竜の呪い、娘の願い (五)
「……そのような状況であるならば、そうですね。フレイくんならば極めて『合理的に見える短絡的』な判断をするはずです。『可能な限り被害を周囲に与えない』。そのためには『少を犠牲にするもやむなし』……。海に出ている、と考えるのが妥当ではありませんか。それも恐らく外洋に。時間的余裕からして、彼が移動できた範囲は言うほど大きくはありません。ミヒャルトの近くから最も近くにある、外洋に出れる港。ポートサンクから海に出たとして、この季節ならば別大陸への定期船がありますから、それに乗りこんでいる。あなたがたが九日も遅れた以上、私の想像が『正解』でも、あなた方に彼に追いつける手段があるかどうかは微妙ですよ。ここからポートサンクへ行って、さらに既に外洋に出ているであろう船に追いつく。至難と言わざるを得ないでしょう」
アサイアール・ジ・モール大公はそう、スカウフら一同の説明を聞き終えるなり断言した。
なんというか、余りにも迷いの無い解答であり、いっそ清々しさを覚えるし、根拠らしい根拠はないのも不気味ではある。
そして不気味なのに、根拠もないのに、奇妙なほどに納得できるのだからなんともはや。
「その上で私からお聞きしたいのですが。その、『王虎竜』とやらが実際に顕現してしまった場合、あなたがたはどうするのですか? たぶんそれ、王国の騎士全軍に加えて公国の軍を総動員してもどうしようもありませんよ。そちらの黒曜竜さんにしたって、そのお仲間を勢ぞろいさせてもなんとかなるかどうか。そのあたりの計画、作戦、策略はあるのですか?」
「愚問だね、アサイアール。そんなもの無いに決まってるじゃないか」
「威張るな馬鹿野郎」
アサイアールの真っ当な問いにスカウフは前髪をかきあげながら気障に答え、それにイラっと来たらしくアンスタータが横から顔面、顎を見事に捕えるように殴りとばした。
スカウフは横に三回転ほどしながら六メートルほどを吹き飛び、そのままどしゃりと床に落ちる。
「とはいえ、放って置くわけにもいかないしね」
「それで見つけたとして、あなたはどうするのですか、アンスタータ。あなたの技、あなたの力は重々承知していますが、『王虎竜』とやらがそちらの黒曜竜の言うとおりであるならば、あなたであっても勝ち目は皆無ですよ」
「…………」
まっすぐに。
アサイアールの言葉は、アンスタータに向けられる。
それの中には……気遣いも、含まれていて。
「でも、私が行かないわけにはいかないわ。私の存在意義は、あの子を抑圧する事……だし」
「そうですか。あなたが望んで死地を目指すと言うならば、あえて止めることもできません。アンスタータ。あなたの好きにすると良いでしょう。ただ……一つ、あなた方の説明に疑問があるのです。それに答えていただいても?」
「ええ。何かしら?」
「いえ。とても簡単で、単純な疑問なのですよ。『何故、フレイ・マルボナくんは、猫人に偽装したのか』。その理由は解っているんですよね?」
その問いかけに、アンスタータはィシヴェーに視線を向けた。
自然と、アサイアールもィシヴェーに視線を向け。
ィシヴェーは困ったように耳を動かし、「うーん」、と呻る。
「それは、正直不明なんだよぉ。こちらが『最悪』が孵ったことに気づいて、その場に駆け寄った時には既に、『最悪』は猫人になっていたしねぇ」
「…………」
ィシヴェーの解答に、アサイアールは眉をひそめる。
「…………」
いや、楽観的に過ぎるとは思うが。しかし、偶然か?
彼は偶然孵った直後に、偶然猫人になりきったと、ただそれだけなのか?
