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『皇国再興 番外編:鎌倉の老人』

 男は『鎌倉の老人』と呼ばれていた。

 その言葉を最初に聞いたのは昭和の終わり頃だった。

「ワシは鎌倉に住んだことなぞ一度もないぞ?」

 それを聞いて、男は当然の疑問を口にした。

 久しぶりに会った自民党の長老のひとりは、人の悪い笑顔をして、孫が読んでいる少女漫画に、お前さんそっくりの老人がいてそう呼ばれているんだと話した。フィクションに出てくる、日本の政財界を裏で操る黒幕につけられる呼び名らしい。アメリカの場合には「四大財閥フォーシスターズ」とか「軍産複合体」あたりがその黒幕に位置づけられるのだとか。

 話を聞くうち、男は自分が知らない間に、日本がずいぶんと暢気な社会になったと感じたものだった。同時に、その呼び名に心くすぐられるものもあり、以後は冗談にせよ周囲のものに「ワシは『鎌倉の老人』だからな」としばしば口にした。

 実際、男は『鎌倉の老人』と呼ばれてもおかしくはない影響力を保持していた。己の目的のために周囲を操るタイプの黒幕ではない。だが、政治家や省庁の幹部、経済界の大立者と親しくつきあい、何かもめ事があれば仲裁も可能な発言権を有していた。男の影響力は、暴力団や右翼団体だけでなく、一部の左派勢力にまで及んでいた。

 そうした影響力は、男が誰かから受け継いだものでもないし、誰かに受け継がせることのできるものでもなかった。男には何人かの息子がいたが、いずれも貫目かんめでは男にとうてい及ばない。

 しかしそれは、当然のことだった。

 ――ワシの影響力は、あの敗戦の後の混乱で手に入れたものだからな。

 日本の敗戦と、その後の連合国による占領は、後になってみればそれほどのものでもなかったが、その渦中にあった人間にとっては巨大な津波のような混乱を巻き起こした。

 当時三十~四十代だった世代は、その影響を一番大きく受けたと言える。

 この世代は次のリーダーをプールしておく場所だ。軍、官僚、政界、財界を背負って立つ人材はここで実績を積み、力をつけ、互いに競争する。

 それが、敗戦と占領統治の激震を受けた。

 組織がほぼ完全に破壊された陸海軍を始め、政界や財界で働く三十代から四十代の中堅幹部たちは、未来どころか現在の己の立場すら失う危機に直面したのである。

 突然自分のポストがなくなる、というのはまだ良い方で、ひどい時には犯罪人として処罰されたり、財産を奪われたりした。

 当時三十になったばかりの男は、それを免れた。

 それどころか、戦前、アメリカに留学し、その後も海外で仕事をしていたおかげもあって、占領軍の中に強いコネクションを持つことができた。若い頃の男は人好きのする性格で、他人に頼られるとうれしくなって頑張るタイプだった。地位こそGHQの使い走りだったが、日本の占領統治に及ぼせる発言力はかなりのものだった。

 また、男は自分の国が手痛い敗北を受け、祖国が焼け野原になって外国の軍隊に占領されたことに強い危機感も抱いていた。

 日本の未来のためにも、有為の人材を救い、それなりに活躍できるよう手助けするのが今の自分の使命だと、男は考えた。

 男は、GHQの各所に働きかけて多くの人間を救った。元軍人もいた。満州国で働いていた役人もいた。財閥の人間も、共産主義者の若者もいた。男は主義主張にはこだわらず、優秀だと思った相手は誰であろうと助けようとした。

 助けられぬものもいた。助けをこばむものもいた。

 しかし、多くの人間が男に助けられた。そしてそれを恩に感じた。

 これが男の影響力の源泉だった。

 ――ワシは占領軍に働きかけて、人を救い、恩を売った。あれから七十年。日本は平和で、繁栄を続けておる。あの頃のような形で恩を売れる時代など、一度もなかった。『鎌倉の老人』はワシの世代にのみ存在を許され、ワシと共に消えるのだ。

 気が付けば、男が恩を売った人間もほとんどが鬼籍に入っている。わずかに生き残っている者も、全員が隠居の身だ。

 男も、気が付けば寝たきりの日々だった。何しろ百歳を越えたのだ。

 ――ワシもじきに退場か。長いようで短かったな。

 息子たちも隠居が近づき、第一線で働くのは孫の世代となっている。そのあたりまでは、まだ男の影響力もあって社会のそれなりの立場にいる。弁護士を通して遺産の処理や相続の手続きも終わらせた。一族の長老として、やることは全部すませてある。

 ――いや待て。アレがいたか。

 男が特に可愛がったが夭逝した末の娘の形見となった男子――今はもう三十代半ば――がいた。

「おい、重太郎しげたろうはどうしている。アレか。まだアレか」

「はい。長部重太郎おさべしげたろうさんは何をするでもなく、遊んで暮らしております」

 側近は男のアレ、がニートという意味だと正しく推測し、答えた。

「まったく……あの年でアレというのでは、死んだ朝子に申し開きが立たん。あの世で朝子に会っていきなり叱られるのはごめんだ。あの娘は優しいようでいて、怒らせると怖かったからな」

