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朝靄が晴れたとき

作者: ゆまち春

 草むらの中で息を吸う。夜露で湿った土と、乾いていない青い空気が鼻の中で綯い交ぜになる。金網越しに見えるのはカビの生えきった校舎と白線が消えきった校庭で、一面砂利のグラウンドには陸上部指定のジャージを着たお目当ての女性が立っている。

 長い髪を括ることもせず、化粧で繕わずとも細くはっきりとした輪郭が薄暗い中でも彼女の存在を強く主張している。彼女は五分前から反復した動きを繰り返し、時折校舎の時計をみている。隠れていた僕も腕時計を確認して、被った土を払い落としてからグラウンドまで降りた。

「深芳野先輩。奇遇ですね、こんな時間、こんな所でお会いするなんて」

「朝の六時に学校の校庭で出くわすなんて、確かに奇遇だね。おはよう」

 ストーカーなんじゃないのかい? と仄めかす言葉の最後に、付け足すような挨拶をくれる。ジャージ姿の女性、深芳野先輩が礼儀正しいというのは和服が似合いそうな日本人らしい顔立ちでわかるとおりだが、この挨拶は僕への親しみともとれる。

「おはようございます。僕が先輩に一目惚れしてからもう一週間経ちましたね」

「そうだね。偶然通りかかったと主張する君に告白されてからまだ一週間しか経ってないね」

 準備運動に余念のない先輩はその動きを止めず、それでも軽口に付き合ってくれる。その甘さに付けこむように、朝の空気に混じらせた穏やかな話題を選ぶ。

「先輩がこのグラウンドで走る様を見て、馬や自転車よりも遅い人の脚力なのに、格好いいと思えたんです」

「私は遅いほうだけどね」

 嘆くような言葉に慰めはかけない。事実、先輩の足は贔屓目に見ても遅い。

「わかってます。それでも、格好よく見えたんです」

「陸上じゃあ、遅かったら意味はないよ」

 手首を足首をぐねぐねとしている。タコのような関節を目指しているのかもしれない。

「僕が見たのは陸上競技じゃないですから」

 僅かに首を傾げるような動作をする。外見は成年女性の雰囲気を醸し出しているのに、中身は恐ろしくあどけない。

「僕は先輩の走る姿しか見ていませんよ。少なくとも、この一週間は」

 膝を曲げては伸ばし、大げさな屈伸運動はまるで照れ隠しのようだった。顔は無表情だが、僕にはそう見える。

「案外、他に走る人を見れば、君は惚れるんじゃないか」

「そう思って試しに妹を走らせてみましたが、鈍くさいという感想だけで、妹に惚れはしなかったです」

 お気の毒、とアキレス腱を伸ばしながら吐いた息で、ついでに返事をされた。

 少しばかり頬をあげる先輩は魅力的だったが、生返事ばかりだな。もっと、興味をそそりそうなことか。

「実は昨日の夜、ベッドの中で悶々としていたときに気付いたのですが、ぼくは先輩の筋肉も好きです」

 先輩が前かがみの体勢のまま腕をつま先につけるせいで、大きいのに大き過ぎない胸肉が窮屈そうに体の線からはみ出している。それを見ないように手で目を覆い隠していたが、先輩は促すような目線を向けた。

「・・・・・・ぼくは先輩の体について考えました。一挙手一投足まで栄えるしなやかな動き、扇情的なまでに流線型の体躯、柔らかなその胸肉」

「触ったこと無いだろ」

「僕を惑わせた先輩の姿の因縁について考え、ひとつの結論が出ました。それは、先輩の筋肉が痛めつけられているということです」

「ふーん」

 先輩は話が繋がっていないことに茶々を入れることもせず、適当な相槌を打って腕を十字に組んでいる。

「筋肉は対組織の一環で、体を支える重要なメカニズムを持っています。体のどの部位、末端まで忍び込んでいるのか数も知れないその筋肉ですが、しかし、僕たち人間は日常的に使用しています。それを更に運動面で酷使していては、筋肉が疲弊して、どこかで動けなくなって故障、つまりは怪我をしてしまうかもしれません」

