『皇国再興:目覚めし異能の力、あるいは鎮まれ俺の右手編』
五万年の歴史を持ち、銀河系オリオン腕に長くその名を轟かせてきたネロス皇国。
その皇女であるメシエ・N・ジェネラルと婚姻の誓いを交わしたのが、この俺、一星銀河である。
正式な婚姻の儀式はまだだが、俺は暫定的にネロス皇家の一員となり、ネロスの保護領である地球を含む太陽系の代官となっている。
つまり、今の俺は地球の支配者なのだ。
「いただきます」
その地球の支配者である俺が、深夜に木造のおんぼろアパートの一室で、ひとりわびしくコンビニ弁当をつついている、この光景。
何かがすごく間違っている気がする。
『仕方がないだろう』
俺の右腕にある金の腕輪が声にならないメッセージを俺の中に流す。
『お前が地球の支配者なのは、宇宙連邦の法の下でだ。地球の法ではないし、そもそも地球には統一された法も政府も存在しない』
「そこは俺も納得してるよ」
俺がもしここで、インターネットで己の立場を公開したらどうなるか。
できの悪い冗談だと思われたり、バカにされるのはまだ良い方で、一番ありそうなのは「アレは危ないから近づかないでおこう」という反応だろう。
「だいたい俺は権力や金が欲しいわけじゃない」
コンビニ弁当を食べ終え、ゴミを仕分けて袋につめる。ゴミの日は数日先だが、明日はメシエと一緒に宇宙へ行く予定だ。数日を留守にするかもしれないので大家の鈴にゴミ袋は預けておかないと。
鈴のことを思うと、気持ちがモヤモヤする。
正しくは、鈴と一緒に大家の部屋にいるメシエのことを思うと、だ。
『ダメだぞ』
「何も言ってないぞ」
『お前の表層意識に、初夜という概念と、おっぱいという概念が満ち溢れた。口には出さなくても十分すぎる。そういうのは、婚姻の儀式を済ませた後だ』
「その……エッチなことをしようというのではないのだ」
『なら、何をするのだ』
疑念に満ちた思念が俺の脳内に伝わる。
「こう、抱き枕というか――」
口にしたとたん、奔流のようにメシエのおっぱいに関する記憶があふれ出す。
UFOから降りた時のウェディングドレスに強調されたおっぱい。
時間を超えてきた戦闘ドロイドのレオと戦う時に揺れたおっぱい。
翌朝、鈴から借りた寝間着代わりのジャージを下から押し上げるおっぱい。
過去の映像で見た、故郷の星のブルマ付き体操着に包まれたおっぱい。
白いドレス型の鎧装をまとい、情報空間の闘技場で戦っていた時のおっぱい。
『……なぜ我には、こいつの脳の一部を焼き切る権限がないのだろう』
無念きわまりない、という思考が俺の頭の中に伝わる。
「しみじみ言うなよ! 怖いよ! それに頭の中にまで文句つけられたくないよ!」
『とにかくダメだ。メシエのことも考えて、今は我慢しろ』
「そりゃあ、まあ。俺がメシエと結婚したのは、彼女を幸せにするためだ」
『ならばわかるだろう。メシエには三億の民と共に皇国を再興するという目的がある。それを軌道に乗せるまでは、いろいろまとめて全部お預けだ』
「むむむ……わかった……だが……」
『だが、なんだ?』
「せめて、預けている分の利息というか配当というか……」
『……』
自動翻訳さえされない、圧倒的なため息の気配。
「おい、どうした?」
『我はしばらく休む。ケースⅥ(ウルトラレア)鎧装で消耗したからな。お前も休め。できれば――をして回復――お前にはその力が――』
自動翻訳が途切れ途切れになる。
「ん? なんだ?」
ふっ、と腕輪から意識が消えた。それっきり、何の反応もない。
「やれやれ……勝手なことばかり言いやがって」
床に敷いた畳を見る。
この下の階に、メシエがいる。鈴も一緒だ。
そろそろ日付が変わろうとしている深夜。メシエと鈴はもう寝ているだろうか。
それとも、布団の中で飽きもせずにおしゃべりをしているだろうか。
