小娘の謳、小猫の唄 (下)
新年初日の夜も更けて、夜の酒場。
ステージの上には娘と少年。
どちらも白を基調とした、極一般的な服装だった。
少年はその手にギターを抱え、慣れた手つきで奏で始める。
娘はギターに合わせて踊り、少年は合わせて唄い出す。
ゆったりと始まったその曲は、踊りにつられて徐々に激しく、ステップをリズムに唄を重ね、二人のステージは、酒場を大いに熱狂させていた。
それは、竜の物語。
昔々、あるいは未来。
竜に命を救われた少女が、竜に恩を報いるために、力を付けて苦難に打ち勝ち、そして竜と共に戦う物語。
奏でられるギターの音色、唄われる少年の声。
それらはまるで情景を、周囲に焼き付けるかのように。
時に優しく荒々しく、踊りを演じる少女の姿。
それらはまるで動静を、周囲に見せつけるかのように。
あれよあれよと唄は踊りは、あっという間に最終章。
竜を模した影絵に対して、少女は踊りで対抗する。
竜と共に戦う少女は、戦いを経て竜に挑む。
かつて救った恩ある者を、安心させる、そのために。
そうして、曲は最高潮。
影絵に刃を突き刺すように、少女が遂に一撃を入れ、影絵の竜は倒れて消える。
少女の失意を表すかの如く、全ての音が途端に消える。
崩れた竜の影絵の前に、少女は倒れ嘆き哀しむ。
再び奏でられる音、合わせて唄も再会し、いよいよ謳いは最終幕。
最初は音に、唄に、踊りといった、そうしたものを見ていた客らは、いつのまにやら物語に引きずり込まれていて、少女と竜の行く末を、子供も大人も老人も、皆々其々津々と、祝いの酒や食事を片手に眺めている。
かくして少女は竜から別れ、年月を経て、女になって。
いつしか女は英雄となり、空虚に時を刻みゆく。
女傑は季節を移ろわせ、老いさらばえたその時に、窓の外にその影を見た。
それはかくも懐かしき、あの時彼女を救いし翼。
老婆は娘に若返り、竜の元へと走りゆく……。
ギターの最後の一音が、静かに消えたその後で。
彼らには盛大極まる拍手と、チップが大量に投げ込まれたのだった。
活気にあふれる酒場の片隅で、右手に小さなカップを抱えたフレイが、何となしに口を開く。
「おいらはさ、時々ふと思うんだ」
「うん?」
その視線は、大きく膨らんだ革袋にむいていた。
「おいらたちって冒険者じゃなくて、旅芸人として頑張ったほうが、生活に困らないんじゃないかって」
革袋の中身は、先程の演奏で得られたチップが乱雑に放りこまれている。
フレイにせよアンスタータにせよ、中身はきちんと数えてないので正確な額は解らないが、二人で山分けしたとしても、二か月ほどは働かずに生活できるだろう。そのくらいの額は入っている。
一瞬、アンスタータはそれに納得しそうになるが、なんとか首を横に振る。
「そのためには、演目を後五つは増やさないと駄目でしょうね……。レイだって、うさぎフィレ肉のソテーは大好きでも、流石に毎食毎日一ヵ月それだけ、は嫌でしょう?」
「それもそうか」
カップの中身をごくごくと飲んで、フレイは机の上に突っ伏す。
あまり行儀がよくないが、夜の酒場だ。特に娘はそれを咎めずに、自分のグラスを手に取ると、からん、と氷が音を立てる。
「レイ。眠いなら部屋に戻りましょうか」
「んー。言うほど眠くは無いよ。おいらこれでも猫人だから、夜はむしろ元気になる。……けど、そうだね。ステージの上って消耗が激しいから、ちょっと休憩したいかも」
「そう」
アンスタータは伝票を持って立ち上がり、店員を呼ぶとお会計。
会計を済ませた頃には、荷物を纏めたフレイがアンスタータの横に居る。このあたりはステージ上でも見せた阿吽の呼吸が遺憾なく発揮されているようだった。
それじゃあ、宿に戻りましょうか、そんな事を娘が言って歩き出すと、フレイはその横を付かず離れず進み始める。
新年祭の夜の街は賑やかで、色々なヒトが騒いでいる。
そんな喧騒の中、お互いに、お互いだけに聞こえるような大きさで。
アンスタータとフレイは、ほとんど口も動かさずに、言葉を交わしていた。
「レイ、何人か解るかしら」
「三人」
「覚えはある?」
「ううん」
「そう……。『バヌ』あたりかしらね」
「だと思うよ。これまでの街も、大体似たような感じだったし」
娘と少年は己たちが尾行されていることをあっさり看破し、どころかその人数までも看破していたわけである。
彼女たちにとって、新たな街に到着すると言う事は、大体今回のような事を招いている。