 驚いたように目を見開く先輩は珍しかった。美人顔が二割増しで幼く見え、通りがかった紳士に結婚でも申し込まれそうだった。もしくは僕が指輪を差し出すところだった。

「へえ。君がそんなこと言うのは珍しいね」

 先輩が準備運動の余韻で上気した頬を手のひらで擦る。

「心配・・・・・・かな? ありが――」

「だから僕が先輩の筋肉をマッサージしますよ!」

「と・・・・・・うん、そうだね。君がそんな人間だと私は知っていたよ」

 あからまに何かを揉みしだいている風な僕の手を見て、先輩は呆れるように顔をにがませる。

「僕のマッサージ、妹には評判がいいんですよ」

「それは妹さんにマッサージしているセクハラ紛いの事実と、妹には、の言葉尻のどっちを指摘されたいの」

「前半は妹から頼まれたという免罪符がありますし、後半に含まれるのは両親と、後は先輩だけです」

「私はやらせるとは言っていないよ」

 生き抜き程度の話は終わったとばかりに、先輩はニッコリ微笑んでグラウンドへ駆けてしまう。朝靄も晴れて、誰も居ないとわかるグランンドへ。

「待ってください先輩!」

「・・・・・・」

 足を止めて振り返ってくれた先輩は露骨に不機嫌な表情をしていた。まるで遊びに行くのを引き止められる子供のようなしかめっ面をしていた。

 先輩を呼び止めた理由はある。なにも、体をまさぐりたいだなんて冗談のために早朝の廃校舎までやって来たわけではなかった。冷たい空気を取り込み、考えてきた言葉を頭の中に呼び出す。

「さっきの、冗談じゃないんです」

「ぉ・・・・・・胸をどうにかしたいって話が?」

 庇うように体を抱く先輩は乙女ちっくで、もう胸を揉むために来たと叫んでも悔いはなかった。が、それでは先輩がいつまでも先輩だと思い、目を瞑って声を出す。

「違いますよ! 先輩の筋肉が悲鳴をあげてるって、今にも大怪我しそうだって話です」

「私は陸上部だよ。そんなことわかって」

「もう、いえ。まだ一週間しか先輩を見ていませんが、運動のやり過ぎなことくらいわかります。筋肉に負荷が掛かりすぎていることだって・・・・・・。今日、僕が来る一時間も前から走りこんでたとき、何度も転んでたじゃないですか」

「・・・・・・本物のストーカーみたいだね」

 先輩は何も付着していない膝を手で払い、拒絶とも諦めともつかない溜め息をつく。

「大体、君には関係がないでしょ」

「深芳野先輩が好きなので関係します」

 これは僕が一目惚れした先週にも言ったことなので、「またそれか」と苦い顔をされる。

「好きなのに、取り上げるのかい」

「先輩が好きだから、無茶苦茶ででたらめな練習をして傷ついて欲しくないんです」

「・・・・・・」

「先輩に走ることしかないなら。走って走って走り尽くして、体もボロボロになってしまうくらいなら。僕は先輩を縛ってでも走らせません」

 段々とその輪郭を見せだした朝陽に当てられて、気温の上昇より先に体が熱くなる。

 先輩は地面と僕と時計を見回す。僕も吊られて時計を見る。示された時間は、少しずつ人を起こし始める時間だ。視線を先輩に戻すと、先週出会ったばかりのときにしていた無表情を浮かべていた。

 僕はそれが作られたものだと見抜ける。だから、畳み込む。

「観念したよ。それで、私はどうすればいいの。今日は部活やらずに休めってこと?」

 突き放すような尖った声を向けられるが、僕の顔は既ににやついていた。

「はい。それで僕とデートしてください」

 無表情はそのままに、先輩は手のひらで頬を強く擦っていた。


あとがき1

会話練習用に書いていたもの。元の設定にひきずられてる部分は直さねば

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