メシエと鈴。同性で同世代。
しかも、二人の間に利害関係や身分の上下とか、煩わしいものはまるでなしだ。
「女の子には、そういう友達が大事だよな。いや、男もだけど」
故郷を離れ、この町で暮らすようになって十年。友人・知人はそれなりにいるが、さて、現状で胸襟を開いて話せる相手がどれだけいるか。
俺が巨乳で星のお姫様な女の子と結婚して、地球の代官になったとか言えば、心優しい我が友人どもは俺がフられ続けたあげく精神を病んで現実と妄想の区別がつかなくなったと判断するに違いない。
そして、たとえメシエに会わせて証言させたとしても、疑い深い我が友人どもは俺が手のこんだ詐欺にあって騙されていると結論づけるに違いないのだ。
……どれだけ信用ないんだ、俺。
「信用してくれそうなのは……チョー先輩か」
俺は、このアパートの二階の端にいる住人を思い浮かべた。チョー先輩こと、長部重太郎を。チョー先輩は俺が大学に入学した時点で、すでに七年くらいこのアパートに入っていた。俺にとってこの町で最初の友人である。
しかも十年たった今も、どうやってかまだ大学に残っている。実家がけっこうな資産家ということもあり、かなりフリーダムな人生を送っているようだ。
問題は、チョー先輩の場合、俺の言うことを信用してくれるだろうが、その結果、何をやり始めるか想像もつかないということだ。
「ま、始祖の船とやらに行って、もう少し情報を得てからだな」
俺はごろり、と布団に横になった。目を閉じて睡魔が訪れるのを待つ。
ごろり。ごろり。ごろり。
右へ、左へと寝返りをうつ。
「……眠れん」
肉体も精神もずいぶん疲労しているのに、一向に眠りが訪れようとはしなかった。
この二十四時間でずいぶん色々なできごとがあった。命の危機すらあった。
脳の原始的な部分が、その命の危機を覚えていて、睡魔を追い払っているのだろうか。
ごろん。
俺はうつぶせになった。この布団の下、畳の下、床の下にはメシエが眠っている。
俺は目を閉じ、何の気なしに布団の上で掌を動かしてみた。
むにょん。柔らかく弾力のある、おっぱいの感触が右の掌にあった。
「へ?」
俺は目を開いた。自分の手を見る。もちろん、そこには何もない。
錯覚とは思えないリアルな感触だった。目を閉じ、もう一度、掌をむにっと動かす。
むにょん。
やはり、おっぱいの感触。
目を開ける。もちろん、そこにおっぱいはない。俺の掌の上にあるのは一気圧の空気だ。
今度は、目を開けたまま、掌を動かす。
すかっ。
今度は、何もない。
「ううむ?」
あえて命名するのであれば『目を閉じて、エアおっぱいを揉む程度の能力』か。
俺は左手で同じことをしてみた。こちらは何の反応もなし。
もう一度、目を閉じて右手をわきわきさせる。
むにょむにょ。
やはり、おっぱいの感触がそこにあった。
「これはどう考えるべきか……俺の中に眠っていた異能の力がついに目覚めたのか?」
嬉しいか嬉しくないかと言えば、正直、嬉しい。
俺は中二どころか、その倍の年齢ではあるが、男というものは何才になっても「自分の中には、秘められた真の力があるのだ」と思いたいダメな存在なのである。
しかし、その真の力がエアおっぱいを揉む能力というのは、どうなんだ。
しかも、この能力、まったく役に立たないのだが――癖になる。
さっきから俺の右手は、わきわきしっぱなしである。
何しろ、エアおっぱいとはいえ、なかなか豊満だ。感触も素晴らしい。
そうなると今度は、形状が気になる。学術的な意味で。
これまでは右手全体で揉んでいたが、形状を把握するには指先でなぞる必要がある。
俺は目を閉じて呼吸を整えた。精神を集中させ、感覚を指先に集中させる。
そしてやおら、指をエアおっぱいにむけて滑るように動かす。
すすすす。
成功だ!
