『皇国再興:始祖の船編』
午前六時の少し前。
まだ早朝の時間に、窓の向こうから「きゅーん、きゅーん」と聞こえてくる鳴き声で、俺は目を覚ました。
「ん……猫、いや犬か……」
親とはぐれた子犬だろうか。やけにもの悲しい。声の大きさよりも、その悲しげな響きが、眠りの霧を通して俺の意識の中に入ってくる。
「きゅーん、きゅーん」
親を探して走り回っているのか、声は大きく、小さくなる。
声が大きくなる時には、響きが高くなる。
声が小さくなる時には、響きが低くなる。
「ドップラー効果か……いや、待てよ。おい」
ドップラー効果を出すほどの速度で移動する子犬はいない。それに考えてみれば、相当に大きな声だ。
しゃっ。
俺は窓のカーテンをあけ、外を見た。
「きゅーん、きゅーん」
明けなずむ空を、右に左に、前に後ろに、くるくると舞うアダムスキー型UFOが飛んでいた。
しゃっ。
カーテンを閉める。眉間を揉んで考える。
――これは、俺が関わる案件だろうか? 案件だろうなぁ。
今が二十一世紀で良かった、と思う。
昭和くらいであれば、今頃は、誰かが警察に電話をかけてパトカーの音が聞こえているはずだ。現代人ならば、空をアダムスキー型UFOが飛んでいても、宇宙人の空飛ぶ円盤だとは思わず、無人のドローンだとまず考える。日常性バイアスという奴だ。
もっとも、それはそれで「早朝に誰かがドローンを飛ばしていて迷惑だ」と警察を呼ぶ人間が出てくるだろうから、放置はできない。
あまり汚れていないシャツを羽織り、ズボンをはいて俺は外に出た。
階段を降りる途中、ジャージ姿のメシエが一階の大家の部屋から出てきた。
「銀河さん。おはようございます」
「おはようメシエ。空を見たか?」
「はい、あの子です」
俺とメシエはアパートの裏庭に出た。メシエがリモコンを空にかざす。
「ジョージ! こっちですよ、ジョージ!」
ぶんぶんと、リモコンを持った手を空に向かって振り回す。
ジャージを押し上げるメシエの胸が大きく弾む。ノーブラか。
朝からありがたいものを見た。東を向いてお天道様を拝む。
「きゅーっ」
メシエのリモコンに呼ばれて、UFOが裏庭に降りてくる。
「よしよし、ジョージ。よくひとりで大気圏突入できましたね。えらいえらい」なでなで。
「きゅーっ、きゅーっ」すりすり。
前に見たのは、深夜のコンビニ駐車場だったのではっきり覚えていないが、ワンボックスカーとほぼ同じサイズだ。人が乗って宇宙へ行くにはちょっと狭い感じがする。
「わわっ、中庭に空飛ぶ円盤がっ!」
大家である鈴谷鈴が、裏庭に面した縁側に出てきて驚く。
「はい。この子の名前はジョージです」
「へー、よろしくねジョージ。あ、そっちはゴーヤ植えてるから潰しちゃダメだよ」
「きゅー」
UFOは、鈴に言われて少し高度をあげた。
裏庭はアパートと塀で囲われているが、今の高さだと近所から丸見えだ。
「騒ぎになる前に出発した方がいいかもな」
「騒ぎ? なんで? あ、そっちの物干し竿、外して下ろすからちょっと待って」
「UFOが町中で飛んでいれば、そりゃ騒ぎになるだろう。今頃は誰かが携帯で写真撮って、ツイッターにアップしてるかもしれないぞ」
「あ、それは大丈夫だと思います」
メシエはそう言って、ポシェットから何かサイコロくらいのキューブを取り出し、UFOに差し出した。
「きゅー、きゅー」
アダムスキー型UFOのてっぺんが、ぱかん、と開いて、中から伸びたワイヤーのようなものがキューブを掴んで戻っていく。
UFOに餌をやってるのか? とすると、あそこが口か?