竜種の生態を、アサイアールは全く知らないわけではない。
だからこそ、一つの可能性に思い至る。
もっとも。
それは、楽観的に過ぎる可能性だ。
「最後に一つ、聞かせてください、アンスタータ。……あなたはフレイ・マルボナくんが『覚醒』していたとして、どうするつもりなのですか? あなたが行って、それでおしまいと言うわけではありませんよね」
「ええ。それに戦える相手でも無いでしょうね……私の手には、どうやっても余る。だから、私はそれに話しかけることしかできないわ」
「話しかける?」
「それで彼が『フレイ・マルボナ』としての記憶を取り戻せれば、あるいは、また猫人に偽装するかもしれない……『フレイ・マルボナ』に戻ろうとするかもしれないから。私には、それしかできないの。ま、失敗すればそのまま私は死ぬでしょうけどね」
でも他に手が無いわ。
アンスタータは悲観的にそう言った。
だからアサイアールは言った。
「大丈夫ですよ。多分ですけどね」
楽観的に、そう言った。
ポートサンクから出向した船の内、この九日間で外洋まで向かうのは四隻。
中型船が三隻に大型船が一隻、内、大型船と中型船の一隻は別大陸へと向かうものである。
それらの情報をおさらいした上で、アサイアールは『恐らく大型船に乗りこんでいるだろう』とあたりを付けた。
根拠としてはフレイが猫の姿で密航するとして、隠れ場所が多く、また備蓄も多めである筈の船のほうが望ましいはずだからだ。
犠牲者を減らすと言う意味では中型船を選びそうにも思えるが、中型船だと大型船と比べ、その移動速度が少し遅い。つまり、アンスタータに追いつかれる可能性が出てくる。
それに、フレイの非戦闘能力は極めて高いとは言えど、海上の密室空間において、誰にもばれずに潜むのは、流石に厳しいはずだ。不可能とは言わないが、中型船では結構面倒なことになるだろう。
だから大型船。
そう答えたアサイアールに対し、スカウフは提出されていた予定航路図を引っ張り出すと、今頃どのあたりに居るかなどを確認し、その地点をアンスタータに伝えると、アンスタータはィシヴェーだけを連れて王宮を出ることになった。
「助かったわ、サヤ、スカウフ、リモネ、オランジュ。……私も生きて帰るつもりだから、さよならは無しとして。でも、一応言わせて。『これまでありがとう』って」
「僕たちも付いて行っては駄目かい?」
「駄目よ。足手まといだし。それに、私が負ければ、私が死ねば、あなた達は『王虎竜をどうするか』を考えて、実行に遷さなければならない立場にあるのでしょう。だから、ここで一度、お別れよ」
アンスタータはスカウフに手を差し伸べる。
スカウフは自然と、それを受け取り。
「また会いましょう、スカウフ」
「ああ。また会おう、アンスタータ」
まるで最期の会話であるかのような挨拶をして。
彼女は、それでも死地であるはずの場所へと向かった。
ゆらりゆらりと船はゆく。
船は波に揺られながら、外洋をただ、進んでいる。
うつらうつらと夢うつつ。
彼は眠気に抗いきれず、現実と夢の狭間でまどろむ。
彼は今、何かとても、懐かしい夢を見ている。
いつの頃の夢なのか、それは解らない。
ただ、その夢の中で彼は、色々なものを楽しんでいた。
けれど、楽しめば楽しむほどに、自分以外のものが消えて行く。
楽しいなあと思った次には、その楽しいものは無くなっている。
とてもとても悲しくて、それでもすぐに楽しいものを見つけて。
十人もいる仲間と一緒に、いつか遊べたら良いなと、彼は思う。
夢の中で彼は言う。
(おはよう)
夢の中の彼が言う。
(おはよう)
夢の中で彼は言う。
(おはよう)
夢の中で彼が言う。
(おはよう)
ああ。もう目を覚まさなきゃ。
夢を見ている楽しい時間はもう終わり。
彼は眼を開く。
一度だけまばたきをして。
再び視界に入って来たのは、空の青と海の青だった。
そして数歩、彼は歩みを進める。
(……ここ、は)
広大な海、凪いだ海。
(…………)
空を眺める。
太陽は明るく周囲を照らし、白い雲が所々にはあるけれど、青空。
ほとんど快晴に近い、晴れ。
彼はなんだか、気分が良くなって、気持ちもよくなって、ごろん、とその場に転がった。
そして大きく、欠伸を一つ。
ほんの少しだけ、夢を見ていたような気がする。
ほんの少しだけ、眠っていたような、そんな気がする。
どんな夢だったか。その詳細は思い出せない。
ただ、とても楽しい夢だった。
とてもうれしい夢だった。
あの夢の続きを見れないかなあと、彼は思う。
そして、何気なしに彼は咆哮する。
今日が始まる。
その咆哮に、精霊たちが歓喜する。
おかえりなさい、我らが主。
おはようございます、我らが主。
口々に精霊たちは交しはじめて。
満足そうに、彼はもう一度、吼えると、彼の周囲で無数の光が踊り始める。
無数の光はまるで道を作るように、そして何も無い筈の海の上に、光で何かが作られてゆく。
何か。
それは大きな大きな、城のような建物だった。
大きな大きな、光のお城。
彼は当然のように、その中へ。
建物の真ん中に彼がつくと、彼は身体を丸めるように、その場にゆっくりと座りこむ。
(みんな、ありがとうね)
(……ふぁあ)
