森の同胞、純血の果 (五)
『名無しの竜殺し』、ナヴェンローゼ=フィンディエという異名は、厳密にはアンスタータ・フーミロ個人を指す単語である。
故に、相手が上位竜種であろうと原姿三竜であろうと、少なくとも一対一ならば問題ないし。
上位竜種が相手ならば、複数体を相手にしても、彼女単独ならばなんとかできてしまう。
ただ、そんな彼女はあまりにも戦闘に特化し過ぎていて、それ故にそれ以外の所には適性が殆ど無かった。
非戦闘スキルの塊でもあるフレイ・マルボナを相棒としているのは、そういった弱点を埋めるという側面がやはり強い。
少なくとも、アンスタータ・フーミロという女性の本質を知っているつもりの王国の王子、スカウフ・ウォムスはそう判じているし、それは一つの真相である。
だが、アンスタータの本心においてだと、それは真相の側面であって、真相そのものでは無い。
その本心を、彼女は誰に語った事もないが……だから、それをそうと認識できる者がいるわけもないのだが。
彼女がもしも、その真相よりもさらに真実に近い方向からの解説をするならば、それは次のとおりである。
『私が非戦闘スキルを極めているレイを伴ってるんじゃないわ。確かにそれは事実に近いけれどね……』
恐らくその真相は、万感の思いを込めて、呟くように言うのだろう。
『レイが「私と言う戦闘用の武器」を装備している。そっちのほうが、まだしも真実に近いでしょう』
と。
深淵竜の首を落とし心臓を抉り、アンスタータは地割れの奥に置かれたものに気がついた。
大きな大きな真っ黒な、岩の塊のような何かである。
「卵……なるほど」
それを認識して、アンスタータはなぜこの竜が里をまるごと呪ったのかを悟った。
卵を護るためだったのだろう。
竜の卵は、孵えるまでには百年ほどを要する。そしてその百年間、卵は原則動かせないらしい。
恐らくこの地割れをねぐらとしていたこの深淵竜は、この地に卵を産み、孵えるその日を待っていたのだろう。
だがそこに突如猫人が里を作ってしまった。
だからその猫人が地割れの奥に潜む自分たちに気付かないように、『異常を異常として認識できない』ようにする呪いをかけた。
「悪い事をしたかしらね。でも、どうせなら猫人とちゃんと交渉すればよかったのに」
だからどっちもどっちね、アンスタータは無感情にそう言うと、卵もきっちり破壊する。
放置しておいて孵った竜が周囲を脅かすなど、あってはなら無いことである。
一通りの処分を終えて、念入りに殺し終えたアンスタータは、再び里へと戻る。
正確にはフレイの元へ帰ろうと、そう念じながら移動を続け……無事、彼女は再び、猫人の里に戻ることが出来た。
が、人の生活音の一切が消えている。なにが起きたのだろうか、そう思いつつ、リモネに託したフレイの元へと戻ると……。
「あ、アンスタータさん。大変です。突然、里の皆が倒れてしまって……。それに気づいて戻ってきたんですか?」
「いえ。仕事が終わったから戻って来たのよ。深淵竜が一匹だけだったしね……。で、倒れたってのは具体的には?」
「見ての通りです。って、そうですか。もう倒したんですか……。戦闘音らしい戦闘音も聞こえなかったのですが……」
「『竜殺し』なんてのはね、戦いにしちゃだめなのよ。一方的に殺すか殺されるかじゃないと無駄に被害ばかりでかくなって、しかも成果も小さくなるわ」
なんて言いながら、アンスタータは倒れ込んでいる通行人を確認する。
首筋から背中にかけて浮かんでいた痣は消えている。
どうやら呪いは解除されたようだ。
「呪いが解けたから、倒れただけかしらね。一応しばらくここにとどまって、様子を見ましょう。レイが起きるまで、まだまだ掛かるでしょうからね」
「はい。……ですが、フレイくんはいつごろ、目を覚ますでしょうか」
「さあ……」
それは解らないわ、と言いつつも、アンスタータはフレイの口のあたりに手を翳す。
「でも、寝息に戻ってるし。早ければ今晩にでも目を覚ましそうね」
「…………」
流石に楽観的過ぎませんか、という言葉を、リモネは必死に飲み込んだ。
翌朝。
朝の陽ざしのせいか、少し不機嫌そうに周囲を見渡すように、フレイは目を覚ました。
「おはよう、タータ。それと、リモネも」
「ええ、おはよう」
「おはようございます。……まさか本当にこうも早く起きるとは」
「に?」
何の事、というフレイの問いに、リモネは頬を引き攣らせた。
「まあいいや。深淵竜倒せた?」
「ええ。特に問題なかったわ。卵もあったから、そのせいでしょうね、呪いは」
「あー」
