『皇国再興:未知な未来との遭遇編』
俺がウェディングドレスを着た星のお姫様と出会ってから一ヶ月、地球とネロスの交流が始まってからも、半月が経過した。
地球人にとっては、初めての宇宙文明とのお付き合いである。トラブルは山のようにあったが、そのほとんどを俺は大マゼランに押しつけた。
国家や企業、宗教団体などの地球側の諸勢力の動きは、おおむね予想通りだった。
予想外な動きについては、チョー先輩が実家の協力を得て作った宇宙交流財団に任せた。
チョー先輩は半月前までだらだらニートを続けていたのが嘘のように精力的に働き、俺とメシエの日常を守り続けた。
「私は自分が面白ければ、それでいいんだ。今の仕事は、私にとって、これほど面白いことはないからね」
財団の実質的な本部――つまり、二階の端っこにあるチョー先輩の部屋に行って俺が感謝すると、チョー先輩は、両手に掴んだハンバーガーをバクバクと交互にかじりながら笑った。口のまわりはソースでベトベトだ。
「俺に何か手伝えることがあれば言ってください」
「ない。手を出さないでくれ。……あ、待て」
チョー先輩は俺に顔を寄せて声をひそめた。照り焼きソースとデミグラスソースの匂いが同時に漂ってきて鼻をくすぐる。
「何ですか」
「銀の字、お前、しばらく体調を悪くできないか?」
「はい?」
何を言い出すのか、この人は。
「お前からもらった細胞賦活石を餌にして、うちの爺様を通してあちこちに渡りをつけているのは知っているな?」
「はい。アレを増やせとか言いませんよね?」
一個作るだけで、どれだけ大小マゼラン相手の説得に手間取ったことか。
「いやいや、そうじゃない。細胞賦活石による若返りを餌にして近づこうと思ってた大物がな、ドロイドの体をくれ、と言い出した。昔から虚弱体質だったみたいで、若返りには興味がなく、それより機械の体の方が快適そうだと考えたんだな」
「ははぁ。ですが、宇宙人の技術を使って機械の体になろうとは、よくもまあ、思い切りましたね」
知られていないとはいえ、大マゼランなんか、いきなり人をネジにしようとするからな。
「安心できる実例がある」
「実例? どこにです?」
「お前だよ、銀の字」
チョー先輩は、俺の頭の上に浮かぶリングを指さした。
「お前は事故で死亡して、ドロイドになった。残念ながら完全な再生はできず、別人格となったが、ちゃんと事前に準備しておけば元の人格のままドロイドになれるんじゃないか、というのが先方の考えだ」
「そうきましたか……気付かれてはないんですね?」
「死にかけの老人で、もっと生きていたいのは本当だからな。銀の字が本当はドロイドじゃない、なんて知ったら激怒されそうだ」
だから真実を教えるのではなく、ドロイドの体には不利益があると思わせたいのだとチョー先輩は言った。
「それで、体調を悪くしろと?」
「本当に、体調が悪くなる必要はない。しばらく地球から姿を消してくれ。そうすれば、そこに都合のいい推測をぶち込んで相手を説得する。たとえば、ドロイドになると定期的に頭の中をスキャンして、人間としての記憶がリセットされるとかな」
「ふーむ。どのくらい?」
「一週間だ。それだけの期間、お前が地球から消えたら、それでいい」
「わかりました。相談してみます」
その夜。
大家の部屋で、メシエと鈴と一緒に夕食をとった後、俺はチョー先輩の依頼をふたりに打ち明けた。
「そういうわけで、一週間ほど始祖の船にいようと思う」
メシエと鈴は顔を見合わせた。
そして、鈴が口を開く。
「仕事とか、大丈夫なの? 表も裏もさ」
表の仕事とは、ドロイドとして地球の文化や風習を調べる仕事だ。人に会って話を聞いて回っているのだが、日本で生まれ育ったのに、日本のことで知らないことがこれほどに多かったのかと、蒙を啓かれる日々である。
なお、この仕事にはコネクション作りという副次的な目的もある。二週間前の俺ならば出会うこともなかった、各分野の最前線で働いている人たちである。騙しているようで心苦しくはあるが、この機会は最大限に活かしたい。