「宇宙連邦の規則で、保護惑星に降りる時には騒ぎにならないよう、人や機材に特殊なフィールドがかけられています」
「特殊なフィールド? メシエさんもかかってるの?」
鈴が聞くと、メシエはうなずいた。
「はい。このフィールドは、精神に作用して警戒心を下げます。こんなものがいてもおかしくない、って気分になるんですよ。カメラには写るので万能ではないですが」
「あー、未来からきた猫型ロボットや時空ジャーナリストが変な格好で町を歩いて未来技術を使っても、誰も気にしないようなアレか」
思い出してみれば、深夜のコンビニでの、バイトの店員の反応がまさにそんな感じだった。いや、俺自身の反応も、どこか危機感というか警戒心のないものであった気がする。
「ただし、地球人くらいの文明レベルになると、あまり持続しないんです。銀河さんだって、今はこの子がいると周囲が怪しむんじゃないか、って感じてるでしょう?」
「そうだな」
「私は全然、問題ない気がするな」
鈴がのんびりした口調で言う。UFOを見る目つきが、可愛い動物を見る目になってる。
「近所の人間がみんな鈴みたいだといいんだが、もしそうだとしても、今は監視カメラや車載カメラがあっちゃこっちゃにある。何の気なしにスマホで撮影した中にUFOが写っていて、それを見た人が気付くかもしれない。さっさと出発した方がよさそうだな」
「そうですね。ちょっと早いですが出発しましょう」
朝食はまだだったが、俺とメシエが着替えている間に鈴がおにぎりを作って、水筒と一緒に持たせてくれた。
「じゃあ、いってくる」
「宇宙かー。私も行ってみたいけど、昨日は休んじゃったし、今日は部活があるからなー」
「ちゃんと勉強もしろよ」
「はーい」
「じゃあ、鈴さん。行ってきます」
「はい、いってらっしゃい。銀兄をよろしくね」
「もちろんです」
鈴に見送られ、俺とメシエはアダムスキー型UFOに乗り込んだ。
意外なことに、中は広々としていた。入るまでは頭がつっかえないよう注意して、身をかがめていたのに、中ではそれこそ両手を上にあげても天井に届かない高さがあった。丸い床部分も、五割増しで広く見える。
「ふふ、驚きました?」
UFO内を見回して首をひねる俺に、メシエが声をかける。
「驚いた。これは、俺たちが縮んだのか?」
「いえ、ジョージは内部の空間を圧縮できるんです。だから、外から見るよりも中は広いんです。宇宙連邦でも、こういう技術はめったにないんですよ」
メシエは得意そうに解説する。
地球にとっては未知の空間操作系技術は、宇宙連邦ではごく標準的な技術だ。
星と星との間を一瞬で結ぶ超空間転移も、空間操作系技術がなくては実現しない。
また、通常空間での宇宙船の動きも、周囲の空間を引っ張ったり縮めたりして行う。加速による荷重がほとんどなく、一瞬で亜光速まで加速したり、止まったりもできる。ただし、加速・減速どちらの場合も慣性吸収装置に運動エネルギーの変化を食わせる必要があり、無制限に加速・減速ができるわけではない。
「一般の宇宙船ですと動力までですけど、ジョージは始祖の船の子供ですからね。こうやって内部の空間を安定して安全に圧縮できます」
メシエがリモコンを操作すると、床や壁が一気に透明になった。
満天の星空。
そして、足下に浮かぶ青い地球。
「おおっ?」
俺とメシエがUFOに入って、数分と経過していない。
衝撃や加速も、まったく感じなかった。
なのに、今の俺は宇宙にいる。
足下に見える地球は、国際宇宙ステーションからの写真で見るよりも小さいので、高度は数千キロメートルくらいか? 地球の大きさがよく分かる。
――今の俺は、この惑星の代官なのか。
なんともぞっとしない話だった。
ろくな能力も職歴もない――すまんこって――三十にもならない若造が、地球人七十億の運命を握ってしまっているのだから。
俺は自分の右手を見た。
ぐんぐんと遠ざかっていく足下の地球に、右手を伸ばす。
地球は俺の掌に隠れるほど、小さい存在となっていた。
「これもまた、運命か」
俺はうそぶいて目を閉じ、ぐっと力を込めて掌を握りしめた。
もにょん。掌におっぱいの感触。
「きゃっ?!」
あ。
あわてて目を開いてメシエを見ると、嫁(予定)は胸を押さえ、涙目でぷるぷると震えて俺をにらんでいた。
「すまん、メシエ! ついうっかり!」
この異能の力、発動をもうちょっと制御できないと危険すぎるぞ。
しかも今のは、かなり強く握ってしまった。
「目を」
メシエが俺をにらんで言った。
「目?」
「目を閉じてください」
「あ、はい」
目には目を。
歯には歯を。
異能には異能を。
古代バビロニアのハムラビ法典は、復讐の連鎖を止めるため、報復の限度と方法を定めたものだという。夫婦(予定)喧嘩への適応はぴったりかもしれない。
俺は諦めて目を閉じた。
はたして耳か? 鼻か? 唇か?