 呼びつけて説教をし、ついでにどこぞに渡りをつけて仕事に就かせようと男は考えて何度も使いを送ったが、重太郎はそれを予測してか男のいる屋敷に近づこうとしなかった。

「何と嘆かわしい。ワシが重太郎の年には、日本を復興させるために頑張っておった。ワシだけではない。あの頃は日本人のすべてが、頑張っておったのだ」

 孫にすら影響力を及ぼせず、周囲に愚痴ばかりこぼす男は、『鎌倉の老人』でも何でもない、ただの年寄りだった。

 その重太郎から、奇妙なプレゼントと一緒に、面会したいという申し入れがあった。

 心を入れ替えたか、それとも遊ぶ金が欲しくなったか。

 男はプレゼントだという奇妙な丸い石に目を向け、いぶかしんだ。

「これは何だ?」

「さて、石灰岩のようですが……重太郎さんからは、枕元に置いておいてくれ、と」

「ふん。何かわからんが、置いておけ。孫からのプレゼントだ」

 その翌日、重太郎が来た。


「おい、重太郎。お前がくれたこの石は何だ?」

 男は布団に横になったまま、面会に来て頭を下げた重太郎に、鋭い目を向けた。枕元には、石が置いてある。

 側近のたちばなはぞっ、とした。男の目は、孫に向ける目ではなかった。側近自身も遠い過去に思える『鎌倉の老人』の目だった。

 ――御前は今日は調子がおよろしいようだが、このように興奮されて大丈夫だろうか。

 橘は、むしろ男の体調の方を心配した。

 そして、重太郎に視線を向ける。でっぷりと太り、量販店で買った安物の服を着ている。今は捨て扶持をあてがわれて安アパートで暮らしている。形の上では大学の研究員として扱われているが、これまで仕事らしいものは何もしていない。重太郎の生活や交遊関係などについては、もし何かあった時にすぐに動けるよう、人を使って詳細に調べさせてある。女や賭け事、薬物など醜聞につながるものは何ひとつ手を出していないので、橘の視点としては『品行方正』な部類に入る。だからといって、自分の子や孫に持ちたいとは思わないが。

「効果があったようで、何よりです。お爺様」

 のんびりとした口調で、へらっと緊張感のない笑顔で、重太郎は男の視線を受け流した。

 ここに来るまでも、使用人や親族の冷たい侮蔑の視線に何度もさらされているであろうに、気にした様子はない。

 ――なんという面の厚さだ。ある意味で大物だな。

 橘は感銘さえ覚えた。男の息子たちにはない無神経さだった。彼らは『鎌倉の老人』として恐れられる父親の顔色をうかがって成長した。いずれも無能ではないが、どの分野でもトップに立てなかったのは、自分の目的のために他人の顔色を無視できる強さを持ち合わせなかったから、と言える。

 ――時代が時代ならば、この孫が御前の後を継いだのだろうな。毛利元就の後を、輝元が継いだように。

 そうならなかった理由も、橘にはわかっていた。

 重太郎という青年は――橘もまた、老人といえる世代なので三十代は青年である――目的を持たない。立身出世を望むには恵まれすぎていたし、日本を背負うには危機感が足りなすぎた。

 ――御前といえど、今の日本に生まれれば、このような青年になったかもしれん。

 幕末や敗戦時の日本には、このままでは国が滅ぶという危機感があふれていた。そして危機感こそが、政治的な気質を持つ人間にとっての力の源泉だと橘は考えていた。危機感がなければ、政治的な人間は目的を見失い、何もなすことができなくなる。

 橘の見たところ、男の子供、そして孫の全員の中で一番、政治的な気質が強いのが重太郎だった。人付き合いが好きで、弁が立ち、そして面の皮が厚い。その上で経済的にも恵まれているのだから、学生運動に転ぶにはもってこいの立ち位置である。

 ――この青年は、大学を通して、そうした主義者の接触を何度も受けている。なのに、まったく興味を示さなかった。社会にあふれている不正義や格差問題では、この青年に危機感を与えることができなかったからだ。

 頭が良すぎるのだ、と橘は重太郎を評価していた。良い意味ではなく、悪い意味で。頭が良すぎるので、政治的な運動が不正義や格差を何とかする前に、それが無意味に終わる可能性の高さに気付いてしまう。

 ――もう少し世の中を見る視野が狭ければ社会運動に参加するなどして、それをきっかけに、己の人生を切り開けただろうに。

 自分が仕える『鎌倉の老人』には悪いが、橘は重太郎が何もなせぬまま人生を終わるだろうと考えていたし、その方が本人はともかく周囲は幸せだろうとさえ考えていた。

「で、どうですお爺様。立って歩けそうですか?」

 橘はぎょっとして、思考を中断させた。

 立つも何も、男が明日さえわからぬ身であることは、橘も主治医を通して知っていた。脳や内蔵はともかく、心臓が今にもぽっくりと止まりそうなのだ。

「やってはいないが、ひとりで立つくらいはできそうだな」

 むくり、と男が上体を自分で起こしたので橘は驚愕した。

 そのまま男が立ち上がった時には、橘の心臓の方が先にぽっくりいくかと思った。

「ご、御前っ! おやめください! お体にさわります!」

 さらに歩こうとしてよろけた男を、橘は慌てて自分も立ち上がって支えつつ言った。

「安心しろ、橘。どういう手品かは知らんが、ワシの肉体はとぉは若返ったようだ。頭の方は二十は若返ったな」

「その石を作った者によりますと、一ヶ月ほどで肉体は六十代くらいまで、精神は五十代くらいまで賦活するそうです。副作用はないですが、当分はかなり腹が減るそうです。栄養をつけてください」

「それでか。空腹など何年ぶりかな」

 男は、布団に座り、あぐらをかいた。

「橘、厨房に人をやって何か食い物を用意させろ。ワシが食うと言っても信用せんだろうから、孫に食わせるのだ、とな」

「は、ですが――」

 橘は迷った。橘としては正直、重太郎を別室に連れていって、尋問したいくらいだった。

「良いのだ。どうも、ひどく面白くなってきたようだぞ」

 男はニヤリと笑った。

 『鎌倉の老人』らしい、野心に満ち溢れた笑みだった。


次回『皇国再興:未知な未来との遭遇編』

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