「表の仕事は、チョー先輩経由で、宇宙交流財団がスケジュールしてくれている。一週間分をキャンセルすることになるが、「キャンセルの理由は何だろう?」と思わせるのも、依頼のうちだ」
「んじゃ、裏は?」
裏の仕事とは、ネロスの地球代官としてネロスの植民地を太陽系に作る仕事だ。大小マゼランと話をして、必要な許認可を行いつつ、ネロスの持つ宇宙技術について学んでいる。差し迫った問題としては、反乱を起こしたワールか、あるいは他の勢力が太陽系に侵攻してくる可能性を視野に入れて作業を進めている。
「そっちは、始祖の船にいた方がはかどるくらいだな」
「んー、はい」
ぺちん。鈴はメシエにタッチ。
自分の言いたいことは終わった、ということだ。
ほんわりと湯気をあげるお茶を手に、メシエは少し考えて口を開いた。
「わかりました。そういうことなら、私も一度、始祖の船に戻りたいと思っていました。今は学校がありますので、土日のお休みの時だけ、ご一緒します」
「何かあったのか?」
「月に再生センターを建設して時空凍結している人々を移送する前に、何人かの人を再生することになったんです。始祖の船を守って戦う人や、技術者の方、それに私の弟も」
「弟?」
「はい。弟のロランです。始祖の船で一緒に脱出したんです」
「よかったな」
「ロラン君は十二才なんだよね」
ちらりと俺を見る鈴。
すでにメシエが鈴より年下の十五才だということは露見している。さすがに、地球とメシエの公転周期の差からくる違いまでは知られていないようだが。
おかげで、メシエに対する鈴のブロックが強くなった。なかなか、ふたりきりにしてもらえない。
「はい。ロランには、私の代わりに始祖の船を任せようと思います。皇家の者がひとりは始祖の船にいるべきだと大マゼランに強く進言されていますし」
「ロランの他に、皇家の者は?」
「母は四年前に宇宙船の事故で亡くなりました。叔父や叔母、従兄弟たちもネロス陥落後は消息不明です。生きていることがわかっているのは、私とロランをのぞけば、デネブ王国に嫁いだ姉のアクアだけです」
「そうか……」
寂しげな顔になったメシエの頭を、俺は撫でた。
「ありがとうございます、銀河さん。まだ悲しいけれど、今はやることがありますから」
気丈に微笑むメシエ。しかし、そういうことであれば弟が目覚めるのはメシエの気持ち的にも良いことだろう。
「ロランはいつ目覚めるんだ?」
「もう、時間凍結解除は終わっています。ですが、時間凍結は解除されてもしばらく残るので。数日中には目覚めると連絡がありました」
「早く会えるといいな」
「はい。ロランには銀河さんを紹介しないといけませんし」
「あ、そうか」
自分にも関係あるのだ、と気付いたとたんに少し不安になった。
故郷の星が失われ、遠い辺境の星で目覚めたら、姉がそこの蛮族の男と結婚していた、というのは思春期の少年にとってショックなことに違いない。十五で姉やは嫁に行き、である。大マゼランのように、敵意を向けられることも覚悟しなくては。
「できればロランともいい関係を築きたいな」
俺がよほど不安そうな顔をしていたのか、今度はメシエが俺の膝に手で触れて慰めてくれた。
「大丈夫ですよ。姉の私が保証します。ロランも銀河さんのことが大好きになります」
「メシエの保証なら、大丈夫だな」
「はい!」
メシエが俺の肩に自分の頭を預けた。
「メシエさん、お風呂だよ」
すぐに鈴に引き離されたが。この小姑め。
鈴のアパートの地下には、緊急時の避難シェルターがある。世界各地にあるドロイド用の寮にも同じものが作られている。核ミサイルの直撃にも、マグニチュード八の直下型大地震にも耐えるという堅牢なものだ。
シェルターに入口はない。この中に入る方法は、瞬間転移ゲートだけだ。今の地球人には手出しができない空間である。
俺が転移して中に入ると、そこには小マゼランがいた。