がぶ、がぶ、がぶり。
「いだだだだだーっ」
みっつ同時だった。
ハムラビ法典的の精神からすると過剰な報復な気もするが、悪いのは俺であるから甘んじて受けた。
「始祖の船に到着したら、銀河さんの力をもうちょっと……発動の方だけでも抑えられないか、調べてみますね」
「助かるよ」
俺が目を閉じて右手を握るだけでメシエのおっぱいが揉まれるのでは、俺はともかくメシエの気が休まるまい。
「ところで、始祖の船はどこらへんにいるんだ?」
「地球人に見つからないよう、月軌道のさらに向こうに停泊してあります。もうすぐですよ」
「じゃあ、その前に朝食にしよう」
「はい」
UFOの床からせり出してきたソファに並んで座り、鈴が持たせてくれたおにぎりとお茶で簡単な朝飯にする。
「鈴さんが、三角のおにぎりは梅干しだって言ってました」
「丸いのがオカカか。じゃあ、三角のは俺が食べよう」
「はい、どうぞ」
おにぎりに伸びた俺の指が、メシエの指と触れる。
「あ――」
メシエが指を引っ込め、顔を赤くする。初々しいなぁ。
「メシエは、男には慣れてないみたいだな」
「はい。皇族でしたから、どうしても。友達はいても、恋愛感情につながるようなことは私自身、避けてました」
照れて顔をうつむかせていたメシエが、ちらっと俺を上目遣いで見る。
「こういう気持ちは、銀河さんが初めてです」
「なんだか悪い気がするな。こういう男が最初で」
俺は右手を顔のところまであげ、頭を下げるようにぺこり、と手首を曲げた。
顔が赤いまま、メシエは俺の右手を取り、その指を自分の唇に当てた。
「それなら、私だってこういう女ですよ?」
俺は人差し指と中指で、ぷにっとしたメシエの唇をなぞる。
「男と付き合ったことがないなら、ひとつだけ忠告がある」
「はい?」
「こういう仕草をされると、思わず抱きしめたくなるので、危険だ」
「では、銀河さんだけにしますね」
ぎゅっ。
ほら、思わず抱きしめてしまったじゃないか。
「あの銀河さん……ちょっと苦しいので……」
「あ、ごめん」
俺は力を緩めようとした。
「いえ……もっと……もっとぎゅっと……してください」
ぎゅーっ。
はふっ、とメシエが幸せそうに吐息をもらす。
なんだろう。この、いいように操られていて、しかもそれが嬉しい感じは。
「きゅ、きゅーっ」
UFOの鳴き声。
「?!」「!!」
がばっ、と俺とメシエは勢いよく離れた。
そうだった。このUFOは生きている宇宙船なのだ。
その中でいちゃつくのは、俺とメシエにはちょっとレベルが高い。
「ジョージは何だって?」
「もうすぐ到着するそうです」
「え?」
もう? と続けようとした時、何かが体の中をすり抜ける感覚があった。
「おうっ?」
「銀河さん?」
ふらついた俺を、メシエが支える。
『心配はいりません、メシエ様。そこの地球人を細胞レベルでスキャンさせていただいただけです。危害を加えてはおりません』
頭の中に思念の形で声が聞こえた。
「大マゼラン! 不躾ですよ!」
『申し訳ありません。これは定められた安全規定ですので。そしてお帰りなさいませ、メシエ様……よく来ました一星銀河』
俺への呼びかけだけ、どこかぞんざいな思念が届く。
「メシエ、この声は?」
「ここは始祖の船です。そして、この思念は、宇宙船を管理する頭脳体の片割れである大マゼランです」
UFOを降りると、そこは庭園だった。
木々が生い茂り、足下には色とりどりの石を敷き詰めた小径が。そして水の匂いとせせらぎの音が聞こえてくる。
「こちらにどうぞ、メシエ様……と地球人。お茶の用意をしてあります」