指の腹に、弾力のある肌の感触があった。体温すら感じられるほど。やはり、精神集中の度合いに応じて、感覚も研ぎ澄まされるのだ。
俺は目を閉じたまま、エアおっぱいを指の腹でまさぐる。
――うむ、やはり大きい。そして肌も瑞々しい。滑らかで……お、ここは乳首か。乳輪は小さいな……
エアおっぱいの乳首を親指と人差し指でつまみ、転がす。
しだいに乳首が硬度を増してくる。
――これはまたリアルな反応だな。まるで本物の……本物の……本物?
ぎゅっ、と見えない乳首をつまむ俺の指に力が入った。
(だめっ!)
頭の中に、思念の声が響いた。
精神集中が途切れ、指先の感覚が消える。
だばっ、と冷や汗が背筋にあふれ出した。
今の今まで、俺はこの力を、自分の妄想が脳内で存在しない触感を生み出しているのだと考えていた。
しかし、その前提が間違っていれば?
俺の右手に宿った能力が、十八禁コミックの二ページ目で女の子に痴漢をするのに使われているような、よくあるアレだったとしたら?
今の今まで、俺はこの力で、誰とも知れない女性のおっぱいを揉んでいたことになる。
それだけでも十分に悪いが、最悪なのは――
だだだだだっ!
アパートの階段のステップを駆け上がるつっかけの音。
ガチャ。マスターキーで扉のロックが外される。
「銀兄ぃっ!」
見るまでもないし、見たくもないが、玄関に目を向ける。
そこには、パジャマを着てバールを装備した鈴の姿があった。
そして、その後ろには顔を真っ赤にして、胸を押さえたメシエの姿が。
ああ、やはり。
俺が揉みまくっていたおっぱいは。
その上、乳首をひねってしまったおっぱいは。
俺の嫁(予定)の、おっぱいであったのだ。
「待て、話せばわかる」
「問答無用っ!」
バールを振り上げて鈴が叫んだ。
脳天をバールでかち割られる寸前、メシエが鈴を止めてくれたので、俺の頭蓋骨と、その下の脳細胞は無事だった。
そして正座をさせられた俺は、バールを持った鈴の怒りの言葉に、ひたすらうなずくだけの首振り人形となっていた。
「もう! もう! もう! 銀兄は、もう!」
「いやもう、ごめん」
「ごめんじゃすまないわよ! もう! メシエさんが顔真っ赤にして『鈴さん、やめて……』って言った時にはどーしよーかと思ったわよ!」
聞けば、鈴とメシエは布団をつなげておしゃべりをしながら眠っていたらしい。
布団の中でおっぱいを揉まれて目を覚ましたメシエが、鈴が眠ったふりをしながらイタズラをしているのだと考えたのは、まあ、理解できる。
「メシエさん、すっごい怖かったんだから! 私も!」
「いやもう、すまん」
「すまんじゃないわよ! もう! これだから! これだから男は! もう!」
鈴は、ばしばしと掌にバールを打ち付けて怒りを強調する。
鈴の怒り、メシエの恐怖はまったく正当なものである。夜中に見えない手に自分のおっぱいを揉まれたら、そりゃあ、怖い。
もちろん、俺にそんな気はなかった。
メシエを怖がらせるつもりも、それどころかメシエのおっぱいを揉んでいるとも思っていなかった。
だが、今そんなことを口にしても意味がないどころか逆効果だ。痴漢をされる側にとって、そこに悪意があるかどうかは何の関係もない。善意があっても悪いことは悪いのだ。
なので俺はひたすらごめんなさいと繰り返すしかない。
「銀河さん」
それまで鈴の後ろで、黙ったまま俺を見ていたメシエが、ようやく口を開いた。
静かで、平板な声。
だがそれは、鈴の怒りの声よりも、俺にとってはこたえた。
「お話があります」
「あ、ああ」
カクカクと俺はうなずく。
「鈴さん、すみませんが席を外していただけますか?」
「え? あ――う、うん」
鈴も、メシエのただならぬ様子に気圧されて立ち上がる。
そのまま部屋を出ようとして、何か気付いたのか、戻ってくる。
「これいる?」
こともあろうに、メシエにバールを差し出す。
幇助! それは幇助にあたるから!
