森の同胞、純血の果 (一)
ミヒャルトの街、と呼ばれるその街は王国西部ヴェス州において七番目に大きな街であり、ヴェス州の交易路において、終着点の一つ手前である。
この街から更に南に行けば、それなりの規模の砂丘を囲む形で楕円上に街が点在するカトル地方である反面、この街から北西に進むと山があり、その山を超えるとすぐに海。
なんとも中途半端な位置のに見えるが、その実、街の北部をながれる大きな川や街から少し外れたところにある大きな湖などの水資源が豊富で、山には木々が生い茂っているなど、自然的には極めて恵まれている。
更に、この街より南に行くとカトル地方。つまりカトル砂丘に差し掛かるわけで、当然だが水が貴重になる。
そのため、カトル地方に入る直前にある大きな清水の川を街の一部とできるこの場所が大きな街になったのは、当然だった。
「…………。レイ?」
「にぅー……」
そしてその街を視界にとらえるや否や、フレイの様子がおかしくなった。
なんだろう、にぅ、というその鳴き声は。そして妙に興奮をしているように見える。
「……レイ、大丈夫?」
「……はっ! いや、何でもないよ!」
明らかに何かが起きている。が、この言い様からして、特に問題があるタイプの物では無いようだ。
そう判断し、アンスタータはフレイの頭を右手で鷲掴みにするとそのまま宙吊りに。
いくらフレイが少年の体系であるとはいえ三十キロはあるだろう。それを片手で掴みあげるとは、なかなか恐ろしい握力と腕力だった。
「いたいいたい! 首! 首もげるから!」
「そう。でも隠し事は駄目よ。で、何を感じたのかしら」
「答えるからおろして!」
フレイの切実な叫びにアンスタータは右手を放す。
降ろすのではなく空中で手を放した格好であり、しかし精々二十センチほどしか浮いてなかった事もあってか、フレイは特に問題なく着地。
非難するような視線をアンスタータに向けると、アンスタータはまた右手を向ける。
フレイは一歩後ろに下がりつつ口を開いた。
「タータはさ、ミヒャルトの街、初めて?」
「いえ、前に二度か三度か来てるわね。ただ、冒険者としては始めてかしら……」
「ふうん。じゃあ、名産品は知ってる?」
「名産品?」
はて、とアンスタータは少し考える。
敢えて言うなら、
「水?」
だろうか。
フレイはそれに一応頷いた。
「でも、それは名産品というより、特産品かな。ここの水、ちょっと硬いんだけど、美味しいよね」
「そうねえ。……で、水が特産品なら、名産品はなによ」
他に思い当たるものも無かったようで、アンスタータは少し乱暴に聞く。
するとフレイは目を輝かせて答えた。
「川魚!」
全てを理解し、アンスタータは大きく息をついた。
「……猫人って、別に猫じゃないんだから、何も魚が好きである必要はないと思うのだけれど」
「おいらは猫型にもなれるから余計かもねー。柑橘類とか、駄目駄目だし」
「ああ……。まあ良いわ。どの道、今日はミヒャルトで宿を取るし。ついでだし食事処も聞いて、食べに行きましょう」
「やった! 急ごう! おいら塩焼きが食べたい!」
駆け出しはじめるフレイを見て、まあ、そういう子供っぽいところもあってむしろ安心か、なんて思って。
アンスタータは、だからちょっとだけ、意地悪をすることにした。
「良いわね。レモン汁を垂らすとさっぱりしておいしいわよ」
「あんまりだー!」
普通に泣かれた。
ミヒャルトの街、の冒険者の店は『ミリー』という。
それなりの規模だがそれだけで、特にこれと言った特色のない店だとアンスタータは評価した。
……普段ならばフレイがある程度、そのあたりの判断はしてくれるのだが、
「もう! いいよ! どうせ依頼うけないしさ! はやくご飯食べよう!」
と、あたりを漂う焼き魚の匂いの前に単なるお荷物、じゃない、役立たず、でもない、ただの子供と化していて、今の彼の直感がどの程度使えるのかは微妙なところだったので、最終判断は保留。
「ご飯の前に宿を取らないと駄目よ、レイ。というわけでマスター、……えっと、宿はどこかしら。一部屋、ベッドも一つでいいのだけれど」
「北口の隅、から四件くらい内側の白い壁の大きな建物が、この街で一番大きな宿だな。小さな宿は他にもあるが、あえてベッド一つの一部屋で考えるなら、そこが一番『安い』と思うぜ」