半分透けた、ホログラフ映像の女性が現れた。外見は二十代半ばくらいの、古代ローマ風のトーガに似た衣装をまとった女性だ。美人だが、目にやや険がある。
足下の石が柔らかく発光して行き先を示す。
俺はメシエに促され、歩き始めた。空気は呼吸可能で、爽やかな香りが漂っている。大気組成が地球と違うかまではわからない。重力がわずかに小さい感じがしたが、これは錯覚かもしれない。天井があることをのぞけば、宇宙船の中らしい様子はない。
庭園を数十メートルほど歩くと、丸い天井の四阿があった。
瀟洒な椅子があり、足がなく、宙に浮いているテーブルの上にカップや急須らしきものが置いてあった。
座って、お茶を飲む。ほんのりと甘く、そして後口がよい。
「ふーむ」
「どうしました、銀河さん?」
ここまで、メシエは実に自然に動き、俺を誘導し、そしてお茶をふるまってくれた。
その立ち居振る舞いには、さすがは五万年の伝統を持つ皇族だと、何らバックボーンのない俺にさえ思わせる、文化的な蓄積が感じられた。
「いや、メシエがお姫様であることを今さらに感じていたんだ」
「そう――」
「そうでしょうとも!」
小首を傾げたメシエの声を遮るようにして、俺の目の前に出現したホログラフの女――大マゼランが叫ぶ。
「メシエ様は、ネロス皇家の第二皇女! いずれは皇家にふさわしい良き伴侶を娶られ、バン皇子様と共に次世代のネロス皇国を支えられる方だったのです。それが……それが、どうしてこのような、銀河の辺境で暮らす蛮族に輿入れすることになったのか……」
よよ、と泣き崩れた後、ぎっ、と歯ぎしりの音をたてそうな顔で――いや、実際に聞こえてきたので、このホログラフは効果音を出せるようだ――大マゼランが俺をにらむ。
「ですが、今からでも遅くはありません、一星銀河。あなたが一言、同意すると言えば、この私があなたを完全な機械の体に移植してあげましょう。千年の長寿を約束しますよ。ネジの体とかどうです?」
「この元の体はどうなるんだ?」
「汚物は原子分解処分する規則です」
うわー……。
この女、ガチだ。
「冗談にしても、失礼ですよ大マゼラン!」
「ですがメシエ様。いくら法律の形式上だけとはいえ、未開種族がメシエ様とご婚姻したことが公になれば、どのようなスキャンダルになることか。メシエ様に指一本触れられない、手も足も目も、思考力もない機械の体にしてしまえば、どのようにも処理――もとい、あやまちが起きる心配もなくなります」
さすがは、五万年の歴史を持つ銀河の名家。
宇宙船の病み具合も、いろいろと蓄積が半端ない。
「必要ありません! 私と銀河さんは、形式だけでなく本当の夫婦になるのですから」
「えっ」
あ、一瞬。ムンクの叫びみたいな顔になったぞ。ホログラフとはいえ、器用だなぁ。
「ですから、あなたも銀河さんには礼節をもって――聞いてますか、大マゼラン?」
大マゼランは呆然と宙を見つめ、何事かをぶつぶつと呟いている。
「そんな、私の姫様が……わずか二日の間にいったい何が……まさか、野蛮で原始的な種族特有の、アンスピーカブルで、くっ殺行為に姫様が汚され……許せません」
ぎろりっ。
二倍くらいに膨れ上がった目で、大マゼランが俺をにらむ。わなわなと指が震えている。
「いえ、落ち着くの。そして考えるのよ大マゼラン。今からでも遅くはないわ。始祖の船の管理頭脳体として緊急事態を宣言して、警備ロボを使ってこの地球人を捕らえ、原子分解処分にすれば――」
大マゼランが本気でやばいことを早送りの速度で口走り始める。
「やめろ、バカ姉貴」
げしっ。
