それは転校生という名の、憐れな偶発的犠牲者 (4)
「ふむ。正直あからさまな視覚的刺激には欠けますが、とはいえそれでも充分に痛そうな光景ですね」
「……いつもながら、よくお前はこういうの見て冷静な感想が言えんな……まあ、あの娘が同情すんのも難しいくらいアホの子だってのは、俺でもさすがに認めるけどよ……」
事実上、転校してきたばかりの生徒が二階の窓から飛び降りましたという、字面だけ見るとものすごくショッキングな状況に、ざわめくクラスメイトたちを背にして滑、蓮春、鉄道の三人は箍流が身投げ(この表現が適切かはさておき、事実として)した窓の下を覗き見る。
地面までの距離は大体、5から6メートル。
死ぬには難しい高さだが、無事に済むのも難しい高さ。
そしてやはり、箍流も無事とはいかなかったらしい。
コンクリート・タイルの敷き詰められた教室裏手の地面の上。
そこを箍流は体を丸め、右足を両手で庇うように押さえながら声も出せずに転げまわっていた。
着地の際、足をやってしまったのだろうことは誰の目にも明らかである。
「にしても、どうしましょう。いつもだったらこういう場合は放っておくんですけど、あの娘は色々と面白そうですから下手に使い物にならなくなっても退屈ですし……」
「頼むからお前はもう少し人道的見地で事を考えろ。仕方無えな……本音を言うと、俺もあの娘とはお前ほどじゃねえけど関わり合いになりたくねえが、これからクラスメイトになろうって娘を見捨てんのも夢見が悪いし、助けにいくか……」
「すいません蓮春君。今、なんて言いました?」
「(お前ほどじゃねえけど)関わり合いにはなりたくねえって言った」
「……そこ、強調する必要のある部分ですか?」
「すまん、言い間違えた。(お前に比べたら可愛いもんだけど)関わり合いにはなりたくねえ、だ」
「……」
デリカシーの無い蓮春の発言と、過剰すぎる(というより、自分の今までの行動を棚に上げた)反応により、何故か主題を外れて二人の間に険悪なムードが流れる。
一触即発……といった危険性は無さそうではあるが、鉛のような沈黙で場を満たすその行為自体は当人たちに限らず、居合わせた無関係の人間の精神衛生を最悪化させる意味では充分に暴力的と言えよう。
だが、
ここでも彼の無防備な善意が仕事をすることになる。
手頃道鉄道。
常に空気を読まず、厚さ0.03ミリの驚異的な考えの浅さを武器に生きる彼によって。
二人の隣で様子を見ていた鉄道は、漂う空気の悪さに気づくとすぐさま、
「まあまあ、お二人さんさあ、こんな時に痴話ゲンカなんてしてる場合じゃないっしょ。そゆのは後にして、今はとっととタガリン助けに行こうぜ?」
そう言って、どんよりとした空気を吹き飛ばすと同時、蓮春の頭にクエスチョン・マークを発生させた。
「タ……タガリ……ン?」
「だってあの転校生、箍流チャンてんだろ? だからタガリン。何かおかしいか?」
「い、や……別におかしくはねえけど、もう少し考え……」
「ナイスです鉄道君。たまには良い仕事もするんですね。見直しました」
「お、聞いたか? テッチン。スーチャンのお墨付きだぜ。やるね、俺も」
「そ……お前、それ絶対に悪意……」
「さあ、では早速タガリンを助けに行くとしましょう。先生、すみませんが少し授業を抜けさせていただきます。大事な転校生であり、これからはクラスメイトとなるタガリンを救いにゆかねばならなくなりましたので」
後で確実にあだ名をネタに箍流をからかう気なのが明白な滑へ対する蓮春の言葉を長閑かに無視し、当の滑はいつも通りのアグレッシブさで行動を開始する。
が、靡はこういった流れ(今回ほど急激な展開は過去にそう何度も無かったが)を利用して滑が行動した結果、まず100パーセントの確率でろくなことにならないのを体験的に知っていたため、お茶を濁すように滑の動きをやんわり抑え込もうと試みた。
のだが、
「あ、いえ……何もそういったことは獄門坂さんがしなくても、保健委員の人が……」
もはや既視感すら覚える展開だが、あと少しで靡が言い終えようかとしたその直前、
パンッ!
やはりというべきか、今度も食い気味の発砲音が響いたと同時、
教室の一角で一人の男子生徒が机上に突っ伏する。
唖然とし、ただ見つめることしかできない靡の視線を受けながら。
2年D組、椎川泥太郎。
死因は保健委員だったからという、現実の不条理を体現したような最期だった。
いや。
考え方によっては、彼の不幸は2年D組に編入された時点で決まっていた……ともいえるかもしれない。
とはいえ、
そういうことで言えば、何も不幸なのは彼に限ったことではない。
もちろん、それは単に犠牲者の増加を予見しているだけでしかないのだが。
「はい、これでタガリン救出に専念でき……と、まだやり残しがあるのを忘れるところでした。危ない危ない」
「は? スーチャン、他にもまだしなきゃなんないことなんてあるっけ?」
「しなくてはいけないどころじゃありません。これを済ませてからでないと次に何もできません」
「そんな大事なこと?」
「ええ。で、確認なんですが鉄道君。先ほど私と蓮春君の言い合いを(痴話ゲンカ)だと言ったのを覚えてます?」
「あー、そういや言ったね。うん」
「良かった。もし後になって聞き違いだったりしたら、さすがに私も心が痛みますから。では、とりあえず鉄道君。お手数ですけどもう一度タガリンを見てもらえますか?」
「ん……どうした? タガリンが何か……」
言われ、鉄道が窓側に身を向けて見下ろす態勢になったその途端、
無言で滑は鉄道の背後から腰のベルト部分を片手で掴むと、
一気に持ち上げたと思うや、鉄道を窓の外へと投げ落とした。
ちょうど鉄道の窓枠へ当たった腹部を支点に、グルンと半回転させる形で。
この瞬く間も無くおこなわれた凶行があまりに鮮やかに、しかも手馴れて為されたため、蓮春を始めとしたその場の目撃者たちは絶句などという生易しいものではなく、まず思考自体をする暇が無かったほどであった。
途端、
その思考が再び始まる猶予を与えることなく、滑はなお呆然と立ち尽くした蓮春の手を掴むと、今朝の寮でのやり取りと同じように彼の意志など関係無しとばかり、ズルズルと引きずって教室のドアへと向かう。
「あ……れ? え? テッチン……?」
「大丈夫ですか? 蓮春君。私は鉄道君ではなくて滑ですよ?」
「や、違って……そうじゃなくて……テッチンは……?」
「知りません」
「え、いや、だってさっきまで一緒に隣で……」
「知りません。覚えてません」
「だって……」
「知りません。覚えてません。思い出せません」
ほとんど無意識で発せられる蓮春の質問を袖にしながら、滑はただ箍流と鉄道の転がる一階校舎裏へ足を進め続けた。