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竜に恋した小娘と、娘に従う小猫の噺  作者: 朝霞ちさめ
第三章 森の同胞、純血の果
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森の同胞、純血の果 (七)

 半日ほどたつと、里の者たちが順々に目を覚ましはじめた。

 特に里の長は最初に目を覚ますなり、里の真ん中に置かれた竜の死骸に腰を抜かしかけ、ついでその横で竜の死骸を解体しているリモネをみて更に驚いたりもしたが、同時に喜びもしていた。

 その歓びとは同族に『竜殺しの英雄』が産まれた、というもので、真相を知るリモネとしては何とも言い難い気持ちになったけれど、アンスタータとフレイを客人として紹介し、里の長は改めてアンスタータとフレイを歓迎したのだった。

 尚、フレイをみた里の長はフレイが純血種の猫人であることを一発で見抜くと、フレイが暮らしていた里はどうなったのかと当然に聞き、フレイはそれは滅んだらしい、だから自分は一人で生きてたところをアンスタータに拾われた、そんな流れを説明すると、里の長はそうかい、と悲しげにうつむいた。

 それは、同胞が少しずつ減ってゆくことに悲哀を感じたからだろう。

 あるいは滅びが近づいている事に、焦り始めているのかもしれない……。

 里の者たちが全員目を覚ましたのは、翌日のお昼過ぎ。

 最後の一人は幼い子供で、衰弱の恐れもあっただけに心配されていたのだが、幸い、死者は出なかった。

 また、里の者たちは自分たちが呪われていたことは覚えていたが、その間になにが起きていたのかまでは記憶していないらしい。

 ともあれ。

 こうして里には平和が戻り。

 かくして『竜殺しの英雄たる魔法使い』は、誕生したのである。


 夜中。

 フレイは屋根の上で月を眺めていた。

 しかしその視点はどこか不安定で、具体的に何かを見ていると言う感じはしない。

 表情は呆けては居るけれど、しかしそこまでおかしいわけでもない。

 敢えて言うならば寝惚けた状態、それに近かったが……彼の意識は、そんな状態では無く。

「おや、フレイくん?」

 と。

 屋根の上にのった少年を見つけて、リモネが声をかける。

 リモネも純血にそれなりに近い猫人だ。故に、というわけではないのだが、その本質は夜型である。

 ちなみに猫人の里は昼よりも夜の方が賑やかで、呪いが消えたこの里は、例に漏れず騒がしい。

 リモネの呼びかけに、フレイは答えなかった。

 どころか反応もしていない。

 尻尾もまるで動かない。

 上の空、というか、心ここにあらず。

 そんな感じだ。

 不審に思い、リモネは屋根に飛び乗ると、フレイに近づく。

 一歩。

 二歩。

 三歩……近づいたところで。

「え?」

 ぱんっ、と。

 空気が弾ける音がしたかと思えば、リモネの身体は屋根から突き落とされていた。

 いや、突き落とすもなにも、何もないところで何かにはじかれた、そんな感じだ。

 驚きつつも咄嗟に受け身を取り……猫人だからといって高い所から落ちても大丈夫と言うわけではないのだが、一応は冒険者。無難に着地。

 しかし、何が起きたのか。それはまるでわからない。

 何かに突き落とされた……何かに弾かれた。

「…………」

 あいも変わらず、フレイは動かない。

 ただ、呆けて月を眺めて……否、月のある方を眺めている。

 月を見ているわけではない、かもしれない。

「あら。どうしたの、リモネ。空から降ってくるなんて、珍しいわね」

 と。

 窓から声をかけたのはアンスタータだった。

「いえ、なにも私がそんな面白おかしい登場を試みたわけではありませんよ、アンスタータさん」

「そうなの? まあ、英雄になったあなたとしてはそのくらいのサービスをしたくなったのかと思ったのだけれど」

「どんなサービスですか、それは」

「さあ。で、どうしたの?」

「いえ。屋根の上でフレイくんが呆けていたので、何かあったのかなあと」

「レイが?」

 あれ、とアンスタータは室内に視線を向ける。

 ぐるりと見渡し、そこにフレイが居ないことにようやく気付いたらしく、窓から身を乗り出すと、器用に屋根へとすとんと昇……ろうとして、また、ぱんっ、と。

 軽い音がして、アンスタータは地面へと叩き落とされる。

「!」

 特に危なげなく、リモネの横に着地して、アンスタータはそれを眺めた。

 それ。

 月の方向を眺めて呆けている、フレイを。

「何かしら、今の」

「私にも心当たりはありません。何かに弾かれたというか、突き落とされたと言うか。阻まれた? ですかね?」

「そうね。阻まれた、その表現が一番近いわ」

 ふむ、とアンスタータは頷くと、道端に落ちていた握りこぶし大の石を持ち上げる。

 まさか、とリモネが思うと同時に、アンスタータは迷わずそれをフレイに向けて投げつけた。