妖精の羽根のようなものが生えた、小さな女の子が飛んできて、手にしたスパナで大マゼランを殴った。
「ほわあっ?!」
ホログラフの映像が乱れ、そして消えた。
「バカ姉貴が失礼した、地球人、いや、一星銀河殿」
「君は?」
「私は小マゼラン。この船の頭脳体だ。姉の大マゼランが情報系や居住システムなどのソフトウェア担当。私が機関や兵装などのハードウェア担当といえば、だいたい合ってるかな」
スパナを棍棒のように肩に抱えて小マゼランが頭を下げる。ホログラフの姉と違い、こちらは小さいながらも肉体を持っているようだ。
「助かったよ、小マゼラン。さっきから原子分解されそうになってね」
「まあ、普段は無害な姉貴だから許してくれ。それと、お帰りなさい、メシエ姫。ジョージだけ帰ってきたんで、心配してたんですよ。姉貴が、この船のカモフラージュ解いて地球へ姫様を救いに行くとか言いだして、なだめるの大変だったんですから」
「ありがとう小マゼラン。でも、大丈夫でしたから――銀河さんのおかげで」
さりげなく夫(予定)をたてる妻(予定)。
本当にいい子だなあ。
俺にはもったいない。
でも誰にもやらない。
「へえ、銀河殿が――始祖の腕輪に認められているようですし、ただ者ではないとは思いましたが」
敬意のこもった目
すみません、ただ者です。
少しばかり心苦しい。
地球人は七十億いる。その中での俺は特別劣った存在ではないと思いたいが――何せ、この年齢まで健康に育ち、大学教育まで受けることができ、日本というそれなりに文化的、経済的、技術的な蓄積のある社会で暮らしてきたのだ。
だが同時に、ハリウッド映画の主人公のようなアクションも、小説の主人公のような異世界に行ってチートができる知識や経験も、俺は持ち合わせていない。
俺ができることは、地球にいる人間のうち、一億人くらいはできる。
小心者としてはありがたいことに、俺への分不相応のヨイショはすぐに終わり、小マゼランとメシエは、メシエが留守の間の情報を交換していた。
「転移座標周辺に異常はありません。ワールにせよ、それ以外にせよ、この星系への追跡者はいません」
「ネロス星系の情報は?」
「混乱しているようです。旧植民地諸国も、何があったのか把握しかねているようで」
「それはそうでしょうね。ワールの反乱など五万年の間、一度もなかったことなのですから」
「それで姫様、銀河殿と結婚をされたということは、銀河殿がソル星系の代官になられた、と考えてよろしいのですね?」
「はい。銀河殿の認可を受ければ、太陽系への移住はすぐにでも可能です」
メシエと小マゼランの視線が、俺に向けられる。
俺は腕組みをした。
「メシエ。そして小マゼラン。まず俺の立場と考えを言う」
「どうぞ」「うん」
「俺はメシエの味方だ。メシエの幸せを最優先する」
「あ……はい」
メシエが嬉しそうに顔を赤らめる。
「だが、ここからが問題なんだ。地球にはストーカーやDV問題みたいなのがあって、相手の幸せを優先していると本人は思い込んでいても、その行動が相手を苦しめたり、結果がついてこなかったりすることがある。えーと――自動翻訳はうまくいってる?」
「はい。ネロスにも、似た問題はあります」
「うちの姉貴とかね」
苦笑する小マゼラン。
「で、地球人である俺には、自分の決断と行動がもたらす結果を推測する情報の蓄積が圧倒的に欠けている」
たとえば、今後の地球とネロスの関係を良好にするために、俺がここからホワイトハウスに連絡をとって、ジョージに乗ってメシエと一緒にアメリカ大統領に会いにいったとしよう。
はたしてどうなるだろう?