「よう、銀河殿」
トレードマークのスパナを槍のように担いだ小マゼランが挨拶する。彼女はここから始祖の船につながる転移ゲートの調整に来ていたのだ。始祖の船は現在、亜空間に隠れていて正確な転移座標は大小マゼラン姉妹でないとわからない。
「すまないな、無理を言って」
「いや、いいよ。ここの転移ゲートは、何かあればメシエ姫と銀河殿を宇宙へ逃がすためのものだ。定期的にテストしておくのも悪くない」
世界各地のシェルターとここのシェルターの違いは、最長で八十万キロメートルという長距離転移ゲートが設置してあることだ。始祖の船、あるいは、月に作る植民都市まで転移が可能である。
「それにしても銀河殿も徹底してるな。何か行動を起こす前に、必ず逃げ道の確保を最優先にするとは。慎重きわまるよ」
「そりゃそうだろ。どんなトラブルがあっても、逃げることができれば、仕切り直せる。けれど、もし、逃げる場所や方法がないと、その場で何とかしなくちゃいけなくなる。考えたり準備する時間がなければ、トラブルの元を正面から排除することになる」
「ネロスの持つ宇宙技術を使えば、地球のあらゆる軍隊を正面から壊滅させることも可能だぜ? 強弱でいえばこっちが強い」
「何をやってもいいなら、そりゃこっちが強いよ。けれど、メシエと俺の目的は地球とネロスの同盟だ。勝利条件が同盟なんだから、それに反することをしちゃ、敗北になる」
もし、アメリカ合衆国なり中国なりが正面から敵対してきた場合、軍はおろかそこの人間も含めて皆殺しにすることはたやすい。
しかし、その後はどうする? 合衆国や中国という大国が滅ぼされた後、その空白と混乱は、どう治めればいい?
戦術的勝利が、戦略的敗北につながるのでは、それは悪手ということになる。
「それでも、もし俺やメシエ、そして鈴の身が危ないってことになれば、実力行使もやむを得ない。将来のネロスと地球の同盟のために、大事な人の命を犠牲にする気は、俺にはないからな」
「そりゃ、そうだよ。私らだってメシエ姫を失うわけにはいかないんだ」
「その時にも、逃げることができるなら、最低限の実力行使ですむ。地球側に犠牲が出ても、言い訳もたつ」
どれだけとち狂った地球人がいて、こちらに危害を加えようとしても、宇宙に逃げれば追いかけてはこられない。もし地球にいるロボットやUFOが奪われても、始祖の船側から機能を停止させて使えなくできるからだ。
宇宙という安全な後背地を持つ利点がここで生きてくる。宇宙に逃げることさえ可能ならば、どんなこじれたトラブルに対しても時間を置いて準備してからの仕切り直しができるのだ。同盟を結ぶまで、地球に自分たちで使える宇宙技術を与える気がないのは、この後背地を守るためだ。UFOは貸す。だが、その制御はすべてこちらで握る。
「銀河殿は楽観的なんだか、悲観的なんだか」
「俺としては、このまま平和裏に地球とネロスの同盟まで持ち込みたいよ。でも、それはあくまで俺の都合で、俺の目的だ。地球には七十億の人がいて、俺とはまったく違う価値観と目的を持って生きている。ぶつかったり邪魔されたりするのは当たり前だ」
このへんはチョー先輩の受け売りだが、差別やイジメなどの問題では、加害者の側にさほどの悪意はないことが多い。「自分にとっては気にならないので、そっちも気にしないでいいですよ」と、悪意がないまま、相手にとってひどいことができるのが人というものなのだ。
――俺もその例外じゃない。俺は地球とネロスの同盟こそが双方にとって利益となり、良いことだと考えて行動している。俺のその思いに、善意はあれど、悪意はない。しかし、俺の目的が許せない人間、俺の行動で悪影響を受けるので止めたい人間がいることまでは否定しない。俺はそういう意見と、わかりあう気も、妥協する気もない。面倒なので話し合う気すらない。俺は俺で勝手にやる。だから、憎まれたり邪魔されても、それはしかたない。