彼は精霊に語りかけ、欠伸をひとつ。
夢。それは一瞬の、楽しかった夢。
夢。それは一瞬の、美しかった夢。
夢が、夢に過ぎないと知っても尚、思い出せないと解っても尚、彼はその夢を懐かしむ。
そしてふと彼が光の城の天井に視線を向けると、そこには見慣れた自分の字で短い文が書かれていた。
それは彼を彼たらしめるための、過去の彼から現在の彼への覚書……。
少し時間が前後して、海上。
黒曜竜ィシヴェーの背に乗り、そしてィシヴェーがアンスタータに一切の遠慮をせずに全力の移動をした結果、アサイアールの読みではフレイが乗り込んでいるだろうという問題の大型船を捕捉していた。
「乗り込むわ」
船上の者から気付かれないように遥か上空を飛んでいたィシヴェーの背から飛び降りると、そんなアンスタータの身体に光が纏わる。
それはィシヴェーが行使した精霊魔法で、着地を助けるものに他ならない。
アンスタータは大型船の甲板に無事着陸すると、少し遅れて『ドォン』、と音が鳴り、船が少し大きく揺らいだ。
「何事だ!」
船員が叫び落下してきた物を確認しようとする。その視線は確かにアンスタータを捕えていて、故に船員たちは困惑した。
空からヒトが落ちてきたというのは、一体どんな状況だ。
「そこの船員さんに確認したいのだけれど、この船はロイヤルパラー号よね」
「ああ……。えっと、お嬢さんは?」
「ちょっと探してる迷子が居てね。もしかしたらこの船で密航しているかもしれないと思って、追いかけて来ちゃったの」
「はあ?」
当然のリアクションだった。
密航という単語がまずアレだし、大体、迷子を探して外洋まで出てくるというのはどういう根性だ。
まして、追いかけてどうにかなるような場所でも無ければ位置でも無い。
「このくらいの大きさの猫人よ。……あるいは、猫型になってるかも。そうなるとここのくらいの茶トラ柄で、小猫ね」
「……純血ってことか? いや、どうだろうな。ヒト型なら流石に船員の誰かしらが気付いてるだろうが、猫型ならば隠れられる場所はあるかもしれねぇ」
「そう。良ければ探してくれないかしら。見つけてくれたら金貨三百枚、見つからなくてもとりあえずの手間賃は払うわ。どう?」
アンスタータはそう言ってとりあえず、十五枚ばらまく。それを見て船員たちの血相が変わり、ちらりちらりと周囲で視線が飛び交うと、結局船員たちはアンスタータの要求に従う事になった。
既に彼女がどうやってここに来たのかだとか、そういう事は二の次になったらしい。
金貨三百枚。ちょっとヒトを探すだけならば、船の航行にも問題はないし、もともとこの船はそういった『利益』を作るための交易船だ。
より確実な利益が目の前に出てきて、それを拾おうとしない理由はない。
が。
予想に反して、アンスタータにとって都合のいい……つまり、フレイを発見した、という声はついになかった。
但し。
「姐御」
「待ちなさい。私にはアンスタータという名前があるわ。姐御って何よ」
「じゃあ姐さん」
「…………」
いや、いまさら呼称に拘る理由も無いのだが。
そんな奇妙な思考をしている間に、それでよしと判断されてしまったようで、会話が続く。
「その、小猫にせよ子供にせよ、姐さんが言うようなやつは見つかりませんでしたがね。ほら、これを見て欲しいんですわ」
これ。
そう言ってその船員が差し出したのは、金色のような茶色のような、ともあれそんな色の毛である。
一本や二本ではなく、一束程度。
そしてその毛の長さと色は、猫型となっているフレイのそれと合致する。
「貨物室の隅に落ちてたんで、もしかしたらそこに居たのかもしれませんがね。でも、今はいないと思いますぜ。フル動員でも見つからなかったんで」
「そう。……航路図を見た限りだと、この船、ポートサンクを出てからは特に寄港してないのよね」
「ええ。よくご存知ですな」
「…………」
フレイがこの船に乗っていた。それは間違いないだろう。
だが、今は居ない。但し、寄港もしていない……。
どこかのタイミングで近くに島でも見つけて、そこに精霊魔法でも使って向かったのだろうか。
かなり無理があるが……比較的現実的なのは、そんなところだろう。
「ありがとう。感謝するわ。ま、実際に見つけては居ないけれど、迷惑料に無断乗船料も含めて満額払うわ」
アンスタータは金貨を三百枚入れた袋をその場に放り落すと、船員の代表格らしい人物がそれを拾い、中身を確認して頬を引き攣らせた。
まさか本当に支払われるとは思っていなかったようだ。
「じゃ、私はこのあたりで」
「え? 姐さん、ここ海のど真ん中ですぜ。どうすんですか」
「さあ。まあ、なんとでもなるわよ。私ならね。じゃあね」
と言って船の甲板に付けられた柵にたんっ、と飛び乗った、その瞬間だった。
『何か』。
ざわりともぞわりとも違う、明らかな何かを感じる。
そして。
それを感じたのはアンスタータだけではなかった。
甲板に居た者たちは少なくとも皆が、アンスタータが感じた方向に視線を向けていた。
『何かが、起きた』。
あるいは醒めた、だろうか。
ほんの少しだけ遅れて。
その咆哮は、物理的な衝撃を伴う轟音として、その場に居た者たちのみならず、多くの国々さえも襲ったのだった。