多少不快には感じても、それだけだ。特に力に訴えようとは思っていないらしい。
もちろんそれは彼女たちの内心であって、彼女たちを尾行している張本人は、存分に気を張っている。
気付かれないように……もし気付かれたら、武力に訴えられるかもしれない。
まあ、彼らに命令を下した人物からは『恐らくは素人』と注文を付けられているとはいえ、『恐らくは』という冠詞が付いている以上、素人ではない可能性もある。
もっとも、相手が素人だろうとそうでなかろうと、命令は命令。
万全を期して、それこそ相手を同格以上の存在として想定しての尾行だ。
尾行している側は、まだそれを看破されていることに気付いていない。
尾行されている側は、それを看破するのみならず、人数までも特定していたが。
「特に手出しをしてこないようなら無視しましょう」
「うん」
余裕を持った判断を下し、二人は何事もなく宿へと戻る。
宿の一室、本来は一人で使うための部屋。
ベッドは一つ、部屋の大きさそれ自体も小さい。
ただ、水回りはある程度整備されていて、風呂もついている。
それでいてお値段は普通の宿の並の部屋程度。つまり適正価格そのものなのだが、二人で一部屋を使うため、おおよそ半額程度に抑えることができている。
壁には王国エスト州全域が書かれた地図が張られていて、この街の位置はピンで記されている。
本来は冒険者、というより旅をする一般人向けの部屋なのだろう。
「じゃ、お風呂先に入っちゃうね」
「ええ。私はちょっと計算しておくわ」
フレイは服を脱ぎながら脱衣所へ、そしてそのままお風呂場へ。
それを見やって、はたして脱衣所とは何の為の場所だったかしら、などと思いながらも、アンスタータは壁に掛けられた地図を確認して何かを考えながら、袋に乱雑に入れられたチップをきちんと計算。
銀貨がほとんどで、銅貨も混じってはいたが、金貨もちらほら混じっている。
貨幣以外では宝石や指輪の類も投げ込まれていて、宝石はともかく指輪は換金が難しいか、などと思いつつも一応の査定を下し、手元のメモ用紙で合算してゆく。
十五分ほどかけただろうか、思いのほか宝石類が多かったので査定に時間は掛かったものの、概算は完了。
売る場所や駆け引きにもよるが、今回の収入は上々だ。
「金貨にして82枚くらいか。上々ね」
一般的な家庭における月収にして、四か月。
二人で稼いだ合計なので、山分けならばその半分。それでも一人頭概ね二か月分の収入だ。
もっとも、その半分くらいは宝石なので、即座に換金できるわけではない。
現金で投げ込まれたのは、金貨にして43枚弱……それでも、かなりの収入ではある。
専門の旅芸人でも、たった一度の演目で、それほどを稼げるものはそう居ない。それこそ伝説級の旅芸人ならばあり得るが、本職の旅芸人がこの稼ぎを見たら卒倒しかねない。
そんな額面だった。
更に言うならば、基本的にフレイは財布を持ちたがらない。だからお金は原則、アンスタータが管理している。
もちろん、フレイだってたまにはお買い物をしたがるが、その時に必要な分だけ、お小遣いと言う形で渡してくれればいいと、彼自身が彼女に申し出ていた。
だから報酬の山分けは行わない。一応、二人の共有財産という体で、管理をするのがアンスタータの役目だ。
尚、この宿のこの部屋は、一泊で銀貨60枚。
十日でも金貨6枚なので、贅沢をしなければ、かなり長い間ここに居座ることも可能だろう。
多少余裕を持たせることを考えれば、時間制限は一ヵ月ほどか。
「一ヵ月あれば、丁度いい依頼も受けられるかしらね……」
アンスタータはそう呟き、ふと振り向くと、ベッドの横に置かれたキャビネット、にちょこんとフレイが座っていた。
「レイ。早かったわね」
「いや、そっちが遅かったんだよ。おいら、結構前からここで尻尾をゆらゆらしてたんだけどね……くぁあ」
大きなあくびを一つして、フレイは眠たげに眼を細める。
「眠いなら、寝ちゃいなさい。ベッドでもソファでも構わないけど、キャビネットの上は論外よ」
「そうだね……。ソファ貰うよ」
「そっちでいいの?」
「うん。おいらにはベッド、大きすぎるから」
どこまで本気でどこから遠慮なのか解らない事を言い、フレイはソファに飛び移り。
「おやすみ、タータ」
「おやすみ、レイ」
きちんと挨拶を交わすと、そのまま無防備に眠り始めた。
そんなフレイをみて、アンスタータは肩をすくめて再び地図に視線を向けた。
街の立地条件。