その上で、相手を排斥するつもりもない。襲われたら、相手を殺すよりは逃げたい。だから、いざという時の逃げ道は、常に確保しておくのだ。
「銀河殿の心がけは立派だけど、そういうのは、私としては寂しいぞ」
「ん?」
「地球とネロスの同盟というのは、銀河殿だけの目的じゃない。私はそこに義があると思って賛同している。メシエ姫だってそうだ。姉貴だって、口ではともかく、心では同じ意見だよ。これからだって、そういう人は大勢でてくる。地球人にも、ネロス人にも」
「そうか……そうだな」
「ああ、そうさ! だから銀河殿は胸を張って、目的に向かって進んでくれ。逃げ道の確保みたいな仕事は、私がやるから」
「ありがとう、小マゼラン。きみがいてくれて良かった」
「よしてくれよ。同じ目的を持つ者として、当たり前のことだからね」
「なら、感謝するのも当たり前のことだろう? ありがとう、本当に」
俺が重ねて礼を言うと、顔を赤らめた小マゼランが腰をくねらせて恥ずかしがる。
「もういいから! さ、ゲートを開くぞ」
「わかった」
感謝しすぎて、いじめになってもまずい。
俺はシェルターの床で白く輝く輪の中に足を踏み入れようとした。
ひゅんっ。
空気が震える音がして、シェルター内にメシエが俺と小マゼランの間に転移して現れた。後ろ手に何かを持っている。
「あの、銀河さん。お見送りに――」
「あ、メシエ姫。ちょうど出発だったんですよ。間に合って良かったです」
「ひゃんっ?!」
サイドステップでメシエが飛び退き、俺と小マゼランの両方を視界に収める。素早く動けるよう、膝を軽く曲げ、体重は爪先に。
――ああ、こういう動きが鎧装格闘技で身についたものなんだな。
「メシエ姫? どうされました?」
不思議そうな小マゼランの声。
「ご苦労様です、小マゼラン。銀河さんのお見送りにきました」
メシエが一瞬でたおやかな、歴史のある皇家の姫としての顔と声になる。
俺はメシエの手が握っているものを見た。
いつも使っている、目隠しだ。
さっ、とまるで手品のようにその布がメシエのポシェットの中に消えた。
「……?」
見ました? というメシエの目。
「……?」
何のことかな? という俺の目。
「……!」
見てるじゃないですか! というメシエの目。
「おーい、銀河殿。早くしてくれ」
ナイスアシスト、小マゼラン。
「メシエ、いってくるよ」
「はい、銀河さん」
少し不満そうに、メシエが手を振った。
メシエに手をあげて、床で白く輝く輪の中に足を踏み入れる。
ぽんっ。
空気を圧縮させた音が響き、次の瞬間、俺は始祖の船の中にいた。
周囲は木々が生い茂る庭園。メシエと最初に訪れた場所だ。
始祖の船は、ワールの反乱が起きる前までは離宮として衛星軌道に浮かんでいたという。
始祖の船は直径四キロメートルの円盤型の庭園を中心としたデザインになっている。庭園の中からだと、ここが宇宙船だとは思えない。ネロスを脱出した三億の人々は庭園部分の地下に作られた圧縮空間の中で眠っている。
「さて、大マゼランと合流して地球代官の仕事といくか」
時間を確認したが、大マゼランとの約束の時間まで間があったので、庭園をぶらつくことにした。
宇宙船の頭脳体である大マゼランは、メインの人格部分とは別に、多くの機能モジュールを持つ。地球のコンピュータとは比べものにならないスペックの大マゼランだが、そのパワーは今は会話モジュールに吸い取られている。大マゼランは宇宙人のコンピュータということで珍しがられて携帯やネット経由で世界中から話しかけられ、しかもその受け答えが地球人からはコンピュータと思えないほど見事なせいだ。『大マゼランの宇宙相談電話』として有名だ。一生に一度くらいは宇宙人のコンピュータと話をしてみたいというので、地球人のうち十億人がすでに大マゼランと会話かメールのやり取りをしている。
それらの膨大な会話の内容をまとめるサイトがネットにできており、大マゼランの会話に矛盾がないか、ネロスの倫理感を示す傾向はあるか、触れようとしない空白部分はないか、というのまで調べられている。