「あら。ありがとう」
正確にアンスタータの意図を把握してくれたマスターに対し、アンスタータは素直に感謝を述べた。
「それで、……えっと。美味しい魚料理のお店は」
「ここから四件隣のお店だよ! 絶対そこ! 間違いないってば! だってこんなにおいしそうな……あああ早く食べたいんだけど! ていうかおいら先に行ってていいよね!」
「駄目に決まってるじゃない……。えっと、マスター的なお勧めは何処かしら?」
「そこの坊やが言った通り、四件隣の店が一番美味いと思うぜ。ちょっと高いが」
「いいよ! 高いくらい別になんてことないよ! だよねタータ!」
妙なスイッチが入っているのか、フレイはいつになく強気でアンスタータに言う。
あまりの剣幕にアンスタータもつい頷いてしまうほどである。
「用事は済んだし行こう! 早く早く早く!」
そしてその最速にアンスタータがやれやれ、とフレイに手を伸ばすと、フレイは待ってましたと言わんばかりの無邪気さでアンスタータの手を取った。
ので、そのまま一気に身体を引きよせ、流れるような動作でフレイの首に腕を回し、きゅっとする。
次の瞬間、さきほどまで元気というかテンションがおかしかったフレイが、今度はぴたっと静かに黙った。
フレイだけでは無い。何やら周囲でしていたはずの音さえも明らかに途絶えている。
「これでよしっと」
「いや良くねえよ。なに子供を落してんだ」
「話が進まないのは困るのよ。宿も取らないといけないし」
アンスタータはフレイを器用に担ぐと、失礼しました、またいずれ、とマスターに挨拶をして『ミリー』を出て行った。
そんな彼女と静かになった少年がドアを潜って外に出て、暫くした後。
「……あれ、本当に冒険者だったんですか? 何かのごっこ遊びじゃ無くて?」
と、重装備の女が声をあげる。
恐らく、マスター以外で店に居た者たちはそう思ったのだろう。
一方でマスターは、アンスタータが只者ではない事を看破していたらしい。
「馬鹿を言うんじゃねえ、リモネ。素人にああも一瞬で他人を無傷のまま気絶させる技術があるかよ。装備は貧相だったが、腕は相当だぞ、あの女」
「へえ……。是非ともお手合わせ願いたいですね」
「それこそ、馬鹿を言うんじゃねえよ。お前にトータルで勝てる奴なんて、そうそう居ねえっての」
ふふふ、と。
その女は笑う。
「そりゃあそうですよ。けれど、普通の戦闘であれば、私は精々並程度ですから」
「…………」
やれやれ、とマスターは首を振った。
その重装備の女の名前はリモネ・キャニング。
ほとんどすべての武器を並程度に扱える、そんな彼女の戦闘は、一流ではあってもそれだけだ。
それでも彼女はこの冒険者の店、『ミリー』における秘密兵器のような者だった。
なぜなら、彼女は。
「それに……」
「?」
「いえ、気のせいかもしれませんね。……私、ちょっとご飯食べてきますね」
「ご飯? さっき食ってただろ」
「ええ」
「…………」
良いですよね、とリモネはマスターに問う。
マスターは彼女の言わんとしている事を理解して、そうだな、と頷いた。
「やるなら裏の修練場を使えよ。街中で暴れられると修理費出さねえといけねえからな」
「はい、もちろん。それでは」
リモネは会釈をして店を出て行く。
彼女は、どうやらあの小娘と少年という奇妙な二人組に興味を持ったようだ。
一度興味の火が付けば、しばらく消えることはない事をマスターは知っていたし……。
なによりマスターとしても、彼女の行動は望むところだった。
なにせ彼女はこの店における、総合的な戦闘能力はダントツの一位。
あるいは国という単位で見ても、かなりの上位に位置するからである。
しかし、彼女の肩書は『冒険者』に過ぎない。そこにはとあるからくりがある。
「…………」
あのリモネが動いたのだから、もはや問題は起こらないだろう。
マスターはそう考え、本来の業務へと戻る……これまでの彼女が実績によって勝ち取ったもの信頼は、それほどまでに厚いのだった。
食事処にアンスタータが興奮気味のフレイを連れて訪れたのは、実に二時間後のことである。
まさかこれほど待たされるとは、とリモネは思ったが、そもそも勝手に先回りをしているわけで、文句を言える立場でも無かった。