そういうことか、とフレイは何度か頷くと、近くに寝かされていた別な猫人に触れる。
その別な猫人は、しかしまるで反応をしないことに気付いて、フレイは再び首を傾げた。
「皆寝てるの?」
「ええ。呪いは解けたと思うのだけど、住民の一人さえも目を覚まさないの。なんでか解る?」
「竜種魔法が抜けきるまでの時間差かも。そんな深刻に考えないで良いと思うよ」
「ならば良かった」
「で。なんでリモネは頭抱えてるの?」
「いえ。なんだか私がこれまで信じてきたものが色々と否定されたような感じがしまして……」
精霊過剰干渉の忌避の突破。
ヒトにはどうもできない竜種魔法の解決。
どちらか片方ならば例外として片付けただろうが、その二つが関連しているとなると、認めざるを得ない。
「別に否定する事はなんにもないよ。ただ、勝手に限界を決めて、勝手に出来無いを決めて、それの範囲内でしかやってないから外側を知らないだけ。竜種魔法はタータだから例外で良いけど、おいらがどうにかできてる精霊の方は、案外やってみれば余裕かもしれないよ」
「ううん……」
それでやっぱりだめでした、となるのが怖い。
リモネはそこに踏み込む勇気を持ってはいないようだった。
「そのあたりは、気が向いたら試してみなさいな、リモネ」
「そうですね。そうします」
数度頷き、リモネが視線をフレイに向けたまさにその時だった。
ぞわり、と。
アンスタータが、フレイが、リモネが、そんな感覚を覚えて咄嗟に臨戦態勢を取ったのは。
「何? 殺気とは違う……害意に似てるけど、それともなにかがズレてるわ」
「精霊も特に何とは断言してくれませんね……ただ、私たちが三人共に反応したあたり、何かまずいことが……」
起きようとしてるのでしょうけれど、リモネは結局それを言いきれなかった。
リモネとアンスタータの腕を掴んだのは、フレイで。
そのフレイはいつになく強い力で、その二人を強引に屋根の下へと移動させた直後、空から何かが降ってきた。
いや、降ってきたというか、照らした、だろうか。
それは妙な光だった。
橙色の、まだらな光。
「…………!」
リモネはそれの正体を察して戦慄する。
橙色の光。正確には、朝日がそれを通す事で、まだらな橙色の光に変質すると言う、それ。
始原竜の、影。
「タータ……仕損じたでしょ」
「……いや、巣には深淵竜しか居なかったし、あなただって深淵竜って言ってたじゃない。でもこれ、どう考えても始原竜よ。別口じゃないの?」
「いやいや。深淵竜の傍らには卵あったんでしょ。ならつがいがいて当然じゃない……」
「…………」
フレイの指摘にアンスタータは目をそらした。
「で、どうするの、タータ」
「始原竜が空に居る間は竜種魔法を使われる恐れが殆ど無いわ。とりあえずやり過ごしましょう」
「そうなのですか?」
「竜種魔法は模様を描いて発動する魔法なの。そして何もない空中に、模様を描く事は出来ない。だから、空に居る間は安全ね」
アンスタータが解説すると、なるほど、とリモネは数度頷いた。
実際、竜種魔法は『どうしようもないもの』として思考を停止している者が大半で、その発動方法などをきちんと知っている者はほとんどいないのだ。
それは『本物の魔法使い』、精霊魔法の使い手であるリモネにしてもそうだった。
「けどさ、タータ。逆に言えば模様さえ描ければ発動するんだよね、それ」
「まあ、そうね。それができたらだけど。でも出来ないでしょ?」
フレイは指を少し離れた地面に向けると、次の瞬間、その地面には火炎が落ちた。
ブレス。
竜種の基本的な『力』であり……個体にもよるが、大概の竜種は、それを何らかの形で用いる。
始原竜のブレスは、閃光に近い。
広範囲を焼くには向かないが、瞬間的に、点を貫くように、線を描くように、ブレスを吐く事ができるのだった。
「…………」
そう、たとえば、線を描くように。
「まさか……」
当然、ブレスに違いはない。それは熱を持っている。
熱を持っていると言う事は、地面を焦がす、あるいは溶かす事ができるという事だ。
ブレスが当たった地面は赤く熱を帯び、光を放っている。
「始原竜のブレスは、点を貫くって言われてるけど、脅威なのはその精密性なんだよ。ああやって、地面に『模様を描く』くらい、始原竜の成体にならばできて当然ってわけ。それでどうするの、タータ。多分このままだとおいらたち、呪われるよ?」
「…………、」
少し。
アンスタータは思考をする。
そう、確かにこのままだと、フレイの言う通りに呪われるだろう。あのブレスならば確かに精密に模様が描ける。それで呪いは発動しうる。
だが、何故呪いを使う?