「あらかじめ空白部分を大きく取っておいて良かった。空白が大きくて解釈に幅があるから、時間が稼げる」
大マゼランや地球にいるドロイドたちは宇宙連邦やネロスについての情報をほとんど公開していない。もしこれがミステリなら、読者が激昂するほど、どうとでも考えられる情報しか与えていないから、喧々囂々の論争になっても、どれも決め手に欠けるのである。
「この間に、ネロスの植民地建設を進めておかないとな」
色々とバレた後で、俺の名前が後の歴史に悪し様に書かれるのは、もはや覚悟しておくしかない。
俺につくふたつ名が『太陽系を売った男』ならハインラインで、『地球買います』ならアシモフだ、とはチョー先輩の言葉である。
冗談めかしてはいるが、最初にこの話をチョー先輩とした時には、ずいぶんとお互いに悩んだものである。
自分たちがこれからやろうとしていること、にではない。
自分たちがやっちまった後で、その後の長い人生を耐えられるか、についてだ。
――チョー先輩は、なんだかんだで『鎌倉の老人』の孫だ。身の処し方みたいなものも、それなりに理解してるだろうし、そもそも、仙人みたいな人だからな。
対して俺は、生まれも育ちも、ごく平凡な人間だ。特に精神状態において。
他人の恨みや嫉みを糧として生きる術は持っていない。
自分を責め続けて心が歪む人生というのも、勘弁していただきたい。
平凡な人間だからこそ、大きなことをする前に自分の精神を守る手立てはきちんと打っておかないと。
――小マゼランには、ああ言ってもらえたが、これから俺は地球の社会から距離を置いて生きていくことになるだろうな。
そもそも、地球人としての一星銀河はすでに死んでいる。役所にも死亡届が出され、小マゼランに作ってもらった死体は焼却処分されてお骨になっている。各種保険やら口座やらは停止され、戸籍もなくなった。
それから一ヶ月が忙しかったので悩む暇はないが、今のように、ふと時間が空いた時には思うことがある。
――父ちゃんや母ちゃんや恵那が生きてたら、ここまで思い切ったことはできなかったろうな。
事故からもう八年になるのに、失われた家族のことを思うと、胸がうずく。
――その時には仕事で海外へ行くとかなんとか理由をつけて家から離れ、行方不明になるしかないな。さすがに嘘ついて死んだフリは親不孝すぎる。
ぼんやり考えながら、木と水の匂いに誘われるように、自分の生まれ育った故郷を連想させる森の中に入っていく。
――そもそも……あの事故がなかった俺は、こんなに結婚したがるよう人間になっていただろうか? 田舎に帰れば家族がいて、自分の居場所がある。そういう「一星銀河」は、あのコンビニでメシエと出会うことなく人生を過ごしているのでは?
禍福はあざなえる縄のごとし、という言葉がある。
神ならぬ身としては異なる時間軸を生きる自分がどうなっているかなど、知る由もない。
――いや……いたか。異なる時間軸らしきところから来たヤツが。戦闘ドロイドのレオ。今頃、どこでどうしているやら。あいつの知る地球は、どこらへんから俺たちの地球とは違ってきているのだろうな。
最初の夜に現れ、メシエと深夜のバトルに及んだ戦闘ドロイドについては、大小マゼラン姉妹に話をしている。世界中にばらまいたロボットたちの役目には、レオを見つけ出すことも入っている。今のところ手がかりは何もない。
もっとも、異なる時間軸の情報はアテにならない、とは大マゼランの話だ。時間は可塑性が高く、改変が行われる「前」にまで時間改変の影響が及ぶのだそうだ。そして、改変される前の時間軸にいる者の情報も書き換えられていく。
とりとめもなく、思考を巡らせていたので、気が付くとずいぶん森の奥に入っていた。
せせらぎが聞こえ、水の匂いが鼻をくすぐる。泉と小川のあるあたりか。
パシャ、パシャン。
水しぶきの音。
――誰かいるのか?
