幕間(椎)
リモネ・キャニングは、幼いころから精霊を認識できていた。
それは単に認識できたというだけで、その程度の才能ならば村に一人は居ておかしくない。
ただ、彼女はそんな村に一人というよりも、少しだけ上位の才能を持っていた。
精霊を認識し、そして精霊を行使する、という、魔法使いとしての才能である。
そんな彼女は後に冒険者となり、『本物の魔法使い』の冒険者として、そして後には『真実の魔法使いたる竜殺し』などという大層な名を馳せることとなるのだが……そんな彼女には『本物の魔法使い』の師匠がいた。
彼の名はオランジュ・トロイエ。
狼人とのワンエイスの、犬人。灰色と白色の髪が特徴的な男性である。
その境遇は種族の名前こそ違えど、大凡リモネと同じものであり、そこに何らかの関連性……つまり、精霊を行使する才能は、ワンエイスに何か秘密があるのではないか、とかいう研究も含めての指導であり、オランジュはその検証をすることで、同時にリモネは精霊を行使する方法を学んでいったわけである。
そんなオランジュも、数年前に王宮に招かれ、そこで王国が誇る魔法使いとしての地位を確固たるものとしていた。
だからこそ、リモネが師匠オランジュに会いたいからと言って、既に簡単に会えるような人物では無い。
正式な手続きをとれば二週間は待たされるだろう。もちろんそんな時間はないので、リモネは強引な手を使うことにした。
簡単に言えば。
オランジュが執務している場所に殴り込んだのだ。
竜に恋した小娘と、娘に従う小猫の話
幕間(椎)
「いやね。もうね。なにから言うべきかわかんないんだけど。えっと。リモネちゃん。リモネちゃん? えっとさ。君、リモネちゃんだよね。うーん。あれだよね。たしか教えたよね、礼儀は守りなさいと。猫だからって自由じゃないんだぞと」
「ええ。師匠の教えはもちろん覚えていますよ。大体、その教えには次の注釈がつきますよね。『但しどうしても、それが必要であるならば、時には礼儀を破ることも大事だよ』って」
「まあそうなんだけど。つまりそう言う事なのかい?」
「はい。お久しぶりです、師匠」
「…………」
というわけで、ここはウォムス王国が誇る王宮。
王宮に仕える魔法使いとしてのオランジュは三つの部屋を与えられていて、その一つの執務室。
過度な華美はないものの、どことなく華やかで、実用的な器具や道具の揃った場所だった。
「実は、私の知り合いが困ったことになっていましてね。その知り合いからの伝言を頼まれたのです。それを教えれば、勝手に何とかなるだろうからと」
「知り合い? ……ふむ。たしかリモネちゃんは今、ヴェスで冒険者をやってたね。その関係者かな?」
「そう言えなくもないですね。私が頼まれた伝言は二つ。要件は一つ。師匠を連れて来て欲しいと、そういうことでした」
「私を……って、なかなか大胆な事を考える子も居るものだね。一応私は王宮に仕える身だ。そういうことは出来ないよ。そのくらいリモネちゃんだって解るだろう」
我が子を諭すようなオランジュの言葉に、リモネはもっともだ、と感想を抱いた。
実際、アンスタータからの頼みでも無ければ、即座に断っていたはずだ。
それでも、その頼みはその『アンスタータからの頼み』なのだから、断れないのもまた道理である。
「まあいい。もう君が礼儀を破ってしまっている事は消せない事実なのだから。とりあえず、伝言とやらを言ってみなさい。その一つが私を連れてこいというものかね?」
「いえ、それは要件のほうです。伝言は、次の二つ。『アンスタータ・フーミロ』、『スカウフ・ラウロス』。以上です」
「うん?」
オランジュは意表を突かれたようで、大きく首を傾げる。耳は倒れ、尻尾もぴたっと止まっていた。
「ごめん。ちょっと理解できない。もう一度いってくれるかな?」
「はい。『アンスタータ・フーミロ』、『スカウフ・ラウロス』です」
「…………」
実は一度目で大方を理解していたのだが、何かの間違いであって欲しいという念がオランジュにはあり、しかしそれがどうやら間違いでは無いらしいと気付くと、小さく息をついた。
「アンスタータに、スカウフねえ。リモネ。それ、誰からのお願いかな?」
「アンスタータ・フーミロさんからのお願いですが」
「じゃあ、その単語の意味は聞いたかい?」