広範囲を焼くことに向かないとはいえ、それでもブレスはブレスだ。
もしヒトに復讐したいだけならば、片っ端から焼き尽くせばそれで済むではないか。
いや、何もブレスである必要はない。その巨体でただ里を蹂躙するだけで、大概の人里は滅びるだろう。
にもかかわらず、空中高くから降りてこない。
そして迂遠な呪いを使っている。
「まさかこの始原竜、私の事を知っている……?」
「……え? どういう事ですか?」
「ちょっとまって、リモネ。レイ。今、始原竜の高さ、どのくらいかわかる?」
「影の大きさからして、上空四十メートルくらいかな。中途半端な高さ……だよね」
普通に空を飛ぶならばもっともっと高くを飛ぶだろう。矢が届きうる高さなのだから。
とはいえ単に破壊をしたいならばもっと低くを飛ぶか地を歩くだろう。その方が確実だ。
だがその始原竜は、四十メートルという微妙な距離を飛んでいる。
微妙な距離。
そして、絶妙な距離を。
「……高さが、問題なんですか?」
「ええ。あと十メートル低ければ……何とかなるんだけれども」
「十メートル……」
リモネは少し思案して。
「どうせこのままだと、私たちは呪われてしまうのですよね。ならば、一か八かです。フレイくんがやってくれたほどの規模ではありませんが……、正真正銘、私の全力をお見せしましょう」
「攻撃するつもり? あんまり意味ないと思うよ」
「ええ。竜に精霊の攻撃が通るとは思っていませんよ。ただ……『十メートルほど地面に近づけるくらい』ならば、できます」
「!」
アンスタータは笑みを浮かべ、リモネに向き直った。
「やって頂戴。レイ。可能な範囲でリモネを手伝ってあげて」
「に。でもさ、タータ。だとすると、アレを使うの? リモネに見られちゃうよ?」
「出し惜しみして死ぬよりかは、リモネの口が堅い事を願って生き延びたほうが良いでしょう」
「それもそうか」
いいよ、とフレイは言うと、リモネは何のことだろうか、そう思いつつも精霊魔法の行使を始める。
十メートル程度、地面に引きつける。
風の精霊と土の精霊、光の精霊に音の精霊。
彼女が同時に扱える精霊の数は、十九。
その十九全てを費やし、ただ、その標的を……始原竜を地面に『引きずり込む』。
「ウガネ。エマタ、シトオ、ニチリ、ズキヒ、ヲレソ、ヨイレ、イセク、ネマア」
九の言葉は精霊言語。
精霊との会話をしやすくするための詠唱。
ごく単純で簡単な暗号化をしただけの、シンプルな言葉だからこそ、それは精霊に届きやすい。
ちかっ、と。
周囲に一瞬、光が満ち、ブレスが止まった。
「きた! 地上から二十七メートル!」
フレイが声を挙げるなり、アンスタータは影の真下へと飛ぶように移動すると、アンスタータが着こんだ鎧に付けられた装飾を一瞬にして全て取り外す。
装飾。
それは、リングで連結された帯である。
「あれ、は……?」
帯には透き通るような金色と、光を呑むような黒色が混じっていた。
リングは途方もなく強靭そうに見える。
正直に言えば、リモネはそれをただの装飾としてしか見ていなかったが……しかし、そうしてみると。
何か。
途方もない、何かのように見える。
「まさか、竜鱗装備……でも、あれは武器じゃない……ですよね?」
「ううん。あれ、武器だよ」
リモネに対して答えたのはフレイだった。
フレイはにっと笑って、手にしていた『崇拝借剣』をアンスタータの方へと迷わず投擲する。
アンスタータはそれを、帯のリング状の部分で受けとめると、かちり、となにか、はまるような音がした。
見れば、帯の片端のリング部に、『崇拝借剣』が綺麗にはまっている。
まさか、と。
リモネはそれが何であるのか、一つの解答を得た。
だが、そのような武器を実戦に投入できる者がいるのか。
そのような……本来ならば武器としては不適格極まるものを、まして竜などという強大な存在に対して使えるのか。
「…………」
使えるから、持っているのだろう。
帯は自然に中央で剥がれ、その長さを倍に。
金と黒が混じり合う恰好から、金と黒が繰り返すような姿に。
そして帯としては幅が明らかに小さく……それは撓る分厚い何かに。
「……鞭?」
「そう。金剛竜と黒曜竜の竜鱗をメインに、上位竜種のうち七種までの竜種素材を要所要所で使った、『スケイル』渾身の一作。銘は、『廃棄教鞭』」
原姿三竜の内の二種。
上位竜種の内の七種。
会わせて九種で紡がれた、救済を騙る棄教の無知で紡がれる、いわば奇矯の鞭。
殺傷用では無い、『拘束用近接武器』。
「『名無しの竜殺し』の代名詞になっちゃってるのは『崇拝借剣』のほうだけどさ。あの短剣は本来、あの鞭の拡張機能の一つに過ぎないんだよ」
アンスタータ・フーミロ。
『名無しの竜殺し』。
その本質は、この世で正しくそれを武器として扱えるのは彼女しか居ないであろう、『鞭使い』。
「それの実効射程範囲は三十メートル。二十七メートル上空なら、『射程内』なんだ」




