものもあるよね。刀身の長さも構え方も、それぞれだ。そういうふうに考えた時、アンディの遺体に付けられた傷は十中八九両手に一本ずつの二刀流で、順手持ちをした両刃の短剣。グレイスのそれは片刃のもので、しかも右手で傷つけたものばかりだったから、『別人の犯行じゃないか』という説が出てくる。そしてその説は、むしろ説得力のあるものだったんだ。でもね。一つ重要な事が抜けてるよね。
「事件が起きた順番だよ。
「確かに発見された順番は、グレイスから、アンディだった。けど、事件が起きた順番は、アンディが殺されて、翌日にグレイスが傷つけられたってのが正しいんだ。そしてアンディは全身くまなく傷を負っているけれど、グレイスは身体の前側にしか傷を負っていない。背中に傷は無かったんだ。それは正面から斬り合ったから、と最初は思ったけど、本当にそれが理由かな?
「アンディの件を少し考えて見ようか。アンディは街から少し離れた小川の近くで発見された。普通、そこには行かないよね。水が欲しいなら井戸で良い。水浴びがしたいなら風呂を使えばいい。敢えて小川に近づく必要はあまりない。じゃあ何故アンディはそこに居たんだろう。気分転換だろうか。それとも、誰かに呼び出されたのか。
「おいらは誰かに呼び出された、だと思う。じゃあ、誰が? アンディを呼び出せる人物。『バヌ』の幹部三人と、アンディの相棒であるグレイス。この四人くらいだろうね。依頼を受けているならば、その依頼人という線は残るけど、現状、彼らと接点のある依頼人は咄嗟に幹部の皆が出さなかった点から、否定していい。つまり、アンディを呼び出したのは幹部かグレイスか。この四人に絞って考えて良いんだ。
「呼びだしただけじゃあの事件は完結しない。あの事件はアンディが殺される事で終わるんだ。だからアンディを殺せるだけの力が無いと駄目だ。おいらの見立てでは、たとえばグレイスだったとしても、アンディを一方的に殺す事は不可能だと思う。だからグレイスが犯人ではないし、グレイスよりも弱いであろう幹部三人もやっぱり違う。そう思ってたんだ。思ってたから、その時点では一応の考慮はしても、それだけだった。
「けどね。パララグラスがアンディに投与されていたとなれば、話は変わる。経口摂取、そうでなくても短剣の刃に塗っておいて、一発でもきちんと入れることができれば、効果はすぐに現れる。おいらが作ったあの昏睡薬の即効性は、どちらかというとサンヘルム草の効力だけど、パララグラスから抽出できる薬品もかなり即効性が高い。身体を痙攣させようとしたらそこそこの量を与えないと駄目だけど、身体の動きを鈍くするだけなら、ほんの少しでも問題は無い。だから……グレイスがパララグラスから抽出した薬品を短剣の刃に塗っておいて、呼び出して、一撃。当然アンディは怒るよね。で、剣を向けようと模したかもしれない。けど身体がうまく動かない。
「もともと同格であったアンディとグレイスは、パララグラスという道具の介在で、アンディの格が二段階落ちるんだ。グレイスが短剣の二刀流になれていなかったとしても、精々落ちる格は一段階。二段階落ちたアンディと、一段階しか落ちなかったグレイスで、基が同格であるならばグレイスが圧倒して当然だ。結果、アンディは死に、グレイスは特に怪我もなく街に戻った。
「グレイスとしては、そのまま見つからなければ最上だと思ったはずだ。けど、猫人だった彼女は嗅覚に優れていたと思うし、翌日、街の中からでもアンディの死体、その匂いに気付けてしまったんじゃあないかな。いずれ『バヌ』にもばれるだろう。そうなった時、疑われるのは誰だろう? 当然だけど、グレイスだ。一方的にどうやって殺したのか、その判断は難しい所だけれど、何らかの薬品を使えば不可能じゃないと、『バヌ』は判断するだろう。そうなるとグレイスは裁かれる。
「だから芝居をうった。グレイスは『自分を斬った』んだ。だから背中側に傷が無かった。あんまり傷が深すぎると自分が死んでしまう。だからといって浅すぎても意味が無い。そのあたりの調整をしながら斬るためには、感覚だけじゃなくて目で見ながらやらなければならなかったから、正面側にしか傷が無かったんだと思う。
「彼女にとっての誤算は、彼女が自分を傷つけたほとんどその瞬間に、おいらがそれに気付いてしまった事だろう。もうちょっと上手に『調整』するはずだったのに、『誰かが明確な意思を持って近づいてくる事』に彼女は気付いた。だから急いで傷つけて、結果的に思った以上に大きな傷になってしまったのかもしれないね。犯行に使った短剣は、適当に捨てておけばいい。自分の持ち物だとばれたとしても、特に問題は無いもんね……だって『刃物を奪われて傷を付けられた』と言えばいいだけだもの。
「ともあれ、グレイスがアンディを麻痺毒を絡めて殺した。翌日、それがバレそうだったから、自分を傷つけることで、単なる殺人事件を連続殺傷事件に書き換え、自分を被害者に置くことでアンディ殺しの容疑者から外したんだ。『だからこそ』……おいらはアンディが殺傷されてるその時、匂いは感じてたけど特に脅威とは思わなかった。なのにグレイスが傷ついた瞬間、やばいと直感した。なぜならば、それが見事に成功していれば、容疑者から完全にグレイスが外れてしまえば、次に疑われるのはタータとおいらだからね。
「それが今回の一件。『アンディを殺し』、『グレイスが傷ついた』事件の大筋だと、おいらはそう断じるよ。
「だから、昏睡薬は必要ない。グレイスはまだ医者に見られてるんでしょ。だから、そこを捕えれば良い。怪我人を動かしたくないなら、逆にマスターをグレイスの前に連れていけばいい。おいらたちのような猫人は、案外追い詰められると正直に答えてしまう事が多いからね……グレイスを問い詰めれば、自白すると思うよ。以上!