アメリカといきなり戦争にならないとしても、ことがことだ。
捕まるかもしれない。仲良くなれるかもしれない。
どんな場合にせよ、取引を持ちかけられるのはほぼ確実だ。アメリカにはアメリカの立場があり、利害がある。大統領個人にも人生の目的がある。それらは、俺やメシエの人生や、ネロス皇家の復興などとはまた別に、でも、確かに存在するのだ。
そしてアメリカに目的や利害があれば、世界の他の国にも同じものがある。そして宇宙連邦の知識と技術は、今の地球にとってあまりにも強大で、価値がありすぎる。
互いに違うベクトルの価値観や目的がぶつかりあえば、どうなるか。
あまりに不確定要素が大きすぎ、しかも、結果は不可逆な変化を生む。
「よって、本当ならば――今は両者の関係を進めるよりも、現状維持が望ましい。俺がいろんなことを学び、地球もまた、宇宙についていろんなことを学ぶ。それこそ、一世代とか二世代かけて。その上で、どのような関係を築き、暮らしていくかを地球とネロスの皆で決めるのが良いのだろうと思っている」
メシエと小マゼランが顔を見合わせる。
表情から、困っているのは明らかだ。
「不満か?」
「ええ、不満ですわ!」
ひゅんっ、とホログラフの大マゼランが出現した。「あ、復活した」
大マゼランは白黒の少し解像度の粗い状態で俺をにらむ。
「メシエ様の願いは、一日も早い、ネロス皇家の再興。この船で眠りについている三億の民を目覚めさせ、ソル星系に安住の地を作り出すことですもの。それが何ですか? 現状維持? なぁぁああんんせぇぇぇんすっ! かーっ、ぺっ!」
痰まではいたぞ、このホログラフ。
続いて、大マゼランの表情が真剣なものになる。
「ですが、一星銀河。あなたは正しい。善意で行動すれば、良き結果が訪れる――個人としてはともかく、為政者がそれでは破滅とタップダンスです。これまでも多くの未開種族が、宇宙連邦への参加を急いで破滅しました」
「でもよ、姉貴。ネロスの民をこのままにはできないぜ。そりゃ、船内を空間拡張した上で時間凍結してあるから百年でも二百年でも現状維持は可能だけど、その維持にこの船の余剰動力は空っ穴だ。もし、どこからか追っ手が来れば抵抗もできずに白旗だぞ」
小マゼランが、船内の監視カメラの映像をテーブルの上に投影した。
ずらりと並んだカプセルの中で、人々が眠っている。
「三億と百二万五千百九十一人。これが生き残ったネロスの民の全員だ。彼らの止まった時を戻すのは、私たちの義務なんだ」
映像を見て、膝の上でぎゅっと拳を握ったメシエが、俺の方を向いた。
「銀河さん。私も正直に言います。私にとっての最優先は、このネロスの民です。私自身よりも、そして銀河さんよりも、ネロスの民に対して私は責任があります。銀河さんのお考えはわかった上で、私は彼らのための国を作り出さなくてはいけないのです」
「うん。ならばそうしよう」
「え?」
議論になると思っていたのか、拍子抜けした顔でメシエが俺を見る。
「現状維持が良いというのは、俺の価値観だけでのことだ。メシエの価値観がそれとぶつかるなら、調整は可能だよ」
「調整といいますと?」
「地球とネロス、双方に互いを知る時間が必要だという俺の考えは変わらない。今の地球に、宇宙の技術や知識が無制限に入ってくれば、大混乱は必至だ。だから、ネロスの人々を目覚めさせても、地球との交流には制限を設けたい。これは地球の側からも同じだ。具体的な方法については、まだ考えている途中だけどね」
「私はそれでいいと思います。大マゼランの考えはどうです?」
メシエに問われ、大マゼランは難しい顔になった。
「気に入りませんが、否定する根拠がありません。小マゼラン、その場合のソル星系への植民の手順はどうなります?」