「いらっしゃいませ。二名様でよろしいですか」
「ええ。席とかは任せるわ」
「では、そちらのテーブル席へ。メニューは壁にかけた札を」
「私は焼き魚定食……かな。レイ、あなたは」
「川魚の塩焼き!」
「でお願いするわ。塩焼きの方には柑橘類を付けないようにして頂戴」
「畏まりました」
猫人に対して迷いのない接客を見て、アンスタータは大体フレイと同じ理由なのだろうとあたりを付ける。
何も半人半獣は、獣側と好み苦手が必ずしも一致するわけではないはなずなのだが、多少は引っ張られるのだろう。
一応アンスタータの知り合いには魚を食べられない猫人とかも居るが。
十分ほど待つと、まずはフレイの注文した品が届く。
塩焼きをされた魚が二匹分、結構量は多いらしい。
皮はパリパリに焼きあげられていて、ほどよく脂ものってそうだ。
「た、タータ。さ、先に食べても」
「良いわよ。折角だし暖かいうちに食べなさい」
「に。いただきます!」
器用にそして幸せそうに、魚の塩焼きを食べ始めるフレイに、たまにはそういう贅沢もアリか、とアンスタータはふと思う。
冒険者の食事情はいまいちだ。
幸い彼女はフレイも居るので、かなりマシなほうだが、一日三食同じ食材、というのもザラなのだから。
少し遅れて、アンスタータが注文した品。
焼き魚定食は塩焼きと比べて二回りほど大きな魚が一匹、どん、と載っていて、それを引きたてる野菜などもセットらしい。
レモンが載ってきていたので、運んできた店員に調理人にごめんなさいと言っておいて、と伝言を頼みつつレモンを指差すと、店員はレモンを小皿にうつして持ち帰った。
「私もいただきます、と」
数口ほど食べて、なるほど、フレイが興奮もするわけだ、と味に感心する。
セントラ州にも美味しい魚料理の店というのはあるが、そことは比べ物にならない。これが鮮度の差か。
川魚は淡白なものが多いはずなのに、自然と食事が進む進む。素材の旨みを最大限に生かす調理というやつなのかもしれない。
塩味はざっくりとしていて、場所によって塩見が強い所、弱い所と斑があるのだが、この斑こそがより味を引き立てていて、恐らく調理を担当した者は研究を重ねてきたのだろう。
ほとんど無心になって二人は食事を進め、しかしゆっくりと味わうように、二十分ほどを掛けて完食。
大満足、といった様子のフレイを見て、アンスタータは笑みを漏らした。
「もうこの街に住んじゃおうよタータ。毎日ここでご飯食べよう」
「あなた、毎日兎のフィレ肉のソテーは嫌なんでしょう。魚は良いの?」
「良いの!」
「そう。でもまあ諦めなさい。一応冒険者なんだから」
「にー」
まあ、たまに来て食べるくらいはしましょう、と妥協案を出すと、フレイは即座に頷いた。
アンスタータは店員を呼び会計を済ませる。二人合わせて銀貨二十枚らしい。高いと聞いたのだが、二人でこの値段ならば適正というか、安い部類だ。
他の店がここ以上に安く、結果的に高く見えるだけなのかもしれない。
ちょっとした感謝の意味も込めて、銀貨三十枚で会計を済ませると、フレイとアンスタータは店の外へ。
そこには、重装備の女が立っていた。
「どうも、こんにちは」
「に?」
「こんにちは。さっき冒険者の店にも居たわね、あなた」
「はい。実は、折り入ってお願いがあるのです」
「そう」
アンスタータは少し考える。よし、と重装備の女、リモネが心の中で主導権を取ったと思った時だった。
フレイはアンスタータに一歩近づき、アンスタータはやれやれ、と首を振る。
「でも今は食後だから、そうね。明日の朝にして頂戴。じゃあね」
「ばいばーい」
「え? あれ?」
有無を言わさず去ってゆくアンスタータとフレイ。
一応話を聞いてくれるものだとばかり思っていたのだが……ものすごく適当にあしらわれてしまっていた。
かといってここで追いかけるのも色々と不自然だ。
無意味に警戒をさせるのは得策ではない。
「…………」
リモネは少し考えて。
明日の朝に約束をできた、と前向きにとらえることにした。
彼女だって冒険者。
この程度でへこたれるわけもない。
「ますます興味が出てきましたね」
なんて言って。
リモネは、少し浮ついた心を自覚しつつも、冒険者の店へと戻るのだった。
竜に恋した小娘と、娘に従う小猫の噺
第三章 森の同胞、純血の果




