小娘の謳、小猫の唄 (中)
冒険者の店、『バヌ』。
王国領エスト州、その辺境の街に開かれた店であり、ここに専属する冒険者は、店の壁に掛けられた札を見る限り、十八人。
冒険者十八人、というと少なく見えるのだが、人口が千五百程度に過ぎない辺境の街、その上で百人単位で騎士団が駐屯している事を考えると、その人数は十分どころか、少し多すぎるかもしれない。
何か理由があるな、とアンスタータは壁の名札を見て思想しながら、己の影に隠れるようにひっついているフレイに苦笑しながら歩みを進め、新年を祝う店の奥へと、そしてカウンターの前へ。
カウンターの奥では三人ほどがせわしなく調理や皿洗い、飲み物の準備をしている。その三人を視界にとらえるや、アンスタータは迷わず皿洗いをしている若い男に声をかけた。
「もし」
「ん?」
「この店のマスターとお見受けするのだけど」
「へえ。よくわかったな。急ぎか? そうじゃないなら、少し待ってもらいたい。今日は新年祭だ、洗いものが追いつかなくてね」
苦笑いを浮かべ食器洗いを続ける若い男に、アンスタータは「急ぎです」と即座に告げる。
すると、若い男は手を止めて、改めてアンスタータへと視線を向けた。
「要件を聞こう。この店の『バヌ』のマスターをしている、エイバヌ・リシュだ。そちらは?」
「アンスタータ・フーミロよ。……レイ、隠れてないで挨拶」
「あ、うん。おいらはフレイ・マルボナです」
「アンスタータに、フレイか。聞かない名前だな……」
マスターことエイバヌは、娘と少年の装備を眺めて、駆け出しの類、あるいは志望者と言ったところかとあたりを付ける。
新年祭。それは区切りとしては二番目か、そうでなくとも三番目には向いている。それは即ち、冒険者が増える時期とも言える。
新人向けの依頼はいくつあっただろうか、そんな事を考えつつ、しかし自分がマスターであることを迷わずに判断されている事を思い出す。
カウンターの奥に居るのはエイバヌを含めて三人、一人は耳の長い女性、もう一人は男性。女性はエイバヌと同年代、もう一人の男性は髭を蓄えた壮年だ。
行っていた作業も、女性は調理、壮年の男性は飲み物の準備中。皿洗いをしているエイバヌよりかはよっぽど上位に見えるはずである。
そう、たとえばエイバヌがマスターであることを元から知っているか、あるいは別の理由で、エイバヌがマスターであることを即座に気付いたか。
どちらにしても、目の前の二人が単なる新人ではない可能性も考慮しつつ、エイバヌは続きを促すと、アンスタータは彼女の背後を指差した。
「外の大通りで、冒険者の純人の男性と猫人の女性が大喧嘩してるわ。まあ、喧嘩をしているだけなら構わないと思うけど、路面や家屋、噴水とかにも被害が出てる。どうにかしたほうが良いんじゃないかしら」
「純人の男と、猫人の女……もう少し外見上の特徴は無かったかい。特定できない」
「男は重装、長剣持ちね。女は軽鎧、槍を持ってたわ」
「アンディとグレイスか。あいつら酔ってたからなあ……。なるほど、通報御苦労さん」
エイバヌは数人の冒険者の名前を呼ぶと、呼ばれた者たちが店を出て行く。どうやら対処をするらしい。アンスタータは少し安心して、フレイの頭に手を置いた。
「要件はそれだけかい?」
「いえ、さっきの報告は要件と言うより『ついで』の部類ね。私たちは二つ要件があってこの店に来たの」
「二つね。言ってみな」
「一つ目は挨拶よ」
アンスタータが丁寧にお辞儀をすると、それにつられるようにフレイもお辞儀。
娘の方はまだしも、少年の方は幼すぎる。戦闘系の依頼は厳しいかもしれない。そう判断しながらも、エイバヌはうん、と頷いた。
「私たちは無名だけど冒険者。店には挨拶をして回ってるのよ」
「良い心がけだな。どこかに専属してんのか?」
「いいえ、特に決めてないわ。私にせよこの子にせよ、どうも特定の店でずっと頑張る、って性格じゃないみたい」
「ふうん。有名になりたいなら、どっかしらに専属したほうがいいと思うがね……依頼を優先して回してもらえるし、名声も手に入れやすくなるぜ?」
それも考えておくわ、などとアンスタータは軽く流して、半ば強引に話題を進める。
「二つ目の要件は、宿について。私たち、今日この街についたばかりなのよ。だから宿をとりたかったんだけど、新年祭に重なっちゃってね。困ってるの」
「ああ、なるほどね。確かに宿屋もこの時期は営業が二の次になるからな」
「そうなのよ。どうにか一部屋、紹介してくれないかしら。食事さえ出るならば、ベッドは一つでいいわ」
「一部屋? そっちの子と一緒に寝るのかい?」
「ええ。何か問題が?」
呆気からんと答えるアンスタータに、エイバヌは少しだけ考える。
この無頓着さは、若さというより、幼さのそれだ。
「これまでもずっと一緒だったし、問題ないわ」
「……まあ、当事者が問題ないってならそれで良いけどな」
やれやれ、とエイバヌは思考を進める。
フレイという猫人の少年が何歳なのか、それは外見から推測するしかないが、それでも十歳は超えているだろう。