「いえ、必要ありません」
「うん……そっか、じゃあ」
すっかり怒りの抜けた顔で、俺の方に同情の混じった視線さえ向けながら、鈴は部屋を出ていった。
メシエは鈴が出ていった後、ドアのところにいき、部屋に鍵をかけた。
がちゃり。
今、この部屋は密室となった。
「銀河さん」
「は、はははは、はいっ!」
口の中がからからに乾いて舌が回らない。
土下座か?
土下座をした方がいいか?
やるなら、今だ。
男はあやまちを認める機会を逃してはいけない。
そんなことをフィリップ・マーロウだか誰だったかが言ってた気がする。
だが、俺が頭を下げる前に、メシエの方が先に頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「へ?」
土下座に入る途中の、畳の上に手をついた姿勢で、俺はメシエを見上げた。
このローアングルからだと、前屈したメシエのおっぱいが突き出ている構図が素晴らしく――正直、我ながら業が深すぎるとは思うのだが――俺は、メシエが何を言っているのか、よく理解できないでいた。
「銀河さんの右手がそんな風になったのは、始祖の腕輪のせいなんです」
「あ? ああ、なるほど」
言われてすぐに、俺は納得した。
むしろ、腕輪が原因なのではないか、とはずっと疑っていた。
「銀河さん、腕輪を呼んでみてください」
「ん、わかった」
腕輪に心で呼びかける。反応なし。
「おい、腕輪。始祖の腕輪。返事をしろ」
口にしてみる。やはり反応なし。
「このポンコツ腕輪」
悪口も言ってみる。反応はない。
「私の方からやっても同じです。始祖の腕輪は、昼間の超越体との戦いで、エネルギーの多くを失ったのだと思います」
さもあらん。情報空間の中とはいえ、地球を原子分解するほどの兵器を撃ったのだ。
「そのエネルギーとやらは、どうやって回復するんだ?」
「始祖の腕輪は、ネロス皇家と共にあります。伝承では皇家が繁栄すれば、腕輪の力も増し、零落すれば、腕輪の力も衰えるとあります」
「ふむ」
「そして始祖の腕輪は、腕輪保有者、つまり皇主を通してエネルギーを回復します。たとえば、父上は庭いじりが得意でした。千年に一度しか咲かないラガッシュ千年花を、父上が母上の誕生日に咲かせてプレゼントにしたことがあります」
「庭いじりが腕輪のエネルギーを回復させるのか?」
「はい。腕輪保有者が心から欲することを成せば、その時に発生する思念が始祖の腕輪のエネルギーを回復させるのです。父は仕事の暇を見つけては、そう言って庭いじりをしていました」
植物を育てる才能を、グリーンフィンガー、『緑の指』と呼ぶことがある。
メシエの父親はその才能を腕輪によって目覚めさせ、庭いじりをして腕輪に返していたのだ。
――いや、趣味として庭をいじる言い訳なのも、もちろんあるだろうが。
原理は不明だが、うまい手ではある。
だが、メシエの言葉通りだとすると――
「俺が心の底から欲することは、おっぱいを揉むことだというのか……」
俺は、がっくりと畳に手をついてうなだれた。
「大丈夫です! 私は気にしません!」
メシエが拳を握ってヘコむ俺を応援してくれる。
やはりこの子は天使だ。
「でも、臣民に公表はできないよね……」
「そ、それは……はい。無理です」