この時の俺の頭の中の「誰か」には、庭園で飼われている動物、庭園の世話をしている庭師ロボット、そして時間凍結の眠りから覚めたメシエの弟があった。
しかし、考え事をしてぼんやりしていた俺の中で、その情報はあくまで情報でしかなく、その現場に居合わせるとどうなるか、という状況判断には使われなかった。
人間の脳とはそういうものだ。
情報の存在を認識していることと、それを自分の行動に当てはめて考えることは別回路なのだ。
なので、特に隠れるという意識もないまま、俺は邪魔になる枝葉をはらい、湖の畔へと出た。
視界が開ける。木々の切れ間から届いた光で、周囲の色が鮮やかになる。
パシャン。
「ほえ?」
こちらに背を向けて泉で水浴びをしていた少年が、俺に気付いた。
銀色の髪に、二次性徴が始まる前の細い手足。
肩甲骨のくぼみから背骨に沿って視線をおろせば、水面に波紋を広げる小さな丸いお尻。
「恵那?」
髪や肌の色も、年齢も、性別さえ違うのに、なぜ俺は妹の名を呼んだのか。
「え?」
小首を傾げる少年の、吸い込まれそうに深い闇色の瞳。
その瞳が、一瞬だけ金色に輝いた。
瞬間、泉の水面から、幾つものイメージがシャボン玉のようにぶわっ、と宙に広がった――ように、俺には見えた。
そしてパチンパチンパチン、と弾けて消えた。
それは本当にわずかな時間であり、そのイメージの中に、俺やメシエ、タコっぽいのや石っぽい宇宙人、宇宙戦艦が連なる艦隊戦、廃墟となった惑星などの光景が、見えた――ような、気がした。
すべてのシャボン玉が消えた後は、そのようなものがあった痕跡はどこにもなく。
幻覚、妄想の類だと言われれば、そんな気もしてくるほどだ。
「あ……」
少年が、目をまん丸にして、俺を見ていた。
「ロラン」
俺は少年に呼びかけていた。少年がメシエの弟のロランであること、今しがた一瞬で消えたイメージの中に、ロランがいたことを、俺はなぜか確信していた。
「銀河兄様……」
少年=ロランが俺に呼びかけた。
それは、先のシャボン玉なイメージが、俺の幻覚ではないことを証明する言葉だった。
あらかじめメシエから聞いていた俺はともかく、ロランが俺の名前や、自分との関係を知るはずがない。
「あ……あう……」
ロランの顔が急速に赤くなった。
そして、ぱっ、と自分のお尻に手を当てて隠す。
「は?」
「銀河兄様……あ、あの、ボク……」
――待て、少年。
キミ、いったい俺についてどんなイメージを見たの?
シャボン玉の中の俺は、いったいキミに何をしたのかね?