 投げつけられた意思は、ぱんっ、と音を立てて、妙な方向へと弾かれ、フレイが呆けている屋根の向かいの家の壁にぶつかり、地面に落ちる。

 それをみてアンスタータは更にいくつかの石を拾って投擲するが、石はその全てがぱんっ、と音を立てて弾かれていた。

「レイを中心に半径二メートル……かしらね、球状になにかが展開されてるみたい」

「球状……ああ。今の投擲で形状を把握したわけですか」

「ええ。……って、リモネは何だと思ってたのかしら」

「いえ、てっきり気つけに石をぶつけるつもりかと……」

「小石ならともかく、最初に投げた大きな石が直撃したら、レイは一発でダウンでしょうね……」

 その発想はないわ、とアンスタータは半眼でリモネに言う。

 実際にやりかねないと思われている事に気づいていないようだ。

「ともあれ。展開されてる何かが何なのか、全く心当たりはないけど、何やら妙に頑丈ね、アレ」

「そうですね。風の精霊に『術者を護る』ことをお願いする精霊魔法なら、あれを大分弱めた、具体的には矢程度を『逸らす』ものはありますが、『弾く』はありませんし」

「猫人の力に何かないの、そう言うの」

「ありません」

 半人半獣に何を望んでるんですか、とリモネが突っ込みを入れると、それもそうか、とアンスタータは思いなおす。

 まあ。

 御託を並べたところで、未知の事象は未知の事象だ。

 一体何が起きているのか、それを考察しなければ……調査をできるだけの時間があるのかどうかも含めて。

「確認よ、リモネ。私には精霊が認識できないから聞くのだけど、あれ、精霊が関係している可能性はどれほどあるかしら。ほら、過剰干渉がどうこうとかいう奴」

「精霊過剰干渉の禁忌とは症状が全く別です。それは断言します。が、精霊が全く関係していないとも言い切れませんね……」

「簡単に説明できる?」

「乱暴でもよろしければ」

 構わないわ、アンスタータはそう答えると、リモネは軽く場を区切り。

「精霊とはそもそも、概念の集合体を指します。そして精霊を認識する前提として、その精霊の原典としての概念を認識していなければなりません。これは必須ですが、これをできていれば必ずしも精霊を認識できるわけでもありません」

「……えっと?」

「アンスタータさんは火を知っていますよね。水も、風も、土も、光も、音も、色々としってますよね」

「ええ」

「ならばそういったものを原典とした『精霊』を認識できる可能性が生まれます……言い換えれば、そういった『概念』としての原典を知らない場合、絶対にその精霊を認識できません」

「つまり『知らないものには気付けない』ってことかしら」

 そうですね、とリモネは頷く。

「それは例えば、私たち『本物の魔法使い』でも同様です。というより、『本物の魔法使い』が最初に行うのが、この世にある大量の概念を延々と連ねた辞書を読むことです。そうしないと認識できない精霊が多くなってしまいますから……」

「『精霊のお気に入り』はどうなの?」

「そもそも『精霊のお気に入り』と呼ばれる存在は、数百年に一人いるかどうかという希少種、ほとんど『何かの間違い』としての才能ですから……まともな資料が無いというのが実情です。ただ、それを最初に『精霊のお気に入り』と名付けた昔の人が定義したところによると、それは『精霊を認識することで概念を認識してしまう、前後不覚の然悟俯角(りふじん)』……だとか」

「その言い方だと、概念を知ってるかどうかに関わらないどころか、知らない筈の概念でさえも知ってしまいそうね……」

「心当たりがあるのですか?」

「…………」

 ない、と言えば嘘になるだろう。

 例えばフレイのあの調合に関するセンス。どの毒とどの毒を、あるいはどの薬とどの薬を混ぜるとどうなるのか。

 そういう予想を立てることだって本来ならば国家の、あるいは世界の専門機関がやっと行えるかどうかというものだが、これは単に才能だと諦めることはできる。

 だが、それまでに無かった完全な新薬……それも効果が全く新しいとかそういう段階では無く、『初めてその概念が産まれた』というような状況でさえも、フレイは特段、新しいものを作ったと誇った事はない。

 むしろ『普通にあったよね?』と、そう同意を求めてくる始末で、アンスタータもそこまで薬に詳しいわけではないが故に、そうかもしれないと納得し、イェンナ商会に売ろうとしたら『何ですかこの未知の薬品は……』と引き攣り笑顔、なんてことも茶飯事だった。というか現在進行形で、今でも時折起きている。つい最近に作っていた超人薬もそうだが。

「あの子がこれまでに作ったものの中に、少なくとも私やジェシカ……ああ、イェンナ商会の跡取りの事よ。その彼女をして『知らないもの』が、結構な数あるわ。つまり、そう言う事よね」

「はい。断言はできませんが、そう言う事なのでしょう。彼は『精霊のお気に入り』だから、『あらゆる概念を知ってしまう』。そして彼にとってはそれが当然のことだから、他人もそうだと思っている、とか」