天使でも不可能なことはある。
妻の誕生日プレゼントに、千年に一度の花を贈る皇主なら、人柄を示す良いエピソードとして、Gライブラリ内の宇宙版Wikipediaに記載されることだろう。
しかし、誕生日だろうがそうでない日だろうが、空中をわきわきするだけで、妻のおっぱいを揉みまくる皇主の夫というのは、宇宙連邦的な基準でみても、ただの変態ではなかろうか。この先、宇宙版Wikipediaに俺の項目が書かれることがあるならば、半分以上が、要出典な怪しい噂話も含め、おっぱいネタで埋まってしまいそうである。
「ところで銀河さん、確認したいのですが」
「うん、なんだ?」
「誰 の 胸 を 揉 ん で る つ も り だ っ た の で す か ?」
「え」
メシエの声のトーンが、明らかに違っていた。
「え、それは、え」
「答 え て く だ さ い」
引っ込んでいた冷や汗が、再び俺の背中を濡らす。
「それは、えと、誰でもなくて――」
「誰 の 胸 で す か ?」
「いや、その、メシエの――」
「私 の 胸 は 知 ら な い で す よ ね ?」
俺の言葉を遮って、メシエが否定する。
「は?」
「え?」
ここでようやく、俺はメシエの勘違いに気付いた。
俺がメシエのおっぱいを実際に揉んだことはない。
それゆえに、メシエは俺が頭の中では別の人間のおっぱいを揉んでいたのだ、と勘違いしたのである。
しかし、誤解が解け、俺がエアおっぱい、つまり自分の妄想のおっぱいを揉んでいる気でいた、と説明しても、メシエの表情は晴れなかった。
「……不公平です」
「何が?」
「うまく言葉にできませんが、不公平だと思います」
「あ、はい」
メシエの立場からすれば、夜中に幽霊みたいなのにおっぱい揉まれて起こされて、さんざん怖い思いをさせられたのである。
エアおっぱいだと思って揉みまくっていた俺と比べると、そりゃ不公平だろう。
一番悪いのは、何の説明もしなかった始祖の腕輪だとは思うが。
そこまで考えて、ふと気が付いた。始祖の腕輪は今、二つある。
「メシエは始祖の腕輪で、何か使えないのか?」
「え?」
「お父さんの『緑の指』みたいな、そういうのはできないのか?」
「……そう、ですね。私も試してみたいことがあります」
メシエはしばらく宙を見上げて考え、続いて流しにかけてあったタオルを取ってきた。
「それは?」
「銀河さんに、目隠しをします」
俺の背後に回り、メシエはタオルで俺の視界を塞いだ。
「そのまま動かないでください。危険ですから」
危険なのか!
黙ったまま、メシエは座ったままの俺の周りをグルグルと回った。
メシエが何をする気なのかわからないので、かなり怖い。
「あの、メシエ……」
「静かにしてください」
「はい」
そして、しばらくして――
かぷ。
俺の耳たぶを、何かが噛んだ。
「うひょおっ?」
耳たぶは、人にとって敏感な部位だ。俺が情けない叫びをあげたとしても、許してもらえるだろう。
「うまくいきました」
得意そうなメシエの声が聞こえる。
「今のはメシエがやったのか?」
「はい」
これには、さすがに意表を突かれた。
耳か?
メシエ的には耳なのか?
それとも、宇宙で暮らす女の子の間では耳が流行なのか?
「どうやら私は、口のようです」
「え?」
耳ではなく、口?