俺は、自分が何も持ってないし、何もしない、を意味するジェスチャーとして、両手をあげてみせた。
ところが、これがまずかった。
ロランの目が、俺の手――左手――に吸い寄せられ、そして。
「きゃああっ!」
ざぶんっ。
悲鳴をあげてロランがしゃがみこむ。
そして同時に、俺の背後から、吠え声。
「ガウウッ!」
振り返ると、額に一本角が生えた、でかい犬が俺に飛びかかってくるところだった。
「なっ?!」
「あっ?! ダメっ! ポラリスっ!」
犬の角が電撃を放ち――
俺の意識は、そこで途絶えた。
===another view
ロランは気絶した銀河の体を一角犬の上に乗せて泉のほとりにある釣り小屋へと運んだ。
「よっこい、しょっと」
長椅子に、銀河を寝かせる。
ロランは置いてあったタオルを取り、濡れた体を拭いた。
そして、水浴び前にここで脱いだ服を手に取りつつ、ロランは一角犬を叱った。
「ダメだよ、ポラリス! いきなり襲いかかっちゃ!」
「バウッ」(否定・悲鳴・使命)
一角犬が反論する。
一角犬は簡単な思念ならば、角を通して伝える能力がある。
ロランの悲鳴が聞こえたから襲撃したことや、ロランの警護が自分の役目であると一角犬は主張する。
一角犬からすれば、泉に近づいてきた銀河の背後を取り、いつでも取り押さえる準備はして待機していたのだ。ロランが悲鳴をあげた後で行動したのだから「いきなり襲いかかった」というのは違う、というわけだ。
「バウ?」(疑問・確認)
その上で、一角犬は主人に問い質す。
この男は何者なのか、と。ロランとの関係はいかなるものなのか、と。
ショートパンツを引き上げる手を止めて、ロランは少し考える。
「この人は、一星銀河。これまで会ったことはないけど、メシエ姉様の夫君になられる方だよ。そして……」
泉で出会った時に浮かんだイメージのいくつかを思い出し、顔が赤くなる。ぶんぶん、とロランは首を振ってショートパンツを引き上げ、お尻の食い込みを直す。
「ボクにとっても、大切な人……になる、予定。たぶん」
「バウウ?」(疑念・警戒・ここで食い殺しちゃった方がよくないかと提案)
「ダメだってば、もうっ! いいから、ポラリスはおっきいマゼランかちっちゃいマゼランを呼んできて」
「バウ」(了解)
一角犬が釣り小屋を出て行くと、ロランは銀河が寝る長椅子の端っこに座った。
ちらっ、と銀河を見る。
――あんなにたくさん未来視が発動したのは、初めて。たぶん、この人に関わる未来は不確定なんだ。なんだか、互いに矛盾してそうな未来もたくさんあったし。
すっ。すすっ。ロランが座ったまま、銀河側に寄る。
――この人は、一星銀河。地球人。英雄でも王者でもない、ごく普通の人。
銀河の頭が右に、左に動く。固い長椅子の上では、おさまりが悪いようだ。
「うーん……しょうがない、よね」
誰もいないのだが、なんとなく左右を見回してから、ロランはさらに銀河と距離を詰めた。そして銀河の頭を持ち上げて、自分の太ももの上に置き、膝枕とする。
「ん……む……」
ロランの太ももの上で、銀河が身じろぎして、しっくり来るポジションを探った。
髪の毛がロランの太ももをくすぐる。
「ふふっ。なんだか子供みたい」
ロランは銀河の髪の毛を指ですいた。
「はじめまして、銀河兄様。ボクがロラン・N・ジェネラルです。メシエ姉様ともども、よろしくお願いしますね」
メシエ、と聞いて眠ったままの銀河の右手がもぞもぞと動く。ロランはペチン、とその右手を叩いた。
「ダメだよ、銀河兄様。イタズラしちゃ――ひゃあっ?!」
お尻を撫でられ、ロランが可愛らしい悲鳴をあげる。銀河の左手が時間差で後ろに回されていたのだ。
ロランは思わず立ち上がる。太ももから銀河の頭が滑り落ち、そのまま長椅子からも転落する。
ぐきょん。
「ごげっ」
銀河の頸椎から、あまり人体が発してはいけない音がした。
「銀河兄様! 起きてるなら起きてるって――あれ? 起きてなかったの? ご、ごめんなさい!」
「……」
床に転がった銀河をロランが抱き上げる。
そこへポラリスに案内された小マゼランが駆けつけた。
「ロラン様、お目覚めになりましたか。それで――わっ、銀河殿がっ」
「バウッ」(納得・歓喜・トドメはお任せを)
「だから、違うんだってばーっ!」
===another view end
次回『皇国再興:宇宙人と茶の湯編』