他の街との交易状況。
物価や宿の宿泊費用、覗いた道具屋の品ぞろえ。
それらから、おおよそ、この街の冒険者の店に出されるであろう依頼の種類と難易度を、いくつか絞り込んでゆく。
その上で、彼女がフレイを伴って、無事にこなせるような依頼をいくつか想定し……。
(専属していた冒険者は十八人)
(但し、札に書かれていたのが全てであるとも限らない……)
つまり最低十八人、『バヌ』に専属している冒険者が居る。
あの時、『バヌ』に居た冒険者たち。
『バヌ』に到着する前に、喧嘩をしていた二人の冒険者。
彼らの腕を見る限り、『バヌ』にくる依頼はその大半がそれほど難しくないのだろうけど、そこそこ難しい依頼も来るはずだ。
街の立地は森や山岳が近いが、全く人の手が加わっていないわけでもない。だから魔物の類は少ないはずだが……。
しかし、そうなると十八人もの専属は多すぎる。
(通りがかった人口は二千人ほどの街、冒険者の店『セレン』に専属していたのは五人)
(足して二で割れば、丁度いい……か)
専属先が偏る原因は概ね三つに分けられる。
店の対応に問題がある場合。
依頼の量に違いがある場合。
英雄等の冒険者がいる場合。
通りがかっただけで、『セレン』には挨拶しかしていない以上、その店に問題があるのかどうか、アンスタータは判断をしかねていたが、移動の最中、フレイに聞いた限りに寄ると、特に問題らしい問題は無いようだった。
こう言う判断においては、人間的な思考よりも、野生的な直感が重宝される。
純人として産まれたアンスタータは、その能力に恵まれなかった。まあ、恵まれなかったと言っても全く持っていないわけではないのだが、かなり弱々しい、無いよりマシ程度のものだ。
一方で猫人であるフレイはその力を強く持っていた。もっとも、それを他人に説明する事がとても苦手なのだが……とはいえ信頼関係があるならば、そこに偽る理由はない。だから彼女は、ほとんど無条件にフレイの直感を信じているし、フレイもそれによく答えている。
(『セレン』に問題が無いとして、依頼の量の推測は……)
『セレン』が構えている場所の条件から、概ねの依頼の数を想定する。
その数は、しかし人口の分だけでも、『バヌ』より多くなるだろう。
まして、この街の周りにある村は二つだけで、あちらの街の周りの周りにある村は六つ。使命でも無い限り依頼は最も近い店に出すし、そう考えると依頼の量では大差で負けている。
最後の英雄云々については、どちらにも居ない。
そもそも現状この国で英雄と呼ばれる冒険者は三人で、ソウズ州に二人、セントラ州に一人なのだ。新たに英雄が産まれれば式典が開かれる、だからこれは断言できる。
となると、原因は店の対応にあるらしい。
(『セレン』に問題が無い以上、よほど『バヌ』が魅力的ってことでしょうね)
(となると、私たちが受けられる依頼は、ある程度限定される……か)
双方ともに、対応に問題が無いならば、平均的に広がるはずだ。
それでも偏るならば、単に偏ったほうが、より良い環境を整えていると言う事である。
事実『バヌ』の設備はちらっと彼女が眺めた限り、一通りのものは揃っているように見えた。
恐らくは魔法道具の、それなりに高ランクの部類でも、売買ができるだろう。
店の運用という方向で見た時も、その人材に不満は無い。
マスターは若かったが、調整役はきちんと居たし……だから、環境的にはむしろ、恵まれているのかもしれない。
となれば、こちらに専属しておいて、実際の拠点は隣町、というのも何人かは居るかもしれない。
あまり褒められた行為ではないが、より良い条件を求めるのは、何も冒険者に限ったことではない。
だが。
もしも、その全員が、本当の意味でこの街を拠点にしているならば?
「…………」
百人規模で騎士が駐屯している辺境の街。
この周辺は、何処の街も大体そのくらいが駐屯している。
だから敢えて、そこに何かを感じることはしなかったが……そこに何かの意味を見出そうとしていなかったが。
それこそ、エスト州の特色なのかな、程度にしか思っていなかったが。
他州の辺境に駐屯する騎士は、二十人程度が普通では無かったか。
「…………」
地図を眺めるアンスタータの目が細まる。
もしも、そこに意味があるのだとしたら……それが意味するところは。
(ならばこそ、望むところ、か)
闘志の炎を瞳に宿し、アンスタータは笑みを浮かべた。
苛烈さを、より強く際立たせながら。