「こういう、ことです」
ちゅっ。右の頬に唇の感触。
ちゅっ。左の頬に唇の感触。
ちゅっ、ちゅっ。両方の頬に同時に唇の感触。
「私は空想の口を使って、相手に触れることができるみたいです」
「……メシエって、キスが好きなのか?」
目隠しされたまま俺が聞くと、しばらく沈黙が続いた。
「……ないしょですよ?」
恥ずかしそうな、メシエの声。
「俺はうれしいけど……臣民に公表はできないよな」
俺の能力に対するメシエの言葉を繰り返す。
「はい!」
ちゅっ。唇に、唇の感触。
「ところで、目隠しはもうとってもいい?」
「ダメです!」
かぷっ。タオルをほどこうとした俺の指をメシエの空想の口が甘噛みした。
メシエの『空想の口でキスをする程度の能力』は、俺の『おっぱいを揉む程度の能力』より、よほど応用範囲が広そうだ。
「なんで?」
「見られたら、たぶん、使えないです」
「あー」
俺が目を閉じて精神を集中させる必要があったように、メシエも対象(俺)に見られると集中が途切れるのだろう。
「それならそれでいいが……いつまで?」
「そうですね……うーん、銀河さんが悲鳴をあげるまで、です」
「おおう」
俺の嫁は意外とSだった。
「だって私、すごい大きな悲鳴をあげちゃったんですよ。その、銀河さんが……先っちょを……」
「つねった時?」
「はい! だから、今度は私が銀河さんに悲鳴を出させちゃいます」
「そりゃ怖いな」
「あ、銀河さん、本気にしてませんね?」
かぷ。耳たぶを甘噛みされる感触。
「首筋とか、噛んじゃいますよ?」
つつつ、と耳から頬にかけて唇が伝わる感触。
くすぐったくて笑い声が出てしまう。
「銀河さん、笑っちゃダメです。悲鳴です、悲鳴」
「いやいや、これ、マジでくすぐったいってば。わははは、やめて」
「やーめーまーせーんー」
「ええい、こうなったら――」
むに。
右手に至福の感覚。
「ひゃんっ?!」
メシエの悲鳴。
がぶり。
「んがっ?!」
舌に激痛が走った。
「銀河さん、卑怯です!」
「それより今、口の中を噛まれたぞ?」
メシエの能力は、口の中にまで届くのか。
「噛むつもりなんかありませんでした! 台無しです!」
「何が台無しなんだ?」
「全部です! 全部っ!」
かぷかぷかぷ、がぶっ。
「痛っ、痛いっ、噛んでる、本気で噛んでる! 耳たぶ! 耳たぶ千切れる!」
こっちも反撃だ。
もにゅもにゅ、きゅっ。
「ひゃっ、あっ、銀河さん、だめっ、先っちょはだめですっ」
「見えないからよくわからないなー」
「嘘です! 絶対に嘘です!」
深夜のアパートは無法地帯。
俺とメシエは、妙なテンションのまま、互いの能力を使っていた。
「はー、はー、はー」
「ぜー、ぜー、ぜー、ぜー、ぜー」
体をよじらせた拍子に、俺の目隠しをしていたタオルがほどけたことで、第一次夫婦(予定)異能バトルは幕を閉じた。
この夜のことは、墓場まで持っていかねばならない。息を整えながら、俺とメシエは示し合わせた。さもなければ、宇宙版Wikipediaに俺たちのことがどんな風に面白おかしく書かれることか。"変態異能夫婦"で検索したら俺とメシエが上位に出るのは、地球とネロスの名誉のためにも避けたい。
「もう……何やってるんでしょう、私たちって」
汗をぬぐいながらメシエが笑う。汗で濡れたTシャツが、胸にはりついているのが見える。考えてみると、あれだけ異能の力で揉みまくっているのに、実物には一度もちゃんと触れていない。
「……」
はっ、メシエが俺をジト目でにらんでいる! 気付かれたか!
「ダメですよ?」
「はい」
「でも、一回だけなら――」
なんですと?
「――と寝る前まで思っていたのですが、今夜の件でやっぱりダメと決定しました」
「おお」
異能の力に溺れ、目の前の欲望に負けてしまえば、真の幸せは手に入らないということか。
苦い教訓だった。
「そうだ、銀河さん。舌は大丈夫ですか? 私が噛んじゃったところ」
「ん~」
口の中で舌をもごもごさせる。違和感や血の味はしない。
「大丈夫だと思う」
「ちょっと舌を出してみてください」
「おう」
俺は舌を出した。
メシエは上からのぞきこむように顔を近づけ――
ぺろっ。
俺の舌を、自分の舌で舐めた。
そして俺を見て、くすっと笑う。
「本当は、こういうのをやってみたかったんです」
「俺の嫁さんが、こんなにキス魔な子だったとは……」
「旦那様が、おっぱい揉みまくる人ですから、仕方がないです」
ぐうの音も出ない正論である。
「それもそうか」
「はい!」
俺は右手を伸ばし――
メシエの顔に触れた。
「メシエ」
「はい」
メシエが目を閉じた。
俺はメシエの唇にキスをした。
「おやすみ、メシエ」
「おやすみなさい、銀河さん」
次回『皇国再興:始祖の船編』