平均的な猫人は、男女に関わらず十歳頃で次世代を遺せるようになるわけで、となるとフレイとアンスタータの関係がどうも微妙になってくる。
「若いってのは良いな。恐れを知らないと言う意味で」
「マスター。この際言っておくけれど、私とこの子はそんな関係じゃないわよ。ベッドが一つでいいと言っても、順番に寝るの。流石に盛りのついた猫人と同衾するほど馬鹿じゃないわ、私も」
「あ、そうなのか。安心した」
「…………」
思いっきり軽蔑するような視線を向けるアンスタータと、その陰からこれだから大人はと馬鹿にするような視線を向けるフレイに気まずさを感じたようで、エイバヌはわざとらしく咳払いをして、手元の台帳をカウンターの上へと載せる。
「まあ、なんだ。一部屋でいいなら、宿を紹介してやるよ。それかこの店の裏に、『バヌ』に専属する冒険者向けの宿舎があるんだが、そこを貸し出してもいい。空き部屋があるしな」
「あら、嬉しいわね。でも、宿でいいわ」
「良いのか? 宿舎の貸し出しだし、別に金は取らねえぞ」
「ええ。私たちはどこに属するつもりもない。一宿一飯の恩等と言うもので縛られるのは御免ってこと」
へえ、と。
エイバヌは、娘に対する評価を上方修正した。
最初に何らかのもてなしを行い、それに対する対価として依頼を受けさせ、それをとっかかりに専属させる。
それはある意味、冒険者の店の常套手段だ。それと知った上でも、宿代が『浮く』という魅力に対して、明確に拒絶する事ができる冒険者は意外と少ない。
裏を返せば、娘と少年は、それを明確に拒絶『しなければならない』、何らかの理由があるとも言える。
「なら、宿屋だな。ベッドは一つでいいと言ってたが、同じ値段なら二つある方が良いだろう」
「それならば、ベッドが二つ置いてある部屋の半額の、ベッドが一つしかない部屋を二人で使わせてもらいたいわね」
更にエイバヌは娘を上方修正。
駆け出しか新人か、そのあたりの判断はまだ付きかねるが、どうやら彼女を『引っかける』のは難しそうだ。
ベッドが一つの部屋と同じ値段で、ベッドが二つある部屋。
ベッドが二つ置いてある部屋の半額の、ベッドが一つしかない部屋。
その二つはそこそこ意味が違っている。
後者は明確に値段を抑えようとしていて、前者はそうでもないからだ。ベッドが一つしかない部屋だって、グレードの違いはある。
熟練の冒険者でも、油断すると引っかかるのだが……。
これ以上変にやり取りをして、彼女に警戒をさせるのも得策とは言えない。
エイバヌはそう決断し、台帳から一枚を破り取ると、サインを書いて娘へと差し出した。
「それが紹介状になる。見せれば部屋はすぐに用意されるだろうさ」
「ええ、ありがとう」
「おう。で、何日くらいこの街には居るつもりだ?」
「そうね……」
娘はその手で少年の耳元をなでながら少し考える。
少年はそれをくすぐったそうに身を捩っていて、エイバヌはそれに不安を覚える。やっぱりこいつら駄目じゃないか、と。
「短くても、三日かしら。依頼次第だけどもっといると思うわ」
「依頼か。お前ら、何か依頼を受けてこの街に?」
「いえ。ただ、この街で依頼を受けてもいいかなあとは思っているわ。もっとも、レイの機嫌次第でもあるから、なんとも言えないけれど」
おいらはそんな気分屋じゃないですよーだ、とか抗議の声を上げている少年はさておいて、エイバヌとアンスタータはしばし睨みあう。
そこでアンスタータが目をそらさなかったことで、エイバヌは彼女を冒険者として認めた。
少年の方はさておき。
この娘の方は、そこそこ使えそうだ、と。
「なら、明日の昼前にでも来ると良い。いくつか依頼をピックしておいてやるよ」
「感謝するわ。じゃ、行きましょうか、レイ。あなたもお腹すいたでしょう」
「うん。半日くらいなんも食べてないからねー。おいらお腹ペコペコだよ。どうするの、宿で食べるの?」
「そのつもりだったけど、丁度お祭りだし、外で買い食いしても良いわよ」
「え、ほんとに?」
「あんまり無駄遣いしちゃだめだからね」
「うん! 行こう! 早く行こう! さっき通ったお店で美味しそうなお菓子が……」
等と、騒がしく去ってゆく彼女たちを眺めつつ、エイバヌは台帳を元の場所に戻し、壮年の男性へとむき直る。
「で、心当たりはあるか、ジリス。あのアンスタータという娘と、フレイと言う少年に」
「ありません。少なくとも、エスト州において冒険実績は無いかと」
「そうか」
ジリス、と呼ばれた彼はこの冒険者の店、『バヌ』における調整役。他の冒険者の店との情報連携をするにあたって、欠かせない人材だ。
だからこそ、彼はほとんどの冒険者について、その情報を知っている。
そんな彼でさえも知らない冒険者。
自分たちは無名だ、というような事を娘は言っていた。
素直に受け取るならば、あの娘と少年は、駆け出し冒険者なのだろう。
それこそ冒険を始めたばかり、一度か二度の冒険をこなした程度で、だから無名で、冒険実績もないのだろう。
だが、実際に会話をして実感した、あの胆力。
エイバヌを一目でこの冒険者の店のマスターだと見抜いたその眼力。
「力量が読めねえな……」
エイバヌが呟く。
単に天才的な才能を持つ駆け出しか?