「……そうだ、これ、猫人に会ったら聞こうと思ってたのだけれど。リモネ。サンヘルムって知ってるかしら」

「サンヘルム? というと、あの毒草ですか」

「モーフィーンは?」

「アフヨウから抽出できる、といっても超高度の抽出技術が必要な薬品ですね」

「それ、猫人の里に居るような連中ならばだれでも作れるってレイは言ってたのだけど」

「そんな簡単に作れるならそれらの薬品の価値は金貨単位から銅貨単位に落ちますよ……サンヘルムのほうはともかく、アフヨウからモーフィーンを抽出するのは王国でも数人できるかどうかです」

 やっぱりか、とアンスタータは腕を組む。

「ならば、あの子は私たちが知りえない概念を『知ってしまう』。そういう才能を持っているとしましょう。で、今、あの子はそんな、『私たちが知らない概念』に包まれている可能性はどの程度あるかしら」

「……ほぼ十割かと」

 がっくしと肩を落として、リモネは嘆く。

 嘆いたところで、何が変わるわけでもないのだが……。

「その上でリモネ。『本物の魔法使い』としてのあなたに聞きたいのだけど、精霊魔法を使える存在には、他者の精霊魔法に干渉ができるんでしょう。それであの子の、あの『何か』を剥がすことはできないかしら?」

「……私があの子よりも精霊使い、『魔法使い』としての腕が上ならば可能なんですが。そもそもあの子、魔法使いとは違った地平に立ってますからね。それに『精霊(あいまい)意思疎通(おはなし)をするための感覚(チャンネル)』も、私はフレイくんに教えられて始めて認識した程度です。比べ物になりません。一方的にこちらが干渉される可能性が高いです」

「そう……。まあ、そうよね。あの子、黒曜竜の精霊魔法を『に゛っ!』ってやるだけで消したこともあるし……」

「なんですかそのエピソードは。冗談ですよね?」

「ちなみにその時、黒曜竜は三匹いたわ」

「…………」

 今からでも実は嘘ですと言ってくれないだろうか、なんてリモネは考え始めるが、それは現実逃避に他ならない。

 それが事実だと考えて、その上であの謎の現象をどうにかしなければ。

「…………」

 どうにかしなければ、と言っても、それはリモネにどうこうできる類のものではない。

 精霊使いとしての立場が違う。立っている地平線が違う。

 精霊にお願いをしなければならないリモネと、精霊が勝手に干渉してくるであろうフレイでは、必要な工程も起こる現象も、あらゆるものが違う。

 逆ならばともかく……リモネの謎をフレイが解くならばともかく、フレイの謎をリモネが解く事は、ほとんど無理だろう。

「私の、『本物の魔法使い』としての師匠なら……、強引に干渉できるかもしれませんが。単なる弟子にすぎない私の呼びかけに応じていただけるかどうか。いただけたとしても時間はかかりますからね……」

「それ、誰なの?」

「オランジュ・トロイエという犬人です。今は王宮に仕えている形ですね」

 ん、と。アンスタータはその名前と肩書に反応する。

「…………」

 そして現状を天秤にかけようとして、天秤ではだめだと、考えを改めた。 

 まず、フレイのあの状況がいつまで続くのか。

 続いたとして、あの状況は安全なのか危険なのか。

 危険なのだとしたら、何故彼は今、動かないのか。動けないのか。

 それとも、あれが安全であるならば、何故それをしなければならないのか。

 もし何かから身を守るためにあれをしているならば、それを解除する事はフレイにとっては迷惑でしかないだろう。

 だが、そんな危険が切羽詰まっていて、それから逃れるためにあんなことをするならば、アンスタータに一言あるはずだ。

 それが無かった以上、やはり危険と見るべきか?

 それとも、アンスタータに伝える暇もなく、即座にそれをしなければならなかったのか。

「……駄目ね。私にはどうしようもないわ。リモネ。あなたにお願いがあるのだけれど」

「私にですか。御恩もありますから、大概の願いは叶えますが……なんでしょう?」

「オランジュをここに呼びつけて頂戴。あなたが直接行って、私の名前……『アンスタータ・フーミロ』、そして『スカウフ・ラウロス』という言葉を伝えなさい。そうすれば後は勝手に、あっちが確認してくれるはずよ。私はこのまま、ここでレイを監視してるわ……何かがあって、すれ違いで里を離れている時は、里長に伝言をしておくから、そっちに確認して頂戴」

「…………、お話しは解りましたが、師匠が来て下さるとは限りませんよ?」

 言外に難しい注文だとリモネは伝えるが、アンスタータは首を軽く振って言った。

「私としても、アレに貸しを作るのは余り好ましくないのだけれどね……大丈夫、絶対に彼は応えるから」

「根拠を教えていただいても?」

「私から言うより、それは本人に聞いた方が良いわよ。いや、『本人たち』かしら?」

 それ以上、教えることはない。

 そんな態度をアンスタータが取ったのを悟って、リモネは逡巡し。

「解りました。他ならぬ恩人の頼みです、聞きましょう。急ぎますが、それでも十日は掛かると思いますが」

「ええ。待ってるわ。ごめんなさい、使いっぱしりにしちゃって」

 気にしないでください、リモネはそう答えて、早速その場を立ち去る。

 アンスタータに託された二つの言葉を、胸に刻んで。

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