「そうなれば、一度に大勢を目覚めさせるわけにはいかないね。ねえ、銀河殿。地球の極地とか砂漠とか海の上とかに、地球人がはいってこない未開の場所はないかな? 居住可能な大気と水がある惑星に簡単な植民地を作ることができれば、かなり初動が早いんだけど」
「現時点では許可できない――ソル星系代官にはその権限があるんだよな?」
俺が大マゼランに確認すると、大マゼランは嫌な顔になった。
「まったくもって気に入りませんが、その通りです」
なるほど、と俺は思った。
大マゼランはメシエに対する偏愛はあっても、基本的に理性的な存在のようだ。仕事に関しては信用がおける相手だと考えていい。
「うーん、銀河殿と姉貴がそう言うならしょうがないか。あ、月! 月は使っていい?」
「それは許可しよう。ただし、当面は地球から直接は見えない裏側のみ」
「月という土地と資源を使わせてもらえるなら、文句はないよ」
小マゼランは、工程表めいたものを机の上に投影した。
「まずは船内の工作用ドロイドを月面に降ろして、月の資源を加工して各種資材の生産工場を作る。最初に建設するのは、凍結している人々の保管と再生センター。これを作って、三億の民をそちらに移動させる。それから再生センターで開拓に従事する人や技術者を優先して月に百人単位で凍結解除。植民都市を建設する」
グラフが表示される。時間凍結されている人と、再生されて目覚めた人の数を示すグラフだ。最初はゆっくりのグラフだが、植民都市が建設され始めると、一気に急勾配を描き、三億の民が目覚めることになる。
「タイムスケジュールは?」
メシエが聞くと、小マゼランはグラフを拡大した。
「最初の植民都市建設まで三年を目処にする。ここまでで十万人。三億人全員が目覚めるのは今の条件のままなら十年後だよ」
「三年後、そして十年後、ですか……あの、銀河さん……」
「ん?」
「私たちの結婚の儀式は、三年後に建設される最初の植民都市でしたいのですが」
ううむ。
三年後かぁ。
今、二十八だから、三十になっちゃうなぁ。
いや、三十才で結婚というのは、今の日本で遅いわけではないんだが。
「いいよ」
そう答える以外に俺としては選択肢がない。
メシエの幸福を考えれば、彼女の民であるネロス人の祝福を受けて結婚することは大事だ。となれば、ネロスの人々が凍結状態の間に結婚しちゃうのは、やはりよろしくない。
俺は大マゼランを見た。
「――なんですか、一星銀河。私に何か言いたいことでも?」
大マゼランが俺をにらみ返す。
これが現時点でのネロス人の、俺に対する一般的な反応とみて間違いない。未開種族の男が、流浪の民を抱えた皇女の窮地に付け込んで結婚した、くらいは思われるのを覚悟しなくては。
三年後に植民都市を建設する。
これはソル星系代官としての俺の実績になる。そうした実績を重ねていけば、俺への評価も上向くだろうし、結婚相手として俺を選んだメシエの判断の正しさを証明することにもつながる。
「大マゼラン、この三年の間に、メシエを心変わりさせて結婚を阻止しよう、とか思ってる?」
俺が聞くと、大マゼランは目を丸くし、そして、ぽん、と手を叩いた。
「その手がありましたか!」
「気付いてなかったのか?」
「さすが地球人。蛮族だけあって奸知に長けていますね。勉強になります」
「大マゼラン! まだそんなことを!」
「諦めてください、メシエ皇女。姉貴は、五万年前から、だいたいああです」
その後、植民都市建設に関して相談したり、過去の未開種族の銀河文明への参加の記録をもらったりと忙しく過ごしたが、最後に問題が生じた。
他ならぬ、メシエの地球での生活である。
メシエは地球で、それも俺が住む鈴のアパートに部屋を借りて暮らすと宣言したのだ。
「危険すぎます!」
大マゼランは強硬に反対した。
「私も賛成できないよ、姫様」