それとも、駆け出しではなく既に実績を持ち、その上で無名なだけの冒険者か?
前者であれば珍しい。後者であればなお珍しい。
「ジリス。明日の昼までに国内全域の名簿と突き合わせろ」
「そうしたいのは山々ですがね」
「ん?」
まさかの不可能という言葉に、エイバヌは首を傾げてジリスを睨みつける。
「いやだって、マスター。彼女の署名もらってないじゃないですか。照合のしようがありません」
「…………」
確かに、彼女は結局署名をしなかった。
専属をしている冒険者は、その名声をどこでも行使できる代わりに、冒険者の店に訪れたら必ず署名をしなければならない。
それをすることで生存と現在地の報告とし、冒険者の店側は、照合をすることでその冒険者の力量や名声を保証できるという仕組みになっている。
ちなみに、専属をしている冒険者は、その専属先で優先的に依頼を受けることができるし、それ以外の店で依頼を受けることそれ自体は自由だ。そこにデメリットらしいデメリットは無い。
敢えてデメリットとして上げるならば、あまりにも有名な冒険者になると、その名前につられて面倒事が起きることがある、ことくらいだろう。
しかしそれは本当にごく一部の、トップランカーどころか英雄と呼ばれるような域に達して後の事である。
あの娘が、そして少年がその域とも考えにくい。娘の装備は安物の鎧だったし、武器も持っていなかった。少年に至っては単なる私服だ。相対的に娘の装備がかなりマシに見えるが、その娘の装備も冒険者としては水準ギリギリに過ぎない。
人は外見で判断してはならないとは言うが、それはあくまで一般人の一般的な概念だ。一般的な場所ならば、冒険者だってそれは同じではある。
しかし、初めて訪れる冒険者の店やそれに類する者、つまり依頼人に初めて会いに行く時だとか、そういう場面に限定すると、冒険者というのは外見で判断される生き様だ。
高級な装備を持っているならば、それを見せびらかすべきだし。
何らかの技能を持っているならば、その技能を見せびらかすべきだ。
「あんまり難しく考えなさるな、お二方」
と、黙りこんで思案するエイバヌとジリスに、調理を終えた耳の長い女が口を挟む。
耳の長い。その耳は兎のような耳だった。
接待のために付けているわけではなく、彼女もまた半人半獣。
亜人の中でも、比較的珍しいとされる兎人だった。
「ジリスどのは、彼女たちの名前を知らなかったのでござろう?」
「ああ」
「エイバヌどのは、彼女たちを素人だと感じたのでござろう?」
「まあ」
「ならばその二人は単なる素人で、単なる駆け出しだと扱えばよろしい。真実がたとえどこにあれど、その二人はそう扱われる事を望んでいるのだから」
逆……つまり、素人を英雄と同列には出来ない。
だが、英雄を素人としてならば同列に出来る。
「それで、エイバヌどの。このままならば、遠からず食器が不足し申す。洗いものを急いでいただきたい」
「ああ。すまない」
「ジリスどのも手が止まっておる。お客人を待たせるのは悪い事であろう」
「その通りだ。ありがとう、ツエさん」
笑みを浮かべて、兎人、ツエは頷いた。
そう。
ツエの言う通り、彼らがそれを望むならば、それとして扱えばいい。
どのみち、此方に損は無いのだから。
エイバヌはそう考えながら、洗いものを再開する。
「…………」
ただ、どこかで見落としがあるような、と。
そんな漫然とした不安を抱えながら。