「本人たちから聞いた方がいい、みたいな感じではぐらかされましたね」
「ふむ。ま、彼女らしいね」
良いよ、とオランジュは言って立ち上がる。
あれ、とリモネは首を傾げた。
「良い、……って、どういう事ですか?」
「今から王子の所に行ってお休みを貰う。そのお休みを使ってリモネ、君に付いていこう。そうすればいいんだろう? だからそうする」
「……えっと。じゃあ、言葉の意味を教えてもらっても?」
「一つ目は隠すようなことじゃない。アンスタータは私の姪。親戚だ。だから彼女の事を私は良く知っている」
「姪……?」
にしては大分血が違うような、というリモネの疑問に、オランジュは「ああ、彼女が養子だったからだろう」と続けた。
なるほど、それならば血が違うのも納得だ。
尚、ここに僅かな認識の祖語があるのだが、特にこの物語には関係しない。
「二つ目は……調べれば分かるが、基本的には隠す事かな。どうせ君はもう知ってしまったんだから、教えちゃうけれど。『スカウフ・ラウロス』はスカウフ王子の偽名の一つだ」
「……な」
なんでそんな事を、アンスタータが知っているのか。
いや、知っていて当然か。『名無しの竜殺し』であるのだから。
だとすると……。
「……ふふ。リモネ。君も彼女の真相に辿りついたようだが、それは真相であって事実ではない。その点についてはよくよく注意する事だ。そして誰にも話してはならないよ。彼女は本当に、約束を破った十八人には悉く制裁を下している」
機先を制するようにオランジュは言う。
「でも、私の力を借りるだなんて、彼女らしくはないね。何があったのか、教えてくれるかい?」
「彼女が連れている猫人をご存知ですか?」
「ああ。あのギターが上手な子か」
そういえばそんなものも持っていたし、時折弾いていたような気がする、なんてリモネは頷く。
「その子がどうしたんだい?」
「恐らくその子、『精霊のお気に入り』です。……で、その子が不明な、恐らくは精霊魔法で屋根の上で動かなくなっちゃいまして。近寄ることが出来ないんですよ、そこに。だから精霊に対する働きかけが強い師匠ならあるいは、という話になったのです」
「『精霊のお気に入り』……。それが事実なら、私でもどうこうできる問題じゃあないなあ……ああ、だから王子か……」
「え?」
「いや、何でもないよ」
取り繕うようにオランジュは言う。明らかに眼が泳いでるし尻尾の動きもぎこちない。何かを誤魔化そうとしているようだ。
もっとも、追及したところで何も教えてくれないであろうことは、弟子であったリモネには既知の事実である。
「そうだね。リモネ、悪いけど馬車の手配をお願いしても良いかな。目的地は君しか知らないわけだしね」
「わかりました。二人だけですし、」
「いや、三人だ。もう一人連れて行く」
「…………? わかりました。じゃあ、貸切契約してしまいますね」
「うん。頼んだ。それじゃあ西門で会おう。一時間後くらいかな」
じゃあね、とリモネと別れ、オランジュは急ぎ足で王子の元へ。
幸い謁見の休憩中だったようで、オランジュはすんなりとスカウフと会う事が許された。
「どうしたのかな。オランジュらしくもない」
「申し訳ありませんね。ちょっとした緊急事態がありまして」
「聞こうか」
「はい。『彼女』から呼ばれたのですよ。で、行かなければならないので、暫くお休みを戴きたいなと」
ぴくり、と。
スカウフの表情が一瞬だけこわばる。
「ふむ。…………。それ、どこかな?」
「さあ。私もまだ知りません。弟子のリモネが運んできた伝言ですから」
「リモネ……というと、ヴェスの猫人だったかな。ふうん……ヴェスねえ」
少し不機嫌そうにスカウフは言う。
が、特に臆する様子もなく、オランジュは続けた。
「それで、王子。もう一つ要件があるのですが」
「何かな?」
「御同行願えませんかな?」
「え、いいの?」
王子としての顔ではなく、一人の男として、スカウフは応えた。
これさえなければ理想的な王子なんだけどなあ、とオランジュは思う。
何から何まで理想的だと、却って危ういと言うのはあるだろうけれど……。
望めど望待ざれど、時はいずれ来るもので。
変わらぬ彼女と変わりゆく彼。
自然の摂理に反すること無く、それは極々当然のこと。
役者が揃えば舞台は変じる。
故に時代は物語る。
竜に恋した小娘と、
娘に従う小猫の噺を。