小マゼランも納得しかねる様子だった。
「必要なことなのです」
メシエは断固として譲らなかった。
「三年後に最初の植民都市が月にできてからの私は、そこで暮らすことになります。ネロスの新たな皇主として即位し、人々を導かねばなりません。私が地球で暮らせるのは、これからの三年だけです」
「地球についての情報ならば、他の方法でも手に入りますわ。そのための代官で、そのための一星銀河でしょう!」
「情報は、あればいいというものではないのです。それに基づいて、私は決断しなくてはいけません。銀河さんがおっしゃるように、これから私は、本当ならもっと時間をかけねばいけないことを、拙速で決めることになります。そのためには、私の中に指針が必要になります。地球のことを知らずして、地球の未来を決めることは、ネロス皇家の矜持にかけてもできません」
ここぞ、と心を決めた時のメシエは強い。
レオという戦闘ドロイドと戦った時も、情報空間内で超越体と対峙した時もそうだった。
「ああもう、ネロス皇家の人たちは頑固すぎます!」
「銀河殿も何か言ってよ。私は、銀河殿でさえ、このまま地球で生活することは危険だと思っている。始祖の船で姫様と一緒に暮らして欲しいくらいだ」
「はい。メシエ様と一緒というのははなはだ不本意ですが、隔離室を用意しますので、乗船することを許可いたしますわ」
大小マゼランが、俺に支援を求めるほどである。
「俺やメシエが地球で、それも鈴のアパートで暮らすことが危険なのは間違いない」
俺はしばらく考えてから口を開いた。
「メシエの正体や俺の立場は、隠そうとしてもバレるものと思った方がいい。今の地球人は、そういうのがいつまでも隠せるようなボンクラじゃない。そして、俺たちの価値はあまりに高い。国家や企業、テロリストも含めて色んな連中が危険を冒してでも手に入れたいと願ってしまうほどに。メシエが地球の人々の暮らしを見たいと思う以上に、地球の側はメシエを通して宇宙の知識や技術を知りたいと思っている。あまりにアンバランスなんだ」
「銀河さん!」
「いや、メシエ。そこは認めないと、二人も納得できない」
相手にとっての自分の価値を見誤ると、悲劇に終わる。
これを俺は、さんざん失敗に終わった自身の婚活で学んできた。
高くみても、低くみてもダメだ。
「でも銀河殿。そこを認めちゃうと、結局は始祖の船にいた方がいい、ってことにならないかな? 相手にとって価値がありすぎて、どうやっても危険なんだから」
「そうですわね。ネロス皇家の皇女であるメシエ様の価値を下げることなど、誰にもできません。それに一星銀河、あなたの価値はメシエ様にとうてい及びませんが、地球人であるあなたなら、同じ地球人同士ですから拉致監禁、拷問洗脳、親族を使っての泣き落としに、富や権力を与えての誘惑まで、いくらでも手を打ってきますわよ」
大マゼランはそう脅した後、「悪いことはいいませんから、この船にいなさい。少しは待遇の改善も考えます」とまで言った。
うん、根っこのところでは善人なのだな、この残念美人は。
「ふたりの言う通りだ。地球人である一星銀河は、メシエのこととは無関係に、地球で暮らすのが危険すぎる人間になってしまってる」
しみじみと、自分が漫画なんかに出てくる秘密結社とか超法規的組織のメンバーでないことが悔やまれた。そういうのであれば、組織のバックボーンを利用して隠蔽工作ができただろう。外部からの介入にも手が打てたはずだ。こういうのは結局のところ、個人で何とかできる問題ではない。大勢の人間を使い、本気で動く組織を相手にできるのは、やはり大勢の人間を使える組織だけなのだ。
「だから、まず。最初の一手で」
俺はメシエを見た。
「一星銀河は、死ななきゃならない」
そう、宣言した。
次回『皇国再興:宇宙からの訪問者編』